愚かなる者(ラルーという魔女)
久し振りに大量の人間の血の臭いを嗅いだからかもしれない。だから、こんな夢を見ているのだ。
焼き尽くされた魔女の村に立ち尽くしていたのは、誰でもなく私が仕えた魔女ワカバだ。私が描いた未来図を初めて崩した魔女であり、護りたいと初めて思えた魔女。
とても弱くて、とても強い。トーラに選ばれたワカバは、何も出来ないくらいに無力なくせに、この世界の根幹を揺るがす存在だった。
だから、余計に思ってしまったのだろう。
こんな世界、いらない、と。
この世界は、私が護っていたのよ、と。
あなたに壊されるために、護ってきたわけじゃない。
そう思ってしまった。
……選ばれなかった。
どうしてか、そんな感情までもが生まれる。選ばれたいと思っていたわけではないのに……そんな気持ちがくすぶっていたことに気付く。
そして、ふつふつと何かが湧き上がってきた。
何かがふと切れた気がした。
私はトーラが現れたとリディアスへ魔女狩りを進言した。リディアスとは『魔女』を狩り続ける国だから。過去を変える力トーラを持つ魔女であれ、時間からはみ出してしまった時の遺児であれ、単なる人間でさえ『魔女』にすることを厭わない。私が銀の剣の勇者として祭り上げた者までも利用し、リディアの威光に変えようとするこの国が、私の言葉を蔑ろにするはずはないことは、分かっていた。
私は、だからこう言う。
「リディアスは魔女狩りで名声高く、正義を深く愛していると聞き及んでおります。わたくしも世界の巨悪を退治しようとする身。ですので、その威光に少しあやかりたいだけでございます」
その人間が好みそうな言葉を使い、少し高圧的に言葉を扱う。冷静さを失った人間など、たとえリディアの意志を継ぐリディアス王家でも、その辺りにいる人間と変わらない。
人間なんだもの……。変な感情に振り回されて、馬鹿みたいに踊らされる。
それが『愛』や『正義』と叫ばれることも、『欲』や『悪』と叫ばれることもあった。どちらにしても、儚く消える。
同じように何度も繰り返される世界を見て、私が感じ取ってきた事実なのだ。そして、彼らは思うように転がってくれた。
私が集めたのは、死地へ向かうだけの傭兵部隊。彼らはこの部隊に入らずとも、一年経たずに死んでしまう運命を持つ者ばかり。
そんな者達を集め、ただ魔女がいるときわの森へと向かった。
どうせ死ぬのだから、少しくらい死期が早まっても罪悪感なんて覚えなくてもいいだろう、というそんな者達。
だから、私はトーラに選ばれなかったんだと、今なら思える。
私はただ、弱かったのだ。
一年で彼らの何かが変わることがあるなんて、思えなかった。変わるとしても、とても些細なことだと思っていた。
そんな些細な変化に比べれば、彼らも選ばれ、褒め称えられ、本望だろう。それなのに、彼らの死に装束になるだろう少し良い防具を誂えさせていた。その中のひとりには、銀の剣も携えさせた。
たとえ、一時でも世界を護る英雄のひとりとして名を連ねられるのだから、最期くらいは見栄え良くして死にたいだろう。
ずっと彼らのためだと思っていた。
人間など、腐った食べものに集る虫と同じもの。強欲でとても弱い。
肉の焦げる臭いとまだ乾ききらない血の臭い。
先行の部隊が、村に火を放ったのだろう。家に火を放たれ、外に出るしかなかった魔女達。そして、トーラを持つ彼女が、目の前の兵士を薙ぎ払った。血の臭いは、きっとそのために充満してしまったのだ。
だって、彼女は滅びの魔女よ。
全てを滅ぼすことができる魔女。
私から、全てを奪う魔女。
だから、気付けなかったのだ。彼女が村に住む魔女と呼ばれる時の遺児達の死体を吹き飛ばしていなかったことに。
真っ直ぐに何も知らない、罪な無邪気に近づき、手を伸ばす。
人間とは愚かなモノでしょう?
力を求めたいからと、力もないくせに、みんな手を伸ばして死んでいく。
愚かなモノでしょう?
あなたは、望んで手に入れたわけじゃないから、分からないのだろうけど。
この世界はあなたにとって、必要なものではないでしょう?
こんな酷い世界あなただって、望まないでしょう?
だったら、消し去ってしまえば良いの。
こんな、どうしようもなく、愚かな者しかいない、こんな世界。
差し出した私の手を見た彼女が泣き出した。
どうして泣くの?
そうだった。あなたに『悲しい』を教えるように仕向けたのだったわ。
どう、少しは私の気持ちを分かっていただけるかしら。
奪われる、裏切られる気持ちはお分かりいただけたかしら?
苦しいでしょう? だから、あなたが世界を滅ぼすお手伝いをして差し上げますわ。そして、もっと、苦しみを知るといい。
私が紡いだ過去のとおり、裏切られ、世界と共に消えれば楽になるわ、きっと。
でも、どうして、私を見て泣くの?
夢の中の私は、過去を準えるようにして、彼女に近づいていく。
……わたくしが、あなたを傷つけたの?
過去と同じようには、彼女を抱きしめられなかった。
足元がぐらついたのだ。自分の手が真っ赤に染まっていることに気が付いた。そして、黒く堕ちる。
闇が私を呑み込むように、赤黒い手が伸ばされる。過去のトーラ達の手だ。私がリディアスに殺させた者、勇者と祭り上げ親しい者を殺させた者。彼女たちが私を掴み離さない。
同じ穴の狢。酷い物だわ。そう、彼女たちと何も変わらない。望んだ結果がそうだっただけ。恨むのはお門違い。でも、……
沈む私が見上げる空に、小さなワカバが、手を伸ばしていた。
「ラルーは、そんなこと望んでいなかったのでしょう?」
ラルーは、ただ……
「だから、泣くのでしょう?」
お姉さまは優しいから『魔女』を選んだのです。
トーラとは、人間の望みに惹かれ叶えようとするもの。今のラルーは人間なのよ。
人間は、たとえ愚かと言われようとも、『幸せ』を求めるものなのです。
それがどんな形であれ。
ラルーは強いから。
求めなさい。未来を。人間なのだから。
ルカの声に、ワカバの声。どんどん入り交じり、頭に響いてくる言葉。誰の言葉か、分からない。やめて、言わないで。
「……ねぇ、ラルー……」
今の世界を紡ぐトーラが手を伸ばす。
どうしたら、幸せになるの?
泣き出しそうな顔をしている彼女を見上げる。
背筋を伸ばして立ち上がる。崩れないように、誰にも負けないように。ワカバを護れるように、強がり続ける。
「わたくしは、どんな形であれ、魔女として存在するしかない者なのです。未来など、あるはずがありません。そんなわたくしに、手を伸ばすなど、愚かだとしか言えませんわね……」
共にあり、償わせて欲しかった。どうして、人間になんて……
…………。
月明かりに目が覚めた。
隣に眠るのは、ルディだった。私は彼の手を掴んでしまった。
どうして掴んでしまったのだろう。今も本当はよく分からない。ワカバの時に感じた『護りたい』ではない。リディアスの時に感じた『利用する』でもない。もちろん、彼が私を利用しているとは思えない。
領内に生まれる時の遺児を助けるために、その身を魔女に捧げるクロノプスの子。
「どうしたの?」
目を覚ましている『ルタ』に気付いたルディが尋ねる。
「ごめんなさい。起こしてしまいましたね」
「ううん、昼間のことだったら、経緯はちゃんと調べるから。ルタもちゃんと眠ってね。疲れちゃうよ……ルタは人間なんだから」
「えぇ」
ルディは魔女だった『ラルー』を知っている。だけど、ラルーを見てきたわけではない。
彼は、目的のためなら手段を選ばない、そんな『魔女』と共にいる。
それなのに、例え世界の滅びが決まっていようとも、それが、世界のためだとしても、ディアトーラのためだとしても、ルディの死を『手段』として選べなくなっている。
とても弱い。
私はルディに微笑むしかできない。
「おやすみなさい」
「うん」
再びルディを起こさないよう気を付けて、ただ瞳を閉じて、朝を待った。














