タミル……2
ルタはルディにタミルを紹介され、やっと人心地ついた気分になった。
ただ、立ち上がるとルディが不機嫌になるので、なんとなく居心地悪く、タミルとルディの会話に頷いたり、答えたりしている。
ルディが言うように、タミルという人物は『魔女』という者に対して、寛容な考えを持っているようだった。
それは、ルディと付き合うようになり、ディアトーラでの魔女という定義を知り、なんて馬鹿げた差別をしていたのだろうと自身を省みたからだそうだ。
おそらく、タミルの言う魔女はラルーやワカバとは違う、時から弾かれた方の魔女のことを指しているのだろう。
魔獣に襲われにくい、その存在。かつてルタやワカバが『時の遺児』と呼んだ、その者達。
それが故に恐れられた彼の者の歴史は、ワインスレーやリディアスに限らず、どの国にも存在しているのだ。タミルのいるワインスレー東の果てにある海の町、アイアイアにもそんな存在があったのだろう。
ルタはただ過去を眺める。
ルタに向けられる質問はすべて過去のものなのだ。すべて答えられるし、必要に応じてどんな材料にでも成り得る知識ではある。
しかし、ルディは自分の欲しい情報をタミルから仕入れていくのに、ルタは出来ない。
この春分祭においてだけでも、気になることは尽きないのに……。
自分だけ座っているというだけで、なんとなく立場が弱い気がするのだ。第一、タミルに失礼極まりなく思えてしまう。
放蕩息子だと言っても、アイアイアの貴族達をまとめるバーグ家の嫡男であった者であり、今は様々な国との交易をその一手にしている者だ。そんな者を立たせておいて、自分の欲しい情報を引き出すのは、気が退ける。
もちろん、本当に切羽詰まっているのならば、そんなことも気にしていられないのだけれど、ルタの気にしていることは、不確定な悪意なのだから、図々しくもなれない。
ルタは「ほぅ」と小さく溜息をついてしまい、慌てて二人を眺めた。
二人は話に夢中で、ルタの所作には気付いていなかったようだ。
アイアイアには海の他にときわの森と同じくらいの深い森があることから、木材をリディアスに献上するのか、という話まで。アイアイアの森には神様は住んでいないが、海に神様がいるとされていることや、異国との貿易が盛んであることまで。
ルディが知りたいことはなんとなく分かる。雑多な内容からルタにもそれを知らせようとしているのも、なんとなく分かる。
そして、ルディがどうして木材を気にするのかもなんとなく想像できる。
しかし、自分が欲しい情報を自分のせいで尋ねられないのは、つまらないというのも確かなのだ。ルタはミルタスを思い出す。アイアイアに義理が立つという茶器とその国の人たちとの繋がりを知りたい。
どこに彼女の言う悪意があるのか、見回したい。
まったく、もう大丈夫だというのに。
そんなことを思っていると、タミルがルタに水を向けた。
「ルタ殿は海を見たことがありますか?」
「えぇ。存じておりますわ。以前の主が海の色を気に入っておりました」
「いいなぁ、僕も見てみたい」
ルタの答えの後、すっかり穏やかになっているルディが羨ましがった。ルタはルディを見上げて、まったく人の気も知らないで、と溜息をつきたくなる。
ルディが穏やかなのは、ルタが大人しく座ってタミルの話を聞いているからだ。これで、また「もう大丈夫」とでも言って、立ち上がったらまた五月蠅いに決まっている。
そう思うと、腹を立てるのはお門違いだとは分かってはいるが、なんだか治まりが付かない。
「ほとんどの者は珍しがるのですけれど、やはり、海くらいご覧になってましたな。これは、失礼を」
ルタはタミルを見上げて微笑んだ。
「タミル様こそ、その羽根を手に入れられるなんて、なかなかできない所業ですわね」
だから、ルタはルディを無視してタミルと話を続けた。タミルも、その辺り全く気にしないので、話はどんどんルディを置いていくのだが、ルタはそれも無視することにした。
「なんと、この価値まで分かりますのか?」
「シルバースパロウと呼ばれる、とても珍しい鳥の羽根ですわよね」
シルバースパロウは、リンゴサイズの銀鈴がごく希に大きく成長した形である。大きさは大きいものだと、人をその背に乗せることも出来るようになる。
だが、それは千年に一度出るか出ないかの、巨大な聖鳥である。
タミルの持つ羽根は、その大きさから鷹くらいのものだろうが、それでもかなり珍しいことに変わりない。
「そうなのです。幸運をもたらすものとして、異国では落ちている羽根を探し、商売する者もいるらしいのです」
「確かに、リディアスやワインスレーでは、その鳥は魔女をイメージさせますから、あまり関わろうと致しませんものね」
両国ともに聖書の中では、銀鈴は聖鳥であると記されてはある。その上、リディアスの聖書の中には、リディア神に仕えるとまであるはずなのだが、森に迷い込んだ旅人を惑わすというところと、ときわの森の魔女が結びついた結果、魔女の鳥と避けられてしまうのだ。
「魔女をイメージする鳥なら、……銀鈴?」
しばらく黙っていたルディの言葉にも、もちろんルタは答えず、続ける。
「バーグ様は価値あるものに価値を認められる貴重なお方なのですね。魔女にも寛大でおありで、わたくしめにもこんなに良くしていただいて。エリツェリのミルタス・マグワート様も仰っていました。お世話になったと。それに、あの茶器も本当に素敵なものでしたわ」
もちろん、彼女は義理が立つとしか言っていなかった。さらに言えば、バーグの名は一度も出ていない。あえて曖昧に、しかし、文脈からルタはそれを決めつけた。タミルが面白そうに鷹揚に笑う。
「いや、ルディ殿。ほんとうに良き伴侶を得られたものだ。久し振りにあと20年ほど若ければ、と君を羨ましく思ったよ。しかし、そろそろ、許してやっても良いのではないですか?」
タミルの言葉にルタはしばらく黙る。はぐらかされたのは確かだ。ただ、何かを隠したいからはぐらかしたのではなく、おそらく、ルタの本心を見破られたからだろう。ルタがずっとルディが付いていけない話題ばかりを選んで話している理由に。とてもつまらない、そんな理由に。タミルの表情はそれを物語っている。
ルディはルタを動けなくした。
もちろん、それがルタを心配しているというところから発生していることも知っている。
これは、ただルタの気持ちの座りの問題なのだ。そう結論づけたルタは口を開いた。
「わたくしにいったい何を許せと言うのでしょうか? 主人はわたくしに許されなければならないことをされたのですか?」
ルディに向けられたその言葉に優しさは全く含まれていない。しかし、ルタのそのふて腐れている声を聞いて、なぜかカズが吹き出した。
「どうして笑うの? えっ、今、ルタがなんか面白いこと言ったの?」
笑ったカズに、もう太刀打ちできないルディが首を傾げた。
「いいえ。なんでもありません」
カズの答えを聞いて、ルディはルタに「何か怒ってるの?」と、初めにルタがカズに訊いた言葉と同じものを発していた。
「怒ってなんかいませんわ」
二人の様子にほっと笑うカズの耳に、穏やかなテノールが耳に響いてきた。
「しかし、カズ殿も大変でしょうな?」
「いいえ。お二人ともとても尊敬できる私の主ですから」
カズは言い合う二人を横目に、にこやかに答えた。
実際、ルタの感情は以前に比べるとずいぶん豊かになってきているし、以前なら感情に流されていることが多かったルディも、ディアトーラに有益なもの無益なものを篩いにかけて、見極められるようになってきている。
それは、二人が『ふたり』で影響し合っているからだ。そんな風に思えたのだ。
「ただ、なんとなく娘達を思い出してしまって、主ながら笑ってしまいましたが」
カズの言葉を聞いたタミルが笑う。
「双子の娘さんでしたな。ルディ殿が色々と嬉しそうに話してくれるもので。どうぞ気分を害さないで欲しい。しかし、あの二人は本当に良くお似合いで。して、カズ殿、その尊敬できる主お二人にお伝えくださるかな。エリツェリのミルタス・マグワートはエリツェリ元首の叔父に付き添ってやってきましたが、政治的なことよりも、ずっと人間的な感情で、アリサ皇后に見合うだろう品物を必死になって探していたと。だから、お力になりましたと」
タミルのその答えの持つ意味は、カズにはよく分からなかったが、おそらく、ルディやルタなら気付けることなのだろうと、カズは「分かりました。必ず伝えておきます」とタミルに返事を返した。
「そろそろグラスが配られるようですよ。私は元いた場所へと戻ります。国の者も心配しますしね。楽しい時間を過ごさせていただきましたよ」
タミルがそう言って、二人に挨拶だけを済ませ、国元の仲間の元へと戻っていった。
春の宴が終焉を迎える。
世話役の給仕達が銀の盆の上にカクテルグラスを幾つも載せて、颯爽と歩き出す。始まりの挨拶をしていた進行役が再び舞台袖で、指揮を飛ばす。
変わりゆく時代。時間。そして、新たな繋がりを。
春分祭を奏でていた楽団が静かに音を止める。
ただ、ルディだけが置いてけぼりのまま、ルタに同じことを言った。
「分かった。でも、ルタはここに座ってること」
「まぁ。本当にあなたって人は」
せっかくルタがルディを許そうとしていたのにと、カズが溜息をついた。
もう少し、ルディは自分へ向けられる悪意へ敏感に、ルタは自分へ向けられる善意に敏感になって欲しいものだ。そんなカズの思いなんて、ルディもルタも、もちろん全く気付かない。
そう、まだ気付けなかった。
少しでもその悪意に気付いていれば、少しでもその善意を受け止められていれば……。














