弱い国と強い国
ルディがディアトーラに戻った二日後にルタとセシルが、四日後にカズがディアトーラに戻ってきた。ルタは少し痩せた気もするが、ルタはセシルに付き添われながらも変わらずに館内を掃除し、料理をし、領内を見回る。
アノールは片手間に始めた庭仕事が板につき始め、アースに褒められるようになってきている。あんな事件がつい一週間前に起こったとは思えない平穏だった。
セシルが持ってきたアノールの書面に基づいて、リディアスからルディに言い渡された事柄は「まずは国へ戻れ」だった。
だから、事実は残しておきながら、騒がないを決めたのは領主であるアノール自身だった。
「こういうことは、潮時を見誤らないことだ」
分からなくはない。目的がはっきりしない今は、相手が自分から尻尾を出すのを待つのだ。あんな男一人処分したくらいでは、きっと分からない。頭では理解できる。だけど、分かりたくない。アノール曰く、ルタが死んでいれば、動くこともできたかもしれない、と。ルディが殺されていたのなら、猛進することもあっただろうと。
「そもそも、その毒はお前に渡されたものだが、お前に向けられていたものかどうか、今の時点では分からないのだろう?」
「そんなことはない。あの男は、あのグラスを一つだけ持ってきて、僕に渡した。間違いでも、なんでもないし、無作為に選ばれたわけでもない」
だから、ルタがルディにたどり着いたのだ。しかし、アノールはそれでも首を縦にしない。
「それは、お前の主観だ」
ルディは迫り上がってくる怒りを腹に留められなかった。
「違う。意味が分からないっ。おかしいよっ。あいつは、僕を殺そうとして、ルタをっ」
だけど、父は領主の顔を崩さなかった。
「いいか、この国は強行できるほど強くない」
「『弱い国だ』といっても程があるだろうっ」
「敵はまだ雲の中にいるようなものだ。お前が狙われたのか、ディアトーラが狙われたのかすら、さらには、リディアスへの個人的な復讐なのかすら分からない」
ルディが詰め寄っても、その強い視線を受けてもなお、父はその相貌を一瞬たりとも父の顔へと戻さなかった。
ただ、「お前が毒を飲んで倒れた側だったら、同じ答えを出したはずだ」と最後に父は言った。
「意味が分からないっ」
ルディのその言葉は捨て台詞にしかならなかった。
だから、ルディは出来事を消し去らないように、水面下を泳ぐようなことをしているのだ。それについては止められていない。領主からはひとつ『煽るな』とだけ釘を刺されただけで。
だから、執務室という名の現在のルディの部屋で、ルディとカズが碁盤を挟んで座っていた。考えが煮詰まった時、物事をもう一度整理するためにルディはよく碁を打つのだ。しかし、実はカズでは物足りない。
「ねぇ、カズ、知ってる?」
「何を?」
カズは音を鳴らして白い石を碁盤に置く。
「母さんが目茶苦茶な理由で僕を怒鳴りつけた理由」
あの日、セシルは「こんなに薄情に育てた覚えはないわ。なんて思いやりのない子に育ててしまったのでしょう。しばらくルタ様に近づかないでもらえます?」と戻ってきたルディに怒鳴りつけたのだ。全く身に覚えはなかった。不甲斐ないとか、頼りないと言われれば、納得もできたのだけど。
「知るかよ」
不利な戦況に置かれているカズは鬱陶しそうに答えるが、そんなこと気にもせずに、ルディが黒い石を置く。そして、ルディはあの日を思い起こす。母のセシルがルタを心配して駆けつけた理由はなんとなく分かる。多分、心配だから。毒を飲んだのだ。誰だって心配するし、セシルの性格上、駆けつけなければ気が収まらなかったのだろう、さらには、ここをセシル一人に任せてアノールが出立できなかったのだろう、までは考え及ぶ。
「よく分からないまま、面会謝絶って言われた。母さんは医者でもないのにさ」
カズが迷いながらもやっと白い石を置いた。
「今も、部屋にも入れてもらえない。番犬みたいに母さんがずっと一緒にいるんだもの」
「だから、……あっ」
ルディが黒い石を置く場所を見て、カズが小さく叫んだ。
「なんか、したのかなぁ……気に障ること……」
「もう無理、打つ手なし」
確かにカズの白い石達はもう死んでいると言っていい。まぁ、ルタなら息を吹き返しそうな石も残ってはいるのだけれど……。
「まぁ、ルカに『お母様は元気にしてるかい』って尋ねると、『あぁちゃま、げんきっ』って笑って教えてくれるから心配はないし、本気で危なかったらさすがに知らせてくるはずだし……これも潮時ってものなのかなぁ」
やっと碁盤から視線をルディに移したカズが、ルディをまじまじ見つめていた。
「お前、強いよな」
カズのその言葉にルディは碁の強さの答えとして返事をした。
「カズは癖が強いんだ」
そう言うルディは確かにあんまり癖がない。
「だって、十通りくらいしか攻めてこないし」
「そんなに同じ手ばかりか? オレ?」
「うん。勝ちパターンはそのくらい。たまにとち狂って、自滅パターンもある気がするけどね」
「馬鹿にするなら、教えないぞ」
そう、カズはあの剣が何処の出だったのかを伝えに来ている。ルディの帯刀するものよりも、ずっと安物。しかし、ルディはなんともなしに、カズに言った。
「エリツェリじゃなかった?」
まるで、碁の話の続きをするかのようなルディに、カズが息を呑む。
「心当たりでもあるのか?」
「うーん……事実の積み重ねとして、なら」
「恨まれるとか」
「それも積み重なってれば、あるかも。隣の国だしね」
それでも、カズは一応否定的な情報も伝えておく。
「事実としては、スキュラで打たれた民芸品に近いものをエリツェリの裕福そうな商人が購入したって話だからな」
スキュラは大河マナを挟むリディアス側の船着き場で、ワインスレーで言えばグラクオスと同じような場所だった。
そのスキュラの工房にやってきた商人の袖のカフスにはエリツェリの花が彫られていた。細い桃色の四枚花弁。可憐なその花はエリツェリの国花として公営の場所にたくさん咲いている。国民……いや、公に関わるものはそれを誇りとして身につけることが多い。
「ありがとう。確かに商人が購入したのなら、そこから誰かがまた購入したかもしれないね」
「それ以降は、悪い。分からなかった」
「その商人見つからなかったんでしょう?」
カズは無言で肯定を示す。
「どっちが嘘をついているか、見極めないとね」
「だな……」
小さなカフスに小さな花。見落としてもおかしくないものを覚えていたスキュラの刀鍛冶。
しかし、リディアスのスキュラがワインスレーにある小さな国の国花を覚えているほどエリツェリに興味があるとも思えない。利用するならカフスなんて場所ではなく、目の高さに近いネクタイピンくらいの方が疑われないだろう。
だが、リディアスと大きく捉えるのならば、話はまた変わってくる。
「親戚とは上手くやれてる思うんだけどね……とりあえず、あの男こっちに連れてくる。リディアスにいたら殺されちゃうのは必至だし。その時のリディアスの出方でそれは分かるだろうしね」
リディアスが関与してなくても、リディアスにてリディアス国王の甥を狙い、しかも春分祭に泥を塗った。捨ててはおけない罪人ではある。それに、関与していれば口を封じたいだろうし、関与していなくても男を処分して終わりにしたい本音もあるだろう。
あの国はすべてにおいて強行するから。そして、見せしめにするのが好きな国だから。その見せしめが確実に有効に響くから。
何にしろ、捨て駒だろうあの悪党を保護しなければならないなんて、全くもって遺憾そのものだ。
あぁ。その前に領主の父さんに親書を書いてもらわなくちゃならないんだな……。
跡目なんて雑務ばかりでほんとうにつまらない。














