三話② 嘘は裏切り者の始まり、正直者の終わり
再修正は案外融通が利くようで、流石にチャイムが鳴ったために、授業は受けさせてくれるようだった。いや、もしかしたらいつ逃げても捕まえられるから放置しているのかもしれない。
僕はまるで死刑執行前の囚人の様に、何をするでもなくただひたすらに、今からでも何とかなるか頭を働かせてみた。もちろん何も浮かばないが。
こういう時に限って使い物にならない僕の頭だが、土壇場では活躍してくれると思っていた。それこそ僕の能力が今芽生えて、窮地を脱する展開に―――
溜息。
(それは流石に譫言だ)
人は死に瀕すると脳細胞が通常の何倍ものスピードで活動をするそうだが、僕のそれは大した働きをしてくれないそうだった。
そこで僕は、この世界の脳細胞なんてただのプログラムでしかないのだと思い出した。
「まったく、そっちの方がよっぽど譫言だよ」
溜息とともに愚痴を漏らした。
ほとんど生徒たちの睡眠時間と化している昼休み後の国語の授業だが、思ってみれば僕はこの授業で寝たことが無かった。
特段面白い授業というわけでもない。というか、国語の授業はおろか、僕は授業で寝たことすらなかった。これが全員の常識ならば、もっと世界はいい方向に進むだろう。
(なんて、結局はプログラムでしかない世界なんだから、どっちにしろ悪い方向にはいかないんだろうな)
吹雪は言っていた「記憶を封じられ、日常という物語を演じさせられる人生なんて、私達はまっぴら―――」と。
日常という物語の中に異常は起こり得ない。だからきっと世界はどんな異常をきたすことなく日常を保ち続ける。それがこの世界の摂理なのだから。
じゃあ
じゃあどうして僕は―――
「昨日ぶりだにゃあ、セクハラ」
机の下の方から声がした。僕は机に腕を突っ込んで何かを探すふりをしながら下を覗いた。覗かなくても誰がいるのかは分かっていたが。
僕の足と足の間に、彼女は体を丸めていた。
授業中で喋れない僕は、彼女に何もかも言われるがままになるしかない。
「昼休み、いつも通り日向ぼっこしてたらにゃあ、セクハラが虹崎と獅子谷に連れ込まれてるのを見かけたにゃよ」
「………」
「そう固くなるにゃ。にゃあもちゃあんと聞き耳立ててたから、セクハラが再修正達ににゃあ達の事を漏らしてないのは確認済みにゃ。ま、漏らしてたら今頃…」
彼女は自分の長い爪を舐めながら言った。よく見るとかなり鋭く、凶器としては不足無さそうだ。
「にゃあは一般人には猫にしかみえにゃいから、こういう隠密行動ってのは得意なんだにゃ」
「………」
「でだ、セクハラ。お前、かにゃあり困った状況ににゃってるそうじゃにゃいか。にゃににゃに、再修正に目をつけられて、放課後はおろか、今後もこちらに来れそうににゃい、と」
「………」
「昨日、吹雪がいってたのは誇張にゃしの本当の事。再修正ににゃあ達との関りが露見したら、間違いなく処理されてしまうにゃ」
眞弓はここで初めて、真に事の重大さを理解した。
のらりくらりとふざけていた印象のこの猫が、これほどまでに真剣に話している様子が、彼の危機感を煽ったのだ。
僕は文字を書いた付箋を渡した。
〈僕はどうすればいい?〉
無力ながら助けを求めた僕の手を、猫は振り払うかのように言い放った。
「どうも出来にゃいにゃ。世界はにゃるようにしかにゃらにゃい。全ては運命と言う名の数字の配列で決まってることにゃ。偶然にゃんてにゃい。全ては必然にゃよ」
案外哲学的なことを言う。
〈その喋り方、面倒くさくないのか?〉
「いやー最初はめんどっちかったけど、慣れれば案外楽―――って、にゃあんでそんにゃに暢気でいられるのにゃ?アホにゃ?きしょいにゃあ…」
別に眞弓は暢気でいたわけではなく、ただ、こういう窮地の時ほど、彼の虚言や譫言というのは彼の口を滑っていくものなのだ。
「いやーそれにしてもセクハラーーー」
〈その、セクハラって呼ぶの疲れないの?〉
「じゃあ、どうやって呼べばいいにゃ?眞弓でいいのにゃ?」
〈ニコで。苗字はあまり好きじゃないんだ〉
「ニコぉ?」彼女は首を傾げた。「にゃんだか猫みたいにゃが。ま、いいにゃ」彼女は僕に遮られた話を再開した。
「ニコ、お前、授業なんて受けなくちゃにゃらんとは、面倒くさそうだにゃあ?」
「………」
「昨日は湊がいにゃかったから、あいつの能力に世話ににゃれんかったにゃあ?ああ可哀そうだにゃ。可哀そうだにゃ。こんな退屈な授業にゃんて抜け出して、お前もにゃあみたく日光浴もできんのにゃろ?ああ可哀そうだにゃ。可哀そうだにゃ」
結局お前って呼ぶのかよ、と思いつつ。
〈勉強は将来に役立つから、やらないといけないだろ〉
その文字を見た猫は、快く笑った。僕の言葉を笑い飛ばした。
「にゃはははは!ニコ!お前いつからそんにゃ良い子ちゃんになったんにゃ?将来の役に立つ?にゃははは!そんにゃ理由で勉強してねーにゃろ!」
その様子に少しだけ腹がたった。でも真実だ。
〈確かに。僕は将来を考えて勉強したことはないよ。でも、やらなきゃいけないからやってるんだ。猫と違ってね〉
「そうだにゃそうだにゃ、にゃあとお前は違う。にゃあは自由にゃが、お前はどこまでも不自由にゃ。」
「………」
「いいか?この世界に、やらにゃきゃにゃらんことにゃんて存在してにゃいのにゃ。実際にあるのはやりたいことと、やりたくにゃいことだけにゃ」
〈…でも、お前だって命令を聞いて動くんだろ?〉
あんな結社にいる限りは、あんな集団に所属する限りは、いるのかも知らないリーダーの命令を聞くしかないだろう。なんて憶測で物を言ってみたが、これも猫には頓珍漢なことを言っていたようだった。
「はあ?いつからにゃあをわんころに錯覚するようになったんにゃ?お前の頭はおめでたいにゃ、ニコ。にゃあはやりたいことしかしにゃいにゃ。ニコ、お前はどうだにゃ?」
「………」
「自分に嘘をついてまで、やりたくにゃいことやんにゃくていいし、お前はもっと自由でいいにゃ」
そこまで言い終えると猫は、机の下から這い出て僕の椅子のすぐ隣に座った。
「どっちを選ぼうが自由だがにゃあ、とりあえず、お前は再修正に修正でもなんでもされてくればいいにゃ。あ、吹雪には遅れるって伝えといてやるにゃ~」
ずいぶんな言い草で吐き捨て、猫は窓から去って行った。僕の視点では女子中学生が窓から飛び降りをしたように見えたので(実際にそう)少しだけ頭の後ろが逆立った。
僕は猫が残した言葉を頭の中で吟味しながら、いつも通り溜息を吐いた。




