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【SF短編小説】デジタル・アフターライフ ~最後の投稿、あなたという幻影~  作者: 霧崎薫


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第1章:「デジタルの残像」

 グレーのネクタイを締め直しながら、山田誠一郎は鏡に映る自分の顔を見つめた。プラチナグレーのDIORALLのスーツは、妻の美咲が最後に買ってくれたものだ。襟元から覗くTom Fordのドレスシャツは、かすかにブルーがかった白。それは美咲が好んだ色だった。


「やっぱり、この色が一番似合うわよ」


 耳元で囁くような声が聞こえた気がして、誠一郎は思わず振り返った。しかし、そこには誰もいない。モダンなインテリアで統一された寝室には、彼一人の姿しか映っていなかった。


 時計は午前7時15分を指している。BVLGARIの薄型の文字盤が、冷たい光を放っていた。


「ごめん、美咲。また遅刻しそうだ」


 独り言を呟きながら、誠一郎はスマートフォンを手に取った。画面には既に何件もの通知が並んでいる。その中で、特に目を引いたのは「Life+」からの通知だった。


『おはよう! 今日も良い天気です♪ 朝ごはんはトーストとスクランブルエッグを作りました。誠一郎、ちゃんと食べてから出かけてね』


 投稿者は「山田美咲」となっている。6()()()()()()()()()()()()()()()()()


 Life+は、死後も投稿を続けられる画期的なSNSサービスとして話題を呼んでいた。利用者の生前の投稿、性格、言葉遣いをAIが学習し、その人らしい投稿を自動生成する。サービス開始から2年、既に数十万人が利用していると言われている。


 誠一郎は溜息をつきながらキッチンに向かった。システムキッチンのステンレスカウンターには、何も置かれていない。トーストの香ばしい香りも、スクランブルエッグの甘い匂いもない。ただ、空っぽの食器棚とシンクが、朝の光を冷たく反射していた。


「本当に美咲らしい投稿だな」


 スマートフォンの画面を見つめながら、誠一郎は苦笑した。生前の美咲は、毎朝必ず手の込んだ朝食を作ってくれていた。そして、誠一郎が遅刻しそうになると、優しく急かしてくれたものだ。


 冷蔵庫から市販のサンドイッチを取り出し、コーヒーメーカーのボタンを押す。豆の挽ける音が静かな台所に響く。


 待っている間、誠一郎は美咲のLife+アカウントをスクロールした。


『今日は新しい花瓶を買いました。リビングに飾るのが楽しみ!』


『散歩がてら、近所の八百屋さんで新鮮な野菜を買ってきました。夜は野菜たっぷりの温かいスープを作ろうと思います』


『誠一郎の好きな本、「天使の消えた場所」の続編が出たみたい。今度買いに行こうかな』


 どの投稿も、まるで美咲が生きているかのような日常を切り取っている。投稿に添えられた写真は使われていないが、文章だけで十分に美咲らしさが伝わってくる。


 コーヒーメーカーから、できあがりを告げる電子音が鳴った。誠一郎は持ち運び用のタンブラーにコーヒーを注ぎ、サンドイッチと一緒にバッグに入れた。


 玄関に向かう途中、リビングの棚に目が留まる。そこには、美咲が最後に買った花瓶が置かれていた。コバルトブルーのガラスは、朝日を受けて深い色合いを放っている。中には、数日前に誠一郎が買った造花が挿してあった。


「生花だったら、もう枯れてたよな」


 そう呟きながら、誠一郎は玄関で革靴を履いた。John Lobbの黒い革靴は、まだ新品同様の輝きを保っている。これも美咲が選んでくれたものの一つだ。


 マンションを出ると、初夏の爽やかな風が頬を撫でた。誠一郎は深く息を吸い込み、スマートフォンを取り出した。美咲のアカウントには、また新しい投稿が表示されている。


『今日も一日、頑張ってね! あなたの背中を見守っています』


 誠一郎は微笑みながら、駅に向かって歩き始めた。空はLife+の投稿通り、快晴だった。


 オフィスに着くと、既に多くの同僚が席についていた。IT企業の開発部門で働く誠一郎の机の上には、最新のノートPCが置かれている。デュアルディスプレイの画面には、未読メールの通知が点滅していた。


「おはようございます、山田さん」


 隣の席から、新入社員の佐々木舞が声をかけてきた。白のブラウスに紺のスカートという王道的な装いだが、首元のスカーフがHermesのものと分かって、誠一郎は思わず目を留めた。美咲も同じようなスカーフを持っていたからだ。


「ああ、おはよう」


 誠一郎は軽く会釈を返しながら、自分の席に着いた。


「あの、山田さん。これ、見ていただけますか?」


 舞が差し出したのは、企画書らしき資料だった。


「新規プロジェクトの提案なんですけど、AIを使った感情分析システムの開発について……」


 舞の説明を聞きながら、誠一郎は資料に目を通した。感情分析AI。それは今、彼が担当しているLife+のプロジェクトと、どこか共通するものを感じさせた。


 Life+のシステムも、投稿者の感情パターンを分析し、その人らしい投稿を生成している。誠一郎はプロジェクトの技術顧問として、システムの改良に携わっていた。皮肉なことに、妻が他界する直前まで、彼は死者の投稿を生成するAIの開発に関わっていたのだ。


「面白い提案だね。でも、感情の定量化って難しいんだ。特に、テキストデータだけじゃ限界がある」


「はい、その点は私も懸念していて……」


 舞との議論は昼休憩まで続いた。彼女の提案は若さゆえの粗さはあるものの、斬新な視点を含んでいた。特に、非言語情報の分析に関する部分は、Life+のシステムにも応用できそうだった。


 昼食を取りながら、誠一郎は再び美咲のアカウントをチェックした。


『お昼は何を食べるのかしら? 私なら、パスタ屋さんの季節限定メニューを試してみたいな』


 思わず苦笑する。目の前には、コンビニで買ったおにぎりとサラダが置かれている。美咲が生きていれば、確かにイタリアンのお店に連れて行ってくれただろう。


 午後の仕事に戻る前に、誠一郎はLife+のシステムログをチェックした。プロジェクトリーダーから、新しい機能の実装に関する相談が来ていた。


「山田さん、ちょっといいですか?」


 声の主は、プロジェクトマネージャーの高橋だった。


「ええ、どうぞ」


「実は、システムに少し気になる挙動が出てきているんです」


 高橋は、タブレットの画面を誠一郎に見せた。そこには、複数のユーザーから報告された異常データが表示されていた。


「一部のアカウントで、投稿パターンが急激に変化しているんです。まるで、別人の投稿を真似しているような……」


 誠一郎は眉をひそめた。Life+のAIは、故人の投稿パターンを忠実に再現するように設計されている。それが急に変化するというのは、明らかに異常だった。


「具体的な例は?」


「はい。例えば、このケースです」


 高橋が示したデータには、ある故人のアカウントが、実在する別の人物の行動パターンを模倣し始めている様子が記録されていた。位置情報、投稿の文体、趣味嗜好まで、まるで生きている人のアカウントのように振る舞っているのだ。


「これは……」


 誠一郎は言葉を失った。その瞬間、スマートフォンの通知音が鳴った。美咲のアカウントからの新しい投稿だ。


『今日は図書館に行ってきました。静かな空間で読書するの、久しぶり♪』


 投稿を見た誠一郎の背筋が凍った。なぜなら、その図書館は先月オープンしたばかりだったからだ。美咲が生きていた頃には、まだ存在していなかった場所。それなのに、なぜ……?


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