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あの薔薇が咲き乱れる頃には  作者: 瑞月風花
魔女の子

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第二幕のはじまり:プロローグ


 「セシル……この子は時の遺児ではありませんよね……」


 隣で洗濯物を干していたルタがセシルに尋ねた。皺を伸ばす度に石鹸の匂いが、ふわりと広がり、風に乗って空へと昇る。良い天気だ。それなのに最近のルタは時々自分の大きくなってきたお腹に手を当てて、物思いに耽ることが多い。

 そして、その話し相手はセシルと決まっていた。


 時の遺児とは、この世界の時間からはみ出した存在である。この世界の創始者であり、魔女と呼ばれているトーラによって世界が描き直されることがもうないのだから、そんな存在が生まれることはない。しかし、ルタは自身を省みて、そう思ってしまうのだ。

 たとえ、時の遺児であろうとも、今のこの国で疎まれることはないだろう。しかし、やはり心配なのだ。

 そもそもで言えば、現在のトーラであるワカバが時の遺児を作るわけがない。

 しかし、ルタはどこか不安になってしまう。


 魔女として存在していた。すでにこの時の中にあるかどうかも分からない自分自身が産む子である。一度目に流産した時は、もちろん、ルタの行動の結果もあっただろうが、もしかしたら、魔女である自分自身に宿ってしまったからなのではないだろうか、とも考えたくらいだ。

「セシル……この子はルディの子ですわよね……」

一段と瞳を大きくしたセシルが、一時をおいてなぜか笑い出す。ルタにとっては大問題なのに。

「ルタ様は大叔父様のルオディック様のことを仰ってますか?」

ルタが肯くと、やはりセシルが笑う。


「確かに曾お祖父さまにすれば、ルオディック様は身に覚えもない子となりましたでしょうけれど、実際、記憶すらないのですから、覚えも何も信じるしかありませんわね。本当にトーラとは恐ろしい力ですね。それに、それを言うのならば、ルディだってアノールの子とは限りませんでしょう?」

しかし、ルタはそれを否定する。


「それはあり得ませんわ。それはわたくしが証明できますもの」

ルタは深刻なのに、セシルは同じく笑みを浮かべる。


 セシルの大叔父ルオディックは、消えた過去にしか存在しない存在だった。しかし、ラルーがその存在を使い、こちらの時間に存在させた。そして、ワカバがその存在を望むようになったために、彼は今も『この時』にだけ存在する時の遺児として、その存在を保っているのだ。

 彼は、ワカバが創った唯一の時の遺児だ。


 だから、互いに唯一の伴侶でありながら、彼はセシルの曾祖母マイラの子ではないが、曾祖父の子ではあった。どの時点で辻褄を合わせるかにもよるが、その逆もあるのだ。トーラによってルタの記憶が改ざんされていて、別の過去を生きていて……。

 しかし、そこで現在のトーラであるワカバを再び想う。


 あり得ないことではないが、ワカバであれば、あり得ないのだけれど……。


「ワカバを信じないわけではありませんが、でも、わたくしの腹は都合が良いような気がしてしまうのです」

どこにも存在しない者を生み出すには、この世界に生きる時間があったかどうか分からないルタの腹は、都合が良い。


 時を歪ませ、時の遺児を生み出す腹として、本当に都合が良い。

 あの頃のラルーだったなら、きっとそのように使った。


 それなのに、セシルはやはり笑っている。

「だけど、その『時の遺児』だったのならば、魔獣に襲われにくいのでしょう?」

その答えを聞いたルタは、セシルはやはりルディの母親なのだと思った。

「えぇ。この時間に存在しませんから……」

 魔獣に襲われにくいということは、命を失いにくいということだ。


「だったら問題ありません。とても素晴らしいことだと思うのです。領主館は一番魔獣に近い場所にありますから。それに、ルタ様、きっと妊娠で心が不安定になっているだけです。私もそうでしたもの」


 セシルの場合、ときわの森の魔女に子どもを取られる可能性を怖がったのだ。しかし、それは、ルタの想像でしかない。セシルは詳しく語らなかったから。しかし、ルディが一人っ子の理由は「二度も子どもを失う可能性があるなんて、わたしには耐えられません。だから、この子だけで良いのです」だったということは、ルディが小さな頃にアースがラルーだったルタに伝えた事実だ。セシルのそれはルタの不安から来る妄想ではない。


「そんなこと気になさらなくても、ワカバ様はルタ様をこの世界の時間の中に収めておられますわ。だから、お腹の子はルタ様とルディの子であることに間違いありません。それにルタ様に似れば美人に育つでしょうし、最悪ルディの子でなくても構いませんよ。トーラの前では人間なんて無力なのですし」

そう言いながら、セシルは洗ったシーツをもう一枚伸ばした。

 清涼な石鹸の匂いが広がる。


 その匂いを嗅ぎながら、さすがにそれはルディが可哀想だとルタは思った。セシルが本気でそんなことを思っていないことも、ちゃんと分かっている。


「わたくしには似て欲しくありませんわ……」


 セシルは苦笑していたが、それを否定することはなかった。

 ルディに似ていれば、確実に人間だとルタが思えるのだから。


 

 セシルはその夜、畳み込んでいたルカの乳児用ドレスを取り出して、眺めていた。

 仕立て直しをルタに頼もうと思ったのだ。


 セシルがルカをここの家の子であると、自分の孫であると、心の底から認められるようにと仕立てたドレスだ。

 ルカが二歳になった頃に作ったものだから、今度生まれてくる子には布地は余るくらいだろう。そう思って、思案する。そんなセシルと見て、アノールが首を傾げた。


「セシルはいったい何をするつもりなんだい?」

「リボンを……ねぇ、あなた? 殿方にリボンはおかしいものかしら?」

やはり首を傾げるアノールは、それでもセシルに誠実に答えようとする。


「頭にリボンはないだろうが、若い者ならネクタイ代わりにする者もいるようだし……リボンではないが、思い入れのある者の衣服の一部を剣の柄に巻き付ける者もいるが……」

アノールのその答えが的確だったのかどうか、それは分からない。


「あなたは、もらって嬉しいものでしょうか?」

必要かどうかと言われれば、必要ないとしか言えなかったが、また、難しい質問を投げかけてきたな、とアノールは、やはりセシルを眺める。


 四十年くらい前なら「セシルからもらえるなら、なんでも嬉しい」とでも答えていたのだろうけれど……。

「君は、私にリボンをくれようとしているのかい?」

するとセシルがやっと、はっとした表情でアノールを眺めた。これは、セシルの独り言のようなものである、とアノールはその四十年の間に学んできたのだ。まともに答えては、とんでもないことになる。


「ごめんなさい。アノール様が欲しいとは思っていませんでしたわ」

これでやっと話の筋が見えてくるのだ。頭の中の空想から零れた言葉で、会話しようとするセシルは、先走りすぎるルディの性質によく似ている。もちろん、跡目になった頃から、それを自覚したルディは、丁寧に話をするようになっているが、相手に理解されにくいところがあった。しかし、セシルの言葉に誤りはない。アノールが義父のアースに口を酸っぱくして言われ続けたことだった。最初は、娘を心配する父の言葉かと思っていたが、実際、彼女の言葉を蔑ろにすると痛い目を見るのだ。


 セシルの言葉はずれているようで、物事の本質を示していることが多い。ただ、あり得ない場所にとっ散らかるだけで。


「では、誰に渡そうと思っていたのかね?」

「ルディと、ルカと生まれてくる子に渡したいのです。ルタ様とお揃いのこの布地で。余れば、あなたの物も……でも、あなたの物を作ると、わたしも欲しくなってしまいますわね……家族の印ですもの」

『家族』という言葉で少しだけセシルの言葉が見えてきた。


 アノールは、ルカがこの家の子となるまでに二年を要した理由と同じだと思ったのだ。

 あのふたりの子どもとしてなら、ふたりが納得しているのであれば、別に構わなかった。しかし、クロノプスの子として認めるとなると、考えなければならないことが山ほどあったのだ。


 いくら、贄となることはないだろう今でも、跡目になるという枷を、血縁でもないルカに付けても良いのだろうか。はたまた、『血縁』でないということが、大きな枷として存在しやしないだろうか。

 

 器でなければ跡目にしなくても良い。しかし、『器』としての裁量がある場合、一番の理由はそこだった。

本来、自由に生きられた存在を縛る結果とならないだろうか。

 あのふたりですら、そこは悩んだのだ。


「結ぶという意味で、良いのではないかな」

アノールの言葉を聞いて、セシルは安心したように微笑んだ。

「ですわよね。良かったわ」


 アノールは、まさかルタと生まれてくる子を結びつけるために贈ろうと思うなんて、思うはずもなかった。

 しかし、セシルの言葉には間違いがないのだ。


 結ぶためのリボン。それが間違ってはいないのだから。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 変化というものは、とかく葛藤を齎すものですが、ルタにとっては良い兆しなのではないでしょうか。 少なくとも、魔女として存在していた時の彼女ならば、こんな事で悩まなかった筈です。 もっと、打算…
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