《幕間劇》人いきれの中の楽園
リディアスの夏の暑さも相まって、労働後の人いきれはディアトーラでは考えられないくらいだった。
人々は騒ぎ笑い、グラスや皿は音を立て、厨房からは香ばしい油の匂いに包まれるような湯気が上がっている。店主は一人なのか、とても忙しそうに声をあげ、からげた袖から見える逞しい片腕にどっしりとした揚げ鶏と、サラダの皿を持って客に呼びかけていた。もう片方の手にはまだお玉が握られている。
アノールはその雰囲気に押されて動かなくなったセシルとルディに気づき、いつあの忙しそうな店主に声を掛けるべきかをしばし考えた。
元々物静かなルタはというと、知っている場所に同じような酒場が残っていたということに、郷愁を感じてしまっていた。
中に入ったことはなかったが、何度か様子を見に来たことがある場所なのだ。酒場の外階段も同じ場所、二階建ても同じ。補強のための手直しはされているが、同じ匂いのする場所だった。
「ルタさま?」
そんなルタに気付くのは、いつもセシルだ。ルタはセシルに「元気な場所ですね」と耳元で囁き、にこりとした。その微笑みにセシルも安心して「えぇ、想像以上でした」とやっと微笑んだ。
スパロウ通りにある小さな酒場。小さいと言ってもルディがいつも行く『飲み屋』さんよりもずっと広く、熱量が桁違いだ。『飲み屋』さんは十人程度が入ればせいぜいの敷地だが、ここには三十人は入ることができるし、カウンターだけでなく、テーブル席が四あり、すでに賑わっている。
「いらっしゃい」
入り口で何処に行こうか立ち止まっていたルタ達に気付いた店主が元気な声を掛ける。
「あぁ、ちょっと待ってね……あぁ、……」
そして、店主はアノールに気付いて、もう一度「あぁっ……」と同じ言葉を発した。
一度目は四人が座れそうな場所を探すための言葉だったが、二度目は明らかに驚いた表情を浮かべて、アノールを食い入るように見つめていた。
「繁盛してるようで良かった」
アノールが声を掛けると「お、おぅ」と答える。
「いや、ほんと、ちょっと待って」
そして、急に慌てだし、カウンターの外に跳びだしたと思えば、アノールの肩に抱きついた。
「お前、元気だったのかよ。もう、本気で心配してたんだからな」
店の中にいた常連達もその店主の変容にぽかんと口を開けて、その光景を眺めた。
筋肉質の腕にがっしりと抱きしめられたアノールは苦しそうに、彼の背中を叩き、その束縛を解くように要求する。
「あぁ、悪い。いや、ほんと、えっと。こちら、奥さん? で、お子さん達?」
彼は一歩離れてアノールの家族をにこやかに迎える。
「アイルには本当に世話になって。えっと、あ、オレはここの店主をしているガスパールです」
「アイル?」
セシルが首を傾げてアノールを見上げる。その視線に苦笑しながら「僕のこと」と伝えるが、普段「私」という一人称を使っているアノールにセシルは違和感しかない。しかも、アイルと言えば、グラディール王の後に就いたリディアス王の愛称で、現在のリディアスの礎を作ったとされる賢王アイルゴットのこと。今度はルディも不可解な視線をアノールに送る。
「ガスパール。とりあえず、ちゃんと紹介するから、落ち着いて」
アノールから離れ、洟をすすりだした店主を見て、とにかく、熱く騒がしい男らしいということはセシルにもルディにも伝わった。
彼のことはよほど信頼しているのだろう。アノールは丁寧に、そして正直に妻のセシルと息子のルディ。そして、その妻であるルタを紹介した。すると、彼はすぐに勝手な愛称をつけて呼び始めた。
「えっとセシィに、ルーシーとそうだな、ルーシーの嫁さんだからルーミーだな」
アノールはやっと落ち着いて「こういう奴なんだ」と家族を眺める。しかし、ガスパールはさも心外そうに続けた。
「一応、現実から離れてしっかり休まって行って欲しいから、みんなに愛称つけてるんですけどね、こいつの場合だけ自分でアイルって言いやがったんですよ。まぁ、賢王アイルゴット様の愛称だし、本名じゃなさそうだったからそのまま採用しましたけどね」
セシルが「あら、そうなのですね」とやはりアノールを見上げる。見上げると言うよりも睨み上げるようでもある。まるで「嘘をついて何をなさっていたのです?」とでも言いたそうだ。そんなアノールとセシルをルディが戦況を伺うようにして交互に見ながら「また怒らせた」と言わんばかりの表情を浮かべる。ルタはと言うと、その店主がまったく嫌みなく言うことを不思議に思いながら、逃げ場のなさそうなアノールを考えて、浮かんだ疑問を口にした。
「お義父様とガスパール様はどのようなお知り合いなのですか?」
「あぁ、ルーミー。『様』はいらないよ。えっと、ガスパで良いから。本当はパールって呼ばれることが多いんだけど、パールって柄じゃないしな。で、関係はというと……」
そこまで言ってガスパは一瞬言葉を止めた。
「ごめん、長くなるから今日は勝手にやっててくれないかなぁ」
と常連らしき客達に叫んだ。店の中はそれでも混乱せずに、承知の声が広がった。それを聞いたガスパが「ありがとう」と叫んだ後「とりあえず、皆さんは何が飲めるのかな?」と訊いてきた。
そして、ガスパの語りはかなり長く、最初に何が飲めるかを尋ねられた意味はすぐに分かった。しかも、話の途中で思い出したように「あ、つまみになるもの……あ、違った。お腹に溜まるものがいいんだよね」とちょくちょく調理しに行くのだ。そして、勝手に好みの飲み物と余計めに作ってきた料理を常連たちにも配り始める。ルタはそんな彼の動きが面白く、飽きなかったが、セシルとルディは既に別の場所に座り、常連たちとの会話を楽しみ始めていた。
ガスパ曰く。
ガスパが進学に悩んでいる時は学費が安くなる方法を教えてくれ、また潰れてしまいそうだった父馴染みの酒場を建て直したいと思っている時には、支援をしてくれた恩人らしい。
簡単に言えばそれだけなのだが、そこに盛りだくさんの感情をつけて、情緒的に話を膨らませるものだから、とても長いのだ。そして、それはまだ終わっておらず、今、アノールが姿を現さなくなったところまでを話し終えたところだった。
姿を現さなくなったのは、ディアトーラの養子に入ったから、なのだが、もちろんガスパールはアノールが王族だったこともディアトーラの領主だということも知らない。ただ、三十年近い時間を事細かく伝えてくれようとするのは、おそらく彼の性格とその記憶力の良さが重なった結果なのだろう。
「ルタ様も、あちらで休憩して下さって構いませんよ……」
アノールは彼の横で文句も言わずちょこんと座ったままのルタを気遣い、今がチャンスだと伝えた。
「いいえ。面白く拝聴させていただいておりますよ」
「でしたら良いのですけど。まだ後二十年分はありますよ」
「それは構わないのですが、ルディがまた飲み過ぎないか、それだけが心配です。ルディは身丈があるせいか意外と重たいので……」
アノールはその言葉にふっと笑みを漏らした。
「大丈夫ですよ。潰れたあいつは責任持って私が背負いますから」
ルタの視線の先には力仕事をしていそうな屈強な男に酒を勧められながら、一生懸命その勧める酒を辞退しようとするルディがいた。あんな戴冠式に連れて行ったのだから、多少のことは目を瞑ってもいいとアノールは思う。
「心配ですか?」
「えぇ、カズに言われておりますので」
「今夜は私もセシルも、貴女もいるのですから。いざとなれば一人で抱えなくても、皆で抱えれば大丈夫なんですから」
ルタはそれでもしばらくルディを眺め、諦めたのか視線を落とした。
「そうですわね……それにしてもここはいろんな方がいらっしゃるのですね」
ルディから視線を外したルタは店中を見渡した。
その言葉を聞いて、アノールはガスパがここを建て直したいと言った時の言葉を思い出した。
老若男女が集う場所。少し人生に疲れてきた者たちの楽園を造りたいんだというガスパの思い通りの店になった。
「えぇ、あいつが造ったリディアスの楽園らしいですから」
「ごめんごめん、で、それで、あ。そうそう。で、まるでオレが借金踏み倒したみたいな形で、ずっと借金したままにされてたからさ」
料理を配り終わり、満足したガスパは、そのまま空気を読まずに喋りながら戻ってきた。苦笑いはルタも同じようだ。
「いいって。もうそれは。金額も覚えてないし。それに誰が借金踏み倒したなんて言ってるんだよ」
本日何回目かの借金返済の申し入れだった。
リディアス時代のアノールにとって、それは本当に自分のお小遣い程度の金額だったのかもしれないが、ガスパにとっては大きな金額だったのだ。だから、ずっと気になっていた。もしかしたら、アノールが無理してお金を工面してくれていて、悪い奴に売られてしまって姿を見せなくなったのではないかとも考えたらしい。
「だから、それは気持ちの問題で、金額はちゃんとオレが覚えてるから……でも嫌がるんだったら今日の飲み食い代、店にいるみんなの分で、とりあえず手を打つことにした」
「うん、それでいいよ。でも、うちらの分は払うからな」
「それが駄目って言ってるんだろう、なんで分からないかなぁ」
そのやりとりにルタは何回目かの微笑みを浮かべる。夏至の夜はまだまだ始まったばかり。彼の話もまだまだ続くのだろう。
それは戴冠式が執り行われた、夏至が近いある夜の穏やかな出来事だった。
「戴冠の儀」了














