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魔術の最期  作者: 青眼の夜鴉
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第52話 余暇:進展

 翌朝、彼らは灯りの消された部屋の中、一枚の布団の上で目を覚ました。昨夜の身を焦がすような熱は僅かな余韻を残すのみにとどめ、身を寄せ合った体温以外には身を切るような冷気のみが全身を包んでいる。

 昨晩、彼らは盛り上がった祭りの熱にほろ酔いのまま部屋に帰ってきた。振る舞われた酒にはそれなりに手を付けていたが、残念なことに彼はアルコールの影響を受けず、ユウリもまたアルコールを含めた毒に対する耐性は人並み以上に持っている。祭りは終わった。しかし身の内をうねる熱は治まることを知らない。結果、彼らが布団に倒れ込んだ後に眠ったのは日付が変わって数時間が経った後のことだった。

 そして今朝、体の芯を侵す冷気に彼は目を覚ました。唯一の熱源であるユウリも流石に寒いのか、片手で布団を引き寄せ彼に体を引っ付けながら丸くなって冷気を凌いでいた。


「ぅぅむ、寒いね」


 これは朝から温泉に入るのも真剣に検討してもいいように感じられる。彼は暫く彼女の頭を撫でながら今日のプランを練っていた。いつのまにかユウリが起きて、なにも言わずに身を擦り寄せていることにも気づかない。そして再び少しの時間を擁してから、彼は纏まったプランを脇に置いて意識を一旦引き戻す。するとそこでやっと彼女が既に目を覚ましていることに気付いた。


「おはよう、エノク」

「ああ、おはよう。いつの間に起きたんだい?」

「お前が俺の頭を撫でながらちゃっかりと抱き寄せてた頃だ。流石に気付くぞ?」

「ふーむ、てっきり熟睡してるかと思っていたのだが。それにしても今朝は寒いね」

「昨晩室内温度の調整をしなかったのが問題だな。まあ、これくらいで体を壊すほど軟じゃないが」

「しかしあまり冷やすと体に悪いのは事実だよ。このあと私は温泉にでも浸かろうかと思う。君はどうする?」

「朝早くなら誰も入ってないよな。というか、ここは半ば貸し切りか…?」

「自慢じゃないが無駄に溜め込んだ貯金を思うままに切り崩したからね。おいそれと泊まる者はいないくらいの場所だよ。それこそ被ることはない筈さ」

「それもそうだな。なら早速行くか? 少しポカポカしてから朝食にしよう。あとエノク、流石にもう離してくれないか? 流石に恥ずかしい…」

「おっと、これは失敬。温かくてついね」


 彼はそういうと、布団から這い出すと共に無動作で魔術を展開する。床についた足を基点に彼のシンボルたる蒼い花弁が溢れ出し、彼の周囲をふわりと包み込んだ。そして花弁が晴れたそこに現れたのはシンプルな白い着物を纏う彼の姿。彼女もそれに倣って布団を飛び出すと、同じく似た着物を想像図とし魔術を展開した。


「ふむ、随分と巧くなったね。ここ5日でこの精度は素晴らしい」

「俺は数をこなして覚えられるタイプだからな。何度もやって覚えるんだ。今回の旅行でこの魔術だけは何回も使ったぞ」

「継続は力とはよくいうが、君にその言葉はぴったりだね。さあ、それじゃあ向かうとしよう。ふぅぅ、服を着ても寒いね」


 廊下にでるとそこは一層寒い冷気に満ちていた。窓を開け放っていたとはいえ、風の吹き込む廊下よりかは幾分温度が保たれていたらしい。彼らは既に慣れた道順で下に降りる。そして暫くすると脱衣所へ続く暖簾が見え、2人はそこで一旦別れると、ほんの数分せず間に今度は石畳造りのシャワー室にて再会した。


「なあエノク、さっき考えてたんだが、これが終われば次はなにをするんだ?」

「ふむ、正直あまり構想は練ってはいないよ。なにせ情報が圧倒的に少なすぎるからね。前回の報復についてはリンに任せているし、各魔術師に関してはセンリに任せてある。予測としては魔術師間の会合が先になるだろうね」

「なるほど。ならそれまでは特に大きな動きはないな。向こうだってあまり大きなことはできないだろうし」

「そうであってほしいというのが本心だね。しかしそれについては判断しかねる話だよ。私を狙う者、は即ち魔術という分野に進出、もしくはそれ自体を滅却したい者だからね。勿論、私を含め魔術師全員を狙っている筈。我々に動きがあれば直ぐに嗅ぎつけてしまうのさ」

「なら今回の会合っていうのは…」

「勿論、彼らにとっても非常事態だよ。前回の連合の際に集合した多くの魔術師が一斉に移動するのだから。事があるのは察するだろう」

「じゃあ、もしそれが引き金になることは…」

「ないだろうね」

「なに?」

「事を起こすにはまだカードが足りないのさ。秘密裏に動かしたとしても、大きな効果は認められない。なにせ、魔術を用いない私と寄せ集めの部隊で鎮圧できた程度の戦力だからね」


 確かに強力なカードであることは事実だ。しかしそれもたった1つだけであればそう脅威的なわけではない。数を揃えて策を練る。そうして初めてカードは武器になりえる。そして彼の役目はそれを一網打尽に叩き潰すことだ。

 彼らは鏡と蛇口の設置された前に腰掛けると、改めてこの先の憂いに想いを馳せる。やはりこの時間が未来の自分に向けた餞になるのは必至な気がする。彼は手早く体を洗うと、水に濡れて縺れた髪を背中でギュッと纏め上げる。そして背筋を大きく伸ばすと、隣のユウリに視線を向けた。


「浸かろうか?」

「ああ、そうだな。なにもかも、一先ずはこの旅が終わってからだ。今日はもうまったりするぞ。明日からの鋭気を養わなきゃいけないからな」


 彼女はそういうと彼の予想していたものとは大きく異なる穏やかな笑みで彼を見上げた。彼はトクンと胸の奥が大きく揺さぶられるのを感じる。そこにあるのは今までの良くも悪くも人間らしく怯えを殺した姿ではなかった。根本的な崩壊と変革を迎えた様は、同じ状態にある彼に大きな安心をもたらす。

 彼は思わず彼女を抱き締めた。今までは守るべきだと思い込んでいた存在が、頼ってもいい存在になってくれた。らしくもないと思いながら、彼女の中にそんな片鱗を見てしまうと、どうしても平常心ではいられない。感動と歓喜に打ちのめされ、思わず腕に力が籠る。彼女の小さな手は、彼が自然に腕を離すまでその背に回されていた。



ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー



 その晩、最後の夜、

 2人は静かに時間が過ぎるのを待っていた。先程まではチェスと共に旅行の思い出話に耽っていたが、それも暫くすると眠気に覆われままなくなる。そして彼らは隣部屋に移動した。僅かな火のみが灯る部屋ではお互いの顔が微かに見える程度。彼女は楽に着崩した着物姿で彼の膝に頭を乗せると、ニコリと笑って彼の頬に手を添える。彼はそれに応えるように彼女の頭を撫でる。すると2人は揃って吹きだすように笑いあった。


「終わりだな」

「そうだね。リン、いるかい?」

「勿論。ちょっと前からここにいるよ」


 彼の言葉に殆どのズレもなく目の前の暗闇から大きく黒い塊が溢れ出す。そしてそんな黒いベールを振り払うように中から久し振りに目を合わせる人物が現れた。翠色の瞳をした白髪の少女、機械人形であり魔術師エノクの娘の1人であるリンだ。彼女はユウリとは反対側の位置に腰を下ろす。そして「すぅぅ…」と一度大きく息を吐くと、今度はニコリと笑みを浮かべて彼の方へ向き直った。


「リン、状況の報告をお願いしてもいいかい?」

「宗教国から襲撃部隊が進行中。あとこないだの事件の首謀者もあっち。だから迎撃で一石二鳥だよ~」

「なるほど。それじゃあセンリやアリアからの報告はあるかい?」

「会合の準備ができてるって。あとユリアが期日を伸ばしてほしいらしいよ。襲撃事件の話掴んだから」

「ふむ、では凡そ予定通りに事は進んでいるんだね。イヴの方はどうだい?」

「参加者に関しては問題ないって。だけどそれ以外の魔術師の中でいくらかきな臭いのがいるみたいだよ。潰す?」

「潰しても差し支えのない者はそうしておこう。ホムンクルスで裏をとって、確定と同時に処分。念のため行動にはホムンクルス三人とイヴ、そして君が同行するように」

「りょーかーい!」

「加えてアリアに伝言をお願いする。準備をしておいて欲しいとね。あと、ユリアに魔導具の提供をしてあげてほしいとも伝えてくれるかい?」

「いいの?」

「魔導国が捕らえる筈だった人型を私が回収してある。にも拘わらず相手方には充分なサンプル体がある。これは不平等というものさ。故に私の技術をもって、力関係に比重を足すべきだろう。あまりにこの国は弱いからね」


 魔導国と銘打ちながらこの国には戦略兵器並みの魔導兵器はない。作ろうと思えば可能だろう。しかしそれに供給する魔力がないのだ。それこそ海沿いの半永久魔力供給源から直結した固定砲台なら十分に戦略兵器たる。だが現状、それはあまりに現実的ではない。その結果、この国は劣っていた。様々な面で技術の革命を続ける共和国、聖人という魔術師に匹敵する人間兵器を多数所有する宗教国。もし今後の戦争に外界由来の人型が欠けるとなれば、この国はさらに佳境に立たされることになるだろう。彼はパワーバンスを崩した責任として、自分のカードを一枚切ったのだ。


「リンは、なにすればいい?」

「この後、私はある者の所に向かう。君にはその間、襲撃部隊の監視を頼みたい。なに、事はすぐに終わるよ。私も済み次第ユウリとともに向かう。今回の襲撃には聖人も加わっているらしいからね。私も手を下す必要があるかもしれない」


 ここで魔導国の兵力を削るわけにはいかない。彼は宙で一度円を描く。そしてフワリと出現した二枚の花弁の一枚をリンに手渡すと、もう一枚を自分の右目に押し当てた。彼女もそれに倣う。するとジンワリとした熱とともに一度視界が暗転。すると次に光が戻った時には右目の視界のみ僅かに蒼い光が覆っていた。


「これは視界を共有する魔術だよ。君が視た光景は直接私の右目に伝達される。もし君に危険が及んだ際は全てを放棄して駆け付けよう」

「お父さん…、これはちょっと大袈裟だよ。リン弱くないもん」

「ふふ、そうだね。けど君の身を案じる私の身にもなってほしい。本心を言えばここから君を1人で帰すのにも抵抗があるんだよ?」

「それは流石に過保護…。でも早く帰ってきて。士気が…」

「そ、それもそうだね。分かったよ。それじゃあリン、諸々お願いするね」

「ん、分かった!」


 彼女は素直に応えると、軽やかな勢いをつけ飛び上がり、2人の前に着地した。その姿は幼く小さな身でありながら、どこか鋭利で猛々しい存在感を纏っている。ユウリは体をもたげる。見送る際にこのままではあまりにだらしないと思ったためだ。

 リンは再び滲むような笑みを浮かべる。そしてなにも言わずに手を振ると、舞い上がった花弁の渦に呑まれてその場を後にした。


「なあエノク、お前、ちょっと冷たくなかったか?」

「そうかい?」

「アイツはお前をお父さんって呼ぶくらい、大好きなんだぞ? 折角来てくれたのに業務的な会話だけして…、可哀相だろ」

「そうだね、私もそう思う。本当は少しくらい抱き締めてあげたいのだけど…」

「だけど…?」

「今、私が安い愛情に負けて彼女を甘やかすのは単なるエゴだよ。なにより彼女自身が自分を律しているのだから。いくら私でも、介入する資格はないさ」

「エノク…」

「さあ、そろそろ行こうか。彼女にも言った通り、向かう前に寄っておきたい場所がある。それに迎撃するとしても魔術師としての力を使うわけにはいかないからね。用意をしなければ」

「こないだみたいに魔導具を使うのか?」

「勿論、その通りだよ。そのためにもまずは一度向かう前に準備をしなければ。リンも待っているだろうし、早く向かうとしよう」


 彼らの宿泊は五日間の宿泊だ。五泊六日の宿泊料は既に払っている。彼は念の為の手紙を結んだ使い魔を何匹か飛び立たせる。そして全てが暗い雲の中へ消えたのを確認すると、すぐさま振り向き用意を開始。すると彼らはほんの数分で荷物を纏め、部屋を出てすぐさま馬車の回収に向かった。既に馬達は眠りについていたが、今ばかりは目覚めてもらう他ない。急いで手綱をつけ、暗闇の立ち込める街道を首都ユーピテルに向かい疾走する。


「時間が足りないな」

「少し加速をつければ転移で空間魔術の世界に放り込む。そうすれば距離なんて皆無だからね。いくよユウリ、合図に合わせるんだよ!」

「俺もか!?」

「当たり前。さあ、いち、にのっ、さんっ!」


 同じ色の蒼い光を纏う紺青の花弁が暗い闇夜の中を美しく舞い踊る。馬車は蒼い軌跡を描いて街道の上から消え去る。その様はまるで山並みに落ちる彗星の如き輝かしさを持っており、勢いをつけ疾走した街道には二本の薄い轍のみが残されていた。

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