勝ち鬨は誰の手に…4
「お連れしました」
扉の向こうに立っていたのは、ルタだった。そして、ふたりして目を丸くする。そして、ルタの頬に涙が零れる。
「えっ、ルタ? えっ? どうして泣くの? えっ、……嘘でしょう? 僕が失敗しないために人質にとってたってことですか?」
今度は、アルバートが豆鉄砲を喰らったように驚いていた。まさか、慰労会の話をした後で、ルタを人質として取ったと勘違いするなんて思いも寄らなかったのだ。もっと言えば、自らルカを預けておきながら、何を言っているのだ? という矛盾である。
「やはり、海賊を逃がしたことをお咎めになっておられるのでしょうか?……彼らはリディアスに害なす者にはなり得ません……僕を信頼してくれています。だから、リディアス船に手を出すことはありません……だから、」
意味の分からないことを訴え続けるルディに、アルバートが苦笑する。そして、やっと海賊が自分の思うように動くだろうと言い出した。しかし、同時に丁度良いとも思った。予定通り、ルディを追詰められたのだから。
「だったら、どうするのだ?」
ルディが唇を噛んだ。ルタが何かを失敗したとは思えないルディは、ルタが謂われもなく魔女にされたと勘違いしたのだ。
「返してもらいます」
「ほぅ、奪い返せると……」
アルバートはにたりと笑い、ルディの様子を窺った。
今のルディには、返して欲しい、それしか考えられなかった。
ルディの頭の中はパニック状態でありながら、とても冷静に働いている。
アルバートにどう詰めていけば良いのか、どの石を置けば、勝利を導けるのか。
リディアス船を襲うようにだって……。フローロアとの交易だってやりようによっては、白紙に出来る。差し当たりルディがいなければ、成り立たない内容なのだから。脅しの材料くらい、今現在であっても、あるのだ。ルディが仲介するからこそ、成り立つ条約だ。
だけど、とルディは言葉を呑んだ。
ここでそれを脅しの材料として使えば、ディアトーラが危ぶまれる。
攻め方が悪い。
護らなければならない御旗は『ディアトーラ』である。
失いたくない者は、ルタである。
まさか、あの海賊ごときで咎めるとは思わなかったけど。別の方向から攻められないだろうか。
植物を育てることを得意とするルタが、リディアスにとって有益であるということを知らせるために、檸檬の種を使う……は弱いか。
他に、今使えるものは……。
信頼していたのに……そう思うと自分の首を絞めてやりたくなる。
ルディは唇を噛んで、アルバートを睨み付けていた。
★
「無礼を承知で失礼致します」
ルディが一人で混乱している中、ルタが一礼して歩き出した。
あまりにもあまりだったので、ルタがルディを引き取ろうと思ったのだ。それに、とルタが息を吐き出した。
何を隠したのかは分からないが、ルディが潜めている駒をこんなところで、こんなつまらない理由で使うわけにはいかない。
それに、不敬を買うのなら、ルタである方が良い。
「魔女の手を借りるのだな」
それをアリサが一睨みし、ルディが何か言葉を発する前に、そのアルバートの言葉の下から宣った。
「陛下、もうよろしいでしょう? そして、その言葉は失礼極まりないわ。ルタ様は魔女ではございません。歴としたディアトーラ元首御子息の妻女でございますよ」
アリサの声に、ルタが続ける。
「構いません」
二人してルディと、さらにはアルバートにも喋らせまいとする。そして、御前でさらに深く一礼をしたルタが、そっとルディに寄り添い、隣に跪く。
「陛下、少しだけお時間をいただけますでしょうか?」
ルタはどちらへ向ける言葉でもなく、『陛下』を使う。
「どうぞ。こちらも少し遊びが過ぎましたね」
呆れた笑みを浮かべるアルバートに代わり、アリサの声はルタに優しく、それを許可した。
これは、アルバートの戯れだ。しかし、今どうこうではなくとも、試されているのも確かだ。アリサがそれを加速させたのも、確かだ。
しかし、アリサの雰囲気からすれば、追詰めたかったわけではないのだろう。ただ、何かを証明したかったのだ。
きっと、ルディが勝手に想定外のことを引き起こしているのだ。
おそらくルタも悪かったのだろう。扉の先は両陛下のみだと思っていたこともあり、思わぬ再会で、元気そうなルディを見て、涙が零れてしまったから。だけど、これはきっとルディが悪いのだ。ルディが泣き虫だから、ルタにまでうつってしまったのだ。ルタは涙が零れる度にそう思う。
もちろん、予測不能なルディの慌てっぷりのお陰で涙は吹き飛んだのだけれど。冷静になれたのだけれど。
「お帰りなさいませ。お疲れになりましたね。でも、少し落ち着かれてください。そして、良くお考えください」
少し考えれば、ルタが人質になっているなど、思えるはずもないのだ。しかも、その事実をルディに知らされることなくなど、全く意味がないのだから。
「仮にわたくしがあなたの成功を賭けた人質だとして、ルディが知らないことの方がおかしいでしょう?」
「だけど、不在を狙って……」
それも、領主であるアノールがいる。立場も弁もアノールの方が強い。狙うのであれば、アノール不在の時の方が良い。
「あなたの不在など、リディアスにとっては、部屋に埃があるかないかくらいに小さきことです。ですので、あなたがどんな脅威になることもないでしょう」
言葉に反して、ルタは優しくルディの背を撫でる。
「そうだろうけど……埃でもくしゃみは出るよ。でも、ルタのことは必ず護るから。今考えてるから」
声を潜めるが、謁見の間であるにも拘わらず、一度、緊張の糸が解けてしまっている上に、不審の中にいるルディは両陛下をいないもののようにして、ルタに話しかけ続けた。きっと、本当にまだ周りが見えていないのだろう、とルタがルディを思った。ルタはいつも思う。ルディはルタを護ると言うが、それは無理だ。ルタを助けた時点でディアトーラが滅んでしまう。とにかく、ルディの勘違いだけの騒動に抑えたい。
「いつも申しておりますが、わたくしは護ってもらわなければならぬほど、か弱き人間ではございません。それに、あなたは失敗と言うほどの失敗はなさっていませんわ。よく見てくださいませ。わたくしは、人質としてあったようにお見えですか?」
ルディがルタを眺める。「でも、泣いてたよ」とか「いつもと違う雰囲気だよ」とか「でも、ルタは人間だよ」「こっちの様子が分からないから、本当に心配だったんだから」とか。
いつまで経ってもルタを心配し続けるルディを、今度はアリサが優しく窘めた。ルディがアリサを眺める。
「ルディ、その場合は褒めるのです。お綺麗でしょう?」
ルタがじっとルディを見つめている。黒い瞳は魔女ではなく、人間のもの。淡い桃色のドレスに、黒髪を結うリボンは、白い家族の印。首元では桃色の薔薇が揺れている。ルタはいつも通りである。
「うん、綺麗…………本当に違うの?」
「えぇ、違います」
冷静さをことさらに欠いているルディへ、ルタが微笑みを残すと、すぐに前方へ頭を垂れる。「リディアス国王の御前ですよ」そして、その非礼を詫びた。
「両陛下におかれましては、よりいっそうご清栄のこと、まことにお喜び申し上げます。また、このような機会にあずかり、身に余る幸せに震えてしまい、この喜びを上手く表現することもできません。そのような心中にあります主人の失態も一笑に付していただけませんでしょうか? 主人は今、長旅の疲れもあり、混乱しているのでございます。わたくしが、国賓、として現れたものですから。何卒、お願い申し上げます」
ルタに続き、非礼だけは納得出来たルディが慌てて頭を下げていた。
しかし、ルディにとっては何が喜びなのか、まだ分からないのも事実だった。
そんなふたりにアルバートの声が降ってきた。
「アリサの言う通りだった。そして、ルタよ。先程は申し訳なかった。この通りだ」
アルバートが頭を下げるので、ルタは落ち着いて「いえ、頭をお上げくださいませ。不敬はわたくしにございます」と伝える。
求めるものが違う。アリサの言うとおり『ルタ』の解放は妥当であった。確かにルタは危険だ。しかし、人と同じ時間を生きる生き物としてあるのであれば、この状態を維持すべきなのだ。
そうだ、求めるものを同じにしてはいけないのだ。
ルタを魔女にしていないのは、間違いなく『ルディ』である。ルディを獅子にしてはならぬのだ。アルバートは自身に呆れた。
銀の剣の意味を履き違えるな……か。
「ルディにも伝えておきたいことがある。ルタの言葉通りなのだが、私達が国賓としてルタを招待したのだ。この意味は分かるな?」
「……えっ」
今度は素っ頓狂な声を上げたルディが「本当に?」と確認する。
「本当ですよ。もう、シアが魔女になることはなくなったということです」
「本当に? ルタ? ほんとう?」
肯くルタを見て、ルディがやっとアルバートに視線を戻した。
「えぇ、ですので、お詫びしなければなりませんね。そして、感謝の意を伝えねばなりませんわ」
ルタがアリサを見つめた。そのアリサがアルバートに視線を向ける。アリサの視線を受けて、アルバートが苦笑する。予定通りとは言えなかったが、アルバートの知りたいことはよく分かった。
まさか、ここまで狼狽えるとは思ってもみなかった。
「詫びも礼も構わぬ。これは慰労会までの余興であろう?」
そして、この余興は無駄ではなかった。
アルバートの中にあった痞えは、すっかり『呆れ』というものに、すり替わってしまっていた。アリサが言う通り、ふたりであることが、ふたりの弱点である。そして、弱点が弱点として働かない。むしろ、ふたりだから恐ろしいくらいに伸びてきているのだ。
アリサがこのまま彼らを見守るという理由が分かった。追詰められた後に、いったいどこまでアルバートを丸め込むことが出来るのか、それを見てみたかったのだ。
実際元首として立てば、どの程度の者なのか、ただ、それを知りたかった。
しかし、ルディが危険なのだとすれば、誰とでも仲良くなってしまうところである。
その実、リディアスは銀の剣を、アルバートはルディを失いたくないのだから。
まったく何を試したかったのか……。
深く頭を下げているふたりを見下ろした後、アルバートは呆れて天を仰いだ。
『勝ち鬨は誰の手に』【了】














