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魔術の最期  作者: 青眼の夜鴉
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第9話 忘却

 時は少し戻る。

 ユウリがエノク達と別れて暫く、エノクとアリアの2人は昨晩の使者の言葉に従いオウトリム宮殿への道を急いでいた。行政機関として挙げられる宮殿と市統庁のうち、目的地が宮殿なのは彼らを呼んだ者の執務室がそちらにあるからだ。彼らは一気に人混みを抜ける。そして少し人流が疎らになりだした頃、堅固な門を守る2人の門兵が見えた。


「秘密裏に会いたい、なんだよね?」

「加えて内装の地図も同封してあったね」

「しかも出迎えはないなんてね」

「侵入しろ、ということだろう。私を試しているように見えるね」

「簡単なことなのにね」


 宮殿及び中庭を囲む壁から目的地である宮殿の最奥部までの距離は相当な長さではあるものの、豪華な装飾や秀麗な花の海による遮蔽物は侵入することにおいては大きな助けとなる。彼らは足音をたてずに門兵の見えない位置の壁へと移る。そして足場を創りながら宙を駆けあがると、無事感知されることなく壁内へ侵入した。


「さて、どうする?」

「魔術師といえば「変身」もできるんじゃない?」

「ふふ、それもそうだね。んじゃあ猫にでも」

「少し走る必要がある。アリア、ついてこられるかい?」

「当たり前だよ。猫になっても体力は変わらないんだから!」


 先日まで魔術の使用を渋っていたとは思えない程彼らは頻繁に魔術を使用した。小さな蒼い花弁が二枚、彼らのいた場所にヒラヒラと舞い落ちる。そこには二匹分の肉球の跡があり、ふと視線を上げると花の双葉が揺れているのが見え、花達の影の下には白い2つの影があった。


「「……………」」


 流石に猫の状態で人間の声帯を再現することは出来ない。そのため彼らはお互いに小さく頷くと、しなやかな体を小さく縮め、整備された中庭の陰を一気に駆け出した。そして暫くするとその小さな影は驚くことに宮殿下のプランターの傍にあった。


「…………?」

「………。………」


 アリアの声のない問いかけに彼はベランダへ続く小さなデッパリを示した。目的の部屋は三階の奥、しかも外側に面しているのではなく建物内側の建物中の中庭に面する位置。すると彼はアリアに先を急ぐよう前脚で促した。そして高い場所は彼女を押し上げながら進むと、そう時間のかからぬ間に宮殿の屋根へと上りきった。


「流石に疲れたね~」

「やはり何かに化けると体力を使うみたいだ。あまりやりたくはないね」

「そもそも呼び寄せたのなら迎えくらい寄越せばいいのに」

「それも含めて私の実力検査さ。さて、それでは華麗に侵入といこうか」


 この宮殿が町中から離れた場所にあることが幸いした。この明るい空の下、彼ら兄妹の姿は下からハッキリと見ることができる。もしこれを下から見る者がいれば彼らは即座に御用となるだろう。しかしここは高い塀と精鋭少数の兵達に守護される魔導国の中枢。これが良いのか悪いのかはともかく、昼間から宮殿の屋根を見上げるような者はいなかった。彼らは屋根伝いに目的の部屋の直上へ。彼は下を覗きベランダがあることを確認すると、音もたてずに飛び降りた。


「……(パチンッ)」


 妙に高く響いた音が屋内にいた部屋の主人の視線を窓へと誘う。彼はふと小さな笑みを浮かべた。すると独りでに錠が外れる音と共に窓が動き出すと、彼らを招き入れるように大きな窓が内側に開いた。


「やあ、ユリア」

「よく来てくれたわね、2人共」

「人を招いたにもかかわらず迎えを寄越さないなんて無礼じゃないかい? そこの愚物が止めたのは予想に容易いがね」


 大きく左右に開かれた窓から真っ直ぐの光が部屋の中に差しこんだ。彼は彼女のデスクの後ろ、不自然に開かれた扉に指を向けるとクイっと指を手前に動かす。するとまるで糸に引かれたかのように扉が引き寄せられると裏から中年のガッシリとした長身の紳士が姿を現した。


「ゴメンなさいね。本当は私が出向きたかったのだけれど、彼の静止があると出歩けなくて」

「それもまた理解しているよ。故に君を責めるつもりはない。ほんの冗談として受け止めてくれたまえ」


 彼は申し訳なさそうに俯く彼女の頬に手を当てると、優しく顔を上げさせ小さく微笑んだ。地位を得るということは、強大な権力という力と引き換えに自分としての自由を捧げることを意味する。しかし彼女もまた生ける人間だ。己を削り心身を捧げることはあまりに辛い。彼は緊張状態で立ったままの彼女を中央のソファーに誘導した。


「ごめんなさい、気を遣わせるわね」

「もう少し気を楽にしたまえ。なに、この軽口も冗談さ。あくまでその程度の距離でいい」

「え、ええ…。少しそれに甘えるわ。でもここからは本題よ」


 彼女の語ったように上等な諸々を身に纏いながら恐縮気味に座るユリアは元来ここに坐る器ではない。ただ今の彼女はそれを己の意志で捻じ曲げている。彼にわけを知る術はないものの、重圧を自ら背負うには生半可な覚悟では足りない。彼はなにも言わずに彼女に先を促した。


「それでは改めて、今回は本当にありがとう。私のお願いを聞いてくれたこと、本当に感謝するわ」

「私にも利益があった。それまでさ。それに君は私を頼りたいのだろう?」

「それはそうですが…」

「ならば応えようとも。私は誰かを切り捨てることはしないよ。面白くない、なら別だけどね」

「面白い、ですか?」

「勿論。誤解しないでほしいが、私は君の意志を嘲るつもりはない。ただ君とその感情を分かつことは、私の終わらぬ時間に色を分け与えてくれる。ならば全力で君を助けようとも。君が望むのならば尚更ね」

「私、そう見えますか?」

「自覚はしているんじゃないかい?」

「…………」


 彼女が先日、彼が切り札であると言ったのは確かに魔導国にとって大きな力になり得るからという理由はあるだろう。しかし魔導国と一概に言ってもそこには議会を中心とする議会派閥、その中でも議員各者を支持する議員派、そしてそれは貴族側にも然り。議長の議会、国王の貴族院。これらが協力して治世を執り行う政治形態において、彼を取り入れることは魔導国の力であると同時に議長である彼女の力になることを意味していた。


「君はそう変わらないね」

「な、何故です?」

「当時もそうして黙り込んでしまったではないか。大人が苦手というよりも、こうして自身を透かされるのが苦手。何故なら、それで良い経験をしたことがないから」

「っ!」

「安心しなさい。私は君を守ることはすれども、傷付けることは無いよ」


 彼の言葉は実に優しく甘く魅惑の味を秘めている。しかし彼女はあくまでここを統べる国議会議長であった。個人としてはそれに甘え今にでも手を差し出したくなるところではあるものの、彼のひたすらに浮かべる薄い笑みと巧みな言葉遣いは安易に信用できるモノではなく、また部下もいることから彼女はそれを素直に頷くことは出来なかった。だがそれはここにいる全員が理解していること。彼は立ち尽くす紳士に視線を向ける。すると彼女は慌ててそちらを向いた。


「あぁ、ごめんなさい。紹介できていなかったわね。彼は騎士団の団長を務めるアバドン・ニューファクトさんです。私の護衛を務めて頂いてます」

「護衛ごときで君を縛れるとは権力の順位が崩れてるんじゃないかい?」

「無理に出ようとすれば腕を掴まれて出られないのよ…。しかしこれも全て私、しいては議会の為だと考えると我儘はできないわ」

「ふむ、君が納得しているのならば結構。私としては彼とそう関わることはなさそうだ。君が私を呼んだのにも、彼の名では任せられぬことがあるからじゃないのかい?」

「ふふ、その通りよ。あなたはいつもそうね。前回も、昔も、私のことなど容易く見通してしまう」

「君がそれが苦手なんだね。しかし私を毛嫌いしないのは、この曲がり切った私にも君が求める点があるからだろう」

「そうかもしれないわ。事実、あなたは優しいもの。本当は、こんな危険なことを任せたくはないわ」


 そういって彼女が彼の前に差し出したのは数枚の資料を1つに纏めた冊子だった。表面には『第一回調査隊及び魔導国選抜部隊』の文字がある。そして彼がそれを手に取るのと同時に、彼女はもう1つの冊子を机の上に置いた。


「初めに渡したのは連盟が企画している調査隊についての資料よ。そしてこちらは我々が独自に組んだ調査隊の企画書。私はあなたにこれらに参加してほしい」

「ふむ、それは個人としてになるのかい? それとも騎士としてかな?」

「連盟企画のモノは任意になるわ。あなたならどちらにしろ参加できる筈よ。そしてこちらに関しては個人ね。これは魔導国としての立案だから、議会傘下である騎士としては参加するには少し都合が悪いのよ」

「ふむ、ならば連盟の企画に関しては騎士として向かおう。そちらに関しては個人でのみ参加可能だね」

「では行って下さるのですか!?」

「今更なにを。ここから得た情報をユリア、君に伝えるのが私の仕事だろう?」

「っ!」

「私はそこの騎士の影になるのが仕事さ。表で君を守るのが彼なら、裏では私が守ろう。これを君に伝えることもまた、君という存在を守ることに繋がるだろうからね」


 情報とは時として名工の刃よりも鋭く危険な刀で、且つ強固で頑丈な盾となり得る。彼は一度彼女の味方につくと約束した。ならばそれを違えるつもりはなかった。約束をもって自身のできる最高の力を振るう。彼女を刃や弾丸から守るのはアバドンだとすれば、彼女を悪意や孤独から守るのがエノクだ。常時浮かぶ薄く冷たい笑みの裏に、彼は大きな慈愛と深い愛情をもって彼女との決死の約束を交わしていた。


「もういいわ。色々言いたいこともあったのだけど、あなたと会っているとどうでもよくなってしまう。恐らく、私がなにも言わなくてもあなたは私の欲しいものをくれるのでしょう」

「君は当初から私を過小評価しすぎだよ。むしろその程度を手に入れるのに命を賭すのはバカらしすぎる。君はもう少し自身を大切にしなさい」

「残念ながら今の私には自身の命しか賭けられるモノがないのよ。対価としては本当に小さなものだけど、それが意味を成すのなら私はこれを惜しむことは無いわ」

「ふむ、では私は今現時刻をもって先日の契約に一項を追加しよう」

「っ! な、なにを勝手なことをなさるのです!」

「1つ、私がこれを持つ限り君は命を失うことは無いことを承諾すること。1つ、君は以降一切の自身を粗末にした言動をしないこと。1つ、決して言葉を呑み込まないこと」

「っ……」

「君はこれを呑むかい? 頷かずとも先日の契約は継続する。この数日の通り、私は君との約束を守ると誓おう」


 上記の三項。これは全て彼女の悪い点を補強するためのものだった。彼は取り出した結晶に這う蔦が淡く輝いているのを見せる。これは魔力が通っている証拠だ。しかし彼女に苦しむ素振りは無く、ただ煮詰めるような思考の鍋に身を落としているようだった。


「エノクさん、これはあまりにも酷な話ではないですか? 私はあくまで魔導国の重鎮に位置する国議会議長ですよ?」

「それがどうしたのかな? 君はユリアじゃないか」

「エノクさん…、しかし私は既に無数の責任と運命を背負っています! 私という存在は既に自分だけのものではありません!」

「ふむ、ならば君は、何故私を呼んだんだい?」


 彼は唐突に顔を上げると、今度は笑みさえ滲まない冷たく覇気を纏った表情で彼女を見据えた。彼女は思わず背筋が凍るのを感じる。慌てて立ち上がり彼の前まで来て膝を折った。

 どこかで返答を間違えたのか、自身は愚かだったのか、エノクを手中に収めたと舞い上がっていたのか。どれも違う。しかしどんな答えを導いても、既に凍り付いたような彼の鋭く研ぎ澄まされた瞳は自分を放してくれるとは思えなかった。


「そ、それは…」

「エノク殿、流石に無礼が過ぎ…」

「去ね」


 鋭く地の底から響く様な邪悪な声。見かねたアバドンの静止が効果を示すことは無かった。禍々しい殺気と邪気を孕んだ彼の声はまるで蛇が這うようにアバドンの体を硬直させ、一歩、また一歩と後退らせる。彼は視線を再び彼女に戻した。既に怯え切った彼女に彼は思わず奥歯を噛む。しかし甘い顔をするのは簡単なことだった。


「エ、エノクさん、が、いえ、その…」

「ゆっくりと、落ち着いて話しなさい」


 彼ら魔術師はいくら大きな手駒になるとはいえ、それを迎え入れることは国民から、しいては他国から大きな批判を受けることになるだろう。それこそ、その些細な判断が大きな大戦の火種になる可能性さえある。あまりに迂闊な行動だ。しかもエノクという魔術師はその中でも最も知名度が高く最も忌まれる存在。彼は彼女の回答を待った。


「エノクさんのこと、見付けて…、会ってみたくて…、その、色々あったんですけど、やっぱりお礼と…、その…」


 途切れ途切れに紡がれた言葉はもうそれ以上は続かなかった。彼がフルフルと震える彼女を何も言わずにそっと抱き寄せたからだ。唐突に喧嘩する状況。怒りを買ったかと思えば、唐突に抱き寄せられる。その時、ふと彼女は今の状況に記視感を覚えた。


「その時、君は何て言ったかな?」

「お父さん…」


 彼の記憶領域は人間のそれを優に凌駕する。彼は数分前よりも柔らかく微笑んだ。そして間の抜けた顔で見上げる彼女の髪をかき上げると、その額に当てるだけの優しいキスをした。

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