第3話 道中
定めたシナリオがぶれることはそう多くはない。少しの雑談と食事、寂しげな会話と送り届けるまどの道中。彼の顔を見られないために顔を伏せながら村を歩きエリスの家に彼女を送ると、別れの言葉とともにその場を去った。するとその頃にはもう昼は間近に迫っていた。
「待ち合わせはこのへんだね?」
「少し待つことにしよう。正午には少し早いようだ」
木漏れ日が空の様相を微かに示唆する中、彼は髪を軽く鋤くと、額に浮かんだ汗を拭った。季節は既に夏に入りかけている。湿気を多く含んだ夏の気は森という蓋によって封じられているため、中にいる彼らにとっては耐えがたいほどの蒸し暑さをもたらす。するとそんな彼らに木葉の擦れる音が聞こえた。そして鎧のぶつかり合う金属音が続くと、次いで視界の奥に小さな人影が現れた。
「待たせてしまったようだ、すまない」
「こちらこそ予想よりも早いタイミングでついてしまったみたいでね。さて、君達3人だということは他の者は既に戻ったのかな?」
「昨晩より戻る足でそのまま。林中を護衛をするなら少人数であるべきかと」
「妥当な判断だろうね。無用な人員は空間の制限された場所においては不利になりかねない」
見付けた互いを目掛け歩いて行った先、各々が明瞭に視認できる頃には拭った汗は再び額に噴きだしていた。目視した男は昨晩とは打って変わった大きなローブを着ていた。隙間から鋼色の鎧が見えることから、鎧を外していないことはわかる。騎士であることを隠す変装だと思われた。
「それでは早速だが出発したいと思う。隠密に御連れしろとの命令があるため、馬車などが用意できていないのだ。すまない」
「構わないとも。私もこの暑い森の中を長い時間歩き回りたくはない。迅速に行こう」
「うむ、それでは出発する。遅れぬよう気をつけられよ」
どうやら騎士は彼が単なる一般市民でないことを理解しているようだ。早速といった雰囲気で歩き出し、瞬く間に距離を歩く。彼は自身に駆け足でついてくるアリアのほうを振り返る。そして「なに?」と首をかしげる彼女に無言で微笑むと、その目の前でしゃがみこんだ。
「お、お兄ちゃん?」
「少し急ごうと思う」
「わ、わかったよ…」
短い言葉でもその意図は伝わる。彼は彼女がぎこちなく首に腕を回したのを確認すると、立ち上がると同時にその両腿に手を回した。そして小さな声で謝る彼女を完全に無視すると、先を歩く騎士達を追いかけるように足を速めた。
「やっぱり恥ずかしいよ…、下ろして」
「君に無理をさせたくない兄の気持ちは理解できるだろう?」
「だけど…」
「苦労なく目的地に着いてもいいんだよ?」
「それはダメだよ!」
「ならば私のいうことを聞きなさい。心配しなくても今日のうちには到着するだろう」
この村は前述の通り大国レムリアに属する村であり、また大都市ウルカヌスの中継地としての役目を果たしていた。つまりそこから延びる道を自然に行けば、そこには城壁に囲まれた堅固な町が見えてくることになる。朝から町へ向かい商売をする者がいることも考えれば、いくら遠回りをするとはいえ今日のうちには着くと思われた。
「…………」
「…………」
「ねえ、どうして行くことにしたの?」
「ん?」
「いつもなら行かないでしょ?」
「何故だと思う?」
「ついで、タイミングが良かったから?」
「それもある。しかし私にとってこの決定を推したのは他の要因さ」
「なに?」
「まずは君が安全だということ。もし君の身に傷でもつけた時には私は町一つを滅ぼしても収まらぬ悪鬼となることは重々承知の上で迎え入れるのだから。そして二つ目は私が既に飽いていた」
「??」
「村の生活は平穏を感じるには申し分ない環境ではあったものの、私にとっては何分刺激が足りない」
「お兄ちゃんはそればっかり…」
「君も楽しんでいることを私は知っているよ」
彼女の責めるような口調を逆手に取りながら彼はそう返した。彼らは似た者同士だった。例えば座して和を保つか発って先駆者となるかを尋ねれば彼らは迷わずに同様の答えを導くだろう。だからこそ彼女に昨晩の彼の判断を不満に思う気持ちはない。しかしこうしてトゲを立てた物言いをするのは一種の彼に対する反抗でもあった。
「ちょっとかかるよね?」
「暫く寝ていればいい。次に起きる頃には既に町の中かもしれないがね」
彼らが短い雑談を交わすうちにもその体自体は素早い移動に伴って随分と長い距離を移動していた。既に木々は疎らになりだし、道の両端を担う木々の感覚は幾分か広くなったように感じる。そして比例して広がった-実際馬車が数台通れるだろうと思われる-道を見れば大都市ウルカヌスに近付いていることは一目瞭然だった。
「重くない?」
「両手に持つ荷物の方が重いくらいさ。さあ、少しまた足を早めるよ。彼らの足取りは相変わらず加速し続けているからね」
「うん。ゴメンね、おぶってもらって」
「横抱きにした方がいいかい?」
「このままでいいよ!」
「ならば謝るんじゃないよ。次からは問答無用に横抱きだよ?」
「分かったよ、それじゃあ、ありがと」
「それでいい。正しい選択さ」
するとやがて彼の足は次第に速度を増した。足場の悪い道をまるで平地の如き足取りで進む姿は異様に等しく、暫くしてその身は先を歩く騎士達に追いついてしまう。そして数時間の後、林中を走る道を完全に脱し都市の見える平原に到達する頃には彼が先頭を歩いていた。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
気が付くと胸のあたりで聞こえた温もりの音は消えていた。その代わり、全身を優しいなにかが受け止めている感覚を覚える。瞼の外は暗く既に夜であることは予想に難しくない。すると丁度その時、板床を歩くコツコツという足音、次いでアンティークな扉を開けるキィぃという音が聞こえる。彼女はコロンと寝返りを打つと、重たい瞼を開けた。
「お兄ちゃん…、寝ちゃってたよ」
「仕方がないさ。疲れていたのだろう。時間は既に朝方に差し掛かっているが…、もう少し寝るかい?」
「んんう、大丈夫。流石にそろそろ起きなきゃ」
「それじゃあ紅茶を淹れて待っているよ」
「ぅぅん、ありがと〜」
瞳を微かに開いて眼を擦りながら周囲を眺めると、そこは赤茶色の木の板が張られた暖炉のある部屋だった。光沢のある黒色の机には白いテーブルクロスが敷かれ、彼の座る背凭れの長い椅子は金箔を上品にあしらった高級さを持つ。そしてなによりその雰囲気に呑まれない荘厳な妖艶さを持つ彼を彼女は妹ながら美しいと感じた。
ただ相変わらず浮世離れした容姿だ、と寝起きの頭が不機嫌気味な感想を零す。まだはっきりしない頭はころころと思考をふらつかせるから、そろそろ本当に起きなければならない。彼女は腰をあげて部屋を出た。眠気覚ましに顔を洗い、髪を整えながら瞑想チックな精神統一で魔力を整える。彼女が部屋に戻ると彼は角砂糖をガラスケースに移しているところだった。
「戻ってきたんだね。もう紅茶は入っているよ」
「うん、ありがと。あと昨日のも。ずっと背負ってくれたんだよね」
「事が急な分、疲れてしまったのは仕方ないさ。まあ、今日も今日とて疲れることが待っている」
「誰か来るの?」
「ああ、まあね。そして君ならその相手も予想がつくだろう」
「国議会議長…?」
「今日の昼前、町中の喫茶店で会うことになっている。へたに変装をして隠れるよりはこの方が怪しまれないのだろうね」
昨日の朝方、現時刻から凡そ丸一日前に彼は議長の提案を承諾した。それから騎士達が休憩なしにここまで歩いてきたのだとすれば、そう時間はかからずにその旨は議長の元へと届いたことだろう。そしてそこからここまで来るとなると、急いだとしても数日はかかる。目立たないことや情報漏洩を気にしたとすれば、一般人に紛れ移動するのが最も効率がいいといえた。
「お兄ちゃんはそれでいいの?」
「私が着替える必要もあるまい。ただ君は着替えた方がいいだろうがね」
「どして?」
「細心の注意を払ったといはいえ、枝の低い場所を歩いてきた。服にも体にも少なからず汚れがついている筈さ」
「うーん、分かった。でも後がいいな」
「勿論そのつもりだよ。君も私がいる部屋では着替えられないだろう」
「まあそんなのは別にいいんだけど…、お茶はゆっくり飲みたい」
縁の塗装面を銀の装飾で彩られたティーカップからはまだ白い湯気が立っている。彼がここについてから気紛れで直達した代物だ。僅かな甘い香りと惹き込むような奥行きを持つ飴色、棘の少ない柔らかな味で後を引かない渋みは朝をスッキリと過ごすには最適なお供だった。
「昨日も感じたが、アリア、君はいつになれば大きくなるんだろうね」
「それ、どういう意味?」
唐突に彼が言葉を投げかけたのは両手でカップを持ち、飲みたいのだが熱くて飲めないことに葛藤する彼女を見てのことだった。そもそも小柄な骨格をしている上に、仕草や体つきまでが小さなままの妹。小さく小柄で愛らしい感じる半面、兄としては心身面の成長を願う心も存在したのだ。
「そのままの意味さ。私は好きだがね」
「私もう見た目は19歳くらいなんですけど」
「そうだろうか? さながらそれは過大評価に思えるがね。例を挙げたとすればエリスちゃんは君よりも随分背が高いよ」
「あれは狩人の子で元々背丈のある親だったからだよ」
「なら私は? 同じ親から生まれたのだからそう大差はあるまい」
「お兄ちゃんまで小さかったら釣り合いが取れないよ」
「それは既に世論の話になってくるのではないかい?」
彼らを2人、横並びに並べた時、彼女の頭は彼の胸にまで届かなかった。つまり圧倒的に背が高い兄と圧倒的に背の低い妹という構図だ。確かに釣り合いはとれている。しかしこうして同席でお茶を飲んでいると、屡々親子に間違われることには些か問題を感じていた。
「とまあ、ここまで言ったが君を責めるつもりはないさ」
「どう言われてもやりようがないよ…」
「それもあるが、私自身、君の背が低いことをそう気にすることではないと思っているのだよ。問題はないか、といえばそうではないがね」
「お兄ちゃんと話してるとたまにイラってするのは私だけじゃないと思う」
「それは自覚しているからそう指摘してくれる必要はないさ。実際此度の話題の終着点はここにある」
彼はそういうと指先を彼女の手の中、湯気の上がらぬカップに向ける。そこには既に飲み終えた後の茶葉が僅かに残るばかり。彼は続いて自身の器も傾けた。やはり残ってはいなかった。彼はクスリと笑う。そして不機嫌に顔を背ける彼女の頭を謝りながら少々乱雑になでた。
「多分、お兄ちゃんが子供扱いするから小さいままなんだよ!」
「ならこれからは控えようか?」
「…………」
「ふふ、冗談さ。君は反応が可愛らしいからついね」
前に軽く乗り出した体を元に戻し、彼はおもむろに席を立った。丁度ポットの中の紅茶が無くなったこともあり、そろそろ下に降りようと考えたためだ。彼は視線をふらりと振り向いて、無造作にぶら下がったカーテンを留め具で止める。そしてガラス窓の留め金を外すと、いまだほんのり冷たい冷気を抑え込む窓を開けた。
「そういえばアリア、君はまだ19歳って言ったかな?」
「一応。まだね」
「ならばユーピテルでまた学校を探す必要があるね」
「家じゃダメ?」
「新たな風を我々の中に招くには己から出向く必要がある。体裁と合わせて君が適任さ」
「凄くめんどくさい…」
「残念ながら既に決定事項だよ」
「お兄ちゃんのお嫁さんなったげるから!」
「結構だよ。君は私よりもまともな人間を探すことだね」
「お兄ちゃん以上の最適解はないと思う」
「残念ながら私はこの場合の人間に該当しないよ」
彼による影響を多大に受けた倫理感覚の構成凝縮に晒された彼女の時間はその精神レベルや知識量を教育機関の領域を凌駕する値を叩き出していた。つまり実質的に彼女に教育は必要ない。しかし閉鎖的な彼らのような存在が風化の波に抗い生き残るには新鮮な風が必要になる。体裁という大義名分がある以上、彼には彼女の入学を推す理由があった。
「さて、それよりもそろそろ降りることにしよう。少し雑談が過ぎたようだ。人が増え始めているらしい」
「話を逸らせばいいってものじゃないからね?」
「ならば話の続きはエッグバタートーストと共に行おう。ここの朝食はそこにヨーグルトとソーセージが定番らしいね」
彼はそういうと部屋を開け一階への階段に彼女を誘った。彼の言う通り廊下の先にある階段の下から、敷いては廊下では美味しそうなスパイシーな香りと芳醇なバターの香りがした。彼は顔を伏せながら手を差し出す彼女の指に手をかけると歩き出した。そして彼女を一階の円卓にまで導いた。
「おはようございます。妹さん、元気になられたようですね」
「久し振りの度に疲れていたんだろう。昨日は荷物を運んでくれてありがとう」
「滅相もございません。それではご注文を」
席につくなり話しかけてきた少年に彼は小さく頭を下げると、昨夜の感謝を述べた。そして先程彼女に話した「この店の定番」を注文。溌剌とした声で読み上げる少年にチップを渡すと、運ばれてきたプレートには何故かソーセージが2つずつ乗っていた。