悩ましのムカデ
完全に冬になるとエリツェリから列車が動かなくなる。ディアトーラなんて、既に馬を出すのにも一苦労だった。そして、ルディは列車が動かなくなる前に済ませたい用事があった。そして、その用事を済ませるには、今日しかないと思っていたのだ。
今日は今年最後の各国代表会議がリディアスでなされていた。そこでやっとリディアスが戴冠記念で造るものを正式に発表されたのだ。それは無論、既にどの国も承知のことで、誰もが驚きはしなかったのだが、その発表の三十日ほど前にやっと『内々』に知らされていたディアトーラとしては微妙な感情しか浮かんでこなかった。
分からないでもない。ディアトーラが手伝えることはないのだから。資金だって木材だって、人材だってない。
もし、これで父アノールのあの報告がなければ、本気で縁を切りたいのではないかと疑ったくらいだ。
やっぱり、列車の線路の件が関わっているのだろうか?
そんなことも思えた。
どうも、その列車で木材を各国から運ぶらしいのだ。
リディアスは大きな一本木を求めており、できるだけ接ぎのない船を造りたいようだったから。それに、感慨深そうにしている国家元首達は、どこも線路が敷かれた国々だった。それはもうかなりの置いてけぼり感を感じたものだ。特に隣国のエリツェリなんて、露骨ににやりと笑ってきたのだから。
ルディはせめてもの仕返しに余裕に満ちた微笑みで応えてみたが、やはりすっきりしない。
さらに、グラクオスで買い物をしようと見ていると、一緒に見ていたカズにまで置いてけぼりを食らってしまった。
「お前に付き合ってるとオレの買い物が済まん」
確かに、時間には限りがあるのだけれど、そんな言い方しなくても良いと思う。ぼんやりと去って行くカズの背中を見ながらルディは思った。
買い物内容は同じだったはずなのにな……。
カズもルディも自分の妻に向けての贈り物を探していたのだ。
カズは夫婦げんかの罪滅ぼしらしい。休みの日は子ども二人の世話をするから今は静かにさせてよ、との約束を反故にして一日眠ってしまったらしい。お陰でここ最近ずっと機嫌が悪い、と言っていた。まるで、お前のせいだと言いたいようだったが、そこはルディのせいではないと思った。
ルディは、ルタの誕生日をお祝いしたいなと思ったからで、全く理由は違う。
ルタは生まれてきたことを祝ってもらったことがないようだったから。ディアトーラでは誕生祝いは生まれた時しかしないけれど、十五歳を迎えると、お祝いの品を一つもらうくらいだけど。
一度もお祝いされていないのは可哀想だと思えたのだ。しかし、とにかくあの森の騒ぎが完全には収まらなくてゆっくり見て回れなかったため、既に冬になってしまった。
いったい何を喜ぶのだろう。
色々考えた。
ディアトーラの国の文様がムカデだからムカデにちなんだものだとか。ルディが十五歳の時には、その国の文様であるムカデが彫られているカメオのループタイをもらった。
髪飾りは母のセシルが渡しているから避けようかとか。
リディアスの姫君達が着ているようなドレスだとか、宝飾類だとか……は高額すぎて諦めた。きっとルタも喜ばないと自分に言い聞かせたり。
ディアトーラらしくて、ルタが喜びそうで、使ってくれそうなものがいい。
そんなことを考えていると、カカオット店を思い出したのだ。カカオットとは確か疲れを癒す効果があったはずだ。
そして、今ルディは予想以上に人がいるそのカカオット店の奥に呼ばれ、ロッテと話し込んでいた。きっかけは、贈り物に悩んでいるから。そして、経緯を伝えるとまずカズの夫婦げんかに驚いていた。「あの方、ご結婚されていたのですか?」確かに、普段のカズからは所帯じみたところが見えないので、ルディもその驚きに納得した。それから、ルディの贈り物選びの指標に盛大に驚かれたのだが、そこはまだ納得いかない。
「とにかくクロノプス様、ムカデは駄目です」
「それはカズにも言われた」
しかし、そこから迷子になったのは確かだ。
「だって、ムカデのカカオットは美味しくなさそうでしょう?」
「まぁ、確かに」
ロッテはとにかくすべてをカカオットにこじつけて考える癖があるらしい。そして、考える基準としてそれを参考にすれば良いと助言してくれたまでは、まだ良かったのだけれど。
「そうねぇ……エリツェリだったらお花だから美味しそうに見えるんですけど……。まぁ、リディアスからも蛇の形ってできないか?って変な趣向をもってらっしゃったし、皆さん自分の国の文様が好きなのは分かるのですけど、型さえ作ればなんとでもなるのですけど、やっぱり、美味しくなさそうですし、カカオットが可哀想ですし。でも、ムカデ以外になんかないのですか?」
とりあえず、カカオット愛溢れるロッテは国が何処だとかいうよりも、ただ自分の主観でそれが美味しそうかどうかをただ考えているだけのようだけど、そろそろルディも草臥れてきたのだ。
「いっぱいあるよ。小麦畑とか森とか魔女とか……元気な子どもたちとか、警戒心は高いけど、気の良い民達だとか。美味しいパン屋さんとか、いつも威勢の良い肉屋とか。採れたての卵とか、搾りたての牛乳とか」
「いいですね、搾りたての牛乳とか……カカオットを溶かして飲むと美味しそう……ですが、壮大すぎてまとまりません。なんかないのですか?」
ルディが黙る。ここで『国の文様がムカデ』と言うと同じ道しか通らない。ロッテも黙る。これの繰り返しで、全く生産性のない会話だった。だから、ルディはある意味諦めたのだ。
「それよりも、春分祭でカカオットが振る舞われるらしいね」
会話内容が変わって、目をきょときょとさせたロッテだったが、リディアスのお祭りのことですね、と思い当たってくれた。
「そうなのです。それもこれもクロノプス様のお陰です。だから、お役に立ちたいのですけど……。あ、さっきエリツェリの花の話しましたよね。あの国もカカオットを気に入ってくださっていて、リディアスに献上されたんですって。でも、クロノプス様の方が先にリディアスに売り込んでくださっていたから、……えっと、春分祭?では、そのディアトーラ領主様?からの紹介としてカカオットを扱って下さっているはずなのですけど……」
気を使ってくれたのか、最後の方はロッテの声は小さかった。
「別にうちがエリツェリを蹴落としたわけじゃないから、そんなに気を使わなくても大丈夫」
エリツェリはエリツェリで木材の提供でリディアスと繋がってるんだから、そんな些細なことで目くじらを立てないだろう。
あ、もしかして……ということは、焦っていたのは確かか。ただ、上手くいっていないのであれば、別の道を見つけていてもおかしくないくらいに時間は経っている。こだわり続けてもいいことはない。国として若いエリツェリはなんとしてでも見つけていなければいけないのだ。せっかくの機会を無駄にして、次があるほどリディアスは優しくない。
ルディはリディアスでのエリツェリ国家元首の顔を思い浮かべた。もっと深く観察しておくべきだったな……。あの時はしたり顔にしか見えなかったけれど、主観しか入ってなかったしな……。
「どうしたんですか?」
「いや、えっと、なんの話だっけ?」
途中ロッテの話を全く聞いていなかったルディは、ロッテに訊き返す。そして、それが間違いだった。
「だから、奥様の……」
しかし、そんな不穏な巻き返しを破ったのはカズの間の抜けた叫び声だった。
「ルディ様?」
店員の一人に連れてこられたカズがルディの目に映った。店員の表情に苦笑いの紋が現われて見える。確かに店主がこんなところでずっと話し込んでいたら、店も回らなくなる。カズが救世主に見えたのだろう。もちろん、ルディにとっても。
「あ、カズ。買い物は終わった?」
ルディも渡りに船で立ち上がった。
「いえ、その。結局分からなくて、カカオットでも買って帰ろうかと……」
最初はカズが妻帯者であることに驚いていたロッテだったが、カズの家の内情をルディから聞いていたのもあって、迷わずに形を示す。
「じゃあ、カズ様はハートの形で用意させますね。『大切に思う気持ち』は大切です。それから、えっと……」
なんとなく商売上手になっているロッテは、そのままルディに視線を向けた。
「えっと……じゃあ、お土産として丸い形にするよ。贈り物はまた考えるから」
その日、ルディはとにかく草臥れたのだ。
気持ちが丸くなるように。
「分かりましたぁ。すぐに用意しますね」
ロッテの明るい声に、ルディはなぜか普段つかない溜息をついてしまった。














