第8話 印象
エノクとアリアの兄妹は2人共、元連合軍に属していた大将だ。同時に各国から集めらえた魔術師で構成される第七団を率いる長でもあった。
今、彼らは静かに細々と魔術師としての自分を隠し続けている。しかしそれが完全に正しい選択とは言えない。臨機応変に対応すること、人間の間に区別を設けること。彼は今回、ユウリ彼女に自身を明かすことに決めた。
「ユウリ、これを魔術という。君は見たことあるかい?」
「お、お前…、なにか仕込んでるわけじゃないよな?」
「わざわざそんな面倒な事をするとでも? そもそもここに案内したのは君だよ」
アリアに借りた杖を左手に持ち変えながら彼は思わず尻餅をついたユウリを助け起こす。宙を舞う刃渡り60センチ程の鈍色の刃。彼がサッと指を振ると、その動きに沿うように切っ先がその動きを辿る。すると突然、彼の足元から一本の槍がせり上がった。
「っ!」
「驚いたかい?」
「っ、そ、そんなことはない!」
「虚勢を張る必要はないよ。誰しも、恐れるのだから」
なんの変哲もない鈍色の槍は訓練場のある一点から生えるように出現した。あまりに生物的な動作だった。彼はそれを無造作に掴み上げる。そして彼女に少し退けるように手で合図を出すと、僅かに穂先を持ち上げサッと振り下ろした。すると踏み固められた硬い地面に深い亀裂が入った。
「っ………」
「私が君にこれを見せたかったのは、君を信頼したいからだよ」
「俺を信頼だと?」
「これを見て私に石を投げる者は数多くいる。魔術師なのだから」
そういう彼の背後からは先程までの奇妙な事象は全て幻のように消えていた。亀裂は失せ、槍は姿を消し、宙を舞う鉄鎖や刃はまるでそれが蜃気楼だったかのようだ。しかしそこに全てが存在したのは事実。目の前の背の高いこの男、エノクが起こしたそれを起こし消し去ったのは紛れもない事実だった。
「お、お前、なにがしたいんだ…?」
「ユウリ?」
「俺がこれを見て怖じ気ずく様が見たかったか? それとも憐れんだ方がいいのか? 生憎、お前がどうであれ任務を遂行することに変わりはないだろ」
「っ! ふむ、ならばいい。それだけが唯一の気がかりだったからね」
彼は小さく微笑むと、今度はおいで、と彼女に手を差し出した。アリアのこの魔術の効果範囲内では一切の魔術による事象は外部には見えないようになっている。彼の魔術は1人を除き、そこにいる誰にも見られることは無かった。
「わざわざ遠い所まで連れてきてすまない。私はこう見えて臆病な性格でね」
「ああ、そう見えるな。だが突然手を引っ張らないあたり学習はできてるようだ」
「っ、そのようだね。私が馬を運んでこよう。ユウリ、一緒にどうだい?」
「来た時は任せてしまったからな。ついて行くぞ」
アリアが魔術の後始末をする間に彼らは馬を回収する。来た道を辿る形で歩き、入ってきた入口を曲がった先に厩舎はある。その道すがら、彼らはなにを話すこともなく歩いていた。無言。2つの足音が土を踏む音のみが聞こえ、そこに声は存在しない。しかし彼は満足げだった。
「エノク、そっちを頼む」
「分かったよ。ほら、外すから受け取るといい」
「ん、礼を言う。俺は先に出るぞ」
馬を繋ぐ器具をほどき彼女が馬を連れ出したのを尻目に、彼もまた残る2匹の馬を厩舎から引き出した。既に時刻は昼過ぎ。強くなった日差しは額に汗が浮かびあがらせ、日向にでた馬の呼吸を僅かに早くした。
「俺はお前を怖がったりなんてしないからな」
「ふふ、それはありがたい。実に嬉しい限りだ」
「………。お前、相当な変わり者だな」
「魔術師はそもそも稀有なモノさ」
「……。もういい。すまない。さっきはあんな言い方をするつもりはなかったんだ」
「ふふ、分かっているとも。君はあれほど冷たい人間ではない」
彼が小さく微笑みかけると、彼女は不器用にくしゃりと笑って見せた。拠点の入口が見えてくる。そしてその門柱付近で彼らを待つ小さな影が目に付いた。彼女は慌てて首を振って不用意にほどけかけた心を締め直す。すると彼は思わずといったようにクスリと笑った。
「な、なんだ!?」
「いいや、君らしいと思ってね。まだほんの数日しか会ってはいないが、君とは良いパートナーになれる気がする」
「し、仕事は全力だ。お前のミスは俺が補う」
「ふふ、お願いするよ。私も微力ながら尽力させてもらうとしよう」
任務までの残る期間は残り2日、明日が終われば明後日の早朝には馬車に乗り遠方の目的地へと移動し始める必要がある。可能な限り短い時間で、可能な限り良質な仕事をこなす。そのためには互いの信頼と互いの信用が必要不可欠だった。
「妙に仲がいいように見えたのは仕事の話だったんだね」
「そう見えたかい?」
「うん、とても。ありがとね、とってきてくれて」
「魔術の方の始末については任せたからね。お互い様さ。さあ、帰るとしよう」
帰路は彼らの予想以上に早い時間で済ますことが出来た。人が少なかったこそ、馬が休憩の後に走ったこと、そしてエノクやアリアが魔術を使った後であったこと、様々な要因が挙げられる。しかし結果的に彼らの帰宅時間は予想を大きく外れたわけで、その結果、運動後の疲れも相まって急遽昼食の出費が嵩んでしまった。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
翌朝の早朝、
ユウリ、彼女は短剣を持ってベッドの脇に立っていた。目の前で眠るのは同居人であり同僚であるマリク・オリヴァ。諜報部工作員として互いを監視するための同居だが、今日は今朝から仕事なのにも関わらず無防備に寝ていることからそこには一切の遠慮はないことが伺えた。
「起きろ。刺すぞ?」
彼女の振り下ろした短剣がマリクの腕を掠めて深々とベッドの上に突き刺さる。紅い血が滲みだす。そしてその微かな痛みに気が付いたのか、目を擦りながら体を上げたマリクはおもむろにシーツを剥ぐと自分の腕を縛りながら顔を上げた。
「もう少し優しく起こしてくれてもいいんじゃないか?」
「そんなことはない。何度忠告した? もう十分すぎるだろ」
「だからといって毎朝怪我はしたくないんだが…」
「ならお前がしっかりと起きることだな。エノクと比べて、お前は本当にずぼらだ」
「そいつが堅苦しいだけだろ? ふわぁ、まだ朝も早いんだから」
体を起こしながら窓を開けた彼の目に映ったのは通りを行き交う人の姿。人々の中には日が昇る前に活動を開始する者もいる。彼は無言でカーテンを閉めた。振り返ったそこには、血濡れの短剣を突き付けるユウリの姿があった。
「しゃあねえな。俺は後で行く。お前は先に行ってろ」
「朝食はどうするんだ?」
「適当に漁ってくよ。お前は?」
「俺はもう食べた。今日の朝は早いからな」
「………。わあったよ。起きるから。お前が遅れたら俺の責任になる。先に行ってくれ」
「ああ、分かった。お前も急げよ?」
「時間までには着く」
とはいうものの既に時間は切迫している。朝から新たな任務を与えられ、その準備をすると同時に今日はいくつかの資料を纏めておく必要がある。彼女は急いで部屋を出た。そして長い廊下を駆け足で抜けると、騎士団本部への道を歩き出した。
「ったく、朝から迷惑だ」
「随分と機嫌が悪いようだね。どうしたんだい? 私に聞かせてくれないかな?」
「っ!」
暫く歩いた先でそんな囁くようなエノクの声が聞こえ、彼女はサッと振り返った。しかしそこに例の姿はない。聞き違いか、そう彼女が前を見ると、少し離れた店にいつも通り兄妹で立っている彼らの姿が見えた。不可能だ。しかし同時に可能であるという答えが浮かんでくる。彼らは魔術師なのだ。彼女は人の行き交う通りをなんとか渡ると、彼らのいる店まで歩いて行った。
「お前、昨日はあれだけ警戒してたのにいいのか?」
「これが効果を発揮するのは君だけさ。対象が1人で、術者も1人だからね。それはそうと、どうしたんだい?」
「ああ、朝から少し面倒なことがあってな。お前らこそどうしてここに?」
「買うところをみられたのなら仕方ない。お近づきの印に何か君に贈ろうかと思ってね。あまり好みが分からないから、無難なものになってしまうが」
そういって彼が視線で差したのはいくつかの煌びやかな装身具の並べられた露店形式の店だった。しかしここは三国の首都であるユーピテル。庶民の住む一般区域であるものの、付近で商品を眺めるのはスラリとした気品のある麗人ばかりだった。
「俺はいい。どうも似合う気がしないからな」
「ふむ、それは困った。君ならば似合うかと思ったのだがね」
彼はそういうと手に持った蒼色を帯びる透明の石が嵌め込まれた首飾りを彼女にあわせた。自身の眼下で揺れる美しく美麗な首飾り。しかし自身から見える腕や胸にはまだ新しい塞がったばかりの傷が目立つ。彼女が断ろうと顔を上げた。しかし開きかけた唇は優しく添えられた指に止められてしまった。
「君は美しいよ。トゲを持つ一輪の薔薇が気高く麗しいようにね」
彼は銀のチェーンの金具を外すと彼女のほっそりとした首に腕を回した。蒼い石が銀の鎖に吊られ小さく揺れる。彼女のワイン色の服の上にある澄んだ石は朝陽の光に煌めいた。彼女は徐にそれを手に取る。とても冷たい。しかし胸の内はとても温かかった。
「ありがとな、エノク」
「昨日一日付き合ってもらったお礼だよ。店主、代金は置いておくよ」
「またのお越しをお待ちしております」
「ふふ、また来るよ」
昨日と同じように「行こう」と手を差し出すエノク。彼女はその手をとった。人混みに埋めつくされた通りがまるで自身らを避けていくように流れていく。彼らはスルスルとその場を抜けた。そして暫くした後にふと周囲に目をやるとそこは昨日来たばかりの騎士団本部の前だった。
「ユウリ、残念ながらここでお別れだ。可能ならば君についていきたいが、私も昨晩ある者から呼び出しを受けていてね」
「あ、ああ、わざわざ送ってもらって感謝する。すまない。時間がなかったのではないか?」
「気にする必要はないさ。私がやりたくてしたこと。君の気に病むことではないよ」
彼は小さく微笑むと「それじゃあね」と手を振ってクルリと踵を返した。しかし暫く歩いた先で追従してきたアリアに腕を引かれると、その場で停止。思い出したように手を打つと再び姿勢を返し彼女のもとへ戻ってきた。
「すまない、言い忘れるところだった。ユウリ、君は今晩家にいるかな?」
「なっ、と、突然なにを聞く!?」
「昨晩の使者が君に渡しておくよう言ったものがあってね。君に会うとは思わず今は持っていないんだ」
「そ、そういうことか。今晩なら大丈夫だ。もし居なくても同居人が受けとるだろう。渡しておいてほしい」
「ふむ、ではそうしよう。呼び止めてすまない。君も仕事があるのに」
「いいんだ、エノク。俺のためにありがとう。互いに時間がない。急ごう」
「ふむ、それもそうだね。では今度こそ、またね」
「ああ、また会おう」
今日与えられている仕事は先日終えた仕事の次の任務の準備をすること。そして先日の仕事の資料を纏め提出すること。実際、彼女が今日のうちに帰ることは難しいだろう。しかし彼を見送った彼女は急いで諜報部会議室へと足を進めた。
「時間は、間に合ったか」
焦げ茶の木製扉を押し開いた彼女を待っていたのは数名が腰掛け数名が立ったままのいつもの風景だった。まだ隊長は来ておらず会議は始まっていないようだ。彼女はふらふらと歩いて自分の席に着く。するとほぼ同時に隊長の姿がみえた。
「ユウリ、マノクは?」
「いつもの遅刻かと」
「起こしてきただろうな?」
「腕に掠り傷をつけたところ用意を開始しました」
「ならば良い。全員、報告は次回。手早く次任務を通告する!」
既に慣れた風景に彼女は安心する。隊長が全員から見える位置に座った。そして彼が立つと着席した隊員達が同時に起立。号令とともに全員が座ると、背後に控えたメイドが全員の目の前に資料を差し出した。
「次任務は二班に分ける。それぞれ確認はしたな。それではA班、起立」
彼女の名前の隣に書かれた文字は「A」。隊長の号令に伴い彼女を含めた隊員の半数が起立した。暫くの静寂。隊長は耳打ちをしてくるメイドに頷くと、立ち上がった者達に視線を向けた。
「A班、お前達の次任務は第一回調査隊の随行及び防諜だ」
第一回調査隊。それは先日の『外界にまったく新たな生物がいること』が判明したことから、その調査が必要になったための部隊である。それに追従すること即ち次作戦に危険があるということ。彼女は拳を握り締めた。調査隊は連盟指導の計画だ。この案件は連盟の監査部を務める者としても見逃せないものだった。