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ルタとチョコレート

カカオット=チョコレートとする


 初めてみる名称だった。

『カカオット』

それは茶色の薄い板状の食べもののようで、どこかタイルを思わせる艶を持っていて、色合いは薄い茶色から黒に近い茶色のものまである。そして、それらはまったく柔らかそうなイメージの湧く食べものではなかった。

 ただ、綺麗に並べられているそれらは、無機質なくせに繊細な美しさがあるようにも思え、どことなく惹きつけられるのだ。

「味見してみます? 食べたことないものは怖いでしょう?」

その声に顔を上げたルタの目にはルディとそう変わらない年頃の娘の姿が映り込んだ。興味本位で覗いただけの店だったが、そのどこか諦めたようなそんな表情に、ルタは優しく微笑み語りかけた。


「色々な形があるのですね」

「そうなんですっ。形それぞれにちゃんと意味合いもあって。あ、我流もあるんですけど、そんなイメージの形だなって思いを込めてますっ」

その声は先ほどと一転し、溌剌としたものに変わった。自分の作ったものへ興味を持ってくれた初めての客にただ純粋に嬉しかったのだろうとルタは思った。

 目を輝かせて、その純粋な喜びを見せる娘に嬉しくなったルタは、静かにその語りに耳を傾ける。

 そして無邪気に語る娘の姿に彼女を重ねていた。


 あの頃は、迷わず彼女に応えることができていたのに、どうして自分自身となると答えが分からないのだろう。


 ルタが思い浮かべるのは魔女だった頃の自分自身。そして、答えを求めていたのは、ルタではなくこの世界の創造主とも言える魔女、ワカバだった。ルタはかつて彼女に仕える魔女だった。

娘のくれた茶色のカカオットは口の中に含むと甘く溶けていく。だけど、僅かな苦みを含んでいるような。疲れを癒す効果もあるらしい。

「味は薄い色の方が甘くて、疲れている時は甘い方がいいのです。でも、健康とか考えるのだったら、濃い色をお勧めしてます」

娘は一生懸命説明していた。

「えっと、後……あ、小さいのに値段が高くなっちゃうのは、別に私が強欲なんじゃなくて、手間と原材料の値段を考えると、……」

おそらく、この娘は商売には向いていない。ただ、自分が好きなものを一生懸命伝えたいだけなのだ。


 ルタはそんな彼女に質問を一つだけ向ける。

「これらは、この箱に入れて下さるの?」

ルタが値段のこと以外を尋ねたことに安堵した娘が、視線を上げた。

「はい。お好きな形と味を選んでもらってます」

扉の前に立つ従者のカズも慣れないルタのお()りに疲れていることだろう。きっと、たくさんの気を遣いながら、様々な領主と会談中のルディだって……。

「二箱いただいてもよろしいかしら? 茶色のもので」

その彼女の驚いた表情を見て、ルタの唇に自然と微笑みが浮かんだ。

「どの形を入れます?」

説明を聞いていたルタは「ひとつは、丸いものを。もうひとつは……」と口ごもってしまった。

丸い形に込められているのは『労り』だという。気持ちが丸くなればいいなと思って作っているそうだ。

「いいえ、ふたつとも丸いものを」

一瞬その娘が不思議そうな表情を浮かべたが、すぐに「ありがとうございます!」と元気に答えた。


 カカオットの箱を二つ持ったルタが店の外に出ると店の前にはカズが待っていた。

「遅くなって申し訳ありません。これは今日のお礼ですわ」

 カカオットを箱に入れながら娘はおしゃべりを続け、ルタが渡す相手をなぜか気にした。そして、区別が付くようにとカズの方の箱には深い青のリボンを結んでくれていた。それは、ルディの瞳の色だ。大切な者として仕えるのだから、カズにも相応しい色だと思えた。

「別にお礼をもらうために一緒にいる訳じゃないですよ」

「えぇ。でも、これは寄り道でしたので。ご家族皆さんで召し上がって下さいね」

さすがに二度も断れなかったカズはその箱を素直に受け取った。

「奥様、それもお持ちしますよ」

ルタは自分の持つ桃色のリボンを結ばれた小箱を見つめて、小さく頭を振った。

「これは、わたくしが持っておきたいのです。そろそろ広場へ戻りましょう。あなたもルディを迎えに行かなければなりませんものね」



 ルディとルタは大河マナにある港町、グラクオスへとやってきていた。グラクオスへ来た理由はディアトーラと交流のある領主達と会うためだったが、ワインスレーで一番賑やかで様々なものが手に入るここで、婚礼のために必要なものを探すためでもあった。

 その物探しがルタの今回の役割である。

 招待者へ、といってもリディアス王と次期国王になるだろうアルバート皇太子、そして彼らの伴侶へ向けてとなるのだが、その彼らへの手土産を準備しなければならないのだ。

 難しいのはアサカナ王だった。

 ルタはアサカナの持病から何から全部よく知っている。しかし、それを知った上で手土産を選んでしまってはいけない相手であることもよく知っていた。彼は威厳を大切にする者であり、そこに込められた『誠意』や『意味合い』でこちらを値踏みしようとする。そして、その感情は面に現われにくいのも特徴だった。

 『牽制』『見栄』と取られてもいけないし、『擦り寄り』と捉えられてもいけない。


 価値があればいいでも、実用にあったものがいいでもないのだ。あくまで『同等』であり『敵意がない』という気持ちの表われるものがいいのだ。しかし、様々なものが手に入るグラクオスでも、なかなか『これは』というものにルタは出会えなかった。

 そんな時あの見たことのない食べものに出会い、不思議と惹かれた。そして、久し振りに何も気にしなくても良い時間を過ごした気がする。


 カズと別れたルタは川沿いにある広場のベンチに座り、静かに本の頁をめくってルディを待っていた。本当は「ずっとルタに付いていてあげて」と言われていたカズだったが、さすがにそれはとルタが断ったのだ。

 ディアトーラにとって大切な御身は、ルディに他ならない。もちろん、ルディが刺客や強盗の類に負けるとは全く思っていないが、それを言うなら、ルタだって負ける気がしないのだから。

 もちろん、カズの前ではそれを言葉にしていないが、カズ自身もそれを承知しているようだった。

 だから、ルディは少し悔しそうに「分かった」とカズの送迎だけを許したのだった。


 ちゃぽん。


 水の跳ねる音がしてルタは視線をあげた。

 子どもの笑い声が聞こえてきた。

「チャポン、って言ったぁ」

そして、しゃがみ込んで再び楽しいおもちゃを探し始める。彼の後ろにはその両親が彼を見守っていた。

 ルディもあんな頃があったのだ。

 父親のアノールに叱られて、ときわの森へ逃げ込んで。子ども一人で来る場所ではないのに、迷い込んで。声を掛けたら泣きだして。


「大丈夫ですわよ。もうすぐアースが迎えに来ますから」

「おとうさまじゃなくて?」

「えぇ。あなたのお父様はこの森には入って来れないでしょうね」

「どうして?」

魔女だったルタは微笑みながら、こう答えた。

「魔女が怖いから……かしら」

 そんなことを思い出しながら、再び本に視線を落とした。本の表紙にはターシャ・グレースと書かれてあり、ディアトーラ出身の女流作家が書いたものだった。

 ルタはその名を懐かしく思いながら、読んでいるのだ。そして、今日を振り返る。


 皇后様へは細やかなレースがあしらわれた手袋を。

 皇太子妃様へは日常使いの上品な櫛を。

 皇太子様へは守り袋を。

どれもリディアスに負けず劣らずの職人の手の物だ。気に入れば、その後彼らがリディアスと交易できるかもしれない。

 そしてこの皇太子へ渡す守り袋の意味合いを強めるための、贈り物を国王にはしなければならない。

それは、ルタがリディアスへの敵意を全く持っていない証明の何か。

今のリディアスはディアトーラに何も求めていない。ただの田舎にある付き合いの長い国くらい。さらに言えば、ディアトーラが反乱を起こさないよう、何度かリディア家遠縁との縁組みを繰り返しているから、どこか親戚じみたところすらある。

 ディアトーラにあるものを求めない国からは、何かが奪われることはない。

 だから、国王へは……。


 ――そうね、リディアスへ預けておきましょう。この世界の人間達が未来を諦める必要もないのだから。


 おそらくそれが一番の誠意となるはずだ。ルタは文字から視線をあげて、背後に立つ者の声を待った。

「何読んでるの?」

ルタの背後頭上から、聞き慣れた声が落ちてきた。

「男と女の恋のお話ですわ」

ルタがあまりにも唐突に答えたものだから、ルディが息を呑む。

「えっと……誰の?」

「ターシャ・グレース。ご存じですか?」

その名前を聞いて、ルディはほっと呑み込んだ息を吐き出した。

「うん、知ってる。百年くらい前のディアトーラの物書きだから、低級学校で習ったこともある」

その家名は現在、本の表紙にしか残っていないのだが、ターシャはディアトーラの作家でその当時に家名を立てた唯一の女性である。グレースは彼女の母の名前から取ってあるらしい。ディアトーラで生涯を終え、独身だったが彼女の周りには恋愛相談に来る若い娘が常にあり、賑やかだった。時にお忍びで各国のご息女も来ていたらしい。


 ただ、ディアトーラという土地柄もあり、恋愛相談料もとっていなかったので、慎ましやかな生活をしている。もしリディアスなら豪邸に住み立ち寄るご息女にも劣らないほどの財を築いていたかもしれない。

そして、その作風は今で言えば少年少女が読むようなピュア・ラブロマンスが多い。

 最近は過激な内容のものも流行っているからちょっと気になるというか焦ってしまったのだ。

ルディの言う好きが分からないルタにそんなものだけがルディの好きと同じだとは思われたくなかったというのもある。


「カズはどうされました?」

「あぁ、さきに列車に荷物を運ばせた……それは?」

本を閉じたルタの膝の上に小さな箱がある。そういえば、カズも同じものを持っていた。

「これは……、珍しいお菓子を見つけましたの」

「持とうか?」

その問いに、ルタはやはり小さく頭を振り、持ってもらうほどの荷物ではないと断った。


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