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魔術の最期  作者: 青眼の夜鴉
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第40話 征心

 記憶が浮かんでは消えていく。同時に何度も回想した記憶が漠然と広がっては、混ざりあって醜い絵になりながら砕けてしまう。やはり明確な様は既に思い描くことさえできなかった。 

 だが彼女は事実を曲解するほど愚かではない。濁流のように渦を描いては暴れまわる事実と妄想、そして理想と思考を封じ込めた上、彼女は滔々と語りだした。


「俺が変なことを口走ったのがきっかけだ」

「…………」

「俺は単にこんな時間が続けばいいって言ったんだ。迷惑をかけるし安心もない、他の女のように家庭にはいることもできない。だけど…だが…」

「……………」


 エノクはそれを冷ややかに見下ろした。あの仮面を何枚も繰るエノクだ、その瞳の裏にある真意を秤知ることはできない。だがその瞬間、彼女に注がれたのは凍てつくような氷の目だったのだ。

 暫くして彼女は落ち着きを取り戻す。胸を支配した恐怖が去り、激情と理性の波が重なり、やがて寂しげな静けさが広がった。


「ひとつ、私は君に女子たるものを求めない。ふたつ、私は君に永劫の呪いなどうけつけない。みっつ、これが夢であればと願いながらそれを呪っている。これが、アイツが俺に言った台詞だ」

「ユウリは、理解できる?」

「っ!」


 まるで予想していたかのように彼女は平然と問い掛けてきた。そしてそれは巧く彼女の胸の奥底へと潜り込む。

 “俺はアイツの本当に言いたかったことを見れていないのでは?”

 希望にも似た台詞を背後に佇む誰かが囁いた気がした。ブレーキを失った思考が、混沌を極める思考が急回転を始める。するとその最中を断ち切って今度はアリアが話し出した。


「お兄ちゃんね、いつも帰ってくるとユウリの話をするの」

「俺の?」

「そう…。今日何があったとか、ユウリが何々したとか。そして結局流石はユウリだ、って終わる」

「……………」

「だけど昨日はそれがなかった…。どうしてか聞いても答えないし、そう難しくなく予想は立てられたよ。なにより朝になってもユウリが来なかったからね」


 “なにかあったのは確実でしょ?”

 確かに彼女は遠征から帰ってからというもの、毎日彼らの元へと通っていた。特に意識していたわけではないが、毎朝決まった時間に向かい何気なく1日を過ごしていたのだ。その際に彼が「ここに住まないか?」と提案してくれたこともあったが、彼女はそれを断っていた。


「お兄ちゃん、多分もう会おうとはしないと思うよ」

「なにっ!?」

「一度言ったことは撤回しない人だからね。ユウリが来なかった、ていうのはお兄ちゃんなりのケジメになると思うし」

「ま、まさか…」

「本当だよ。元々あんまり人間と深く仲良くなることはなかったんだけど…、まあ今回はある種の異例だね。ユウリが想うようにお兄ちゃんも想う。だからこそこの重たい責務を背負ったまま、脇を見てしまった。結果、この状況。初めから目に見えてたのにお兄ちゃんはずーっと見ようとしなかった。当然、ユウリにも言わなかっただろうしね」


 彼女は言い聞かせるように穏やかな口調で語った。それは恐らくこの突然急転した事態を彼女が随分と前から予測していたからだろう。

 彼女はたまらなくそこでぐらりと強い眩暈を覚えた。これではまるで彼と自分がたった2人で茶番を演じていたみたいではないか。だが一方で彼女の冷静な部分はそれが事実であることを理解していた。それはなによりも昨日、彼が言っていたことだったからだ。


「どうしてアイツが、そんなことしなくちゃならないんだ?」

「私達の力は元来人間が持ち得るものじゃないからだよ。私達はそれを持つ代償に破滅を回避させる必要がある。既にこれを手にし、生きている限り、私達はこの世を繰る何者かの傀儡ってわけだよ」

「お前は、それでいいのか? アイツだってそうだ。そもそもその力はお前達が望んでいるものなのか? 何故望まないものの為に自分を捧げる必要がある!?」


 彼女から見るに2人は力に固執する性格ではなかった。それ以前にこのような不相応なリスクを背負うような浅はかな者にも見えなかった。しかし実際、今2人はこうしてその圧倒的な力のもと魂を縛られている。それは理不尽というものだ。

 暫く、吼えるような声の掠れた余韻とともに締め付けるような沈黙が続いた。押し秘めた感情の啖呵から溢れた激情が燃え殻のようにジリジリと熱を失っていく。だがその前に、彼女の手は他の温かい手に包まれた。


「アリ、ア……?」

「ありがとね、ユウリ。私達にそんなことを言う人は貴女が初めてだよ。ただこれはね、私達の意義なの」

「意、義?」

「そう、私達が生きていてもいい意義。もっと正直に言うとね、積み重ねた死体に掲げる免罪符なの。私達は私達だから、生きててもいいんだよ」


 やはりアリアは穏やかな声で言い聞かせた。ユウリの吐くような慟哭を真正面から受け止めながら、彼女は苦々しい顔で優しさを滲ませたまま話し続ける。それは説得というよりも訴えのようなものだ。そして彼女もまたそれに気付いてしまった。


「俺が、剣を捨てられないのと同じか…」

「ごめんね、私も本当はこんなこと言いに来たくはないんだけど…。私にはお兄ちゃんの気持ちも、ユウリの気持ちもわかるから」

「…………」

「辛いよね…。本心が自分の信念に圧し殺されるのは」


 彼女にアリアの心中は図りかねる。自嘲気味な笑みが意味することも、そのうっすらとした影の裏にあるものも分からない。だがそれが凡そ自分と同類のものであることは容易く見当がついた。彼女の乾いた笑みは既に諦観の域に堕ちていたからだ。


「また、演じてもいいだろうか?」

「潔く斬れるなら。それでも自分を守れるなら。ユウリが自分を許せるならいいと思うよ」


 “私はダメだけど…。”

 彼女は最後にそう小さく付け加えると、疑問符を添えて問い掛けるように首を傾げた。

 “どうするの…?”

 彼女がここに来た理由はこれだった。これを含めた事の流れは全て予想通り。ここが前後唯一の分岐点なのだ。彼女の選択がこの稀有な出逢いの以降を左右する。ひたすらに研ぎ澄まされたアリアの目がユウリの目を捉えた。


「お前は止めないのか?」

「あくまでユウリとお兄ちゃんの話でしょ? 介入する余地なし。それに、私にも判断しかねるよ…。だから…」

「俺は会いに行く」

「っ!」


 アリアの言葉を遮って彼女は断言した。黒い瞳が強い意思の光を湛え、冷たい鉄の様な蒼い眼をしっかりと見返す。敵意はないが殺気のような濃厚な威圧が2人の間で弾けた。確固たる意志がぶつかり融和する合間の出来事だ。

 すると、アリアはふと視線を外すとただただ自然に疑問を問いかけた。


「どうしてユウリは、そんなことができるの?」

「…………。飾らずに言おう…。初恋だからだ」

「はぁ?」

「2度目はないぞ。ただ、原動力にはなりえるものだ」


 論理的に考えればあまりに救いようのない愚行。感情的に考えてもあまりに脆く儚い、頼りない依り代。だがそれが個人の間でならば大きく昇華する可能性を秘めている。それは尊いのだ。かけがえのなく得難い生涯に一度訪れるかさえ分からない彼女の奇跡。

 彼が拒絶するのならば彼女は足を止める。だが目の前を隔てるのが彼の心でないのなら、彼女は四肢を引き裂いても突き進もう。これはそういう類いの代物だった。


「ユウリ、ホントにお兄ちゃんとユウリはお似合いだね」

「なっ! ど、どういう意味だ!」

「そのままの意味だよ。なんというか、冷静でありながら根拠なんてない感情論。いやまあ、それが破綻しないからある種論理的ではあるけど…。なによりそれを原動力に出来るところとかはそのまんまだよ」

「そ、そうか…」

「なんていうか、もう少し難航するかと思ったんだけどな…。まあいいや、それじゃあ行ってあげてくれる? 私はお兄ちゃんに言った通り学院に行ってくるから」

「お前もしかしてアイツにここに来ることは言ってないのか?」

「勿論。流石にこんな話をするなんて教えられないしね。まあ心配はいらないよ。私が本気で魔力を消せば例えお兄ちゃんであろうと見付けられないし」


 彼女はそういうと用は済んだというように椅子から飛び降りた。同時に机に乗っていた陶器の珈琲セット達は蒼い花弁、そして細かな細かな光の粒となって消え去った。彼女は最後に蒼い薔薇の花を花瓶に差し部屋を出て行った。

 残されたのはユウリただ1人。だがそこには先程までの陰鬱とした雰囲気は残っていなかった。



ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー



 時間は少し遡りアリアがエノクらに「今日は久しぶりに学院まで遊びに行ってくるよ」と言い残し部屋を出た直後、エノク&獣娘3人の計4人はものの見事な暇を持て余していた。なにせ普段ここに良いも悪くも事を運んでくる者が2人とも不在なのだ。暇、というのは至極必然的な流れだった。そしてその最中、事は珍妙にも偶発的な急転を見せた。文字通り、彼らの住む拠点が燃やされたのだ。


「何が起こっているのか整理しよう。なあに、難しいことはない。炎に焼かれる痛みは慣れているからね」

「イヴはちょっと熱いです…。リンさん、センリさんは大丈夫ですか?」

「リンは大丈夫だよ~。センリが資料の回収を頑張ってるから、リンは備品の回答してくるね~」

「ああ、お願いするよ。私は痕跡となりそうなものを回収しておこう。イヴ、君は部屋の中になにか大事なものはあるかい?」

「なにもないと思います。私物も然りです!」

「なるほど、では悪いが私についてきてくれるかい? ここに残っては火の回りが早いからね」

「了解です!」


 突如の襲撃にも関わらず彼は至極冷静に事の精査に向き合っていた。白銀の髪の端が無惨に燃えながら、新たに再生を繰り返している。その様は至極不気味だ。この調子であれば炎に包まれた両足でも同じことがなされているのだろう。

 だがそれに違和感を覚えるものはここにはいない。全員が似た形で異様な様を晒しているからだ。


「それにしても本当に大丈夫かい? 君にはまだ処置を施していない筈だが」

「人のまま体を魔力に置換する魔術がありますから!」

「なるほど。流石は暇潰しに魔術書を読み漁ることはある。君はまるで巨大な器だね。潤沢な水を与えれば半永久的に受け止め続ける」

「けれど強力なのは使えませんでした…。エノク様さえよければまたの機会でもイヴを魔術師にしてくれませんか?」

「君が瀕死にでもなれば考えるが、でなければ軽はずみに魔術師にしたりはしないよ。なにせこれは悪魔の契約だからね。この異様な様も悪魔の片鱗だと考えれば違和感はあるまい」


 彼は平然と再生を繰り返す腕を持ち上げる。無惨に焼き爛れた肌が細かい魔力の繊維に覆われ元の薄橙の色を取り戻しながら、再び朱と緋色を振り撒いて血が溢れ出していく。だがそれでも尚彼の顔に苦痛が浮くことはなく、それはただただ自然な様だった。

 彼は骨組みが歪んで動かなくなった扉を蹴破る。そして中に入ると共に、指を鳴らすと部屋の中にあったものをごっそりとどこかへ移動させてしまった。


「魔術は強力な能力だが、並みの人間が持つにはあまりに不相応なものだ。故に人である間は与えることはできない。君が己を殺して魔物に身を堕とした時、私が直々にその胸を開花させよう」


 彼女を見ることなく彼は宣言するように呟いた。眼前の扉が紅に舐めとられる。どこかで歪みに耐えきれなくなった木材が巨大な音をたてて弾けた。刻々と続く崩壊。例外無く焼き尽くす炎。絶望的な様を前に彼は振り返ると、徐に彼女の左胸に指を当てた


「ここに君の全てが有る。人間には無理だがね、魔術師ならばここだけで君の全てを表せる。まず魔術師になりたいのならば、理に逆らってみなさい」


 どこか見放すような冷たい言葉が聞こえると、次いで突き刺すような鋭く細い衝撃が胸を穿った。刹那、意識が途切れる。外傷はない。だが胸を貫かれた生々しい感覚だけが残る。彼女は再覚醒と共に真っ白になった頭を繰り、疑問の回答を急ぐ。だがそれはなにかもっと大きな感情により呑み込まれてしまった。

 するとそこで一切の思考が急停止した。


「魔力と感情、広義に精神は互いに干渉しあう。魔力を整えれば感情は整う。感情が荒ぶれば魔力も荒ぶる。君は魔術師としてあまりに未熟だ。故に魔術師にはできない」


 その瞬間、彼の蒼い瞳の中になにか暗い光がぬらりと揺れたように見えた。そして間も無く応じるように周囲の壁に無数の鋭い亀裂が入った。彼女は嫌な予感を感じ、咄嗟に彼の間近へと移動。すると彼はそんな彼女の頭をそっと抱き寄せた。


「ユウリ、もとい客間については昨日確認してある。私の部屋は言わずもがな。残る部屋は君とリン、センリだが2人は既に別の作業に掛かり君は問題ないという。であればもうここに用はあるまい。さあ、リン、センリ、おいで」


 彼の言葉に彼女が咄嗟に振り返ると、そこには明らかにサイズ違いの指輪を落とさまいと気を付けながら階段を上がってくる2人の姿があった。リンが最後の段を蹴ると同時に階段が豪快な音をたてて焼け落ちる。

 彼は飛び込んできた2人をもう片方の腕で抱き寄せる。その様は奇妙に場違いな穏やかさを持つものだが、一方視線を落とせば彼の足元には怪しげな蒼い花弁が降り積もっている。


「君達がいてくれたお陰で数分素早く用意を終えた。ありがとう。それでは私達もこの炎から逃れるとしよう。ただ、報復はしておこうか」


 厳かな仕草で彼は腕を持ち上げる。白い指の間に不可視の魔力が現れ、それがやがて透明の塊へと変わる。長い指先がその表面を撫でる。塊のヒビから漏れる朱い光と足元から放たれる蒼い光が目の前を覆った。

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