第4話 宿
何重にも重なった人々の生活音がピリリとした緊張の真横を間抜けに通り抜けていく。4人掛けのテーブルの右側には透明を折り重ねたような銀髪を素直に下ろしたエノクと、彼と同じ銀髪のボブヘアの少女アリアが掛け、左側には薄いピンク色を帯びた爽やかなワンピースを身にまとった若い女性、そして黒髪に右目に厳つい義眼をつけた中年の男が腰掛けていた。
「随分と唐突に連絡をして申し訳ないわ。ごめんなさいね」
「手紙とは随分口調が違うようだね」
「一国の大政を担う私が砕けた言葉を使うわけにはいかないでしょう? それこそ、密会でもない限り」
「私と会うことがそれ程重要には思えないがね」
「とんでもない。あなたは私達にとっての切り札よ。少々扱いが難しいけれど」
「君らに私を縛り付けるだけの魅力があるとは思えないが?」
「それは明らかに私達の不徳の致すところね。ただあなたも知っているでしょう。先日の爆発事故」
そういって彼女が机の上に置いたのは総枚数たった8枚に纏められた薄い冊子、記された題を見るに何かの調査資料だった。表紙には『公国連盟第一外来生物研究所爆破事件』と記され、担当者の欄には魔導国リムレア国防省諜報部との記載がある。つまりそれは正式な国、敢えて言えば彼女の治めるといっても過言ではない魔導国による調査書であるということだ。彼はそれを手に取る。そしてページを捲りだした。
「わざと記事にはさせなかったわ。不安を煽るだろうし、連盟の失敗を世に晒すわけにはいかなかったのよ」
「コレを見る限りだと爆破犯がいてさながら研究情報を盗んでいったように見えるね」
「実際に漂流物に付着した苔からは蛆虫の卵のような付着物を発見したとの報告を受けたわ。そして今回の事件にそれの残骸は無く、現在も行方は掴めてないそうよ」
「単に紛失しただけの可能性は?」
「確実にないとはいえないわ。ただ厳重に保管されリムレア製の魔錠にカレロイア教皇による女神の加護を与えられたケースがそう簡単に開くと思う? 現地にあったケースは空だったわ」
「ふむ、可能性としては限りなく薄いと言わざるをえないね」
調査書にはいくつかの着眼すべき要点が書かれていた。まず1つ目は彼女の言う通り、研究対象として『外来生物の卵』が施設内にあったこと。そして2つ目は施設内での各国の対立が露骨になりだしていたこと。3つ目に当時そこには駐屯兵を含めた職員が殆どいなかったこと。これらは総合して施設内の誰かが目撃者の少なくなるタイミングを狙い研究対象である『外来生物の卵』を持ち出し、その後証拠を消すために施設を消したことを指す。つまり職員の離反、強いてはどこかの国の離反を意味する。これは現在の体制に対する信頼、三つ巴によって保たれる均衡を崩すには充分な内容だった。
「そして、これを見せて私になにをしてほしいと?」
「これは我々魔導国だけでなく、三国共に国民に流すことは無いわ。けれど残念ながらこの事実は既に国といては周知している。つまり既に三国間の信頼は失われたわけよ」
「ほう、続けて」
「しかし公国連盟を壊すのもまた前回の二の舞になってしまう。だから我々リムレアは連盟を監視する部隊として国防省に連盟監査部を設置したわ」
「なるほど。妥当な判断だね。ただそれは君達だけじゃないだろうが」
「そして今回あなたを見付けたわ。元公国連合第五団大将エノク・ディオネ。連合屈指の戦力であり史上最高峰の魔術師。是非我々の力なってほしい。私の直感はずっとあなたを推しているの」
「ふむ、ならば対価を用意しなさい。君は連合が私になにを与えたか知っている筈だろう」
「ほ、本当にそれだけでいいのかしら?」
「勿論。ただ君がそれを命を懸けて守り続けるという条件付きだがね」
彼は懐から先日受け取った紅い結晶体を取り出した。大きな塊から切り出したような平面の続く多面体の表面には蠢く様な蔦が這い、細かなトゲが結晶の内部に喰い込んでいる。これは彼女が自身に用いた契約の魔術。彼はこれを自身に預けるよう提案したのだ。
「私の一命のみであなたが手を貸してくれるなら安いものだわ。私は国議会議長として、リムレアの議会としてあなたにこの命を預けます」
「それが虚実でないことを願おう。私は簡単には殺さないよ。契約は違えぬように」
彼は念を押すと今度はその結晶をアリアに預けるのではなく、自身の懐にしまいこんだ。これで今回の目的である契約は終了だ。あとは彼らの以後の扱いについて決めるだけ。ここはあくまで村から最も近い都市であり、議会を含めた国の中枢はここを北西に進んだ首都ユーピテルにあった。するとそこで彼女がわざとらしく溜息をついた。彼が訝しげに顔をあげると、彼女は困ったように視線を迷わせながら、最終的には紅茶を飲んで笑ってみせた。
「どうしたんだい?」
「いえ、なんだか気まずくてね。そろそろ仕事はやめていいかしら?」
「先程から止めているように聞こえるよ?」
「いいえ、そうではなく。私は一個人としてあなたに会いたかったのよ」
「ふむ、何故?」
「ええ、実は私、戦争孤児だったんです。紛争鎮圧の部隊、当時設立して間もない連合軍によって保護されました」
「ふむ、どうりで咽返る気品がないんだね。しかしそれ自体は私個人に対する話ではないと思うが?」
「当時、その部隊の指揮をとっていたのがエノクさんです。エノクさん、昔、小さな子にパンを分けたのを覚えてませんか? 熊の人形と汚れたパンを抱えていた子です」
「すまない、覚えてはいない」
「そう、ですよね…。あなたはその時、私に汚れたものなど食べてはならないと、自分のパンを分けてくれたんです。名前も知らない薄汚い子供だった私のために…。けど当時の私は大人の人が怖くて、お礼も言えませんでした…」
そう話す彼女からは彼がここに席についた時の晴れやかで堂々とした雰囲気は消え失せ、時間を戻したような弱々しく小さな子供のような雰囲気になっていた。そこで彼は閃くようにその光景を思い出した。自身が指揮した軍が壊された街を包囲し、やがて籠城していた犯人を確保した日、祝杯をあげる彼ら連合軍の幕営の裏の瓦礫に座り込んでいた子供を。すると途端に脳裏の景色は色のある鮮明なものに変わった。
「あの時の子は君だったか。ユリア・ヴァスティ」
「今度は私がエノクさんを助けます。もう、隠れなくていいようにします。だから今一度、少しだけ私を助けてくれませんか?」
「君、本当に策士だね」
「……………」
「しかしこれを指摘するのも無粋だろう。無論、君には快く手を貸そう。なんなら大抵のことは相談してくれて構わない。君ができぬことを私がやろう」
「あ、ありがとうございます!」
「その代わり、後悔はしないようにね。自他ともに満足のいく行動を心がけるといい」
彼は意味深げにそう話すと、握手をせがむ彼女の手をぎゅっと握った。暫くして彼らはその場を離れることになった。早速、彼を正式に国営機関に配属するためだ。
だがしかし、なにもかもがそう上手くいくわけでもない。なにせ今回の行動は秘密裏に行われている。一切の情報流出は避けなければならない。その結果、彼女らは一歩先に、彼らは後から騎士たちとユーピテルに向かうことになった。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
旅路の間は実に快適なものだった。
朝の清々しい日の光に昼間の夏特有の蒸し暑さ。夜には青白い光が闇の海の上に浮かび、星と冷たい空気がその下に立ち込める。いわば自然とともにあるそれらの苦痛は彼らに生きている実感を与え、徒然なる日常に一種のエッセンスを加えた。そして数日の後、彼らはやっと首都ユーピテルに到着した。
「ここが通すよう命じられた場所になる。本来は議会議員の客人を泊める滞在場所であるが、議長の命令で暫く使用することを許可されている」
「ふむ、なにからなにまでありがたい。戻れば彼女に私達に対する以降の護衛は不要だと伝えてくれるかい?」
「すまないが我々はそれだけの権利を持たない。そのため、議長に対する進言は自身で行うよう頼む」
「ふむ、ならば仕方がない。であれば最後に彼女について、学校に行かせるにはどうすればいいかな?」
「市統庁にて手続きを行えばよい。入学資格に関しては各教育機関の配布している詳細を参照すればいい」
「わかったよ。ここまでありがとう、ルーカスさん。それでは後日、また会おう」
彼らが連れてこられたそこは大きな首都ユーピテルの中央、議会と王宮の混ざったオウトリム宮殿の傍にある建物だった。宮殿所有の豪奢な中庭を囲み護る城壁に沿った建物達は他に迎賓館や近衛騎士団本部、宝物庫などがあり、肩を並べるそれらの性質からいかにここが重要な施設なのかが理解できた。
「やっと出てったね」
「次はいつここに来るのか。呼ばれて来たものの、暇な日は続きそうだね」
「へたに出ちゃいけないからね~」
提供された宿泊宿は縦長の配置になっていた。計三階建ての一階には浴室とトイレ、そして物置が配置され、二階には客間とリビング、キッチンなどの共有空間、三階には各々の私室となる小部屋がある。各階の階段は玄関から続く廊下沿いにあり、彼らは現在一階の廊下の前、玄関にて送り届けた騎士を見送ったところだった。
「さて、中を見て回ろうか」
「そだね。一応説明は受けたけど…」
「見るにこしたことはないだろう。文字などあてにはならない。百聞は一見に如かずだよ」
内装の説明はここに来る道すがらこれからの予定の余談として教えられた。具体的には明日、正式に彼が選抜者として騎士の選定試験を行うこと。そして次に適合試験を行い配属を決めること(但しこれについては既に決まっていたりする )。そしてそれまではこの家を住居として用いること。これらは既に決定事項らしく、それらに関する説明は隊長より詳細に教えられた。
「一階には浴室と~、物置」
「水道設備としてトイレがあるのは似た建物を量産するためだろうね。そして物置の上には階段があると」
「何か入れとくものある?」
「私に私物はないさ。君は?」
「持ち物は部屋に纏めとくよ。物置には武器でも」
「入れておくのが吉だろうね。ここには少々手を加えておく必要がある」
あの部隊の長がこの間取りを理解しているのならばそれらに長けた者は同じく間取りを熟知しているだろう。彼らは国議会議長の客人であり、その裏にはなんらかの深い訳がある筈。敵対者にとって危険を犯してまで連れてくる彼らを害することはそれ即ちユリアを害することを意味した。
「玄関から真っ直ぐの階段を上り~」
「折り返しの花のない花瓶を曲がって~」
「再び突き当りまで歩くと二階。どうやら構造自体は一階とそう変わらないみたいだね」
「部屋が繋がってるみたいだけどね~」
折り返し階段を上り切った先、左側には一階と同じ間取りで大きな部屋が2つ並んでいた。右手には三階への階段の続きがあり、左手にはリビングへ行くための扉がある。彼は先に歩いていくアリアを追いかけて扉をくぐった。するとそこには彼らの予想を上回るほどのレトロで綺麗な部屋が存在した。
「ほぇぇ、いい部屋だね~」
「私達の好みに合った部屋だね。少しそこに座ってくれるかい?」
「えっ、こ、こう?」
「そう。あとはカーテンを開けて陽光を取り込んでみよう」
季節的なものなのかカバーの被せられた暖炉の前には四角い4人掛けの机が置かれていた。しかしどうやら前回の住人も2人組客だったようでそこにある椅子は2つだけ。そして彼は暖炉の対面側に彼女を座らせると、入口反対の大窓、深紅のカーテンで閉ざされた窓を開くと、白い日の光とともに優し気な風を部屋の中に吹き込ませた。振り返る。すると彼女が卓上の花瓶にどこからともなく取り出した蒼い薔薇を活けるところだった。
「モデルにするならやはり君が最も相応しい」
「それは流石に褒め過ぎじゃない?」
「いいや、誇張ではない。今私の見ているこの空間に最も似合っている。今度の家はここを真似てもいいかもしれないね」
恥ずかしそうにはにかむ彼女の後ろには仕切りのような台を挟んでキッチンが隣接されていた。恐らく前住人の趣味なのか、台の端には緑のない小さな植木鉢が置いてある。そして彼は彼女が花を挿した白く細身の花瓶を手前に引き寄せると、同じように手中にある蒼い薔薇をその隣に挿した。
「この後は自分の部屋だね!」
「といいつつ時間はあまりに中途半端だ。先に買い物に行かないかい? 食事をしなければ」
「そ、そっか…。確かにまだなにも食べてないね」
「今から部屋を片付けるとなると少々時間がかかるだろう。最悪、それ自体は夜になってからでもいい。だから露店が開いているうちに今夜の分だけでも食材を買わなければ」
「それもそうだね。ここ最近はずっと兵士紛いのご飯だったしね、ちょっと美味しいのが食べたいな。お兄ちゃんも行く?」
「ああ、勿論ついて行くとも。君をひとりでなんて生かせないさ。正直な気持ちをいえば学校に送り出すことさえ不安でもある」
「それは流石に過保護すぎ。ずっとついてきたりなんてしたら怒るからね!」
「しかし…。まあ良い。ただ行き先くらいは教えておくれよ」
彼女の弁も尤もだ。ただ同時に彼の憂慮もまた当然のことだった。ただでさえ逃げ回っていた彼らが大都市に、しかもよりによって三大国の、しかもその中でも首都にいる。これだけの悪条件は揃えようとしてもそう易々と揃うものではない。ならば相応の警戒が必要だろう。これまでの放任的な生活ではいけない。彼はやっぱり大袈裟だよ、と苦笑いに似た笑みをこぼす彼女を横目で一瞥すると、腰に差した剣の柄を外套越しにそっと撫でた。