第11話 準備
翌朝、
彼らの姿は騎士団本部内の訓練場にあった。そこにはエノクとアリアの2人だけ。まだまだ日の昇らないヒンヤリとした冷気の立ち込める朝。まだ暗がりの中を彼らはたった2人で立ち尽くしていた。
「一応ここ、魔導国だよ?」
「魔導を行うのであって魔術を行うわけではないさ。私達の術はそんな陳腐なモノではない」
「それもそうだね。お兄ちゃん、それじゃあよろしく」
「勿論、アリア、陣の操作は任せたよ」
都合のいいことにここ訓練場は比較的本部の中央に位置している。本来はここで起こる事故の対応や、未然の対処が設置位置選定の理由だろう。
しかし彼らはそれを逆手に取る。ここは設置型の結界を張るに、最も適したー「広く」「中央に位置」「感知されづらい」ー位置だった。彼は背中合わせに並んだアリアに合図を出すと同時に、持ち上げた手首に深々とナイフの刃を突き立てた。ボトボトと滴る大粒の血の雫。紅い鮮血が蒼い花弁になって浮かびあげると、乾いた石の舞台に美麗な花弁が円形の陣を描き出した。
「流石だね。全然衰えがないよ」
「まだまだこの程度で根は上げられないよ。それに、これを使っても、妹である君がいなければ何の役にも立たないさ」
「お兄ちゃんなら覚えることも難しくなさそうだけどね」
「君が得意なものにわざわざ手を付ける必要はないさ。私も君も、互いを補いあうことができるのだから」
彼の敷いた花弁の陣が一枚、また一枚と静かに宙に浮かびだした。溶け合い、結びつき、朧気な光を纏う。彼の荒々しい蒼い魔力が彼女の術で静かな魔術の陣へと変えられる。
それから暫くの時間が経った。既に展開しおえた陣はどこへでもなく姿を消している。早朝が陽の光を帯びる朝へと変わった頃、彼らは広い訓練場の床に座り込んだ。
「流石に疲れちゃった…」
「久しぶりだからね。私達もそろそろ鍛え直す必要があるかもしれない」
「今度またやってみる?」
「寄る機会があればね。さあ、私はこれから君を寝かせに行かなければ」
「ひ、1人で帰れるって…、大丈夫だよ!」
「昨晩の話を遂行したい私の気持ちを察してくれないかい?」
「っ!」
「さあ、抵抗しないでおくれ」
お互いに体力を消費していたと思っていたのはアリアだけだったようだ。彼は軽やかに立ち上がるとパチンッと指を鳴らす。すると先程同様の蒼い花弁が現れると、彼女の足元をサッと掬う。そして彼は片膝をつくことで彼女を抱き上げた。
「もうっ、お兄ちゃんってたまにキザだよね?」
「そうかい?」
「うん。良く言えば私の王子様、悪く言えばバカ兄貴。って感じかな」
「くく、私をそう称するのはどちらにしろ君だけさ。実に心地い限りだよ」
東の空が白くなりながら紫の影を帯びる時間、それは一般的には朝でありながらまだまだ早い早朝だといえる。従って町中を歩こうとも彼らの姿を見る者はいないのだ。本部を出て広い通りを横抱きにしたアリアとともに居住宅へと静かに歩く。それは実に心地よく、静かで穏やかな時間だった。
「私、多分こんな時間が一番好き」
「君の微笑ましい顔を見ていればよくわかるよ。ああ、可愛い顔だ」
「お兄ちゃんが私を甘やかしだす…」
「ふふ、この環境では仕方ないと理解してくれたまえ。加えて君が可愛らしいのが悪い」
「そう言われると反応に困っちゃうよ…。でも、ありがと」
「くく、君はこうしているとやけに素直だね?」
「そ、そんなことないよ!」
「さて、どうだろうね。ただ私は好きだよ」
歩くたびに木製の階段は小さく軋む。彼らの寝室は三階だ。玄関から続く二階への階段、廊下から伸びる三階への階段。客用に作られた施設なだけあり、ここは実に美しく丁寧に造られている。彼らは部屋の前に辿り着いた。彼は足で扉を開ける。するとリボンを揺らすカーテンがヒラヒラとたなびいていた。
「えへへっ…」
「ん?」
「ありがと、運んでくれて」
「どういたしまして。眠いかい?」
「ちょっとね。ごめん、見送れなくて…」
「気にする必要はないさ。私こそ君には無理ばかりさせているね。すまない」
「謝んないで。だけどもし何かあるなら、なにかお土産を頂戴」
「ふむ、良いだろう。目的地はそう栄えている場所ではない。あまり期待してはダメだよ」
横抱きにしたアリアをベッドに座らせ上着を受け取る。彼の今回の任務は研究施設にて謹慎中の研究員を始末することだ。当然目的地は町中にあるわけがない。彼は倒れるように寝転がる彼女の頭を優しく撫でる。すると彼女は嬉しそうにニッコリと笑った。
「ごめん、呼び止めちゃったね。私、もう寝るよ」
「おやすみ。君が起きた頃にはもう私はここにはいないよ?」
「うん、分かってる。いってらっしゃい」
「ありがとう、アリア。それじゃあね」
既に出発前の準備は終えた。彼は彼女の上着を丁寧に畳むと机の上に。そして最後にもう一度アリアの頭を優しく撫でると、玄関の鍵を掛けて外に出た。もう太陽の頭は頂の上に現れている。彼は少し足を早めた。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
任務開始前の最後の準備に、エノクはユウリの住居、居住棟の一部屋に足を運んだ。その手には蒼い薔薇の花がある。彼は扉をノックした。次いで聞こえる急いでいるような足音。すると暫くして急いで着替えたのか寝ぐせの付いたままのユウリが勢いよく扉を開けた。
「す、すまん。遅れた!」
「いいや、私が少し早いだけだよ。すまないね、急がせてしまった」
「そ、そうか…。ならどうしたんだ? お前が時間をズラすなんて」
「実は昨晩渡した魔導具に不備がある可能性があってね。確認しようと思ったのだけど、夜分遅くに押し掛けるわけにもいかないだろう?」
「ふむ、それもそうか。とはいえまだ包みさえ開けてないんだ。不備といったいなにがあったんだ?」
「魔力回路が起動されていない可能性がある」
「っ! なるほど」
「わざわざ魔導具の不備を私に直させる理由はそう多くはないさ」
故障した可能性のある魔導具、それは昨日彼が夜遅く送り届けた魔導具のことだ。当然、彼の言う通り魔力回路は起動されてはいない。魔導具の起動は結界の展開を意味するからだ。彼は彼女から白い包みから取り出した例の魔導具を受け取る。蒼い蕾が脈打つのが見える。彼はその底面に指を沿えた。すると円盤が淡い光を帯びると、中央の柱にヒビが入り円柱全体に広がるようにして青い光が宿り満ちた。
「これでいいのか?」
「ああ、万事解決さ。ユウリ、ネックレスはつけてくれたんだね」
「なっ、きゅ、急になにを言う!?」
「単に嬉しく思っただけさ。同居人はまだ寝てるのかい?」
「ああ、いつも寝坊がちなんだ…。すまない。挨拶くらいさせようかと思ったんだが…」
「君が気にする必要はないよ。さて、それでは行くとしよう。馬車は既に手配されている筈さ」
彼らの今回の暗殺活動はあくまで魔導国公認の行政任務である。そのため秘密裏に用意された馬車は御者からその車体、それを引く馬までもが足のつかない隠匿されたものだ。彼が時間に余裕を持たせ、彼女の手を引いて歩く時間があるのも、全ては用意された完全なバックアップがあるから。すると暫くして裏口の門先に小さな箱馬車が見えた。
「目的地までは止まらずに目的地へ向かう。大丈夫か?」
「君をどう楽しませようか頭を悩ましたよ」
「お、お前は任務をなんだと思ってる…」
「任務は私が命を賭して遂行するものさ。だが君の命を私は賭けない」
「っ!」
「さて、既にプランは組んである。折角リスクを冒してまで魔術師を引き入れたんだ。存分に力を発揮してあげようとも」
カモフラージュのために良い具合に錆びれた箱馬車。彼は一歩先に近付くと、扉を開け先に入るように伝える。そして次いで彼が入った馬車の中は思った以上の広さを持ち、流石魔導国と言ったところか触れた壁の内部には魔力が複雑に流れていた。
「これは空間を操る魔術だね。精度と安全性を両立させるには苦労した筈さ」
「お前、そんなことも分かるんだな?」
「自身の十八番を言い当てるくらいは造作もないことだよ。ふむ、魔力と引き換えの水道。処分槽は消失させる類の述を応用したモノだね」
「俺にはサッパリだ」
「全て魔導国故の性能だろう。これなら俗の魔術師とならば殺りあえるかもしれない」
「お前は無理なのか?」
「さあどうだろう。ただ、私を殺すことは難しいかもしれないね」
威力を求める為にはそれだけの魔力を制御するだけの機構と、それだけの魔力を溜めることのできる貯蔵装置が必要になる。例としてこの馬車の各魔導具を制御するのは各魔導具に内蔵された制御装置であり、その全ての魔力を賄うのは馬車自体に設置された内蔵型の貯蔵装置だ。これらを統計して考えた時、彼ら魔術師の底無しに等しい魔力を突き破り、且つその特異な肉体に致命的なダメージを与えるとなるとそれに求められる魔導具は生半可なモノでないのは予想に難しくない。そしてそれに加えて彼は上記の魔術師達を凌駕する。ならば要する魔導具もまたそれだけのスペックが求められた。
「さてと、エノク殺害計画の話は置いておいて君の包みの中身を聞かせてくれるかい?」
「誰かに知らされているのか?」
「先日の資料の中にあったからね。しかし君から聞かせておくれ。文字と実物は異なるものさ」
走り出す馬車の揺れにバランスを崩した彼女を席に座らせながら、彼は入口に取り付けられた魔導具の制御装置に手をつける。揺れをカットするための擬似空間の形成とそれを実空間に結び付ける接点指定。魔力の供給回路の変更と貯蔵装置の集魔機能の起動。すると暫くして広い箱馬車内を襲う揺れはピタリと止まった。
「これで大丈夫だね。ゆっくり椅子に座ることができる」
「魔力は無くならないのか?」
「私から溢れる魔力が動力源になるのさ。普段は魔力濃度の変化があるため使用しない機能を、内側に起動する。すると集魔能力は溢れる魔力によって高濃度化した魔力を存分に吸ってくれるというわけだね」
「お前はどこでそんな知識を身に着けた? この馬車に乗るのは初めての筈だ。しかしお前の操作はまるで設計士のようだぞ」
「私は設計士ではない。しかしモデルではあるよ」
「っ!」
「私達魔術師の技を真似た技術が、元祖である我々に扱えない筈がないだろう? 君の持つ武器や道具も私達の技を模倣し扱いやすくした代物さ」
彼は蛇口を捻り流れ出す水を鍋に汲んだ。そして火にかけること数分、沸騰した湯をポットに注ぐと程無くして芳香とともに白い湯気が立ち上がった。到着までの時間、彼らには有り余るほどの時間があるのだ。彼がなにもない馬車に茶葉や菓子類を持ち込むのも理解できた。
「なにも持ってない俺がいただくのは気が引けるのだが…」
「君が私の良き隣人であり続けるなら対価はいらないよ。君がこういった乗り物に弱いにもかかわらず、これを用意したのは私の為だろう?」
「な、何故知っている!?」
「背後数メートルにいる君に魔術で話しかける私が物陰での君の不審な動きを見逃すとでも?」
「なっ!」
「互いに助け合えなければそれは良き関係ではない。君が私を頼り私が君を頼る。君が私を想い私が君を想ってこそ、互いに心地いいというものさ」
箱馬車の中は既に一種の客室のようになっていた。左右に設けられた丁寧な刺繍入りのカーテンに深紅と金の絨毯、そして優雅な香りの漂わせるお茶会を支える艶入りの茶色の机。そこに居座る銀髪の男は騎士というよりは貴族のような雰囲気を纏い、相変わらず感情の読みずらい薄く柔和な笑みを浮かべていた。
「エノク、お前、これまで何人殺してきたんだ?」
「唐突に話が変わったね?」
「そうでもない。ただ、お前の優しいくせにどこまでも冷徹な様子を見ると既に人間に飽きてるように見えてな」
「ふむ、確かに君のいう言葉は真実を突いているのかもしれない。私は生かした人数と等しく人を殺している。しかし人間には飽いていないよ」
「そうは見えないな」
「ならば何故私は君にこうも興味を持っている?」
「っ!」
「人間は面白いよ。決して飽きることはない。さて、話を戻してそれの中身を教えてくれるかい? これ以上話していると君が怒りだしそうだからね」
人間という生物の性質として、自身の赤裸々な部分を突かれるのを極度に嫌う。彼はクスリと笑いながら彼女が肩にかけた鞄を指差す。その中には彼の持つ情報通りなら、今回の作戦に伴って彼に渡される監査部の装備が入っている筈だった。