猪目とハート
待ち人はまだ来ない。
アサカナは涸れた噴水の縁に座り、リディアスに比べれば極々小さな庭を眺めていた。しかし、どれだけ小さくとも、リディアスと違い、どこも平和に見える。国王が一人でこうやって座っていても命が狙われるなんて、全く思えないのだから。だから、こうやって物思いにも耽られる。
ルディはかわいい孫の一人である。これは、本当に純粋にそう思っているのだ。だから、初めルタを嫁にすると聞き、リディアス国王として阻止してやろうかとも思っていた。
しかし、かつてセシルに贈った婚礼のドレスを何の迷いもなくその身に纏い、ルディの傍らに立つルタの姿を見て、そんな気持ちはすっかり無くなっていた。
アサカナの知るルタ・グラウェオエンス・コラクーウンはそこにいないと思えた。狡猾で、油断ならない相手の姿はそこには見えない。
ただ、純粋にここで生きようと決めた女性がいるのだ。ただそれだけだった。それだけ見れば、別に構わなかった。
それなのに、彼女は婚礼の後、アサカナに銀の剣を献上したのだ。
確かに、銀の剣は魔女を消し去るために必要な剣だった。しかし、魔女を殺すのに銀の剣が必要かと言えばそうでもないことくらい、リディアスだって気付いている。
銀の剣は魔女の支配した世界を消し去る剣である。それは、本当に世界自身を滅ぼさないために、ということだけに必要な剣なのだから。
しかし、彼女は続けた。
「この世界の存続を祈り、魔女から世界を護るために創り上げた銀の剣です」と。
それは、トーラが現われた際に使われるべき、この世界のための聖剣であるということを意味するのだ。それは、もう、彼女が魔女側に付かないという決意としか思えなかった。
アサカナは真っ直ぐな彼女の瞳を見つめ「うむ」とだけ答え、剣を受け取った。
ルタ・グラウェオエンス・コラクーウンは嘘を言わない。しかし、真実を隠すことはある。
だから、これから先を考えた場合、何かが起きた場合、この出来事がディアトーラを護り、彼女の潔白を意味づけるに相当な意味を持つことは確かだった。それと同時に彼女は銀の剣にある記憶ですら簡単に書き換えることができる証明にもなるのだ。ある意味牽制ともとれる。いや、ルタならそんなことせずとも、もし、この出来事をなかったことにでもすれば、アルバートくらいなら簡単に沈められるかもしれない。
やはり、ルタはルタなのだ。敵に回せば恐ろしい者。
しかし、不思議と嫌な気はしなかった。
意外とそれが大切だったりする。
だから、アノールも大きく動こうとしなかったのだろう。ディアトーラで収められるお国事情だと思ったのだろう。
「陛下」
待ち人の声がした。アースだ。
「お呼びたてしたのはこちらでしたのに、お待たせして申し訳ありません」
それなのに、子どもが二人付いていた。
「その子らは?」
「この子はテオで、この子はクミィです。近くの牧場の子どもたちなのですが、どうしてもルタ様の花嫁姿が見たいと言ってまして、連れて行ってましたら遅れてしまいました……。先にこの子たちを帰そう思うのですが、……」
全くいつも失礼な奴だ。アサカナはアースを見つめて大きな溜息を落とした。リディアス国立科学研究所でほんの少しの間だけ上司だったアースは、時々、こんな風にしてアサカナをからかう。
「アース様、この人誰?」
女の子の方のクミィが尋ねると、男の子の方のテオが「馬鹿、陛下って言ってたから偉い人に決まってるじゃん」とこそこそ指摘する。顔を知らないのは当たり前だろうし、陛下なんてワインスレーの地域でも名乗っている者がいくつかいる。そういうここも領主という名称ではあるが、一国の城主なのだ。もちろん、リディアスとは規模が違うのだが、彼も国王陛下と呼ばれても構わない位置にいるのは確かだ。
「あぁ、私は……」
そこまで言ってアサカナは柔らかく微笑んだ。この子どもらがルディの出自をどこまで知っているのかは分からない。あのアノールのことだ、言ってはおらんのだろうな、とアサカナは息子を思った。それに、ここに来たのは、親戚としてであって、リディアス国王としてではない。
「ルディのもう一人のおじいちゃんだ。そうだ、良いものをやろう」
そう言って手土産としてもらっていた箱を開ける。
「甘い食べものらしい、なんと言ったかな?」
「カカオットでしたね」
アースがすぐに答えた。アサカナはアースをちらりと見遣り、その言葉がなかったかのごとく子どもらに声を掛けた。
「ほら、手をお出し。えっと、クミィとテオだったな」
恐る恐るその手を伸ばした子どもらの掌に、茶色の食べものを一枚ずつ落としてやる。だが、本当にいつも思うが、どうしてこんなに怖がられるのだろうか、アサカナはいつも残念に思う。
「猪目かぁ……魔除けの意味でもあるのかな?」
子どもらの手に落とした形を見て呟いたアサカナにクミィが「違うよ、ルディさまのおじいさま」とアサカナをじっと見て伝えた。
「これは、はーと」
「はーと?」
「そう、大好きな人にあげるの。ルディさまが教えてくれました」
クミィは少しばかり自慢げだった。
「ほぅ、大好きな人に」
「うん、きっとルディさまもルタさまもおじいさまのことが大好きなんです」
「うん、きっと。だって、はーとだし。きっと大好きなんです」
クミィとテオの話を聞いて、アサカナは苦笑してしまった。まるで、彼らが大好きな人だから、私たちもあなたのことが大好きなのですと言われているようにも思えた。
「大好きか……」
クミィもテオもカカオットを口に含み、にこにこしている。
「甘くておいしい」
「カリカリしてる。でもとけてくよ」
「早くなくなったほうが、負けね~」
「なんだよ、それ」
カカオットの感想をひそひそと喋って遊んでいるが、全部聞こえてくるのもかわいらしい。
「大好きですって。よかったですね」
「お前が言うと腹に据えかねるのはなぜだろうな」
アサカナの言葉に戯けるアースを睨みあげ、アサカナは口調を変えた。
「私は一人で戻るから、その子らを帰してあげなさい。あぁ……一つだけ伝言を頼む」
アースがアサカナを呼び出したのは、おそらくアノールのことだ。
「兄の戴冠式には参加するようにと、アノールに言っておいて欲しい。それ以外はもう気を遣う必要はないからと。では、また後でな」
「お伝えしましょう。陛下としての晩餐会、お待ちしておりますよ」
穏やかに微笑み頷いたアースはそのまま二人の子どもを促し、歩き出した。
「おじいさま、ありがとうございました。美味しかったです」
にっこり笑った二人の子が一度だけ振り返り、手を振った。
兄弟の中で唯一アノールだけがアサカナを怖がらなかったのだ。だから、本当は手放したくなかった。だから、アノールの事が許せなかった。そんな人間染みた感情のせいでこんなに時間がかかってしまったのだから、我ながら未熟だと思う。
さて……
アルバートに気を引き締めるように、決して敵に回すなとだけ伝えに行こうか。そして、アサカナはゆっくりと立ち上がった。
「芽生えの時」【了】
それぞれが新しいステージへ。そんな「時代の変遷」ということで、「恋愛ジャンル」は完結です。
ここからは、明るい話題ばかりではなくなります。
それでもよろしければ、続けてのお付き合いよろしくお願いします。
瑞月風花














