勝ち鬨は誰の手に…2
「かあさま、みてください」
ルタが振り向くと、すっかりお姫様になっているグレーシアがリディアスの侍女に連れられ立っていた。
「シア、おひめさまなのです」
「ほんとうね」
グレーシアは嬉しそうに、ドレスの裾をあげて、隠れている赤色の靴を見つめる。それは、アリサがグレーシアにとくれたものだった。
「ぴかぴかなのですよ」
良く磨かれているその靴は、グレーシアにとって、宝石のように見えているのだ。だから、グレーシアは可愛くて綺麗なものに包まれて、幸せに満ちているのだ。
彼女の着る薄桃のドレスはたっぷりとしたフリルが付けられていて、花が咲き乱れているようにも見える。そして、そのフリル集め、それらを纏め止めるようにして、大きなリボンが縫い付けられている。
「おおきなおリボンなのです。おなかなのです。おリボンはまんなかなのですよ。かあさまのは、すこしゆがんでいます。よこをおなかに、もどさなくちゃなりませんね。かあさまは、まだいかないのですか?」
グレーシアは動かないルタを見て、リボンの位置が違うから、まだ支度が整っていないと思ったようだ。サイドに付けられた少し小さめの自分のリボンを見つめた後、ルタは微笑み、その返事を返した。
「先に王様とお妃様がお話をしたいそうですので。シアはルカと一緒に広間にやってくるのですよ」
「はい。シアはレディなのです。にいさまをちゃんとつれていきますの」
グレーシアはさっき覚えたばかりの素敵な言葉を使い、ちょんと膝を曲げてお辞儀をした。
「シア、レディは走ってはいけませんよ」
「はい。かあさまも、はしらないでいいように、おしたくなさいませ」
すまし顔のグレーシアにルタはクスリと笑う。
それは、いつもグレーシアがルタに言われている言葉だ。
そして、るんるんと顔に書いてあるようなグレーシアが、頭の白いリボンを揺らし、お辞儀をした侍女を連れて、ルカの部屋へと向かっていった。
★
朝起きて、伸びをする。久し振りによく眠れた。そんな感想を抱き、窓まで歩く。しかし実際は、深く眠れただけで、夜遅くまでこの部屋の明かりは灯されていたのだ。
ルディはやはり緊張している。それに気付かないように、肩を回しながら、「よく眠れたぁ」と自己暗示に掛けているのだ。
リディアスの朝は久し振りである。
学生の頃は毎日この眩しい朝日を見て、ディアトーラとの違いを感じていたものだ。すべてが眩しく見える国。それなのに、満足しない国。
春分祭での夜明けは、熱がすべてを焼いてしまうような、そんな絶望にしか思えなかった。
そして、今日。
何も感じない。ただ、朝が来た、と思うだけ。
扉が叩かれる。
「朝食をお持ちしました」
「どうぞ」
扉が開くと、ルディに付けられている世話役だった。アノールよりも少し年齢は低いのかもしれないが、髪は綺麗な銀灰色で、几帳面に整えられている。彼は慇懃に礼をすると、静かに朝食の盆をテーブルに置いた。
「クロノプス様、お着替えは本当にお手伝いしなくてもよろしいのですか?」
「大丈夫。気にしないで」
今日は、両陛下に条約の内容を伝えるのだ。大役ではあるが、これは単なる結果でしかない。
ルディは世話役の男が扉を閉めるのを待って、朝食に手を付けた。
片手には、一枚の紙がある。昨夜解放されてから、走り書きにした自分用の条約内容が書かれてあるものだ。学生の頃は時間を惜しむようにして、物を食べながら、学友の国について、世界について、歴史、数学の公式など様々なことを暗記したものだったが、今こんな格好をしていれば、とにかく誰かに咎められるだろう。
それでも、ルディはその内容を食べものと一緒に呑み込み続ける。
内容としては問題ない気はする。しかし、フローロア王国の外交担当が期限を決めてきたのだ。そう、あの鍵を握ると言われていた兄君だ。
ルディがリディアスとの間に入れる間は、と。その後は、その後の者が決めれば良いのではないか、と。
もちろん、彼はルディが今後この交易を進める担当であるとは思っていない。それなのに、ルディがリディアスに口を出せる間だけの効力となっているのだ。そうなったのは、彼がそれを譲らなかったからだ。
「気に入ってくれたのは良いのだけど……」
パンを噛みちぎったルディが少し思案する。
あの外交担当がいる間は、フローロアは危険な国にはならない。しかし、問題はフローロア元首である。彼の国の国王陛下は少しばかり曲者のように思うのだ。
あの方は一筋縄ではいかないだろうな……。一つ間違えば、大事に至る。性質としては、少しリディアスに似ている気もする。好戦的であるにも拘わらず、おおらかに物事を構える。
そんな彼の絶大な信頼を得ている兄に当る外交担当。陛下が火であれば、彼はその火を静かに鎮める雨だ。
だったら、その彼の意見は尊重して然るべきである。
彼がいたから、上手くまとまった。少し変わった方だけれど、ルディよりも少し年上で、面白い方だった。なによりも奥方様を第一に考えているところに好感が持てる。
さて、どう伝えるべきか。伝え方、その順序を間違えば、ルディの失敗で大事に至ることもある。
お茶を啜る。ルタならどう言うのだろう? ルディはルタを考える。
「ルディ、嘘はいけませんわよ。いいこと、正直に偽らずに事実を述べること」
でもさ、そのままを伝えると、きっと全部白紙だよ? 相手はリディアスだよ? 下手に僕がしゃしゃり出てると思われれば、ディアトーラだって危なくなる。
「不確定なことを伝える必要はないということです。あなたの感じたその後は、リディアスが考えれば良いのですから」
人間は未来を描くことができる生き物だっけ?
きっと、ルタは当たり前のようにしてクスリと笑う。
「リディアスの求めた答え以上は、必要ないということですわ。友好を結ぶ、これがリディアスの求めたものです」
空っぽになったカップが皿に戻された。だから、ルディは頭の中で、風化しそうな事とそうでないものを分け始める。革命でもない限り、十年単位くらいで纏められるだろう。
リディアスが求めた条件は呑んでくれている。交易を始めること、アイアイアを通さないこと。今回の絶対条件がこの二つ。交易に関しては、大きく有利に運ばなくても良いとのことでもあった。
これは、あくまでも友好を示すためのもの。
「友好かぁ……リディアスのそれって『開示せよ』の意味だものな」
ルディとしては、その辺りの様々な手土産的な報告は手に余るほどあるにはあるけれど……。
外交官が言った。ルディが見たこと、聞いたこと、知ったことへの開示について。箝口令でもあれば聞いておかなければならない、そう思うくらいにその外交官はルディに友好的だった。
「その辺りの開示については、使者殿に任せる。私にはそちらに必要な物が分からぬ故に。もちろん、そんなものはないような気もするが、国を揺るがすほどの機密は教えておらぬので、そちらも心配なさるな」
だから、もう一度頭を抱えた。だから、彼はルディがいる間の友好的外交を望んでいる。ズボンのポケットに手を突っ込み、種が入った包みを取り出した。
一つが紅花、一つが檸檬。
その両方が、彼にとって大切な花を咲かせる種である。一つが奥方さまの故郷の花、もう一つが、彼の母上が愛した花を咲かせる木。
「花は咲かせて見せましょう」
ルディは自分の言葉を思い出し、もう一度考えを纏め始める。約束なのだ。
「その後のことは、その後に生きる者たちに任せれば良いだろう。我々は、今為すべき最善を常に進み、託せば良い。私は自分が出来ぬ分、誰に信頼を寄せられるかを見定められる目はあるのだ。心配はしておらぬ」
彼はそう言って、軽やかに笑った。
それでも嫌な気がしないのだから、やはり、彼がいる限り、あの国は大丈夫だ。だから、きっと彼が『鶴の一声』のところがあるのだ。
迷った時に縋る占いのような。
ルディは彼の一声で、国家元首との面会が叶った事実を思い返し、そう思った。
しかし、それにしても分不相応な格好な気がする。
着替えを広げてみて、ルディは首を傾げた。
まるで、宴会に招かれているような……。
気にしてみたが、他に着替えるものもないし、リディアスが用意したものだから、間違ってもいないのだろう。
そう思い、袖を通し、欠伸をかみ殺したルディは、紅花の種はヴァイサルにあげようと思った。














