第2章:「異常な投稿」
夕暮れ時のオフィスで、誠一郎は一人、パソコンの画面を見つめていた。美咲のLife+アカウントの投稿履歴を、一つ一つ丁寧に確認している。
確かに、ここ数日の投稿には違和感があった。新しくオープンした店や施設への言及が増えている。しかも、それらは全て実在する場所だ。AIが無作為に生成した架空の場所名ではない。
誠一郎はデスクの引き出しから、古い手帳を取り出した。そこには、美咲との思い出の場所が細かく記されている。美咲は手帳に好きな場所を書き留めるのが習慣だった。
「やっぱり」
最近の投稿で言及された場所は、一つも手帳には載っていない。すべて、美咲が他界してから新しくできた場所ばかりだ。
誠一郎は深いため息をつきながら、椅子の背もたれに身を預けた。天井の白い蛍光灯が、疲れた目を刺激する。
スマートフォンが震えた。
『今日は隣町にできた「カフェ・エテルネル」でケーキを食べました。とても美味しかったです♪ 誠一郎も絶対好きよ』
誠一郎は瞬時に背筋を伸ばした。カフェ・エテルネル。それは確か、先週オープンしたばかりの店のはずだ。
慌ててブラウザで検索すると、案の定、カフェの開店日は一週間前だった。モダンなインテリアと手作りケーキが評判の新店舗。場所は、最寄り駅から徒歩10分。
時計を見ると、午後6時を少し回ったところだ。まだ営業時間内。
「行ってみるか」
誠一郎は急いでパソコンの電源を切り、カバンを手に取った。
エレベーターに乗り込む時、新入社員の舞と出くわした。
「お疲れ様です。あ、山田さん、もしよろしければ……」
「ごめん、今日は急ぎの用事があるんだ」
誠一郎は申し訳なさそうに笑いながら、エレベーターのボタンを押した。舞の表情が少し曇るのが見えたが、今はそれどころではない。
地下鉄の車内は、帰宅ラッシュの人々で混雑していた。誠一郎はスマートフォンを握りしめながら、つり革につかまっていた。画面には、美咲の投稿が表示されたままだ。
二駅先で下車し、地上に出る。初夏の夕暮れは、まだ明るさを残していた。スマートフォンの地図アプリを確認しながら、誠一郎は商店街を抜けていく。
古いアパートが立ち並ぶ通りを曲がると、突然、モダンな外観の建物が目に入った。カフェ・エテルネル。ガラス張りのファサードには、優しい明かりが灯っている。REHAUSのデザインによる建築で、外壁には特注のタイルが使用されているのが分かった。
入口のドアを開けると、バニラとコーヒーの香りが漂ってきた。店内は、北欧テイストの家具でコーディネートされている。FritzHansenのアントチェアが並び、天井からはLouisPoulsenの照明が柔らかな光を落としている。
「いらっしゃいませ」
カウンターの向こうから、エプロン姿の女性店員が笑顔で迎えてくれた。
誠一郎は窓際の席に案内され、メニューを手に取った。そこには確かに、美咲の投稿で言及されていたケーキが載っている。「季節のフルーツタルト」。
「このタルトを一つ、お願いします」
注文を済ませ、誠一郎は店内を見渡した。平日の夕方とはいえ、かなりの席が埋まっている。特に女性客が多い。
ふと、奥のテーブル席に目が留まった。窓際に座る女性の後ろ姿。肩までかかる黒髪、小柄な体型。そして、左手の小指に光る指輪。
誠一郎の心臓が大きく跳ねた。その姿は、まるで……。
「美咲……?」
思わず声が漏れる。しかし、その瞬間、店員がケーキを運んできた。
「お待たせいたしました」
白い磁器の皿に、美しく盛り付けられたタルトが置かれる。上品な甘さを感じさせるフルーツの香りが漂ってきた。
誠一郎が再び奥の席に目を向けると、そこにはもう誰も座っていなかった。
「あの、すみません」
近くにいた店員を呼び止める。
「先ほどまであの席に座っていたお客様は?」
「はい? あの席でしょうか? 私が出てきてからは、誰もお座りになっていませんが……」
誠一郎は混乱した。確かに、たった今まで誰かが座っていたはずなのに。
スマートフォンを取り出すと、また新しい投稿が表示されていた。
『カフェの窓から見える夕焼けがとても綺麗。誠一郎も、この景色を見られたらいいのに』
投稿時刻は、たった今。
誠一郎は急いで窓の外を見た。確かに、建物の間から美しい夕焼けが見えている。しかし、その美しさは何か不穏な予感を掻き立てた。
その夜、帰宅した誠一郎は、リビングのソファに深く腰を沈めた。コーヒーテーブルの上には、カフェで食べ残したタルトの箱が置かれている。
スマートフォンの画面には、次々と新しい投稿が流れてくる。他の人々の日常の断片が、まるで万華鏡のように展開されていく。その中に、時折、美咲の投稿が混ざる。
『今日は早めに休もうと思います。おやすみなさい、誠一郎』
最後の投稿を見つめながら、誠一郎は考え込んだ。今日見た光景は、一体何だったのか。幻覚だったのか、それとも……。
カフェで見た後ろ姿は、確かに美咲にそっくりだった。しかし、それは本当に美咲だったのだろうか? それとも、単なる偶然の一致? あるいは、疲れた心が見せた幻?
誠一郎は立ち上がり、キッチンに向かった。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、一口飲む。冷たい水が、混乱した思考を少し整理してくれる。
改めて考えてみれば、これは明らかにシステムの異常だ。Life+のAIが、どうして開店したばかりの店の情報を投稿できるのか。しかも、その店に実際に行ってみると、美咲らしき人物がいた。これは単なる偶然では説明がつかない。
誠一郎は書斎に向かい、パソコンを起動した。Life+のシステムログにアクセスし、美咲のアカウントの動作履歴を詳しく調べ始める。
データを分析していくと、ある特徴が浮かび上がってきた。最近の投稿には、通常のAI生成テキストには見られない特徴がある。文章の構造が、より自然で人間らしい。まるで、実際の人間が書いているかのように。
「これは……」
誠一郎は画面に釘付けになった。プログラムのソースコードを確認すると、AIの学習モデルに予期せぬ変化が起きていることが分かった。
通常、Life+のAIは過去の投稿データのみを参照して新しい投稿を生成する。しかし、美咲のアカウントは、どうやら現在進行形の情報も取り込んでいるようだ。
しかも、その情報源は特定できない。まるで、誰かが直接システムに干渉しているかのように。
時計を見ると、既に深夜0時を回っていた。誠一郎は疲れた目をこすりながら、パソコンの電源を切った。
ベッドに横たわりながら、もう一度スマートフォンを確認する。美咲からの新しい投稿はない。代わりに、Life+からのシステム通知が届いていた。
『重要なお知らせ:システムメンテナンスのお知らせ
日時:明日午前2時~午前5時
内容:システムの安定性向上のための緊急メンテナンス』
誠一郎は眉をひそめた。緊急メンテナンス。これは、他のユーザーでも同様の異常が発生しているということだろうか。
寝返りを打ちながら、誠一郎は今日見た光景を思い返していた。カフェで見た後ろ姿。あれは本当に美咲だったのか。そして、もし本当だとしたら、それは一体どういうことなのか。
答えの出ない疑問を抱えたまま、誠一郎は不安な眠りに落ちていった。




