「まったく誰に似たのだか」…2
赤い薔薇の木の下で、グレーシアはスケッチブックに鉛筆を走らせる。グレーシアが、ルカの稽古姿を見るのは本当に久し振りだ。
ルカの稽古姿は絵にすれば素直にかっこいいと思える。
グレーシアはそこで大きな溜息をついた。
誰かを好きになったこともなさそうな兄さまに相談したとしても、何にもならないのではないだろうかと。
しかし、母さまが言うのだ。兄さまに相談なさいと。
母さまは間違ったことを言わない。
お稽古が終わった兄のルカが汗を拭きながら、グレーシアに近づいてきた。
「ごめん、シア。何?」
「兄さまを格好良く描いてあげましたわ」
そう言いながら、線描きの兄の姿をグレーシアはルカに見せた。
「シアは上手に描くよね。もうリボンは描かないの?」
グレーシアが兄の言葉に胸を張る。
「おリボンは、リディアスの殿方が誰も頭に付けていらっしゃらないので、兄さまも嫌がるのだと分かりました。でも、わたくしが宮廷画家として有名になれば、この絵姿を見てどなたかが兄さまを見初めることがあるかもしれませんわ」
ディアトーラでも頭にリボンの男の子は、見かけたことないけれど……とルカが呆れたように笑うが、グレーシアは全く気にしない。
「ありがとう」
「『ありがとう』じゃありませんわ」
そんなのだから、相談のしようがないのでしょう?
汗が引いたのか、ルカがグレーシアの隣に座った。
「今年も薔薇が満開だね」
「えぇ。母さまの薔薇の花」
兄妹は薔薇を揃って見上げ、会話を止めた。
この薔薇は母であるルタが大切にしている薔薇である。父のルディが言うには、虫が付いていた薔薇の花に薬を塗って助けたのがルタだったそうだ。
あまり詳しく教えてくれないが、それが父と母が一緒になるきっかけだったということは、兄妹ともに知っている。
『母さまが薔薇を咲かせたから父さまと結婚したの?』
まだルタが元魔女だとは知らなかった小さな頃に、グレーシアが尋ねたことがあった。
母のルタは穏やかな微笑みで「そうですわね」と言ったのみだった。
「兄さまは……」
タンジー様のこと、どう思われますか?
両親に反対され、行く当てのないグレーシアの思いは、そのままルカに発せられずに、儚くなる。
きっと、父さまも母さまも間違ったことは仰っていないのだ。グレーシアはそう思っている。国同士のことは、よく分からない。
よく分からないけれど、グレーシアがエリツェリに輿入れするとなれば、ディアトーラがリディアスに有利になるのではないか、とは思う。だけど、タンジーを好きだと思う気持ちと、それは全く違うのだ。
「グレーシアは、剣術の稽古全くしなかったよね」
そんなグレーシアの様子を知りながら、ルカは全く別の会話を始めた。
理由が『血が怖いから』だ。確かに実戦ともなれば、人でも魔獣でも血が噴き出すものだ。十代の頃はルカもグレーシアは女の子だから、と納得していたのだが、ルカはグレーシアの方が剣術の才能に恵まれていたと思っていたのだ。グレーシアがまだ小さい頃の戯れで手合わせをした時に、それを感じた。
「戦いごとに興味ありませんもの」
グレーシアはふいと横を向く。多分、嘘ではないのだ。グレーシアは性格こそ負けん気の塊だが、小さい頃から静かに何かを観察することや、絵を描くこと、本を読むことをよく好んでいた。
それなのに、なぜか騒がしいことばかりなのだけど。
だって、この子にも母さまや父さまがいるんでしょう?
暴れた魔獣を仕留めて帰ってくると駆け寄ってきて、真っ先にお祈りを始める。
そのくせ、十四歳で初めてときわの森へ入った未熟なルカが、はぐれ魔獣に怪我させられた時なんて、ルカが慌てるくらいに泣いていたくらいなのだから。
「にいさまがかわいそうです。いたいのですよっ とうさま、だめなのですっ。かあさまも、だめなのですっ。おこっちゃ、いやなのです。にいさまがないてしまいますのよっ。かわいそうなのですよっ。よわいこをいじめるのは、だめなのですっ」
油断していたわけでもないのだけれど、一緒に森へ入っていた父さまにはどんな相手でも油断するな、と目茶苦茶に叱られるし、同じく一緒に森へ入っていた母さまには駄目出しを冷静にされるし、領主館でお留守番をしていたグレーシアはルカ自身をただ心配してくれ、思い切り泣き続けるし。あの時のルカを一番に追詰めたのは、多分、グレーシアだ。
利き手ではない腕に爪が擦った程度の大した傷じゃなかったから、そこまでかわいそがられても……とルカ自身が惨めになるほどだったのだから。
おかげで、色々染み渡って、良い教訓にはなっているけれど。
しかし、父と母によく分からないその理由を突きつけて、ギャーギャー泣きながら、ルカを庇うグレーシアを見ていたら、魔獣だって敵わないのではないか、と本気で思えたものだった。
「別にそれをどうこう言おうとは思ってないけどさ、父さまや母さまと手合わせしているとね、多分攻め方みたいなのは、分かったんじゃないかなって思ってさ」
「父さまも母さまもお強いですものね……わたくしじゃ、勝てませんわ……」
「そういう意味じゃなくて」
そう言って、ルカは言葉を整理し始めた。
「父さまは僕の三手向こうは読んでる感じの体運びをする。母さまに至っては、稽古服に着替えることなく、僕の相手をする」
しかし、グレーシアはきょとんとしている。
「兄さまも三手向こうを読まれては?」
たぶん、グレーシアは何ともなしに三手向こうを読んで、この絵を描いている。
「読んでるつもりなんだけどね……読んで動いても結局見抜かれてる」
父さまには、口止めはされているのだけれど、どうにかして、気付かないだろうか……。そんなことを思ってしまう。
ルカから見た今のグレーシアは完全に脱線している状態である。しかし、グレーシアは、レールの上に乗りさえすれば、おそらくその三手向こうを読み違えない。
ルカにはない才能だ。
「シアは、なんでタンジーと一緒になりたいの?」
「……お笑いになりませんか?」
真っ赤になったグレーシアがしおらしく俯くのが、ルカにはちょっと面白かった。
「スカート姿の母さまに勝てない僕が、笑える?」
「そうですわね……兄さまの目下の目標は、母さまのスカートを脱がすことなのですものね……それじゃあ、わたくしを笑えませんわよね」
脱線しているといつにも増して、会話が怪しくなるんだよな、シアは……。まったく、僕のことを変態みたいに……以前はナメクジだったし……。
そんなことを思いながら、ルカは言葉を呑み込み、グレーシアの言葉に耳を傾け、この子に悪気はない、と暗示に掛ける。
「学校で、先生からわたくし花壇をいただいたのです。休憩時間はお花の世話をするのです。お友達もいましてよ」
あぁ、リディアスの学校……。
強くなる場所ではあるのだが、その花壇の意味をルカは重く捉える。ワインスレーと言うだけでも、リディアスの奴らは馬鹿にしてくるからな……。まだ、魔女の国だと言われなくなってきただけましなのだろうが、ディアトーラとなれば、田舎の貧乏貴族くらいにしか思われない上に、よく分からない嫉妬を焼かれるのが、最近だ。
「友達がいるんだったら良かった」
「アミリアというとても可愛いお友達なのです。それで、そのアミリアが、その……襲われている時に、タンジー様が助けてくださって……」
ルカは妹の話に僅かながらに首を傾げた。学校で襲われる……。問題なんじゃないか? いや、グレーシアのことだ、別の何かがあって……。
ルカはグレーシアの次手のその先にあるものを探そうとする。そして、どう対応すべきか考える。
「何に襲われたの?」
「……ですわ」
ルカは自分の耳を疑い、聞き間違いだと思った。
「ごめん、もう一回言って?」
「その子も食べないといけないのは分かっているのです……でも、もうすぐ蛹になって蝶になるのかしらと、可愛がっていましたのに……カマキリが狙っていたのです。わたくし、互いの命をどうしたら良いのか分からなくなって……」
カマキリに狙われている蝶の幼虫を助けたタンジー……。
「タンジー様はカマキリを殺さずに、別のお庭へ逃がしてくださいました。とても優しいお方なのです。その後、タンジー様は、籠を用意してくださり、ずっとアミリアを護ってくださったのです」
そこで、大きな息をついたグレーシアは、さも深刻に続けた。
「その後、朝早くなのに一緒に羽化を見つめて、一緒に空へ飛び立つ蝶に手を振りましたわ。来年も一緒に見ようってお約束しましたの」
「約束ってそれだけ?」
「えぇ」
きょとんとするグレーシアに、ルカは嫌な確信を持つ。
「その話って母さま達知ってる?」
大きく頭を振ったグレーシアを見て、そもそもが心配になってくる。
「そもそもエリツェリのタンジーは、シアの気持ち知ってるの?」
ルカの質問に答えたグレーシアを見て、ルカは空笑いを浮かべた。
「来年もご一緒したいということはもちろん伝えていますわ。タンジー様も二つ返事で了承してくださいました」
及第点の問題じゃないな……。
「だけど、思ったのです。父さまと母さまにお許しを得てからじゃないと……わたくし、お約束を守れませんわ」
グレーシアはエリツェリが過去に母を毒殺しようとしたということを、誰よりも重く捉えていた、と考えて良いのだろうか。好きになるきっかけは、とりあえず人それぞれだから置いておいたとしても、このまま話が進めば、確実にタンジーが被害者になる。
父さまは、あんなふうに仰っていても、きっとタミル様に手紙を書くのだろうし……。
毒殺なんかに比べれば、可愛い被害者ではあるが、迷惑度でいえば、毒殺よりも厄介かもしれない。
小さい頃に会ったきりで、どんな子かはよく知らないけれど、少しタンジーが可哀想に思えてきた。
しかし、グレーシアに付き合って、カマキリを助けるくらいなんだから、きっと、心根の優しい子なのだろう、そんな憶測はできた。
グレーシアの学校生活とカマキリ事件についてのお話を広げて書いています。
ご興味がありましたらこちらからどうぞ。
「レモン召しませ。」
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