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魔術の最期  作者: 青眼の夜鴉
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第46話 余暇:歩調

 翌日の朝、彼女は緊張気味に体を目を覚ました。

 何故かと言えばそれは昨晩のこと、

“デートしないかい?”

 そんな彼の突拍子もない提案のせいだった。よくよく理由を聞いてみると、彼がエノクとして自由に動ける時間は今後減ってくる。その為自分が思うように動けるうちに、彼女と何気ない思い出を残しておきたいということらしい。当初、彼の論調がどこか最期への歩みのように感じ彼女はそれに頷かなかった。だが彼がそれ以上に困ったように食い下がってくると、どうしてもそれを断ることはできなかった。

 そして今日、予定通り彼女らはたった2人で首都ユーピテルから少し離れた海の見える田舎町へと来ていた。一週間も惚気ているつもりはないが、一応彼も彼女も互いに一週間の余裕をもってここに来ていた。

 エノクが先に御者台を降りる音が聞こえた。すると暫くして客席の扉が開かれ、そこには手を差し出す彼の姿があった。


「ありがと。なんとなく照れるな…。ほんとに任務でもなんでもないんだもんな…」

「今回ばかりは君を戦士としては扱わないよ。私の姫になっておくれ」

「わ、分かった…っ!」

「ふふ、そう緊張せずともいいよ。ほら、荷物を置いて早く散策に向かうとしよう。なにせこの町にはデートに適した場所が沢山あるからね」


 彼の手をとり馬車を降りると、彼は嬉しそうに笑みを浮かべ彼女の手を握った。彼の言う通り、この町はその人口と都心からの距離に反して田舎と呼ぶには少々賑やかな雰囲気を纏っていた。火山地帯であるということから南側には温泉街が軒を連ね、北側には豊富な海産をもとに巨大な港と市街地、国により管理された数多の観光地が展開されている。ヴァカンス先として彼女も今まで何度も名前は聞いたことがあったが、ここに来るのは初めてだった。

 当然だが彼はこれらすべてを心行くまで楽しむつもりらしい。それはただただ純粋な欲求で、ただ最後になりかねないこの機会を心の底から噛み締めようとしていることが伺える。それはとても喜ばしいように見えてあまりに切ない。だが同時にこれは残酷にも端から決まっていたことでもある。

 彼女はネガティブになりかねない思考を根本から切り倒した。ふるふると頭を振って邪念を払う。そして柄にもなく彼の腕にしがみつくと、自分でも驚くほどの思いっきりの笑顔を向けてやった。


「俺、まずは海にいきたいな。そのあとは商店街だ。そして浜辺で昼を食べよう?」

「ふふ、っそ、そうだね。ではこちらは素早く済ませよう。どうせ時間は余る。思いっきり隅々まで楽しもうじゃないか」


 彼は明らかに嬉しそうな顔をすると、珍しく少し照れたように目を逸らして声を弾ませた。石階段を登り朱の柱を両端に備えた入口をくぐる。茶系の枠組みに金糸の刺繍が上品にあしらわれた垂れ幕の先を抜けると、焦げ茶の木材を基調としたエントランス部分が広がっていた。

 彼らは受付のカウンターで待っていた従業員に5日の宿を頼むと、1つの鍵を手にエントランス右側の通路を進む。この建物は計三階建ての小旅館だった。一館一階は厨房やカウンターなどの経営部。二階は宴会などを行うための大広間が用意されているらしい。彼らが泊まるのは一館と前後の形で構えられた二館の二階にある部屋だった。鮮やかな庭園を横目に渡り廊下を進み、再び建物に入ったところで右手の階段を登る。そしてそのまま通路に沿いながら鍵番の部屋を見付けると、彼は彼女に鍵を手渡した。


「私が開けることは造作もない。ただ君に開けて欲しい。私は君とここに泊まりたいんだよ」

「ああ…、分かった」


 鍵と言っても仕組みは魔導具による完全ロックのシステムなので、回すどころか鍵穴に鍵が入るだけで解錠される。彼女が鍵を挿しこんだ。すると聞き心地の良い軽やかな鈴の音が鳴り、静かにカチャリと鍵が開いた。彼女は一瞬だけ彼の方を振り返ると彼の仕草を確認する。そして僅かに視線が絡み合ったことを確認すると、鍵を引き抜き扉を開けた。


「これはまた…、特殊な造りだな」

「古来よりこの町に根付く様式らしいよ。いつ、だれが作ったのかは分からないが、確認されている中でこの町がこの特殊な文化を持つ最も古い町であることは確かだよ。凡そ、どこかからの伝来と考えていいだろうね」


 靴を脱ぎスリッパに履き替えると、その先は不思議な材質の床になっていた。乾いた草を編み込んだように見えるそれは、足で踏んでみると予想外に硬い。だが手で少し押してみると、僅かに沈み完全な硬質体でないことが知れる。

 彼女は念のために羽織っておいた隠し鎧のついたコートを「押入れ」と説明された縦長の空間に備えれたコートスタンドにかける。今の彼女はほんの薄いワイシャツと武器をかけられるベルトを巻いたズボンのみ。彼女は思い切って指を鳴らす。すると蒼い花弁が祝福の雨のように彼女を包み込むと、その姿をどこか大人びた女性物の服へと変貌させた。


「エ、エノク」

「ん? っ、い、いつの間に。それにしても君がこういったものを着るとは」

「似合、わないだろうか?」

「いいやいや、とんでもない。君の性格、また容姿にピッタリ合う衣装だと思うよ。ただ、もう少し丁寧に着なさい。ほら、少しおいで」


 一瞬女性物にも詳しいのか、と変な考えが過ったが、よくよく考えれば彼自身が途轍もない精度の変装をするのだから当たり前と言えば当たり前である。彼は彼女が纏うベージュのコートの形を丁寧に整えていく。シワのように歪んだ部分の整形、僅かに現れる色彩の調整、そして時折彼女の手に触れながら全体の長さや形状を確認。

 暫くして彼女が窓に映る自分を見た時には、およそ先程まで物騒な短剣などを帯びていたとは思えない可憐な、だが落ち着いた雰囲気を醸す自分の姿がそこにあった。


「うわぁぁ、凄いな。俺、普通だ」

「よもや一言目の感想がそれかい? それが君の本来あるべき姿さ。さっ、それでは私も」


 彼が同じく指を鳴らすと、再び蒼い花弁が彼女の鼻先を掠める。少しして彼女は視線だけを隣に向けた。そこには彼女と色違いの黒いコートを着た彼が同じように窓の前に立っている。なんとなく不思議な感覚だ。彼女がクルリと姿勢を変えると、彼がその後に続く。扉の前に来て2人は止まった。今度、鍵は彼が握っている。2人はなんとなく互いを見合い、クスリと一度だけ微笑みあうと、手を繋いだままつい先ほど入ったばかりの部屋を出た。



ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー



 今回の旅でユーピテルに残してきた様々な問題やその今後の予定について話すことは暗黙の了解で控えていた。そもそも彼女自身、それをこんな場所に来てまで語らう気にはなれなかった。

 宿を出た彼らは彼女が言ったとおり、市街地の少しずれた場所にある比較的魔力の影響が少ない海岸部へと来ていた。流石にこの季節、そこで泳ぐ者はいない。しかし釣竿を垂らし魚を釣っている者達の篭にはそれなりの数の魚が詰まっており、彼女らは急遽だが魚釣りというものに挑戦することに決めた。

 だが、半時の甲斐空しく彼女の釣果は芳しくはなかった…。


「釣れない…」

「君は様々な物事に一生懸命なのは良いが捕らえようと殺気を漲らせては食い付くものも食い付かないよ。もう少しゆったりとした気持ちで…、丁度友人をお茶にでも誘う感覚で糸を踊らせてはどうだい?」


 会話もそこそこに集中していたためか、彼女はそこで初めて目を彼の方へと向けた。同じ釣具を用意し同じ餌の筈だが、彼の籠には既に三匹の魚が心地よさげに尾を揺らしていた。

 彼女は思考を巡らせる。だが彼女のあくまで冷静な部分がそれ自体の間違いを告げる。一度竿を引き上げ、釣り針に餌をつけなおす。そして心機一転。閉じていた目を穏やかに開くと、緩やかな放物線を描いて再び竿を投げた。


「なあエノク、昼食はどうする?」

「そうだね、ここの商店街を見回っていないから分からないがそこで調達できるならそれに越したことはないだろう。折角2人でここまで来たんだ。彼らの真似をするのも一興ではないかな?」


 釣り針から目を離さぬまま彼が顎で遠くをしゃくると、そこでは地元の者なのか魔導具の水槽に泳がせた魚達を傍らに捌いたばかりの魚を焼いて硬いパンを楽しむ一団が仲間内のランチを楽しんでいた。彼女は視線をピタリと静止したままの釣り針に戻しながら話す。


「ならいくらか用意を整えなきゃな。釣果もこの調子じゃ物足りない。それに折角なら雰囲気ってのを楽しみたいだろ?」

「ふむ、それもそうだね。ならば君が3匹釣ればここを離れるとしよう」

「さ、3匹!?」

「そう驚くことでもないよ。君が少し意識を逸らせているだけで針は反応を示している」

「っ!」


 咄嗟に彼を見ていたのが油断だった。意地悪な色を帯びた彼の目がキラリと光っているのを横目に見ながら彼女は視線を釣り針に戻す。断続的に波紋が水面に円を描いている。まだ勝機はある。彼女はそう判断すると体から抜けきった緊張を四肢の隅々にまで張り巡らせ、筋肉の硬直と共に一本釣りの容量で竿を思いっきり振り上げた。


「っつ、釣れた!」

「おめでとう、初の獲物だね。やっぱり君はやればできる子だ。しかも稀に見る大物じゃないか!」

「そ、そうなのか?」

「ああ、君は能力だけじゃなくツキもあるようだね。さあ、この調子で釣果を稼ぐとしよう!」


 気持ちを抜いてゆったりとした気持ち。緊張を殺ぎ揺蕩う雲のように。彼の助言と経験の助言が同じ結果を導き、彼女の構えが完成する。待つのではなく潜む。釣るのではなく掬う。魔力が満遍なく満ちた指先が敏感に水面と竿の揺れを感知する。そして次の瞬間、刹那の間に意識に殺気が漲ると共に全身を使って竿を振り上げた。するとその時、自由落下しながら落ちてくる魚を受け止めると共に隣で不穏な気配を感じた。


「2匹目。確保」

「っっ…、ふふ…」

「な、なんだ!?」

「いいや、君は本当に仕事人だと思ってね。どんな事でも自分の枠に当て嵌めてしまえば驚くほどすんなりと事をやってのける。私はそんな君が好きだよ」

「そ、それもお前の助言があってこそだ…。俺だけじゃずっと殺気を振り撒くだけで終わってた。お前の冷静な目が俺をより良い方向に導いてくれるんだ」

「ふふ、そういったところも好きだよ、ユウリ。君は本当に…、愛しいなあ」

「お前、語彙が欠落してるぞ?」


 流石の惚気具合に呆れ気味に呟くも彼がそれを意に介することは無い。むしろそれにさえふんわりと微笑む始末だ。彼女は軽い溜め息をつくと、揺れる針を見るや慣れた要領で釣り上げる。そして打ちあがった魚を両手で受け止め籠の中に落とす。

 彼女はそそくさとそれを反対側に移動させた。そして座っている位置を少し左側に移動すると、エノクの腕と自分の肩が触れ合う距離まで近付く。彼女はそっと少し体を預けてみた。


「……………」

「甘えてるのかい?」

「悪いか?」

「いいや、とんでもない。私は、大歓迎だよ」


 彼の腕がそっと肩を抱くと、この上ない安心感が沸き上がってくる。温かいクッションに体を埋め微睡む時のような心地よさ。無防備になってもいいと彼の存在は彼女にそれを許してくれる。

 彼の操る釣竿が当たりを知らせる。波紋が水面を小刻みに走り、糸がピンと張りつめる。魚が勢いよく飛び上がった。繊細な魔力操作が為す技だ。陽光に煌めきながら青緑の鱗を煌めかせて魚が宙を舞う。彼は指を鳴らす代わりに持ち上げた竿の先で魚の向きを変えると、彼女とは反対側にある籠へと見事に魚を着水させた。


「そろそろ行くか?」

「そうだね。折角ならば色々なところへ行ってみるべきだろう。次は商店街かな」

「肉とか魚とか、昼に食べられのがあればいいな」

「流石に生鮮食品ばかり扱われていては困るがね。とはいえ港近くの市場に近い場所であることに代わりはない。私の探すようなものはないだろう」

「なにか探し物でもあるのか?」

「なあに、今回の旅の間には必ず見付かるものさ。まだまだ行く場所はいくらでもあるからね」

「ああ、なら、まあいいのか…? ああは言ったが拘ってるわけじゃないぞ?」

「私こそ急用ではないよ。それに楽しそうじゃないか。私はね、君との時間を多く作りたいのさ」


 彼はそういうとおずおずと立ち上がった彼女に手を差し出した。既に足元にあった釣り竿は蒼い花弁となって消え去り、籠の中を泳いでいた魚はガラスの箱の中へと転移を完了させている。

 彼女はその手を取った。彼の大きな手が彼女の小さな手を包み込むように受け止める。ガラス箱の魚が水面を打った。2人は浜辺を離れる。そのあとには大小の足跡が同じ感覚で並んでいた。

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