春のうたたね《幕間劇》
揺れる列車はそろそろグラクオスへと到着する。ルディとカズはそっと荷物を纏め、再びそっと座席に腰を下ろす。
「珍しいですね」
「うん、最近何だか疲れてるみたいで」
彼ら二人の視線の先にはうつらうつらと船を漕ぐルタがいる。
「母さんもくれぐれもルタに無理をさせないようにって言ってたし……」
ルタの居眠りが目立つようになったのは、一ヶ月くらい前から。腰を下ろしている時に船を漕ぎ、ハッと目覚めるを繰り返すようになっている。ルディが「疲れてる?」と聞いても「大丈夫」としか答えない。春だから眠いのでしょう、とは言っていた。
「実際、疲れてるんだと思うんだけど」
ときわの森が荒れるだけでも普段よりも仕事量が増えている。それに加え、ルカのイヤイヤ期に根気よく付き合う日々。なんともないように熟しているように見えてはいたが、ルタにとっては領主夫人として動くこと自体慣れない仕事なのだろうし。何よりも魔女だった頃と今を考えてよく悩んでいる。
「だから、カズも静かにね」
「分かっていますよ」
そう言いながら、カズは後ろめたい気持ちになる。実はカズが従者として一緒にリディアスへと行くこととなり、カズの妻であるフィグの心配性が発症してしまい、クロノプス家で居候をしているのだ。娘二人もまだまだお転婆で走り回っているし、変なところおしゃまだし……。カズはルディの前では決して付けない溜息を呑み込んだ。
カズの伴侶であるフィグは臨月を迎えており、そんな中の夫の出張は不安で、心細いと訴えられた。振り切ることは出来たが、振り切ればまた機嫌が悪くなり、さらに面倒くさくなる。それで、ルディに相談したのだ。しかし、ルタの疲れを知っていたら頼まなかったのに。予定日はまだ向こうだったのだし……。
「そんな状態だったら、あいつらに我慢させたのに。ごめんな」
出発の五日程前から居候し始めていたのもあり、ずっと領主館は騒がしかったのだ。それを思い出し、カズが謝る。
「ううん、それはこっちも助かるから。それに、ルタも喜んでたでしょう? 賑やかですねって」
実際助かっているのだ。アノールがいると言っても、家内の長はセシルだし、そもそもアノールも館にいることが少ない。セシル一人に館のすべて、ルカの世話、アースの介護を任せきりにならなくてすむから。
「身体弱かったっけ?」
「持病も何もないんだけど、思い込んだらなんかすぐに沈むって言うか……動けなくなるって言うか……、発作のように泣き出す」
「そういえば、線の細い子だったもんね」
ルディはフィグを思い浮かべながら、思い当たる言葉を伝えた。
「ごめんな、うちを頼れれば良いんだけど、あいつうちの母さんとうまが合わなくてさ」
「だから、いいって。こっちもお祖父さまの具合悪いままだし、母さんも助かるって言ってたし。ルカの遊び相手がいるだけで充分助かるし、食事を作ってくれるだけでも助かったし」
フィグが甘えたくてそんなことを言っているのではないことは、ルディだって充分よく知っている。フィグは『言葉』に弱いだけで、よく動く良い子なのだ。セシルもアノールもそれをよく知っているし、同級生でもあるルディは、よく学校を休む子だなとは思っていたくらいだけど、フィグが頑張っていることも知っていた。
ちなみにカズの母親は竹を割ったような性格と評される人だ。悪気なくとも思ったことをすぐに口にしてしまう。
万屋の家内をその一手で仕切っているのだから、そのくらいの性格じゃないと出来ないのだろう。そして、万屋はその次男が夫婦で継ぐらしい。そのことについてカズは「うちは娘ばっかりだから丁度良い」と笑いながら言っていた。
しかし、カズはそれでもルディに続けた。
「食事は自分たちのことでもあるだろう? 単なるついでなんだしさ。それにミモナもモアナもお世話したいようで、お世話されていたいだけだしさ。ルタ様に結構懐いて離れなかったろ? あいつら、お姫様が好きなんだよな……ベタベタされて迷惑だったんじゃないかな」
「そうかなぁ。昨日まではこっちの方が人数多かったし、ついでと言うよりも、作ってくれてたんじゃないの? 美味しかったよ。それに、二人のお姉さんに構ってもらってルカは喜んでたし、ルタだって二人の髪を結ってる時とっても良い顔してたよ」
確かにルタは髪に花をたくさん付けられて遊ばれていたのは確かなんだけど。彼女たちの髪を編みながら、同じように花を飾り、とても嬉しそうにしていた。
がこん、と列車が揺れた。
ルタの目が開く。そして、ゆっくりと周りを確かめるようにして、景色に知る顔を見つけると安心したように、ほっと息をつく。
「おはよう」
ルディがそのルタに声を掛けた。ルタはルディとカズが持つ荷物を見つめて、尋ねる。
「到着しまして?」
ルタが尋ねると「ううん、大丈夫。まだゆっくりしてて」とルディは柔らかな微笑みを浮かべ、続ける。
「リディアスに着いたら、絶対にゆっくりなんかできないと思うし」
「そうですわね」
そう言いながら、ルタはぼんやりと車窓へと視線を向けた。グラクオスに近づくとあって、太陽の光が燦然と木々に降り注ぎ、木々はその新緑を輝かせることに必死になっていた。
「外はすっかり春ですね……」
リディアスの春を祝う儀式に向かうのだと、その日射しは否応なしに思い出させる。
「この辺は特にね……」
そこにはたくさんの将来を担う若い者が集まる。彼らはまだ国を代表する者とは呼べない者たちではある。繋がりを作り、見識を深めるための会でもあり、中には伴侶選びの参考にする者までいる。
伴侶付きで来る者もいるし、まだ令嬢令息という者もいるし、気楽な者もいるし、国の命運がかかるほど緊張の中にある者もいる。
しかし、その背後にある者を考えるべきであり、考えないべきであり。
その場を楽しむべきであり、その楽しさをひけらかしてはいけない場所であり。景色に馴染み、目を惹くべき者になるべきであり。自慢も謙遜も景色に溶け込ませながら、景色から浮いてはいけない場所。そして、将来にその影を遺してはいけない場所。
ある意味、政治的な会よりもディアトーラにとっては難しい会になるかもしれないのだ。
視線をルディに戻したルタが微笑む。まるで、ルディの中にある不安を言い当てるかのように。
「ご心配なさらなくても、あなたは『ルディ』のままで誰もが受け入れて下さいますわよ」
そして、ルタは心の中で言葉を自身へと繋ぐ。
上手くやらなければならないのは誰よりも『ルタ』自身である。
その燦然と輝く太陽の下で、『ルタ』はどれだけ枯れずに、若い領主跡目の伴侶であるルタでいられ続けられるのか。それが、ルタに科されたものなのだ。
『魔女』という想像を一寸たりとも彷彿させないように振る舞わなければならない。『やはり』と思わせてはならない。ルタにとってそれは政治的な駆け引きよりもずっと難しいものになる。
そして、そんな二人のやりとりから、その不安に気付いたのは、普段からフィグの機微に敏感になっているカズだった。
「ルタ様。大丈夫ですよ。ルディも私も付いておりますので。お疲れになりましたら、いつでもお声かけ下さい」
「ありがとう」
ルタが微笑む。それを見てルディも少し肩の力を抜いた。
「カズは頼りになるからね」
グラクオスに着いたら、次はマナ河を越える。
列車に揺られた後は船に揺られなければならない。
リディアスはまだ遠い。














