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魔術の最期  作者: 青眼の夜鴉
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第5話 能力

 人混みを抜け辿り着いた場所は酒類を提供する下町の酒場の一つだった。当然若い兄妹が来るような場所ではないが、溢れかえる人の群れから抜けるには便利な位置にあった。何本かの大きな柱によって支えられた天井。ユラユラと揺れる灯りの炎は時折蝋を床に垂らしていた。


「多分友達が連れてきたらセンス疑うよ」

「しかしこれもよいだろう。それこそ君の言うように、兄妹でしか来れないだろう?」

「だからって初日じゃなくても…」

「この条件下で貴族街にでも行くかい?」

「イヤ…」

「ならば大人しくこれを楽しむことだね。ほら、私が注いであげよう」


 机に突っ伏しながら干し肉を口に運ぶ彼女の手元にあるグラスにワインを注ぐ彼は、一度ボトルを離し自身のグラスにも注ぎ込んだ。紅い見た目はまるで動脈を流れる血のように美しく、香ってくる芳香は鼻腔を蹂躙しながら脳の奥底に鈍い振動を与える。これ一杯あれば大型の獣もたちまちに酔うこと必至だろう。脳を揺らし脈を滾らせ頑丈な筈の喉を灼く。まだ日が朱を帯びていない時間帯に飲むものにしては、少々ならずクセの強いものだった。


「ねえお兄ちゃん、私っていつも酔う?」

「いいや、君は私と同じで生半可な量では意識がハッキリするだけさ。端から酔わない身体だ。酔うのは私達が故意的に近付けているだけでね」

「んじゃあ酔ってみたいっ!」

「流石に君が酔うくらい飲むには私の財布が先に悲鳴をあげてしまうよ。暫くして人混みが去ればここから出るとしよう」

「ならお兄ちゃんが私を酔わせて?」

「君は酔っていなくても冗談を言うからタチが悪い。君のような大人しそうな子がそんな台詞を吐けば人は簡単に騙されてしまうよ?」

「それこそお兄ちゃんがいるから! 私はもっといいのが飲みたいな~」


 グラスに湛えるワインを一口で飲み干した彼女は挑発的に彼を見やると、自身のグラスにもう一度並々とワインを注ぎ直した。彼はやれやれと肩を揺らすも、彼女に準じグラスをあおる。するとそう時間の経たぬ間に開けたばかりだと思っていた大きなボトルはじきに空になってしまった。


「えへへ、楽しいね」

「今日も潰れるまで飲んだりはしないだろうね? 君を背負うことは造作もないが、君が翌朝苦しんでいるのは見るに堪えない」

「ぅぅ、確かにあれは…。けど止めらんないよね」

「瞬間は酔わなくても肉体にダメージは蓄積する。私達の場合、その蘇生時に精神的なダメージを負う訳さ」

「お兄ちゃんは大丈夫じゃん!」

「私の場合、少しばかり君よりも人を捨てているだけさ。そもそも実質的にダメージはないわけだからね」

「ズルくない?」

「これをズルいと言ってしまえば体質全てが「ズルい」ことになる。私達の肉体構造もまた、ズルいだろう?」

「これはこれで辛いよ…」

「そういうことさ。外から見て一見欠点のないものも、本人からすればなにかしらの汚点がある。一概に物事は量れないのだよ」


 完璧なものはこの世に存在しないというように、彼らもまた汚点は多く存在する欠陥品だ。他者がこの紅い酒に酔う間にも、彼らは決して酔うことはできない。そして翌朝になれば肉体にかかったダメージの修復のために妙な気怠さが体を襲う。自身にもたらされた祝福はこうして彼らにその分の汚点を付け加えた。


「汚点の数の比率は動きそうだけどね」


 彼女の静かな呟きと同時に大人しく静止していた扉が勢いよく開かれた。閃光染みた陽光と共に入ってきたのは頭にターバンを巻いて腰に剣を差した軽装備姿の男達。どうやら戦争の依頼を受ける傭兵のようだ。彼は彼女の肩越しに彼らを見やる。すると運の悪いことにその内の一人が自身を見据える彼に気付いてしまった。


「おお、久し振りに来てみれば良い子がいるじゃないか。しかも2人」


 さらりと見間違われたことに僅かに目を上げたアリアの眼は笑っていた。最初に発見した1人に追従する形で2人の男が歩いてくる。そして1人が彼らの席に到着。既に酒場内の視線が集まる中、彼らが飲んでいたグラスをひったくると勢いよく飲み干した。だがここで忘れてはならないのは彼らが飲んでいるのは()()()()()()()()()()()だということだ。ちらりと2人が男を見据えると、彼は喉を見開いてグラスを取り落とした。


「ゲホっ、ケホ……。くっ、なっだこれ…!?」

「これは少し製造工程が特殊らしくてね。どうだい、大丈夫かな? 人が一気に飲むには強すぎるだろう。ただだからこそ私達が飲んでいられるのだが」

「さっき良い子って言ってくれてありがと。可愛いって意味でしょ? だけどお兄さん、早く離れた方がいいかもしれないよ」


 思いのほか強力な度数を誇る酒に怯んだ男に彼らは小さく笑みを浮かべそう話した。暫時、困惑と畏怖の入り混じった静寂が酒場の仲を支配する。そしてそんな短い時間が男の羞恥を逆撫でしたのか、グラスを煽り片膝をついた男は憤怒の形相で剣を引き抜く。だだ次に気が付くと剣は手を離れ体は板床に転がされていた。


「!?」

「剣を抜くのが遅いね。柄に手をかけた瞬間には抜いていないと」


 そこで男は初めて気付いた。剣を持った腕が痺れながら痙攣していることに。そして自分は目の前の相手に転がされたことに。そして相手の持つ剣が自分の喉に突き付けられていることに。恐怖が畏怖に変わる。アリアは彼の剣を持つ手に触れると、その腕を静かに下ろさせた。


「今日のところは逃げるといい。ただ、この子に指一本でも触れてみろ。今度は容赦しないからね」


 彼はそういうと、這いずるように逃げだす男達を冷たい目で見送った。彼が今回剣を抜いた理由、それは男がグラスをひったくった時、もう1人の男がアリアの肩に手を乗せたからだ。そのつもりで近付いてきた者らに容赦はしない。だがしかしこの対応もまた、行き過ぎていることは事実だった。


「お兄ちゃんはいつもやり過ぎ…。私、そんなにか弱くないよ?」

「それは私にも当て嵌まると思うかい?」

「…………」

「彼らは君に対する害意しか持たない。ならば配慮する必要はないさ。ただ、反省点として君を悲しい顔にさせている部分には再考の余地がある」


 俯き加減の彼女がその言葉に顔を上げると、そこには本気で自分を心配する兄エノクの姿があった。彼にとって彼女は言葉通り「遍く全てに代えがたい姫」なのだ。彼女は微かに口角を歪ませた。そして小さく「ごめんね」と呟くと、店の店主にワイン及び干し肉の追加を注文した。



ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー



 翌朝、

 眠気の残る眼を擦りながら彼女が訪れたのは貸し出された宿からそう遠くない石レンガ造りの巨大な直方体状の建物だった。無機的に立ち尽くす重装備の門兵、中から聞こえるいくつもの咆哮。薄灰色の壁の内から伝わるのは血気盛んな迸る熱気だった。


「いつもならこんな面倒なことはしないけど」

「招かれたのなら規則は守らなければね。私は良いとして、あの子に迷惑がかかってしまう」

「そういうとこだけホント律儀だよね?」

「彼女の真意を推し量ることはできない。しかし私が彼女の呼びかけに答えたことは事実。ならば既にその時点で私は彼女に配慮する責任があるのさ」

「お兄ちゃんが言うとマトモに聞こえるけど、裏を返せば契約を結んでいない相手には配慮する必要がないってことになるよ?」

「それはそうだろうとも。彼らは私と君に対して配慮することは無いのだから」


 既に門兵には話が通されているのだろう。異例の騎士試験を行うとなれば騎士団内での注目度は高いはず。しかしピリピリとした雰囲気の中を進む2人に緊張の文字はなかった。彼女は隣の兄を信用しており、またそれがこれまでの記憶の記録に裏付けられている。

 暫くして、彼らは廊下を進み切り、日の当たる訓練場へと辿り着いた。スイッチを切り替えたように消失する音。剣戟がパタリと止み、訪れた異物を良性か悪性かの判断にかける。すると中央の監督者らしき男が全員に下がるよう号令をかけ彼を出迎えた。


「よく来てくださった、エノク殿。他の騎士には元連合軍精鋭部隊の隊長だと伝えている」

「どうりで訝しむ視線はあれど恐れる視線はないわけだね。と、そういう君は私を?」

「おっと、これは挨拶が遅れすみません。私はグラハム・フォースターと申します。第六団第二部隊所属の班長でした」

「なるほど。君は私を見たことがあるんだね」

「うむ、しかしここでは騎士らの反対もある故、こうして無礼な話し方をすることを許していただきたい」

「勿論さ。郷に入っては郷に従えという。過去のことはあくまで過去さ。今、私はあくまで新米騎士だよ」

「うむ、そう仰っていただけるとはありがたい。では早速試験に移ろうと思うがよいか?」

「結構。妹も戦えるが今回の依頼内容は私のみであるため、参加はさせないよ。君も知ってる通り」

「第六団大将…」

「それは口外しないでくれたまえよ。さて、それでは始めよう」


 至近距離の周囲に聞こえない会話はほんの1メートル以内で行われた。彼は訓練用に用意されていた剣を引き抜くとともに数歩下がりグラハムとの距離をとった。

 改めて双方の殺気に満ちた視線が互いを襲う。その間合い凡そ4メートル、ただ感覚的な距離はその半分もないように感じられる。するとグラハムの背後に控えていた女騎士が赤と白の旗を持って2人の間に、そこから数歩後ろへ移動した。


「試験は摸擬戦形式で行います。試験官の合図、もしくは勝敗が決した時点で試合は終了とさせていただきます。また勝利条件はどちらかが相手を戦闘不能にすることとします」

「了解した」

「わかったよ」

「どうか不正のないようご注意ねがいます。それでは両者構え…。始め!」


 今回の試合はお互いが真剣を用いた一本勝負。剣において使い慣れたグラハムに少々の分があるものの、エノクの戦闘経験や基礎能力値によるバランス調整と考えると余りがでるほどである。

 彼はそっと目を閉じると、その瞬間に剣を振るう。すると甲高い音が響き、次いで床に着地する低い音が聞こえた。


「次はこちらから行くよ」


 彼にとって刀身の太い騎士用の剣は少々扱い難いところがある。しかし一撃の重さや、鈍器としての活用を考えると競り合う必要がある試合においてはこちらの方がいいのかもしれない。突如、彼がごく自然に床を蹴った。そこに強い力は感じられない。ただすっと飛び上がるような跳躍。だがそれは印象に過ぎず、彼の剣は瞬く間にグラハムの肩に迫ると、寸での所で彼の剣と打ち合った。


「これは私が負けた方がいいのかい?」

「気にせずともよい。我々は実能力を尊重する。そのためっ!」


 剣を大きく弾き重い柄頭による殴打が彼を打つ。しかしそれは一瞬のところで刀身によって阻まれた。彼は衝撃によって舞う体を安定させ静かに着地する。そして踏み込みと同時に眼前にまで肉薄したグラハムの鎧に手を置くと、躱すと同時に手首を曲げその軌道をほんの僅かにずらす。すると逆手に持った剣は吸い込まれるような綺麗な軌跡を描いて鎧の間を切り裂いた。


「っ!」

「グラハム、私はそう気の長い性格ではない。故、片付けさせていただこう」


 痛覚は人間の意識を麻痺させる。それは鍛えられた騎士長も例外ではない。エノクの蒼い目がより一層冷たくなる。斬り払った剣が自然な軌道を描いて頂点に昇った。そして彼が左足を一歩前に出すのと同時にグラハムの背を剣の柄頭が鋭く叩くと、彼は無防備に晒された首を掴み上げた。


「エノク様の勝利!」

「これで試験は終わりだね。次はなにかあるのかい?」


 首を掴んだ手を離すとグラハムの鎧を纏った重い体は大きな音をたてて床に落ちた。彼は剣を収めそれを審判をしていた女騎士に返す。そして座り込んだグラハムを助け起こすと、取り落とした剣を手渡した。


「すまない。やはり敵わぬな」

「なにせ私は第五団所属の人間だからね。人間を狩ることに重きを置く我々に敵う筈はないさ」

「舞台に立った時点で私に勝機はなかったということか…」

「元団員ならば結末は予測していただろう。さて、それでは次は適正試験といったかな?」

「いいや、そちらに関しては既に配属は決まっているのだ」

「ああ、知っているとも。私が訪れた理由はそこにある」

「そうであったか。であればこの一連は茶番だったようだな」

「生憎ね。それではこの後、私はどうすればいいかな?」

「今夜にでも騎士身分を証明するペンダントを届けよう。そして明日、指定された場所に行けば担当者が待っている筈だ」

「ふむ、では今日はこれで終わりなのかな?」

「試験としては以上になる。我々は訓練があるが、エノク殿の場合はあくまで配属前であるため、今日のところは帰ってもらって構わない」

「ふむ、ではお言葉に甘えるとしよう。この子がそろそろ暇を持て余しているからね。学校にも行かせなければならないが、どうにも自由にできる余裕がない」

「それも明日までの憂慮となることだろう。明日には仕事が舞い込む筈だ」

「それもそうだね。では私はお先に失礼する。また会えることを願っているよ」


 彼は柔らかく笑みを浮かべると、おどけるように肩を揺らしてから後ろを振り返った。そうして有るのは既に慣れてしまった畏怖の視線。するとそんな彼の腕に端で終始を眺めていたアリアが抱き着いた。

 結局、これが無難な形なのだ。彼は愛撫するように彼女の頭を優しくなでる。それは実に和ましい兄妹の姿だ。しかし彼らが訓練場を出るその時まで、彼らに降り注ぐ刺すような畏怖の視線が消えることはなかった。

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