第84話 再開
村を出てからは数週間の間、ただただ似たようなことを繰り返す日々が続いた。幸いなことにこの戦争下では野盗となる者達も少なくはなく、それらを狩ることで彼らはどうにか食料と金銭を繋いだ。
この数週間の間、彼らは多くの疲弊を見た。これまで続いた戦争、そしてこれからも続くであろう戦争に小さな村の多くは廃れ、大きな村でもどこか不安感と焦燥感に包まれた日々を過ごしていた。そうして今日、彼女らはようやく首都へと到着した。
巨大でなだらかな山を土台とし、その中央に美しい神殿が建てられている。その周囲にはぐるりと渦巻き状に城壁が設けられ、それは山の麓にまで伸ばされている。最外城壁の外には皮から引いた水の満たされた堀が掘られ、町へと入る入り口は四方に設けられた橋のみ。また中央にある神殿に向かうのもまた四方へ設けられた直通の門-ただし平常時は開放されていない-、そして渦巻きの間を通っていくという二択に絞られ、その街は徹底して他社の侵入を拒む造りになっていた。
到着すると4人は急いで宿を探した。外を不用意に出歩いては追手に見つかる可能性があるためだ。すると暫くして城下町端の宿を見付ける。彼らは早急に手続きを済ませると、自身らを二手に分けて部屋を二つとる。そして荷物を置き次第、エリスの部屋に集合した。
「さて、どうするか?」
「私はこのあと魔導国に向かいます。最終目的は魔導国なので」
「なるほど、だからわざわざ城壁に近い場所を選ばなかったんだな」
「はい。それはそうと、お二人はこの後どのように?」
「俺達はこのまま帰る予定だ。ついて行ってやりたいのは山々だが…、なにせルーシェンからの依頼だからな」
「でもそれを彼に伝えたらすぐ戻ってくるわ。なに、私達だけなら数日とかからないわよ!」
「そ、そうなんですか!?」
「知らせるだけなら、魔導具の有効距離に入るだけでいいからな。それはそうと、お前はどうするんだ?」
そういって彼の視線が向いたのベットに腰掛けたペルル。以前の話だとここで仲間を探すといっていたように思う。すると彼女は頷いてベッドから飛び降りた。
「私はここに残るよ。友達と逸れたのここだし、探さないといけないし!」
「ふむ、なら今日だけだが一緒に探すとしよう。お前はこれまで十分に俺達を助けてくれたからな」
「私も勿論手伝うよ。ペルルちゃん、一緒に探させてくれる?」
「勿論!」
ただその時、事は唐突に起こった。窓が蹴破られて、外から誰かが侵入してくる。と同時に扉の向こうからも足音が聞こえる。どうやら彼らはつけられていたらしい。4人が瞬時に視線を交わす。幸いここは2階であり、この下には厩舎があった筈だ。彼らは一斉に得物を抜く。そして侵入してきた者を斬り捨てると、急いで窓から飛び降りた。
相手は宗教国かそれとも共和国か。先日の戦争において結果的に宗教国が負けたこと、この国トップである法王-比較的愛国心の強い-が突如行方不明になったことを思えば、どちらにしても共和国の手であるような気がする。4人は急いで裏から外に出ると、入り組んだ路地の奥へと走り出した。
「どうします!?」
「離れちゃダメだ。迎撃もままならない!」
「それじゃあ一回隠れるのは!? 私達の力じゃ追い返すこともできないわよ!」
「この先を曲がって建物に入る。屋上に上がって追い掛けてくれば迎撃する!」
結果、それ以上に良い意見はなく、彼らはそこで攻撃の覚悟を決めた。人通りの少ない路地を最短距離で駆け、扉にかけられた錠を剣で叩き潰して中に入る。階層は計5階。各階には広い部屋が設けられているが、既に使われなくなって長いのは中の様子を見れば歴然だ。
その時、彼女は直感的に首を傾けた。なにが、ではなくただ嫌な予感がしたのだ。そしてその瞬間、背後から飛んできたのは鈍色のナイフ。彼女は振り向きざまに弓を放つと、既にお馴染みとなった赤い光を放つ魔導具をばら撒いて即時起爆。煙幕に呑まれる前に上階へ上がった。
「行くぞ。既に2人殺った!」
「後ろでも1人抑えました! 行きましょう!」
やはり前回の失敗からか投入された人数は相当な数のようだ。今もルカより上、ペルルの方からは金属をかち合わせる音が聞こえてくる。彼女はルカとカルラの間をすり抜けると、ペルルの名を呼びながら既に限界まで引いた弦を離した。
「ありがとう!」
「行くよペルルちゃん。ルカさん達も早く!」
階段上にいてはジリ貧だ。前後から攻め立てられれば、いずれは隙が生じてしまう。そしてそれは確実な死となって彼らに襲いかかってくることだろう。
結局登り切るまでに6人の刺客を仕留めた。だが階段を駆け上がった彼女らが見たのはそれよりも絶望的な光景だった。
扉を開けて勢いのまま外に出る。するとそこには2人の黒服が剣を抜いてこちらに向けている。その後ろには更に3人、もっと向こうにはさらに5人。さらにあたりを囲むはもっと沢山の刺客。万事休す、とはこのことだ。カルラが後ろ手に扉を閉める。すると剣を振り下ろす衝撃が扉越しにも伝わってきた。
「貴女はよく奮闘された。もうよいだろう。御命、頂戴いたす。御覚悟を」
「あれ、エリスじゃん!」
その時、緊張に満ちた場面に場違いな凛々しくも明るい、張りのある声が聞こえた。それはどこか懐かしい聞き覚えのある声だ。すると突如、彼女に剣を突きつけていた黒服2人の頭を白い光が貫いた、かと思うとそれは弾けて彼ら4人を除く周囲の黒服たちに襲い掛かった。
あまりに突然過ぎる出来事。緊張に身が固まり彼女らが呆然としていると、先程まで黒服達が毅然と立っていた場所に2人の少女が舞い降りる。その可憐な顔を彼女は知っていた。
「アリア!」
「久し振り、エリス。元気にしてた?」
そういって微笑む少女はいつかの親友であり、随分と長い間偶然の上に会うことのできなかったアリアその人だった。エリスは雷に打たれたような衝撃を受ける。言葉が出ずに涙が溢れる。いつの間にか彼女は自分でも気付かぬままに懐かしい友達を抱き締めていた。
「もうちょっとなに〜? ほら、もう大丈夫だよ。ほうら、大丈夫だから」
「アリアぁぁっ!!」
先日自身がペルルにしたように、アリアはただ彼女を抱き締めて、困ったようにだが包み込む優しさをもって笑っていた。懐かしい、嬉しい、そしてなによりも安心する。彼女は暫くの間そうして、少し冷静な部分が舞い戻ると、アリアを抱き締める腕をパッと離した。
「……………」
「可愛かったよ、エリス!」
「アリア!?」
冗談がきつい、と本気で思った。ただ今は怒る気にもなれず、そんな冗談さえも嬉しくてまた涙が出そうになる。するとそれまで後ろで控えていたペルルがそっと前に歩み出た。
「リン様、ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした」
「んー、大丈夫。ペルルは怪我ない?」
「はい、大丈夫です。こちらエリスさん達にお助けいただきました」
「そっか、んじゃあお礼しないと。お母さん、どうしよ?」
「どっちにしろ皆はこっちに招いてあげないとね。そしてそれはそうとそっちの2人は?」
淡々と進んでいく会話の中にも彼女にとっては衝撃の言葉が飛び出してくる。リン様、お母さん、そしてペルルの敬語。すると困惑する彼女にアリアが背後の2人について尋ねてきた。
「え、えーとね、2人は私がここまで来る手伝いをしてくれてね。ルカさんとカルラさんっていうんだけど…」
「あぁ、どうりで。ルカさんもカルラさんも、リンとは久し振りにのるのかな?」
「あぁ、数年ぶりだ。お前とは初めて会うが、確かに似ているな」
「あれ、嬉しいな。お兄ちゃんと似てるなんて言われたことないんだけど。まあいいや。2人はここに残るか私達に保護されるかどっちがいい?」
「お前達にそんな戦力があるのか?」
「魔術師が十人程いるけど足りない?」
「「っ!」」
「あれぇ? もしかしてお兄ちゃんは言ってなかったのかな?」
困ったように頬を掻きながら苦笑を浮かべるアリア。だが対する彼ら3人は等しく雷に打たれたような衝撃を受けていた。魔術師といえば各国が総力を上げて追っている半分怪物の人間モドキだ。数多くの事件を起こした元凶と言われている。すると衝撃より逸早く復活したルカが深呼吸をしてから口を開いた。
「エノクも、魔術師か?」
「うん、勿論。当然、私もね」
「アリアも!?」
「ゴメンね、エリス。秘密にしてて」
「…………」
「お前らが魔術師なのはわかった。ああ、今思えば最も納得のいく説明だ。なら一つ質問したいことがある」
「なんでもいいよ。人ならざる魔術師として答えよう」
「この戦争の元凶、お前達と聞いた」
その瞬間、どこか懐かしさに温まっていた空間が氷河の如く凍り付いた。勿論、彼女は初耳だ。リンという少女と関わりのあるらしいペルルでさえ驚いたと目を見開いている。するとそれまで沈黙していたアリアがふっと微笑みを見せた。
「正直に答えるとね、その通り」
「「っ!」」
その瞬間、彼女の脳裏にここ数週間に起きた出来事の数々が浮かび上がった。宿で例の話を聞いた時の衝撃、ルーシェンと相対した時の緊張、無惨に屠られた村の遺骸、そしてナイフを受け倒れ伏すハリー。するとそんな彼女の心中を察してかペルルが彼女の手を握った。
「あとは何を聞きたい? あぁ、でも私個人のは恥ずかしいからダメだよ!」
「事実を教えろ。お前達は戦争を無為に煽ることはしない筈だ」
「…………」
「人型は事故だ。だがお前達が魔導国の武器を作ったこと、裏での共和国の暗躍を許したのは訳がある筈。理由を教えろ」
「それも既に察してるんじゃない?」
「……………」
「私達は調停するのが役目。だから共和国にも力を与えたし、魔導国にも武器を与えた。宗教国は強い。独自性があり過ぎるからね」
「それじゃあお前達は何故戦争を煽る?」
「んー、それじゃあ質問が回帰してるよ。まあいいや、何故戦争を煽るのか、だよね。答えは簡単だよ。私達は戦争を煽ってなんかない」
「事実と反するな」
「まあね。ただ、私達には本当に戦争を煽る気はないよ」
そう語る彼女の表情を見るに、そこに凡そ偽りがあるようには感じなかった。だが対するルカは未だ懐疑的な表情を消さない。するとそれまで静かに話を聞いていたリンと呼ばれた少女が突然前に出た。
「ねえルカ、バカなの?」
「お前には分からないはずだ」
「直接手を下せない調停者が戦争を止める方法はなに?」
「…………っ!」
「偏った力が勝敗を導くなら、均しい力は均衡をもたらす。そうでしょう?」
その言葉にルカはピクリと眉を跳ね上げた。平然と言い放った論が正確に彼の問いに答えたのだ。するとそれを見ていたアリアが小さく笑うと、一歩前に歩き出しだ彼女を後ろから抱き締めるようにして引き戻す。そしてなにも言わずに片目を閉じて彼を見た。
「それが答えか?」
「私達のやりたいこと、分かった?」
「それ以外に手はなかったのか?」
「私達が力を削ぐことはできない。だけど事故で流出した力は着実に成長を続けた。抑えるなんて不可能だよ」
「分かった。以降、俺達はお前らに従おう」
「そっか。じゃあ次はエリスだね」
そして今度はアリアの視線が彼女を向いた。青い瞳の中には彼女に対する親しみや邂逅の喜びがありありと湛えられている。ただより深い場所、黒く澄んだ奥底では背筋を撫でるような冷たいナニカが潜んでいるようにも見える。ここに来て、彼女は改めて“不思議”な友達の片鱗を見ている気がした。
「アリア、リリスさんは魔術師?」
「まあね」
「エレンさんは?」
「勿論のこと、そうだよ」
「それじゃあ皆、魔術師ってこと隠してたの?」
「そうだね。エリス、そしてお兄さん夫婦2人は知らなかった筈だよ」
「どうして、教えてくれなかったの?」
「それは…」
アリアはそこで一旦言葉を止めた。どこか言い淀んでいるような仕草で。だが彼女は少しして困ったように苦笑すると、言葉を続けた。
「街を丸ごと犠牲にしても魔術師は殺す。そんな世界の総意を、私達は何度も体験してるからだよ」
「っ!」
「エリス達を巻き込みたくはない。いいや、巻き込んじゃいけない。だから話さないの。ただ、既にエリスはこっちに来ちゃった」
「街が壊された、こと?」
「うん。黙ってるだけじゃもうエリスを守れない。だから、一緒に来て。これは問い掛けじゃない。私からのお願い」
清浄な沈黙の中で、闇を秘めた双眸がそっと開いて彼女のことを真っ直ぐに見つめる。朧気に映す光景、小さく小柄な彼女をこうして視るとまるで深い海のような大きななにかに見えてしまう。だがその中で静かに輝いて見えるのは彼女自身が持つ真意というべき心だろう。そしてそれは温かい。
彼女は僅かに微笑む。するとアリアの顔に少しだけ安心したように綻んだ。
「アリアがそういうなら、私はそうするよ。そもそも断る理由なんてないしね。今まで知ったアリア、今聞いたアリア、全部解いても私の味方でしょ?」
「ありがとう、エリス…」
「久しぶりにエノクさんにも会いたいな。色々聞きたいしね!」
「お手柔らかにしてあげてね。ちょっと疲れてるっぽいから」
こうしてエリスの短い旅は終わりを告げたのだった。
その後、少し遅れて現れた共和国の刺客はリンがこともなげに殲滅し、またそれらの骸はアリアによって空を舞う塵と化した。そうして片付けの終えた4人に2人は改めて問う。しかし既にそれは愚問だった。4人の首肯に2人は頷くと、全員が揃ってその場を後にした。