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魔術の最期  作者: 青眼の夜鴉
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第56話 幻想

 Q,どれだけの年月が経っただろうか?

 A,いつからのカウントなのかにもよる。

 A',しかし概ね答えは同じと言えよう。


 三国の三つ巴の競り合いという情勢は結果的に致命的な崩壊を迎えた。といっても事実それぞれが存在している以上、まだ進行段階ともいえなくはないとも考えることが出来る。だがそれぞれの国にそれぞれが爆弾を抱えはじめたのは周知の事実だ。魔術師達はただ静かに根を張っていく。ヘマをしないために、また二度と半端な者達を生み出さないために。


「エノク、報告だ」

「おっ、ありがとうユウリ。君も随分と様になってきたね」

「当たり前だ、嫌でも色々と見ることになったからな。それに、いつまでも人間のままじゃいられないだろ?」

「そうだね。人間らしさを捨てる必要はないが、我々はそれでも人間であってはいけない。矛盾を孕みながら肯定する必要がある。甚だ馬鹿らしい存在だよ、魔術師というのは」


 ここ数年、彼らは表舞台に姿を現してはいない。結果的にエノクを中心としたユウリ、アリア、イヴ、リン、センリ、彼の家族は比較的穏やかな日々を送っていた。朝になれば目を覚まし、晩中に届いた報告を日中の報告と合わせて処理をする。そして三食と適度な趣味と共に時間を喰い散らかしながら、再び夜になるまで起きている。それぞれがそれぞれの力をつけつつ、英気を蓄え来たる時にまで身を伏す時間はとても寂しいながら心の休まる時間でもあった。

 彼は静々と近付いてくる彼女をそっと抱き寄せる。数年が経つというのに身長のひとつも伸びていないところから、これが彼女の成長臨界点であることを知ったのも近頃理解しだしたことの一つだった。


「な、今お前すっごい失礼なこと考えなかったか?」

「いいや、気のせいだろう。相変わらず君は可愛いなと思っただけさ。この報告はどこのものだい?」

「魔導国だ。政権交代とその後についてらしい」

「凡そ予想はついている。不要だね」

「まあそう言ってやるなよ。これを纏めたホムンクルス達、報告書に載っている者達が可哀相だ」

「ふむ、なるほど…、それもそうだね。ただ今となっては目まぐるしく変わり過ぎて、情も湧かないというものだけれど」


 この空間魔術による純朴な執務室は既に作成からざっと五年は経っている。それ以降は拡張を続け、彼らの本拠は既に一つの城のような面積を持っていた。幾度の改修と増築、しかしそれを経ても彼はこの部屋に手をつけはしなかった。何故ならここはある者の心が彼を象った部屋だったからだ。

 彼はゆっくりと立ち上がると、壁沿いの棚の上-ここの持ち主の一部が安置されていた-に手を置いた。ここには以前、トゲ付きの蔦が這わされた見事な紅の輝きを持つ多面体の結晶体が飾られていた。しかしそれもこの数年のうちにいつしか自然消滅し、その美しくも憐れな姿は跡形もなく消えている。


「我々は魔術師だが、人間でもあった身だ。故に人間らしさを消し去るなど出来るはずがない。ユウリ、君も辛い時は素直に教えて欲しい。そして私に慰めさせておくれ」

「ああ、分かってる…。お前もだぞ、エノク。俺はお前の伴侶なんだ。お前の片翼は俺が担う。お前の事は、即ち俺の事だ」


 2人は頷きあうと、絡めた指に力を込めて揃って執務室を出た。目的は勿論、地上の情勢を確認するためだ。どこかの宮殿を真似たような廊下を足音を重ねながら歩き、暫くしてようやく目的の部屋に辿り着く。

 彼は扉を開けて彼女を中へ促した。すると彼女はそんな彼の腕を掴み、共に部屋の中へ入った。


「相変わらず仲の宜しいこと。主従、兄妹、は見たことがあるけれど恋人として仲をよくした魔術師は初めて見るわ」

「まさか私に罵声を浴びせるでなく、自分から魔術師になろうとした変わった子だからね。結果的に同種のものになったことを思えば、今となっては私の根負けだったのかもしれないと思えるよ」

「お前らの一言は長いぞ。早く座れ。話が進まん!」


 ニヒルな笑みを浮かべあう2人の言葉をばっさりと切り捨て彼女は彼を促して席の空いているソファーに腰を下ろした。先程の執務室とは幾分か緊張感を脱いだその部屋には客人であるリリス、そしてその相手をしていたであろうイヴとセンリが大きな地図を囲んでお茶を啜っていた。


「またあの部屋に行ってたんでしょう? あなたも噂に似合わず情に脆いわね」

「そうだね、君こそ随分と寂しがり屋じゃないかい? 私が行かなくなれば、こうして君から訪ねてくる」

「そ、それは仕方ないじゃない…。エレンもいないし…、帰っても一人っきりだもの…。迷惑かしら?」

「ここで迷惑なんて突き放せると思うかい? 君は私の性格を知っているだろう。どうぞ、いつまでもここにいていいんだよ」


 ここ数年の間に変わったのはなにも人間達だけではない。彼ら魔術師にも関係性的な変化が見られた。彼が主導し多くの魔術師達に接触を図ったのだ。その後、賛同する同志となれば生かし、でなければ抹消する。それを繰り返し魔術師の意思を純化する肯定の果てに辿り着いた結果は、一部を除いた堅く強固な連携と、時折見られるこうした友人関係の出現だ。

 独裁的な行動だった。多くの魔術師が消え、また多くの魔術師が彼らに対抗すべく徒党を組んだ。しかしそれらは悉く根絶やしにされた。最期の時、進退を捨てた瞬間に彼らを阻む者があってはならない。全てそれ故の策だった。


「お父様、浮気ですか?」

「いいや、大丈夫だセンリ。それだけは絶対ない」

「??」

「エノクは私の友達よ。最近では少し甘えてしまうけど、それは彼が悪いわ。絶対に!」

「ああ、俺も理解してる。コイツは誑しなんだ。だから人を簡単に虜にする。だけど、生憎なことに俺みたいな感情を持つのは稀らしい」

「そ、そうですか…。お2人がおっしゃるのなら…」

「私の及ばぬままに評価が呈され完結している…。少し弁明の余地はないのかい?」

「「ない!」」


 自業自得と言えよう。彼は押し黙り、2人は納得したように頷く。これまで彼がどれだけ多くの人物を軽薄な表情で絡めとってきたかを考えれば、そこに反論の余地はない。

 結局彼女は夕方頃になるまで、彼らと共にその部屋で他愛もない話に花を咲かせていた。しかし他の者達と共に任務をこなしたエレンがそろそろ帰ってくるという時間になると、彼女は名残惜しそうにそれぞれの顔を見回して去って行った。

 これが今の魔術師の現状、完全に人間の世界と隔絶し相互の作用を一時的に切り離した結果だった。



ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー



 その晩、彼は久しぶりの光景に思わず驚いた声を上げた。しかしその声が正確に音となって空気を震わせたかは分からない。なにせそこには()()()()()のだから。魔術が使えることから魔力があることはうかがえる、ただそれを可視することができない。

 暫くして一貫して暗闇を保っていた視界に眩い閃光が走る。記憶の断片達が浮かんでは消えて、壊れながら歪な像を作り出す。だがそれも少し経てばガラスの破片のように舞い落ち、再びそこには静寂が戻ってきた。するとそんな彼の前に1人の少女がふっと姿を現した。


「久しぶり、お兄さん!」

「こ、これは驚いたね。暫く見ない間に大きくなったんじゃないかい?」

「えへへ、そうかな~? けど全然小っちゃいよ、私。だってまだまだ頭にも触れそうにないし」


 そこに現れたのは前回見た時よりも遥かに成長したメトセスだった。彼の腰程までしかなかった身長は彼の胸部程までに伸び、幼げだった四肢には発達した骨肉と仄かに女性らしい特徴が表れている。

 彼は状況の理解のため一先ずあたりを見回した。暗闇だった視界には大地と空が創られ、芝生の生え揃った大地には色とりどりの草花が芽吹いている。すると彼女がそんな彼の手を引いた。「ついてきて!」と声をかけられ後を追った先には白い小さな円卓とその両側に置かれるこれまた白い椅子。

 彼女は片方にトスっと腰掛ける。そして足を揺らしながら楽し気に笑うと、彼が座るの早く早くと急かすように頭を揺する。彼は一旦状況の理解を放棄して腰を下ろした。


「えーと、改めて久し振り。近頃は来なかったけど、なにか問題があったのかい?」

「ううん、お兄さんが忙しそうだったから。けど今日はいいかなって思ったの…。お昼、リリスのこと羨ましくって!」


 今までに判明していることとして、現状ここに来るにはメトセスの招待のようなものが無ければ来れないらしい。何度かの来訪を重ね、見解と検証を重ねた結果だ。彼女が彼の来訪を望み、彼が安定した睡眠を得られている時のみ来訪は成功する。ここから分かること、それはこの場所が彼の魔術によるものではなく彼女の魔術によるものだということだった。


「私はいつでも大歓迎だよ、メトセス。君とはここでしか会えないからね。私から会いたくても君が招待してくれないと来れないんだよ? それに、会いたいのは君だけじゃないさ」

「お兄さんも?」

「そう、私も。なにせ君はどこか懐かしい香りがする。アリアと同じでね。もしかすると、君のことを私は知っているのかもしれない」

「そうかな~、私は知らないよ?」

「魔術師の記憶になんて正確性はないよ。実際に君もいつから魔術師で、魔術師の前はなんだったか覚えてないのだろう?」

「うーん、まあね。だけどずっと暗いってことは覚えてるよ! お日様なんて見たことあったっけって感じ」

「ふむ、それは確かに不自然…。あっ、そうだ、メトセス。それに少しだけ関係して実は面白い魔術を開発したんだった」

「ん? なになに~? 魔術?」

「とは名ばかりの単純なものだがね。さぁ、ちょっと手をだしてくれるかい?」


 周囲の生気のない華やかな光景は全て彼女の魔力が形作っているものだ。即ち彼女には魔力の送受を行う力が備わっていると言うことになる。ならば即ち魔核の存在が確定し、魂の存在も確定する。

 彼は彼女がそっと差し出す手に自分の手を重ねた。すると少し経って2人の手を白い光が包み込んだ。


「これは外の世界に一般的に存在する魔力さ。主に人間が扱う。これは吸収できるかい?」

「ん、やってみる!」


 これを順に試すだけだ。初めは人間の魔力、即ち最も一般的な最下級の魔力、次に魔術師と人間の中間、人型や完全に置換を終えていない魔術師と同種の魔力、そして次は完全な魔術師、最後に彼らと同じ「索引」の魔術師が持つ魔力。

 これらを吸収する差は受け取り手-今回の場合はメトセス-の魔核の格によって決まる。上位の魔核は自身より下位の魔力を受け取れるが、下位の魔核はより上位の魔力は受け取れないのだ。


「これを連続して続けるよ。これは途中段階の魔力」

「ん、大丈夫」

「そしてこれは魔術師の魔力」

「問題ないっぽい!」

「それじゃあこれが私達、「索引」の魔術師の魔力」

「んっ…、大丈夫…!」

「ふむ、なるほど。やはりそうだね」

 

 これが意味すること、それ即ち彼女は魔術師の長であり「索引(インデックス)」の継承者である彼と同等、もしくはそれ以上の格を持つ魔術師であると言うことだ。本来はありえない、だが同時に納得もできる。そもそも彼女という魂や魔核さえも備える意識がここにいる、それ自体が到底納得できる状況ではないからだ。


「どしたの?」

「この魔術は君の正体を知るための魔術だったんだよ。それによると君は私を凌駕する魔術師。正直なことを言えば、そうでもなければ有り得ない状況だとは思っていたのさ」

「んー、えーと、じゃあ私は凄いってこと!?」

「端的に言えばね。しかし知らなければならないことも増えてしまった。君のことは近しいうちに解析しなければならないね」


 彼女の存在は即ち彼の知り得ぬ「索引」の領域が存在するということを意味する。そしてそれは自分の存在が絶対的支配者であることを否定する。これは由々しき事態だ。来るべき革変の時の最大不確定因子となるだろう。ただ、今はそれを彼女に伝えるべきではなかった。

 彼は無垢な笑みを浮かべる目の前の少女を見つめた。俗世に有り難いその純真さは途方もない虚無の中で醸造されたと考えると痛ましくも見て取れる。しかし彼女の精神以外の不要な要素を全て取り払った時、そこにあるのは全てを経過した後の壊れたような純粋だろう。ならば傷を抉ることはあるまい。ただ一つ、彼は穏やかに問うた。


「メトセス、君はここにいても辛くないかい?」

「っ! どうして?」

「私なら辛いから。なにもしてあげられないけれど、せめて君の気持ちを知っておきたい。君の為と嘯くときに、君の痛みを知らないのは滑稽なことだろう?」

「お兄さんは知らなくていいのに、知りたいの?」

「当り前さ。知らなくていい、なんてものは理由にならない。知りたいか知りたくないか、そのどちらかだよ」


 先程の魔術で判明したことといい、彼女の存在はそれ自体が彼が彼らを知る鍵となり得るだろう。そして同時に何も知らない彼女が全ての首謀だとは考えにくく、彼女も彼らと同じ被害者だと推測される。ならば彼らは同じ傷を舐めあう憐れな猫だ。傷は同じ傷を持つ者のみが共感することを許される。彼は改めて問うた。“君は辛くないのか?”と。


「ごめんね、私も辛いよ。ずっと暗くて、なんにもないんだもん。考えることを止めたら狂っちゃいそうで…、多分お兄さんが来るまでは本当に狂っちゃってたんだと思う。だけどお兄さんは私の名前を呼んでくれたでしょ?」

「メトセス、君の名前だね」

「そう、それ実は、咄嗟に浮かんだだけの名前なんだよ。だけどお兄さんがそう言ってくれると、なんでもない私がメトセスになっちゃった」

「っ………」


 彼は名前を呼ぼうとして、止めた。彼女はメトセスではない。正確にはメトセスではないかもしれない。既に失われた名前を取り戻すことはできないだろう。彼女はそれだけの時間を全てを呑み込むこの暗闇の中で過ごしてきたのだ。生半可な言葉は意味を成さない。


「だけどね、今の私はメトセスなんだよ。メトセスって名前、今じゃ大好きだし。それに、折角お兄さんが私を私にしれくれた名前でしょ? だから私はメトセス。そしてお兄さんはメトセスを大切にしてくれる。だからお兄さんがいる限り、もう辛くはないんだよ」


 なんて言葉をかけていいか分からなかった。彼にとって時間とは無限だ。だがそれを体験したことも、また知ることもいまだない。つまり彼女の苦しみと幸せは彼の知りうることではないのだ。

 だがそこで論理的思考は悉く脳内から一掃される。彼女はそういって笑うのだ。成長した姿で、あどけない笑みと幼い言葉で必死に想いを伝えようと頑張っている。ならば応えなければならないだろう。

 彼は身を乗り出す彼女の頭をそっとなでた。“分かったよ”と微笑みながら、彼女を座らせてその手を握る。ここで言葉をかけられるほど彼に知識も記憶も能力もない。ならばせめて触れ合うことで伝えよう。幻のような彼女が視界の中で揺れていく。どうやら時間だ。彼は咄嗟に離さまいと手を握る。すると彼女は驚いたような顔をしたのち、今度は困ったように微笑んだ。

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