黄色い薔薇の
ルタがアミカ達から離れると、視野には入るが会話の届かない場所に控えていたカズが、ルタの傍に控えた。そして、そのルタの顔色を見て、慌てた声を出す。
「奥様、大丈夫ですか?」
「えぇ、心配ありません。ただ、少し」
そこでルタの言葉が止まる。ソレルにアミカ達が近づいていく。
「あの、飲み物でも持ってきましょうか?」
「そうですわね……でも、カズも少し休憩なさってきてくださいね」
すると「滅相もありません」と慌ててカズが否定した。
「大丈夫ですわよ。大人しく座っておりますし、飲み物くらい自分で取りに行けますわ」
ルタはそれだけ言うとまた視線を元に戻した。
アミカ達はソレルと何か楽しそうに話をしていたが、あんなに幸せそうにカカオットを味わっていたソレルが、カカオットを食べる手を止めた。そのすぐ後に、ミルタスがそっとソレルをアミカ達から遠ざけるようにして、注意をしているようだった。
口の形から見て「お行儀が悪い」と言っているようだ。
何も出来なかったカズは、ルタの座る横で畏まって立ったままだった。暇なのだろう。その様子を見ていると、ルタも何だかカズに申し訳なくなってきた。丁度良いから、あの場所に第三者を入れてみようかしら? そう思い、ルタはカズを見上げた。
「カズ? あそこにあるカカオットと檸檬水を持ってきてくださいます? だから、カズもちゃんと休憩するのですよ」
ルタのその言葉にカズの表情は、安心したようにして僅かに緩んだ。
「もらって参りますね」
その間もアミカ三人組は何やら楽しそうにクスクス笑っては嬉しそうにしていたが、やはり大きな害意はなさそうだった。単に誰かを自分のためだけに陥れたいだけで、他に波及しそうにもない。
あれがアリサならと思うと末恐ろしいが、彼女達からもたらされる害意は、幼い子が「ばーかばーか」言っているようにしか思えないのだ。
要するにルタからしてみれば可愛い悪になるのだが、彼女たちとずっと付き合っていこうと思うのならば、取り巻きたちのように合わせるだけにするか、なかなかに精神を鍛えないと生きていけそうにないな、という感想を持った。
その点、ミルタスも上手に彼女たちをあしらいながら、まだ幼いソレルがその小さい悪に害されないよう気を付けているようだった。
そこへ、檸檬水を既に入れ終わったカズが「失礼いたします」と小皿にカカオットを入れ始めた。カズはアミカとソレルの間に割り込み、一つ入れてはもう一つ、と首を傾げながら小皿のカカオットを増やしていく。そんなにたくさん入れなくても良いのに、とルタは遠目に思うが、叫ぶわけにもいかないので苦笑いに留めた。
割り込まれ、話の腰を折られたアミカは不機嫌そうにするが、カズは気にせず間に割って入ったまま考えるようにして動きを止める。全く通じない大男に対して、さらに不機嫌になったアミカは、ぷいっと首を横に振り、そのまま踵を返してしまった。
あの場所に割り込んだのは、意識的だったのだろうか……。カズの行動を考えながら、ルタはもう一度テーブルの上に飾られてある花を見つめた。
花言葉としての意味合いなのか、伝説としての意味合いなのか。それらを混合して考えるべきなのか。
しかし、穏やかな天気と束の間の安息はルタに再び眠気と気怠さを思い出させ、まぶたが重たくなってきてしまう。そんなに疲れるようなことはしていないのだけれど、調子が狂うのだ。そして、腰を下ろすとさらに身体に重みを感じてしまう。
薔薇の香りが木漏れ日と共に、落ちてくる。黄色の薔薇にまつわる花言葉は様々ある。しかし、わざわざ否定的な意味を持つものをここに添えているのだとすれば、それは、警戒を意味するのかもしれない。
ルタは瞳を閉じて、視界を遮った。
それでも、まぶたを通して光が届く。甲高いアミカの声が遠退き、風の音が耳に馴染み始める。
木漏れ日が、ルタのスカートに零れ瞬く。暖かかった。
友情という意味に取れないだろうか。平和を意味する花として、取れはしないだろうか。
アリサの真意は掴めない。
あのね、ラルー。
その言葉は、まるで木漏れ日から零れてきたかのようにして、ルタの耳の奥に響いた。
あぁ、木漏れ日を集めることが好きだったのは、ワカバだ。ときわの森にあるリリアの木から零れてくる光をその手に受けて、嬉しそうにする。
ワカバなら、友情として取るのでしょうね……。仲良しが一番良いと思っていましたものね。
ねぇ、ラルー。
「ご気分が優れないのですか?」
声が聞こえた。目を開けると、心配そうな表情を浮かべるミルタスが立っていた。いつの間にか、ベンチの肘掛けに凭れて眠っていたようだ。ルタの座る横にはカカオットの皿と檸檬水が置かれている。本当に眠ってしまっていたようだ。瞬時、周りを見渡すが、カズの姿は見えなかった。
そして、泳がせた視線をミルタスに戻す。
落ち着いた声色に隠された不安と緊張は、かつてのルタの主、ワカバにも似ていて、何かを隠しているようにも見える。そんな風に思いながら、ルタは立ち上がり、膝を軽く曲げて挨拶をした。
「これは、失礼いたしました。ご心配ありがとうございます。エリツェリのミルタス様ですね」
「お見知りおき、ありがとうございます、ディアトーラのルタ様。先ほど従者の方からお聞きしました。お疲れであるのならば、どうか、お座りくださいませ。ただ、ちらちらと聞こえてきておりましたので、嫌な思いをされていないかと、……」
カズがお節介を焼いたのは明らかだったが、そのミルタスの言葉にルタは首を傾げていた。嫌な思いとはいったい何のことだろう? さっきまで嫌な思いをしていたのはミルタス本人ではなかっただろうか。
そして、思い出した。
あぁ、ルディのことね。
ルタは自分の考えていたことに呆れてしまった。魔女に過敏になり過ぎているのは自分自身だ。そして、会話を続ける。
「ミルタス様こそ不快に思われたのではありませんか?」
ルディが気まずいと思うように、ミルタスもルタのことをあまりよく思わないのかもしれない。そう思ってルタは素直に尋ねていた。それを聞いたミルタスが「いいえ」とつなげる。
「お顔も見たことない方です……先ほど拝見しましたけれど、だから、初めこそいったい何が不満で断られたのかと、腹は立てましたが、それ以上はありませんので、本当にお気になさらないでくださいね」
そう言ったミルタスが「あっ」と口を抑え、なぜか慌てて釈明を始め、ルタがまた首を傾げる。
「そういう意味ではなく……お二人はお似合いのご夫婦だと……」
そこまで言って、ミルタスはやはり視線を落とし、唇を噛んでしばらく黙り、言葉を探す。
ミルタスの慌て方を見て、ルタはそれがやはりワカバによく似ていると思った。素直に言葉にしてから、相手の背景を思い出し、考えなくても良いことまで考えてしまう。おそらく、ルタが来る前にアミカにちくちく言われていたのだろう。それが彼女の脳裏に過ぎる度、言葉が詰まる、そんな風だった。
肩の力を抜けない場所にいるのは、エリツェリもディアトーラと変わらない。しかも、エリツェリ元首トマスにとっては、母方の姪にあたるミルタスの場合、その娘ソレルの付き添いというだけで、いつもはソレルの従姉妹くらいの立場なのだろう。
だから、ルタはそれ以上ミルタスがルタの背景に悩む前に、話題を変えようと思った。
「あの茶器は本当に素晴らしいですわ。ずいぶん吟味されたのでしょう?」
ミルタスはその問いに対して僅かな自嘲を表わし、目を伏せた。
「ありがたいお言葉にございます。ただ、私の好みはリディアスの方には合わなかったようで、この場所に花を添えきれませんでしたわ」
しかし、ワカバと違い、ミルタスは謙遜することを知っている。角が立たぬよう、驕らぬよう、気持ちを偽り、相手を試す。ラルーは人の気持ちを読むことができていた。だから、いくら偽られても、真を知り得たのだ。ラルーはその真を知った上で言葉を選んできた。しかし、ルタではそれが出来ないから、自分の言葉に偽りを飾らないように気を付ける。
「いいえ。皇后様の目に適うものだからこそ、ここに置かれているのです」
ミルタスの瞳にある緊張の光が僅かに揺らぐ。
「そんな風に仰ってくださると、譲ってくださった国にも義理が立ちます」
その実、ミルタスは国と国の結びつきに役に立たなかったという負い目もあり、本当に様々なものを吟味してきたのだ。それこそ、アリサの趣味や嗜好などもすべて把握している。
普段どのようなものを身につけて、どのようなものを選んできたのか。
どのような者を傍におき、どのような者を排除してきたのか。
だから、叔父のトマスが異国との交易に秀でているアイアイアに行くと聞いた時、是非にと同行を願ったのだ。
だから、本当はルタに言われなくても、『茶器』が認められていることは知っていた。
しかし、それを他者から言われることで、自信となることもある。だから、ミルタスの声には僅かな喜色が現われる。
「どちらで見つけられたのですか?」
ルタが微笑む。柔らかなその微笑みはすべてを受け止めてくれそうな、そんな雰囲気すらミルタスに感じさせた。そして、ミルタスは後ろめたい気持ちに戻される。
「そうですわね。言いたくないこともありますわよね」
答えないミルタスに、ルタが続けた。
「いいえ、アイアイアで。そこで助言をいただいて、それで。優しいお言葉をありがとうございます。……」
それなのに、真っ直ぐルタを見つめて発せられたミルタスの言葉には、再び影が落ち、瞬く間に光を失った。その様子は影に気付かれないように、わざわざ別の言葉を選んだようにすらルタには見えた。それは、何かを隠したいような。後ろめたいことのような。
「……本当はソレルとその弟の出席を望んでいたのですけど、まだ幼くて。だけど、ソレルの大好きなカカオットがあって、喜んでいる姿を見ると、嬉しく思います。カカオットを献上されたのは、ディアトーラでしたよね。ソレルはカカオットが大好きで、ここから動こうとしないのです」
「喜んでいただけて、光栄ですわ。ソレル様は本当にカカオットがお好きなのですね」
「えぇ、とっても」
その言葉と共に開いた笑顔は、本当に花が開くようだった。きっと、本来のミルタスなのだろう。
リディアスに絡む二国間の軋轢は少なからずある。もしも、ルタが原因ではなく、カカオットが理由でミルタスが緊張しているのなら、少し事情は変わってくる。ただ、ここは追詰める場ではないことくらい心得ている。もちろん、ミルタスも同じだろう。だから、当たり障りなく話を進める。
「本当はカカオット店についてお話を伺いたいと思っていたのです」
その言葉は僅かな引っかかりを含んでいた。だから、ルタはただ微笑んでミルタスを見つめ、真意を確かめようとする。ミルタスはその微笑みには答えなかった。その代わりに、ルディの存在を知らせた。
「ルタ様、あちらに」
「あら」
ルディがアミカに掴まっていた。その傍にはカズと羽根帽子を被った壮年男性がいる。おそらく、彼がタミルだろう。
「ミルタス様。わたくし、あなたとお話ができて良かったですわ。主人が困っているようですので、参ります」
静かに頷いたミルタスが「私もお目にかかれて」と続け、言葉を呑み、密かに続けた。いや、その表情は秘密を暴露するような罪悪感が含まれている。
「ルタ様、ごめんなさい。どうか、悪意にはどうか気を付けてくださいませ」
額面通り受け取るしかないが、今のルタには気を付ける焦点が定まらない。
そう、ルタには気を付けなければならないことが多く有り過ぎるのだ。
不穏な言葉を残したミルタスはお辞儀をして、黙った。これ以上言葉を発するつもりはないようだ。
「ご忠告、ありがたく受け止めておきますわ……」
この時のルタはまだその言葉に隠されていた本当の意味に気付けないでいた。














