《エピローグ》幸せのかたち
あぁ、夢を見ていた。
ずっと昔の感覚。それなのに、それはルタが生きてきた時間からすれば、とても新しい記憶。
共にあったワカバに役目を解かれ、人間として生きることに戸惑い、ルディが結婚を申し込んできて『好き』に悩み、ルカが来て、グレーシアが生まれて。
リディアナ家の方々がここに住まわれ、わがまま娘のグレーシアが、タンジーを好きになって。タンジーが二年間ディアトーラに留学という形をとって一緒に暮らし始めると、剣術が不得手なタンジーを、ルカと父さまから護るんだと唐突に言い出したグレーシアが、剣術の稽古を始めた。
「タンジーさまは、わたくしが護ることにしましたわ」と粋がるグレーシアは、「三十年先は絶対に負けないから、仲良くしようよ」とルカに言われ、ぷんすか怒っていた。
グレーシアはずっと騒がしい子。
グレーシアがタンジーと結ばれエリツェリに嫁いで、孫が生まれて。
グレーシアそっくりの男の子だった。大きくなったらルディのようになるのかしらと思えるほど。
その小さな命を抱き、幸せというものを見つけた気がして。
さらに女の子が生まれた。癖のある黒髪に黒目。タンジーも黒髪で、黒い瞳だから……と思おうとしていたら、グレーシアが「母さまそっくり」と喜んでいた。
ルカがルディの意志を継いでくれて。
今はエドやミモナが若い者を引っ張ってくれていて、テオやフレドがそれをちゃんと見守ってくれていて、突然、ルカがマナを連れてきた。
確かに年中行事の中心をマナが仕切るようになって、距離は縮まっていたのだろうけど、ルカは、いつも穏やかに優しくあるのに、突然、手の届かない場所にいることがある。
そう、ルカは蝶のような子なのかもしれない。青虫が空を飛ぶようになるなんて、想像出来ない。だけど、ちゃんと蛹になって、当たり前でとても自然なことを、普通にする、そんな子だ。
ルディが「ルカはやっぱり隠すのが上手だよね……全然知らなかった」と呆れるような、敗北を認めるような声をあげていた。グレーシアの時は、やっぱり反対したくせに。なぜかルディはずっとルカの心配だけは口にしたことがない。
「大丈夫だよ。ルカはちゃんと自分の道を見つけるから」
「だって、シアだよ。危ないに決まってる。絶対に変な道を迷わず突き進んじゃうよ……」
シアを心配しすぎるから、タンジーがここで二年間過ごすことになったのだ。卒業後一年はひとりで、残りの一年は続いて卒業したグレーシアとふたりで。最後は「仲良しだからもういい」と投げやりなことを言っていたけど。認めたのなら、認めると素直に言えばいいのに、やはりルディはずっと変な人間だった。
ルタはクスリと笑ってしまう。
思い出すことはたくさんあった。
その中で、ルディはいつもおかしなことばかりしていた。
目を瞑る度に、景色が変わる。
だけど、思い出すその幸せと共にあったのは、なぜか、長い時間を過ごしたはずのワカバではなく、やっぱりルディで。
とても不思議な気持ちだった。もうすぐ、命の灯火が消える。それなのに、まったく怖くない。
目を瞑れば、いつでも会えるから……なのだろうか。思っていたよりも長く生きたからだろうか。
カーテンを開ける音にルタの目蓋が開く。優しい光が伸びてくる。
「ルディ?」
「ルタ? あ、ごめん、明かりを入れようかと」
ルディはベッドの中で小さく微笑むルタの傍へ、驚かさないようにそっと近づいた。
「またルディに悲しい思いをさせますね」
「……」
そんなこと、……。
しかし、ルディはゆっくり微笑む。
「大丈夫。ルタはいなくならないから。だから」
だから、悲しいとは思わない。
ルタも微笑む。穏やかに優しく。ルディを慈しむように。
「本当は、ルタに、僕がいなくなってたくさん泣いてもらおうと思ってたのに、……」
「あら、そうなのですね」
やっぱり、ルタは優しく微笑むだけ。
「だから、絶対に……大丈夫。あのね、今年も薔薇が満開なんだよ。少し起きられるようになったら、一緒に見に行こ」
ルディはルタの意識を繋いでおきたくて、ただただ話し続けた。
「綺麗でしょうね」
「綺麗だよ」
泣き出しそうなルディに微笑んだルタは、その目蓋に薔薇の木を映す。
虫の付いていたあの薔薇。咲かせようと思ったあの薔薇の花。アースが椅子を置いた場所であり、そのまま進めば良いと言ってくれた場所。そして、結婚式当日に花を一つ咲かせ、ルディがルタのお祝いをしてくれた場所に咲く、あの赤い花。
「必ずあなたの元へたどり着くようにしますわ。ルディはよく泣く子でしたから」
雨が大地に染みこみ、泉の中から再び湧き上がるように。あぶくのように揺れながら、流れゆく水のように、巡り巡って、いつか。
会うことのなかった、あの子も連れて。
「だから、泣かないって……」
ルタは掛け布団の中から、細くなった腕をゆっくりとルディへ伸ばす。
「だから、迷子にならないように、手を繋いでいてもらえますか」
「ちゃんと繋いでおくよ。ルタが迷わずここに帰ってこられるように」
微笑んだルタの手を、ルディは優しく包み込む。
時がすべてを奪ってしまわないように。ずっと一緒にいられるように。
ルディは零れ落ちてしまいそうなルタの白く細い手を、強く握りしめる。
「ルディは、いつも温かいですね………」
「うん。ちゃんと繋いでるからね」
ルディは締め付けられる胸に気付かないようにして、ルタに微笑み返した。それなのに、どうしてもルタが滲み始める。とてもか細く、とても儚い、そんな手に縋りたくなる。手に頬を寄せ、ルタを見つめる。一生懸命、ルタに笑いかける。
……ねぇ、ルタ、僕は……。
「ルディ……」
そのぬくもりに包まれたルタが、満足そうに目を細め、穏やかにその瞳を閉じた。
ずっと、幸せでしたわ……。
「ルタ………………」
★
「さっき、母さまに会ってきましたわ。よく眠ってらっしゃった」
「うん、最近は起きている方が珍しいから……スケッチ?」
「お庭の様子を見せてあげたくて。だからちゃんと色も塗りますわ」
「母さま、この薔薇が咲く度に、嬉しそうによく見上げていたものね」
領主となったルカが、スケッチを続けるグレーシアの傍に立ち、薔薇の木を見上げた。
風に揺られ、領主館からこぼれた薔薇の香りが、町を巡る。
泣く声、怒る声、笑う声。語らう声。すべての人に与えられた当たり前の声。日常にある声のすべて。
ディアトーラに響く音は、命の音だ。
陽炎のように揺らめく時間の中で、彼らは生きている。
そして、ディアトーラ領主館の庭には、たくさんの赤い薔薇が、今なお誇り高く咲き乱れている。
あの薔薇が咲き乱れる頃には【完】
今回は『あとがき』を書かせてください。














