望んだ過去の強さにて
ときわの森には魔女が棲んでおりました。
その魔女はディアトーラに様々なものを要求します。
たとえば、鉄製のお鍋。たとえば、小麦粉。たとえば、良く切れるナイフ。
森にないものを望むのです。
時に魔女は人も望みます。
人の世界では生きていけない何かを森に住むべきモノとして。
それは、我が子であることもありました。
ディアトーラでは、その要求を呑むしかできませんでした。
それが、ディアトーラでの決まり事だからです。
だけど、魔女は何も望んではいませんでした。
魔女はヒトの願いを叶えるために存在していたのですから。
ヒトが望んだ世界を、ただ見つめているのです。
夢を叶えたモノ達が本当に幸せになっているのかを
見つめているのです。
ときわの森には魔女が棲んでおりました。
魔女はそこに住む人間が好きでした。
それは、大好きな誰かの遺した命だから。
大好きな誰かの繋がりのある、命だから。
魔女は時を司ります。
魔女は記憶を司ります。
ヒトは、時を生きていきます。
ヒトは、記憶に支配されます。
魔女は夢を見ているのです。
誰も傷つかない世界の夢を。
誰もいなくならない世界の夢を。
だから、夢を紡ぎ続けます。
ときわの森には様々なモノが閉じ込められていました。
時に女神に、時に魔女になる、そんなモノを。
女神にするのも、魔女にするのも時を生きる人間でした。
だから、畏れ、恐れるのです。
ディアトーラには魔女と忌み嫌われた女神を祀る教会がありました。
だけど、森には女神と魔女が棲んでおりました。
いつしか、畏れ、恐れられた者達は同一として見なされるようになりました。
時に記憶は曖昧で、時に記憶に騙されます。
ヒトにとっての真実は曖昧で、それぞれが抱える記憶によって悪にでも正義にでも語られるようになるものなのです。
ヒトが望んだ記憶の強さにて
世界は変わっていくのです。














