~動の一~
空が夕焼けに染まり始めた頃、鍛錬場に残っていたのは私とアルだけだった。
木剣を打ち合う乾いた音が、休む事無く響き渡る。
「はあっ!」
私が渾身の力で振り下ろした斬撃を、アルは余裕を持っていなす。
バランスを崩した私の頭部に、アルは軽く木剣を振り下した。
「痛っ!」
頭頂部に鋭い痛みが走る。
「やはり、オリヴィア様にバスターソードは重すぎるのではないですか? オリヴィア様自身が剣に振り回されている様に思うのですが…」
アルが眉をひそめながらそう言った。
バスターソードは片手剣と両手剣の中間にある剣で、汎用性が高く多くの騎士や兵士が採用している。
今、私が使っている木剣は、そのバスターソードを模している。
「やはりレイピア等にされた方が……」
「だ、大丈夫です! 慣れてみせます!」
「オルキデア様が同じ剣を使っている以上、拘りをお持ちになるのも分かりますが……」
剣聖と呼ばれた母オルキデア。
その母が使用していた剣もまたバスターソード。今は聖剣として国宝となっている。
「私は、この剣で強くなりたいんです!」
「……わかりました」
納得したというよりは、諦めたといった感じでアルが頷いた。
「では、このまま続けて宜しいですね」
「はい! お願いします!」
再び木剣の打ち合う音が響き渡る。
結局この日、私はアルを相手に一本も取る事が出来なかった。
今の私の一日は、その大半を剣の修行に充てている。
母の背中に一歩でも近付ける様にと、可能な限りアルにスケジュールを調整して貰っているのだ。
今までなら、そこまで綿密なスケジュール管理は必要なかった。
王女とは言え、今までの私は名ばかりの存在。部屋にこもっている事しかしていなかったのだから。
しかし、今の私は少ないながら公務を命ぜられている。
クトゥア地区の件を解決に導いた事が認められた形だ。
実際、あの事件を解決できたのは私の力じゃない。
私の中に居る彼女……トモエのお陰なのだ。
それを自分の功として評価されるのは、いささかの背徳感も有る。
しかし王や王妃の名で命ぜられた以上、私に選択の余地はない。
明日も午前中の間に予定が1件入っていたはずだ。
アルの治癒魔法により筋肉疲労や怪我等は回復しているが、それは無条件で身体のダメージを無かった事に出来る物ではない。
魔法を施した相手の自然治癒力を増幅させて、急速に体の修復を行っただけだ。
回復後、修復に使用された体内の栄養素を補う必要があるし、適度な睡眠も不可欠。
アルからも「食事をしっかりとって、早めにお休みください」と釘を刺されている。
その忠告を思い出し、湯浴みを軽く済ませた私は、アルが食事を用意してくれているであろう自室へと向かっていた。
そんな私に前に現れたのは……。
「あら、お久しぶりねオリヴィア」
「ヴィクトリアお姉様……」
長女のヴィクトリア姉様だった。
ヴィクトリア姉様は、姉妹の中で一番王妃の血を色濃く継いでいると言って良い。
その美しい容姿も、あの鋭い眼差しも……。
「最近、随分と頑張っているらしいじゃない」
「い、いえ……私なんて……」
「謙遜する事はないわ、色々聞いているもの……アナベルからも」
食事を自室で取るようになってから、私と姉様達が顔を合わせる機会は激減した。
特に次女のアナベル姉様とは、初めてアルと剣を合わせたあの日以来、一度も会っていない。
それどころか、その姿を城内で見掛けた事すらない。
アルが私の従者となった日、「アナベル様に呼ばれた件は、王妃様にもご報告しておりますので」と、笑顔で言っていたのが気になったが……どんな報告をしたのだろうか……。
「明日も、お仕事なのでしょう?」
「は、はい……西の森の調査に……」
「ああ、最近ゴブリンやオークが増えてるって噂の所ね。街の外まで行くなんて大変ねぇ」
ゴブリンやオーガ等は、いわゆる魔物やモンスターと言われる存在。
単体の強さはそれ程ではなく、普段は若手騎士や冒険者等が討伐の対象としている。
今回は、あくまで調査である事と、私に経験を積ませる為に調査団の指揮が命ぜられた形だ。
それ程強くないとは言え、大規模な群れとなれば脅威となる。
都市部は強固な防壁に囲まれてはいるが、被害が出る可能性もゼロではない。重要な任務だ。
「まぁ剣聖様の血を引くアナタや、元聖騎士のお付が居るのだもの、危ない事はないのでしょうけど……」
ヴィクトリア姉様が、息がかかる程に顔を寄せると
「それでも十分に注意なさい、どんな危険があるか分からない。アナタは大切な英雄の子なんだから……ね」
そう耳元で囁いた。
「あ、ありがとうございます……」
静かに、それ以上に冷たく、身を凍えさせるような美声。
私が小さく身を震わせると、ヴィクトリア姉様はニコリと微笑み「おやすみなさい」と言い残し、その場を後にする。
ヴィクトリア姉様の姿が見えなくなった所で、ようやく体の震えが止まった。
私は、いまだ姉に怯えている。
強くなりたいと、強くなると決意したあの時から、私は何も変わっていないのではないだろうか。
そんな不安が何度も何度も胸をよぎる。
ダメだ、弱気になるな。
一歩一歩で良い、すぐに乗り越えられなくても良い、今は出来る事を一つずつ……。
大丈夫……大丈夫……大丈夫……。
ヴィクトリア姉様が姿を消した通路の奥を見詰めながら、私は心の中で反芻した。




