役目と役割
収穫祭だというのに、全く気が休まらない。一年前の収穫祭近くにときわの森で身元不明の残骸が見つかってから、ときわの森がずっと騒がしいのだ。それに、リディアスのアルバート国王が新しい象徴を造ると言う。それがなんになるのかはまだ分からないが、アルバートの性格から考えると、アイルゴットが図書館を全国民に開放したような、そんな性質のような気もする。
しかし、歴代のリディアス王を考えながらルディは思った。
アナケラスがリディアスに配備した列車をアサカナがディアトーラにも列車を配備したように。
アイルゴットが図書館を図書宮殿と呼ばれるほどに改造したように、彼らは華やかさを忘れないだろう。
そして、刈り取られてしまった後の麦畑を思い出して、カズに愚痴った。
「もう、今年も刈り取りの手伝いが出来なかったっ」
自棄を起こしたような叫びに、カズが「はいはい」とルディをなだめる。
「この分だと今年の収穫祭にも参加できないっ」
「はいはいはい」
ルディはストレス全開の叫びを上げる。
……確かにこれを毎日なんだもんな。
今日はたまたまマンジュとの交易の話があったため、カズも一緒に見回りをしているが、毎日約六時間かけてときわの森の周囲をただ歩くのだ。確かに旅をする者たちなら、隣国まで歩く者もいるのだから、別にとてつもない偉業をしてるというわけではないのだが、罰ゲームとしか思えない。
「うちの領主は絶対に鬼なんだっ」
話し相手がいるルディは言いたいことを言い始める。もちろん、領主とは彼の父アノールのことだ。
「さすが、強国リディアス国王の息子だよ、まったく」
……はいはい、お前はその孫だからな。
とは言え、何処に耳があるか分からないのだ。あんまりなことは言わせないようにしないと。少し自身を鼓舞するが、カズ自身、この何にもない森の際から耳をそばだてているのだとすれば、人間を警戒する動物か、腹を空かせた魔獣かくらいだろうと思った。言わせておいてやっても構わないかもしれない。
「そうか、その伝手を使えば、森全体に柵を施してさ……リディアスのお祖父さまならなんとかしてくれるかもしれないよね」
「そうだな」
……そうかもしれないけど。まず、アノール様が許さないと思うよ。っていうか、さっきリディアスのこと鬼の住む国みたいなこといってなかったか?
「ほら、もう太陽があんなに真っ赤になってる……帰る頃はもうすっかり夜になる……」
……だな。
カズは体力の消耗を避けるため、極力喋らないようにする。ルディは毎日のことですっかりこのスピードと距離もお手の物なのかもしれない。
「だいたい、見回りって言ってさ、これにどんな意味があるんだよ」
「確かにそれは一理あるな」
今からルディ達が歩き始めた場所に侵入されても全く分からない。まぁ、ルディがいつこれに時間を取れるか分からないという点においての抜き打ち的効果はあるかもしれない。多分、侵入者を見つけるよりもこちらに重点があるから、ルディを一人で歩かせるのだ。
「あと三分の一だから、頑張ろうな」
「……」
こういうことに関しては、カズではどうにもならない。交易関係なら手助けも出来るのだが、今、カズに出来ることは納得いかない表情を浮かべながらも、素直に毎日見回るルディの愚痴を聞くくらい。励ますくらい。
「あ、ルタが作ってくれた焼き菓子食べる?」
「もらう」
少し機嫌が良くなったようだ。そして、菓子をかじるから、ルディも静かになる。
ルタが作る焼き菓子は、口の中で優しく解けるような、そんな味がする。何度かもらったこともあるが、食べ飽きない。それなのに、なぜかどんな味だったのか、思い出そうとしても次に食べる時には忘れている。
ただ、美味しかったというイメージだけが残るだけで。
カズはかじった焼き菓子の断面を見ながら、『今』を耽る。
どうしてわざわざ魔獣の多いときわの森に入ろうとする輩が増えているのだろう。最近では昼間の森の浅い部分に入る際ですら、領主が付き添わなければならない時がある。もちろん、領主だけではなく、ルディもルタ様もその役目を持っているのだが、それでも手が足りないことがあるらしい。
高齢のアース様はもちろん、領民を弱い魔獣くらいからは護ることの出来る腕前をお持ちのセシル様ですら、森へ入る許可が下りない。
これじゃあ、百年前に逆戻りだ。
カズの父親が言っていることだ。魔女がいなくなって魔女に贄を渡すことがなくなったはずなのに、森が荒れては元も子もない。たまに、心ない奴が「ルタ様が魔女に戻ればなんとかなるんじゃないのか」なんてこというが、多分、そんな話ではないのだろう。もちろん、そんな風に言う奴らも、ルタ様を嫌って言っているわけではない。なんとかしてくれる頼りになる夫人として受け入れているからこそ、そんなことを言うのだろうが、酷いものだ。
だから、そうなのだとすれば、ルタ様なら既にそうしているはずだとも言えるのだ。
そんな風にカズが真面目に考えていると、ルディが静かに声を掛けてきた。
「あのさ、最近よく考えるんだ」
「何を?」
「あ、決して責任放棄とかじゃなくね」
「それは、分かるよ」
ルディが責任放棄するようなことが起きるならば、それこそ世も末だ。
「ディアトーラの領主の役目ってもう贄になることもないじゃない? だから、ディアトーラが好きな民がもっとこの国を動かせるようになったら良いのになって。ほら、エリツェリなんかそんな国になってるわけだしさ」
あぁ、確かにな。
だけど、エリツェリは五十年ほど前に国王が出奔したんだよな。暗殺とかも言われてたけど。だから、一時、本当に混乱していたんだよな。最近やっと近隣諸国から国として認められているけれど、次を担う元首が誰かでまた変わってくるかもしれない。
もちろん、ルディもそれはよく分かっているはずだ。
「ほら、テオとかクミィとか。あの子たちだってディアトーラがとても好きでさ。でも、エリツェリみたいに急にあんなことになったら、大変だから。礎みたいなのだけは作っておきたいなって、最近本当によく思う」
カズは黙って焼き菓子をかじった。ディアトーラに限って、エリツェリみたいにはならないと思う。セシル様もアノール様も、ルディでさえ、あんなに露骨に人を騙し討ちにしたりしないだろうから。
ただ、エリツェリ国王出奔のきっかけはラルー、今で言うルタが関わっているのだ。しかし、国を滅ぼしかねない失敗にしたのは、国王の手腕の問題であり、ラルーやトーラを持つ魔女のせいではない。だから、いずれの国もあの件に関して、魔女が悪いとは言わなかった。いや、言えなかった。リディアスでさえ、昨今は魔女を狩ることが威信に繋がるとは思っていないのだから。
「望んではならないではなくて、望んだものへ進めるような道があればいいなって。もちろん、多く望むことは森の女神さまがお怒りになるだろうけれど。だから、……いや、いいや」
解釈のしようではある。しかし、ルタもそれを否定しないような気がする。最後の一欠けを口に放り込んで、咀嚼する。水筒の蓋を捻る。カズはルディの濁した言葉の先を考えながら、水を一口、流し込む。
「なんかさ、幸せってこんな味な気がする」
ルディも最後の一欠けを口に放り込んでいた。もうすっかりいじけていないようだ。そして、ふと、ルディの瞳に映る光が変わった。しかし、それは、警戒ではなく、きょとんとしたような。
「なんか、聞こえない?」
そう言われて耳を澄ます。
「ねこ?」
いや、違う。しかし、猫の声である方がまだ自然だ。
「カズ、あれ」
ルディの指さすその先には籐の籠があった。














