含み
温めたポットに、茶葉を入れる。温度を計ったお湯を茶葉にまんべんなくかけ、茶葉をお湯に馴染ませる。茶葉を蒸らす時間も計る。少しずつ広がる葉を想像しながら、カップも温めておく。
一つ一つを大切にしながら、アリサの言葉通りにお茶をカップに注いでいく。
茶葉の種類それぞれでこの時間が微妙に変わるのだ。ミルタスはポットから漏れてくる湯気の香りを吸い込んで、満足した。アリサはこうやってミルタスに、訪れるお客様にお茶を淹れさせる。それは、もてなすためであり、誇りを持つための練習らしい。そして、ミルタスの唇には微かな笑みが浮かぶ。
満足できる出来のお茶が入ったのだ。きっと、アリサが褒めてくれる。
そして、そっとお盆にティーセットを載せたミルタスは歩き出した。
アミカ嬢が呼ばれているのだ。それなのに、アリサはあの緑の茶器を選び、こう言った。
「良いですか。アミカのお喋りは本当につまらないものばかりですが、彼女の言葉の中にあるものは、世間の噂です。どうしてその噂が立っているのか、それを気にすることも大切なのです」
一見使えそうにない駒を使える者にする。それも大切なことである。
「ディアトーラの者達は、そこがとてもお上手なのです」
アリサはにこやかにミルタスに伝える。ミルタスは「はい」とだけ答えて、頭を下げた。
ミルタスがアリサの傍仕えをするようになって、半年は過ぎていた。アリサの傍にいるだけで、お茶を淹れたり、出かける準備をしたり、お使いを頼まれたりする小間使いのような存在でもある。しかし、時々、こうしてディアトーラの者達について何を気にしなければならないのかを知らせてくる。
そのことについて、ミルタスは叔父に知らせたいと思うこともあったが、それはどうしても叶わなかった。
ミルタスがここから出す手紙はすべて検閲される。それは最初にアリサが言った言葉に由来する。「私が貴女を気に入ったのよ。貴女が私を利用できるとは思わないでちょうだいね」そして、その不満が顔に表れると、それも承知の上でアリサがコロコロ笑うのだ。
「不満であるのなら、私の目を抜けるくらいの書き方をしなさい。ルタならそれが出来ますわよ」
アミカがもたらす噂はいつもどこか足が付いておらず、ふわふわしているが、確かに上辺を窺うにはちょうど良い。ミルタスはその煙の出所がなんなのかを考える。
扉をノックする。扉を開く。深くお辞儀をして名を名乗る。
召使いではないということを意味する行動だが、アミカはそれにも気付かない。「ふふん」と笑いながら、満足そうにこう言う。
「あら、ご機嫌麗しゅうございます。ミルタス様」
「お茶をご用意いたしました」
「ありがとう」
そして、アミカとアリサの座るソファの前に、ティーセットを並べる。
『庇えるところまでは庇ってもいい。だけど、一番に切ってもいい相手も作っておくべき』その人物、とアリサに言われたアミカがあの時貶した茶器を褒めそやす。
お喋りが始まる。ミルタスはそっとそこに佇み、耳を傾けた。
「国王陛下さま」
アリサがアルバートのことを「国王陛下さま」と呼ぶ時は、何か相談をしたい時だ。それも、国政に関わるような。
「何かな?」
アリサが嬉しそうに微笑む。あぁ、何か面白いことを思いついたんだな、とアルバートは思う。
「ミルタスの手紙をこのままエリツェリに送ってよろしいでしょうか」
「どれ」
アルバートが手を差し出すと、アリサがその手に封筒を乗せた。
「アミカから聞いた噂でそこまで察しましたの。とても勉強熱心なお嬢さんでね、私が渡す書物なんかも全部覚えてしまうの」
やはり、嬉しそうに伝えるアリサを横目に、アルバートはその便せんに視線を落とした。
内容はディアトーラがリディアスに木材を献上したことと魔女の薬が話題になっていることが書かれてある。それなら、別に構わない。どこが何を献上したのかは、事細かく伝わっていくものなのだし、ディアトーラが薬を売り出していることくらい、どの国だってもう知り得ている情報なのだ。
しかし、ミルタスが伝えたいことは、ここではない。上手く隠してあるが、違う。アルバートはそこに書かれてある『魔女の薬』と『同じ轍』の言葉とエリツェリの過去を鑑み、アリサへ返答する。
「動くな、そう言いたいみたいだな」
わざわざ『魔女』と書いた理由は、エリツェリ王と同じ轍を踏むなとのことなのだろう。薬だって、毒を意味しているのかもしれない。わざわざ『毒』を飲みに行くな。動くな。そのように読み取れる。
「えぇ」
動くな。確かに。
正攻法で動くのならば、構わないのだろう。アイアイアだって商売相手がディアトーラのみということもない。タミル以外にも木材を商いとする商人だっている。
いや、アイアイアに拘らなくても、他にもある。
アルバートは組んだ腕の肘を人差し指でトントントンとたたきながら、思案する。
ディアトーラにとって……。
むしろ、今のアノールは誘い込みのような動きをしている。アノールはエリツェリに動いて欲しいのだろう。
そう思えば、やはり、アルバートはアノールと血を分けた兄弟ではあるのだ。そこはアリサとは別の感情が動く。
おそらく、あの毒殺未遂と領地侵害以外に、こちらに知られたくない事実があるのだ。そして、ミルタスが木材関係で動くなというのであれば、それはときわの森に関係がある。
リディアスがエリツェリを助ける義理も何もないが、忠告に気づき、耳を貸し、舵を切り直すことが出来るのであれば、それは国家元首として間違った行動とは言えない。
アノールにルタがいるあの国がときわの森に関することをリディアスに隠そうとする理由は、リディアの御神体である可能性は高い。そうであれば、リディアスが黙っているわけにはいかないのだが、今の時点では越権行為である。
リディアスとしては、今ディアトーラを敵に回す必要もないし、万が一を考えて動く準備をするだけで良い。だが、アルバートは、実際リディアスが動くような自体を望んではいない。出来れば、アノールが上手く収めてくれる方が良い。
「まぁ、良いのではないか? うちはあの件をディアトーラに譲ったわけだし、口出しすることでもない。その娘はエリツェリの者なのだろう?」
「良かったわ。そろそろミルタスにも自信に繋がる何かを、と思っていたところなのです。上手く書けるようになっているでしょう?」
無邪気に嬉しそうにするアリサを見ていると、信頼していないわけではないが釘を刺しておきたくなる。
「お気に入りなのは分かったが、今はまだ手紙くらいにしておいてやれよ」
ミルタスにアノールが潰されるとは思わないが、アリサなら差し違えるくらいはしそうである。
「まぁ、あれだけお嫌いなのに、お庇いになるのね」
「嫌いとは言ったことないぞ」
アルバートの答えに、アリサが悪戯っ子のようにまた笑う。
「そうでしたわ。言葉を間違えました。あなたはアノール様のことを怖がられているのでしたわね」
「怒るぞ?」
「あら、では怒鳴られる前に失礼いたします」
とても丁寧に頭を下げたアリサは、コロコロ笑いながら、嬉しそうにミルタスの手紙をアルバートから奪っていった。
おそらく、トマスは動くのだろう。だから、アリサがミルタスの手紙を送るのだ。
実際、リディアスから見ても、懸念を秘めているトマスよりもアリサが可愛がっているミルタスに代わる方が、都合が良い。
アリサのことだ。
見限るということを教えたいのかもしれない。
いや、それよりも、これはアリサにとってのささやかな報復なのかもしれない。
「まったく、可愛げのない……」
そう思いながらも、アリサという化け物がコロコロ笑う姿に惚れていることもまた事実だった。














