ときわの森へ…2
アノールは昨夜から気忙しかった。
兄が来るのだ。それだけでも気持ちがざわざわしてしまうのに、それに加え、セシルが「何名くらいお付きの方がいらっしゃるのかしら……」と何度も尋ねてくるのだ。
もちろん、ルカと両陛下お二人ということはないだろうが……。
アノールは過去を振り返りながら、最低でも侍女を含め五名くらいか、という考えを伝えていたのだが、やはり心配そうだった。だいたい、兄も兄だ。『少人数で来るから、大袈裟なことはいらない』としか書いてこないから……。
ただ、アノールとしては、お付きの者は屋根のある場所で寝食が出来れば、文句はないはずだとも、あちらの感覚的に思ってしまう。
おそらく、ディアトーラという場所を知っているアルバートもアリサも文句を言わせないだろう。さらに、セシルがディアトーラの見栄などにこだわるとも思えないし、ルタもルディもその準備に加わっているのだから、セシル一人で気に病む必要もないのだ。
「いつも通りでいいんだよ。セシルはいつも突発の来客に慌てず対応するだろう?」
「でも、旅人の方や郵便の方ですよ? リディアス王族の方ではなく」
「付き人も王族の者ではないよ」
アノールはそれでも不安そうなセシルに、言葉を足した。
「それに、そこは領主の私が、彼らにディアトーラの性質をちゃんと説明するから」
アノールが領主として兄と話すのも、これが最後になる。収穫祭が過ぎ、雪解けの春になれば、ルディに領主の座を譲ろうと思っているのだ。だから、これが最後の大仕事だとも言えた。
しかし、いざ目の前に兄が座ると、老けたものだと自分のことを棚に上げ、哀愁を覚えてしまった。
「兄様」
だから、懐かしい呼び方をしてしまったのだ。
「どうした、アノール」
「いえ、こうして話すのは久し振りだと思いまして」
アルバートが目尻に皺を寄せると、それは父のアサカナにも似ていた。
「お前とは話している方だ」
確かに、二番目三番目の兄たちに比べれば、国同士の繋がり上、この兄とは、よく話をしている方だ。それでも、あの春分祭以降、ほとんど対面して話をしていない。
「同じ国にお住みなのに」
「お国事情のだいたいは分かっておるし、話す事柄がないのだ……だが……」
兄が言葉を濁すのは、おそらくアイビー殿下のことだ。彼の長男であるアイビーが、アルバートのお眼鏡にかなっていないということは、以前から噂されている。アノールも返す言葉を考える。だから、アルバートが天を仰いだ。
「いっそ、ルディのように馬鹿ならよかったのだが」
「兄様、あいつは馬鹿ですが、あなたに言われることではありません」
「ははは、悪い。褒めておるつもりだ」
しかし、本当に、これだけ肩肘張らずに兄弟として話をするのは、子どもの頃以来かもしれない。
「これでも一時、ルディが補佐にでも付いてくれれば、と考えたこともあったのだ」
「止められて正解です」
「止めて、正解だと思う」
アルバートがアノールに焦点を合わせた後に、大きな溜息をついた。
「情勢として、次にリディアスを背負えそうなのは、イワンだろうと思っておる。足らずは、ロアンで十分だ」
「アキル兄様の……」
第二王子の御子息だ。
「イワン様は確か、海の外へも行かれてましたね」
ということは、その頃から考えていたのだろう。
あぁ、だから、こんなに老けて見えるのか。
アノールは兄をもう一度見つめた。ルディを海の外へ行かせた理由もここにあったのかもしれない。アイビーがリディアスを背負うために必要な者として、育てたかったのかもしれない。
そして、アルバートはもう肩の荷を降ろしているのだ。後は、イワンにリディアについてを仕込むことに時間を割くのだろう。
「アイビー様は……」
「悩んでおる。アキルに任せても良いかとも思うが、あの性格は、アイビーとは合わぬのだ。アイビーは思い詰める性質だからな。だから、いっそ馬鹿なら良かったのだ」
だから、アノールは言ってしまった。同じ息子を思う親として。
戴冠を退けられた者の気持ちを慮って。
「アイビー様家族をこちらで一度預かりましょうか? 二年でも、三年でも。もちろん、何かの役目は持っていただきますが、その後、お望みになるのであれば、アキル兄様の元へお連れ致しましょう」と。
ここは、ディアトーラだ。蔑みも憐れみも聞こえてこない場所にある。さらにリディア御神体の大樹がある神聖な地でもある。考えようでは任されたと思えなくもない。
そして、落ち着いて、もし、リディアスに戻る気があるのであれば、例えば、王位を奪還したいのであれば、イワンの父であるアキルがいる場所へ行けば良い。その方が、イワンの目に付きやすいから。
アルバートのお眼鏡にかなったイワンなら、実力のある者を逃すはずがない。
「兄様、私にとってもアイビー様は可愛い甥っ子ですよ」
アノールが密偵と言われ続けたように、リディアスにとって悪いようにはならないだろう。
それに、ルディとルタなら、大丈夫だと思えた。














