三話③ 嘘は裏切り者の始まり、正直者の終わり
そうして放課後なわけだが、眞弓の身体の自由は保障されていなかった。帰りのSHRが終わった瞬間、獅子谷が教室に入ってきて言った。
「ここに眞弓ニコさんはいますか?」
普段の口調からは想像できない、丁寧な物言いだった。
僕はというと、このまま隠れていたらもしかしたら逃げたと勘違いしてくれるんじゃないかと淡い期待を抱きながら、窓際の自分の席の横に身を潜めていたわけだが…
「あ、ここにいますよ!ほら、ニコ」
と、雉宮の馬鹿が告発してくれたので、あっさりお縄になった。
「おい、そんな無駄すぎる抵抗、するだけ無駄っスからね?」
小声で言われながら、僕は教室から連れ出された。
「あっ、眞弓君。おとなしく捕まってくれてるみたいだねっ」
虹崎が教室から出た僕と獅子谷に声を掛けた。
「あの、いったい僕は今からどこに連れてかれるのか、教えてくれたり…」
「本部」
「え?」
「本部」
虹崎はそれだけ言って十分だといった様子で、僕と獅子谷を先導して歩き始めた。
本部。それはもしかしなくても再修正の本部だろう。…もちろん嫌な予感しかしない。
さて、授業も終わり、眠気が引いた脳みそで考えてみよう。僕はこれから何をされるのか。
有力なのは、まあ“処理”だろう。それが何をもって処理なのかは分からないが、情報を知ってしまった者に対する処理ならば、それ即ち口を封じるということ。永遠に。
続いて猫の言っていた“修正”か。それも何をもって修正なのかは分からないが、ここ三日間の記憶をすべて消去して、正常な状態へ軌道“修正“する、と考えればしっくりくる。できればこれであって欲しい。
ほかにもいくつかありはしたが、ほとんどが話にならない譫言(今から二人に連れられて、本部という部活で活動を始めることになるとか)だらけだったので割愛した。
虹崎の、あと少しでスキップになりそうな跳ね歩きを観察しながら、僕は獅子谷に話しかけた。
「ねえ、気になってたんだけど」
「ん?何スか?」
「獅子谷さんの下の名前って何です?」
それを聞いた瞬間、獅子谷は顔を強張らせた。
「え、それ、誰かに聞いたんスか?」
「え?いや、誰にも聞いて無いけど…」
「なら、その話はしないで欲しいっス…」
「あーなるほど」
僕は察しが良い方ではないが、今回は分かった。下の名前がコンプレックスなのだ。僕も上の名前がコンプレックスなので、似た境遇の心情は理解に易かった。
僕は獅子谷の背中をぽんと叩きながら、いったいどんな爆発ネームなんだろうなと夢想してみた。金剛石とかかな。獅子谷金剛石。格好良くはあるけど、自分の名前が眞弓金剛石だった時を考えると、なるほどこれは最悪だ。
唐突に、虹崎が振り返った。
「ねーねーおつきちゃん―――」
「わー!わー!わー!アホ!虹崎のアホ!分かってて言ったっスよね!?」
獅子谷は虹崎の肩を掴み、前後にぶんぶんと揺らした。常人だったら首がもげそうな勢いだ。
「にしし、でもその反応を見るためだったら、たまには言っちゃってもいいかもねっ」
悪戯っぽく笑う虹崎をよそに
「なんにも良くない…なんも良くないっス……」
顔を両手で覆う獅子谷だった。
「へえ、おつきちゃんね。どんな漢字を書くのか教えて欲しいんだけど」
「あたしの名前はおつきちゃんじゃないっスから教えられないっスね」
じゃあさっきの反応は何だったんだ。
疎外感に溜息を吐いたら、虹崎と獅子谷は立ち止った。
「ここだよっ」
彼女たちが向く方を見ると、当たり前だが部屋があった。しかしそこは、一般生徒は立ち入らないような、生徒たちの中でも選ばれた者しか入れない部屋だった。
生徒会室と書かれた扉を、虹崎は開けた。
そこで改めて思い出した。僕は別に彼女達と、楽しくお話をするために招かれたわけではないということを。
中は、二つの長机とそれの横に六脚の椅子が、部屋の奥にはそれらより少しだけ豪華な机と椅子があり、その机の上には「生徒会長」と書かれた名札が置かれていた。
虹崎は適当な椅子に、獅子谷は会長席に腰かけた。
「えっ」
僕は入り口で立ち尽くして零した。そんな僕の様子を見て、獅子谷は
「どしたんスか?好きな席に座るっスよ」
なんて言った。だとしたら会長席に座りたいな、などという譫言は置いておいて、僕は虹崎と向かい合って着席することにした。
「じゃあ始めるんだけどさっ」
仕切るのは虹崎だった。
「バレちゃったんなら仕方ないよねっ。美優たち、実は世界を裏で守ってるヒーローなんだっ」
さっぱりわからなかった。だが、すかさず獅子谷がフォローに入る。
「ちょっと抽象的過ぎるっスよ。つまりは…いや、記憶があるんなら…あたし達は再修正っていう組織みたいなのに属してるっス。で、世界に起こる異常を修正する役をこなしているって感じっス」
なるほど、これだけ分かりやすく要点をまとめてくれるのなら、生徒会長というのも頷ける。
僕の心の中で獅子谷に対する評価が上がった。………いったいどこからの目線だよ。
「つまり、僕が一昨日見たのが異常だったと…あれって何なんです?」
「正直、分からないことだらけなんだよねっ!」と虹崎「とりあえず美優たちは美優たちに与えられた役割をこなすだけ。まあ、皆そうなんだけどさっ」
虹崎はにははと笑いながら言った。
「皆?皆って?」
「この世界の住人っス。この世界の住人は、皆役名が決められてて、やることも決められてるっス。でも偶に、その役を超越した行動をとる人がいる。それが―――」
虹崎は僕の事を指差しながら獅子谷の言葉を奪った。
「君の事だよっ眞弓くん!」
ビシっと決めポーズをとる虹崎を僕と獅子谷は眺めていたが、獅子谷は「それはさておき」と、彼女の事を放置して話を進めた。
「どこであたし達の事を知ったんスか?」
「………ん?それはどういう?」
「どこで、誰から、あたし達が旧校舎で活動をしているって知ったんスか?って話っス」
そんなこと、もちろん眞弓は知らなかった。知らない事は戸惑いを生み、やがて心の中で窮地を察知した。その瞬間、彼の脳髄はかつてない程の働きを見せた。
「ああ、それは雉宮から。あの、さっき僕の居場所を教えてた…」
「……嘘じゃないみたい」
虹崎は呟いた。それに獅子谷は溜息を吐いた。
危なかった。前に雉宮からその話を聞いていなかったらアウトだった。…というか、再修正も旧校舎で集まってるのか?それだったらあの校舎は戦場にでもなりそうなものだけど…
「つまりは、一般人による噂のせいで巻き込んじゃった感じっスか……完全に事故っスねこりゃ……記憶を消しても残ってるし、どうしようもないっスね…ほんと」
獅子谷は柔らかそうな背もたれにもたれて、腕を組みながら宙を観察した。しばらくすると、彼女は姿勢を正した。
「よし。じゃあ眞弓君、これは別に断ってもいい、誠に勝手な打診なんスけど―――」
獅子谷は息を吸い、吐いた。
「あたし達、再修正の仲間になりませんか?」
彼女はそう言って微笑んだ。虹崎はただ笑みを浮かべながら、僕の方を見ていた。
僕はと言うと、直前まで思っていた最高の事態の上を行く、さらに最高の事態に戸惑いを隠せなかった。




