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あの薔薇が咲き乱れる頃には  作者: 瑞月風花
布石

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森の中


 森は春真っ盛り。本当ならばその若葉が太陽の光を含み、瑞々しく輝くはずの季節だ。それなのに、ときわの森の色は、沈んで見える。

 暗く、静か。まるで時を動かしたくないような、生命(いのち)を拒みたいような、森は、今、そんな失われた時の中にいる。

 太陽の輝きだけのせいではない。深く、深く悲しんでいる。そして、悲しみに沈むような怒りが、何かのきっかけを待って潜んでいる。


 息子が関わった仕事が大きく影響しているため、ヒガラシには余計にそのように感じられるのかもしれない。だから、クロノプス家の若奥様は自分をこの森へ連れてきたのだ。

 そして、若奥様から感じられる冷たさは、森と同じようなものとして、ヒガラシにも伝わってきていた。


 森を怒らせているのは、エリツェリに他ならない。

 息子はその一端を担った。ヒガラシの脚は内から湧き出てくる恐怖に震えた。

 あの毒は、目の前を歩くこの若奥様を……。

 目蓋に焼き付いて消えない春分祭が彼の良心を苛み、息子を思えば「こうするしかなかったんだ」と自身を肯定しようとする。

 帰ってこなかったのだ。奪われたのだ。

 森にいる魔獣を放置したままのディアトーラに奪われた……。

……奪われたのだ……。


 そう思うことで、ヒガラシは歩くことが出来ていた。



「この森にはこの森を守護する女神さまが存在いたします」

そんなヒガラシに、前を歩くルタが振り向かずに伝える。

 いつもは、ロングスカート姿のルタだが、今日はパンツスタイルで森を歩いていた。ゆったりと長めの上着を羽織っているので、その腰にある脇差しは、ヒガラシの目には見えないが、その格好が意味するところくらい、ヒガラシにも分かった。

 この森には魔獣がいる。

 それも、恐ろしいほど強いものが。

 ヒガラシの息子は、エリツェリの兵と共にこの森へ入ったはずだ。それなのに、帰ってくることはなかった。

 誰も、……帰ってこなかった。

「まかり間違ってもわたくしから逃げて、命を落とすことだけはないようにしてくださいませ」

ルタの言葉にはなんの感情も乗せられていなかった。それは、ルタの緊張からでもあるのだが、それ以上に感情豊かにこの男と話せるほど、彼女の心が回復していないというのもある。

 ルタはただそれを任務だとして熟すだけなのだ。

 だから、ルタは森の様子を気にしながら、ヒガラシに意識を向けないように、真っ直ぐ前だけを見て歩き続けたのだ。


 ルディとルタが擦り合わせた事柄から、導き出した答えは二つの暗殺計画があったということだ。

 一つはもちろん、ルディへの。

 もうひとつは、ヒガラシへの。

 ヒガラシにルディを殺してしまいたいくらいに恨むよう仕向けたのは、おそらくトマスだろう。失敗ありきではあったと思われる。ただ、悪い噂を流したかったくらいなら、ヒガラシで充分なのだ。もしかしたら、狙われたくらいでも充分だったのかもしれない。

 ルタはそこで残念なルディを思う。

 気付けなかったルタ自身にも問題はあったと思う。しかし、疑いもせずに……。


 いや、リディアスの春分祭で、リディアス以外がそんなことを企むなんてまずないことだ。そして、そこがルディの良いところでもある、ラルーならそう思って然るべきなのだ。ルディは愚かでか弱い人間の一人だから、少なくとも、そこに残念さは感じなかっただろう。実際ルタもあの時は反射するようにして体が動いたに過ぎないのだ。

 そして、悲しいことに、おそらくワカバだったとしても疑いもせずにグラスをもらって、飲み干してしまっていただろうことも確かなのだ。

 それくらいイレギュラーな場所での出来事だったのだ。

 もちろん、トーラとして確立していたワカバなら、平気な顔して「毒が入ってたみたい」と告げるだけで済んだだろうけれど……。「ちょっとお腹痛いかも」と言うだけだっただろうけど……。

 だから、あれはルタが気付いて防ぐべき事項だった。


 ルディに毒が回らずに済んだ。それだけで、ラルーならばそれを後悔しなかった。ルタと同じ立場にいても、同じ状態だったとしても、あの方法が最善だったと言い切ったはずだ。

風が森を通り抜けた。木々が揺れて森に音があったことを思い出させた。


 そこで、やっとルタはヒガラシを振り返った。ヒガラシが身を竦めて、足を止める。その様子はあんなに大それたことをしたとは思えない変わりようだった。本来の姿はこちらなのだろう。庭を手入れする姿からも『悪党』という雰囲気は全くないのだから。

 ルタが倒れる姿を見ていたヒガラシにも『悪党』という雰囲気はなかったのだから。

 ヒガラシの足元に紫色の小さな実の房をつけた毒草が風に揺れていた。

 毒草などにも詳しいのだろうか? 

 ふと、ルタは考えた。

 毒を用意したのはトマスなのか、トマスが雇った便利屋なのか分からない。もし、ここにヒガラシが加わったのだとすれば、トマスはどう言い逃れるか。


 ヒガラシを殺そうとしたのは、トマスが雇った便利屋だろう。

 積まれた金次第で動く裏家業の方の便利屋が動き、ルディに渡されたという剣からヒガラシの口封じを担っていたと考えるのが、妥当だった。

 ただ、いい加減な仕事をされているのは、商人を装うその便利屋がエリツェリへの疑いを残しておいたという点においても、仕事料で見合わないと判断されたからだろう。

 もしかしたら、まともに仕事をする者は雇えなかったのか。

 だから、勢い余ってヒガラシを殺しそうなルディにその剣が渡された。

 たとえば、信頼のおける便利屋なら、請けた仕事の行く先を他人任せにはしない。


 そして、おそらくトマスは今焦っている。どう言い逃れようか、考えあぐねいているところだろう。不運といえば、不運が積み重なっているのかもしれない。

 それが、この継ぎ接ぎのような計画だと考えれば、ストンと落ちる。

 はじめは、この男の恨みに拍車をかけて仕返しをしようとしただけ。しかし、その後その危うさに気付く。慌てて雇った便利屋。

 途中で引き返すことも出来ただろうに、トマスは引き返さなかった。

 その中でヒガラシは、丁度よく釣れた魚とでも言うべき存在であることは確かだ。

 もし、毒草にも詳しいとなれば、すべての責任を転嫁されることもあろう。そうなれば、エリツェリにいるだろうヒガラシの何も知らない家族は、どうなるのだろう。

 同情、にはならない。新たな魔女を得て、終わらせようとするのかもしれない。


 残された家族を守りたい家族が彼を『魔女』として吹聴するかもしれない。

私たちは騙されていたの。まさか、人を殺すための草を育てていただなんて……魔女だったんだ。私たちは悪くない。魔女だった彼が悪い。そんな風に。

 八方塞がりになったエリツェリが、彼を魔女としてリディアスに突き出せば、リディアスもそれを受け入れるだろう。

 ディアトーラ夫人としてのルタを魔女として扱うよりもずっと簡単で、尾を引かない結末に出来るのだから。


 そこまで考えても、やはり、ルタでは自身に起きたことに対して『仕方のないこと』と消化できないようだった。だから、仕方なく森の様子に意識を向けた。姿を現す気も何かを訴えに来る気も、さらには襲いかかってくる気もないようだが、リリアがずっとルタ達を見ているように感じられるのだ。近寄りたくても近寄れない、そんな感じさえ受ける。


 ねぇ、あなたはリリアの知ってるラルーなの?


 そんな言葉すら脳裏に浮かんでくる。色々な方面から『ラルーなら』と考えてきたルタは、その浮かんだ言葉に答える。


 えぇ、あなたの知る『ラルー』ではあります。だけど、どうやら『ラルー』には戻れそうにはありません、と。


 その言葉が届いているのかどうかも分からない。ラルーの言葉なら届いていたが、ルタの発しない言葉が拾われる保証もない。だが、仕掛けてくる様子は全くない。魔獣の気配もあるにはあるが、こちらも息を潜めているようだ。ちょうど森の深部、中央でルタが足を止めた。リリアの大樹がある場所だ。

 そこには、以前と変わらない、大人三名が両手を回してもまだ回りきらない幹を持つ大樹が、空を独り占めするように、その枝葉を大きく広げ、聳え立っていた。


「これが、この森の女神が宿る大樹です」

ルタはやるせない思いをその言葉に乗せて、木肌に触れる。何も起きない。静かな怒りは、まだルタに向かわないようだが、何も起きない。話しかけてもこず、姿も現さない。


 ルタになって、一度も。


「もう少し先まで歩きましょう」

一緒になって大樹を見上げていたヒガラシに、ルタが声を掛ける。ヒガラシは後ろ髪を引かれるようにして、ルタに続く。ヒガラシはその大樹から悲しみを感じた。さらに奥へと進む。方向としては、マンジュ側へ近づいている。森は静かだった。

「ここに」

ここにも争った形跡があった。生長が緩やかなときわの森。そこにはまだ折れた枝を完全に隠しきれない、茂みがあった。しかし、一番に酷かった場所は、あの大樹の周り。


 残っていたのは大地に染みこんだ赤い血液だけ。幹に残る血生臭い臭いだけ。

 少し先にあの四枚花弁の刺繍に見える布きれがあった。


「……」

ヒガラシの悲愴な顔を見て、ルタは言葉を止めた。

「もうすぐ着くので、頑張ってついてきてくださいね」

ふと、思い至ったのだ。


 失った者は同じであると。


 少し先にルディが植えたエリツェリの花、エリーゼの花畑がある。弔ってあげたい。ただそれだけで撒かれた花の種。そして、それを育てたのは、リリアである。

 二人が歩いていると、少し森が拓けてきた。薄桃色の四枚花弁。背の低い花が風に揺れている。風が木々を揺らし、光が零れてきた。

 薄桃の花びらが風に揺れる場所があった。ヒガラシが、膝を着きその花を掬うようにして、見つめた。


「この森で木を切ろうとした者はこの森を守護する女神の怒りに触れました。そして、その者が遺したものは、布きれたった一欠片でした。どこの誰かは分かりません。でも、その布にはこの花と同じ、エリツェリの花が印されていました」

ルタはただ事実を述べる。


「何度も森が荒れ、なんの肉かも分からないくらいに食われ果てた肉片を見つけ、できる限りここに埋葬して参りました。少し森が落ち着いたと感じられるようになったのは昨年の冬に入る少し前です」

ヒガラシが木々から零れる光を見つめる。まるで、森が泣いているようにして光が零れてくる。

 その辺りで、一度木こりは募集されなくなっている。


 冬になるとディアトーラには近づけない。さらにはその頃から民は不信を募らせてきていた。人が集まらない。余程困窮していなければ、誰も集わなくなってきている。

 しかし、この森は今もなお、静かな怒りに満ちている。


 ヒガラシの気づきの一時、ルタの言葉も止まった。しかし、それはほんの僅かな時間。

「種を撒こうと言い出したのはあなたが殺そうとした、ルディ・クロノプス」

ルタもその木漏れ日の光を見つめた。


「その種が芽吹くことを赦し、花を咲かせたのは、この森を守護する女神の化身であるリリアです」

ヒガラシの唇が何かを伝えようとするが、声にならない。

「森の女神であるリリアはずっと見ていたようですわ」

ルタの様子を。そして、ルタが連れてきた侵入者の一人と同じ臭いをさせる男の様子を。何よりも、ここで起きたことを。


 俯いたままのヒガラシが言葉を落としはじめる。

「……その……女神様は、……ダンを赦してくださったのでしょうか」

「それがあなたの大切な御子息のお名前なのですね」

柔らかな口調で語るルタの視線は、そのまま森に拓けた空へ向かった。


「リリア、聞いているのでしょう? 花を咲かせてくださったお礼を申し上げに参りました。ありがとうございます。そして、わたくしは、これからもこの森を裏切るつもりはありません。森への侵入を許してしまったことも深くお詫びいたします。どうか、怒りを鎮めていただけませんでしょうか。あなたが奪った一人は、この者のかけがえのない者でした。同じだと思うのです。わたくしは、同じだと思いました。だから、侵入を阻止するための機会をいただけないでしょうか。これ以上、この森を血で染めたくありません」

ルタの声が静かな森に響き、染みこんでいく。


 ヒガラシの足は震えて止まらなかった。森はやはり今も怒っているのだ。そして、若奥様と若旦那様を殺そうとした。

 殺めようとした。

 その事実が押し寄せてくる。息子に名前があるように、ヒガラシの中で若夫婦が名前のある誰かに変わった瞬間だった。

 ルタのその傍らで大地に頭をこすりつけるようにして、愕然としていたヒガラシが、そのままひれ伏し、泣き崩れた。


「申し訳、ありませんでした。申し、訳ありませんでした。申し訳ありませんでした……奥様、私は、本当に、申し訳ありませんでした。ほんとうに、……本当に。許されないことを……してしまいました」


繰り返される呻きに応えるものは、侘しく響く葉擦れの音しかなかった。

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