勝ち鬨は誰の手に…1
「わぁ、揺れない」
ルディが、アイアイアの地に立って初めての言葉がそれだった。今回の船旅で何が一番ルディを苦しめたかと言えば、実は揺れる船による船酔いだったのだ。
最大の敵は、揺れだ。そして、その次は日焼け。帰りは少し慣れてきたようだったが、往路はとにかく肌が焼けてヒリヒリと赤く熱を持って、寝ても覚めても痛かったのだ。さらに言えば、膿をとる為に付けたガーゼが悪目立ちし、騒がれるので、部屋に閉じこもってしまった。
海の上の太陽はそもそも日射しの少ないディアトーラなんて比じゃなかったのだ。
だから、日中は甲板に出られず、風にも当たれず、余計に揺れを感じてしまったのかもしれない。
ルディは遠征を思い出しながらも、やはりそう思う。
一番は揺れ、二番は日焼け。
途中心配していた海賊にも出会ったし、嵐にも見舞われた。
会いたくないと思っていた海の魔獣にも出くわしてしまったし、大きな烏賊で舳先を掴もうとする吸盤と墨が厄介だった。
しかし、出会った海賊の頭と馬が合い、嵐の際も魔獣の際も気に掛けてくれ、流されてしまった船員幾人かを拾ってきてくれたし、その逆もあった。
「友のためには働かねばならんからな。いくら腕が立とうとも、ルディは海との戦いは知らんからなぁ」
ルディがあげたキラキラの使者服を纏って、呪文のようにとにかく長い名前の彼が、がはがは笑うので、苦笑いで「ありがとう」とルディは答えた。その後も、彼は護衛船のように、ルディのいる船が沖を出るまでずっと見守り続けてくれていた。
彼は海の上の眩しい光の中で、一段とキラキラ輝いていた。彼を見る度、ある意味保護色だなと思いながら、気に入ってくれて良かったと、ルディはつくづく思ったものだ。
しかし、人の物を強奪しなければ、世話焼きのとっても良い人なのに……。本当にそれ以外を除けば、彼は紳士と言って過言ではなかった。船の上の王様なのだろう。強奪は領土拡大といったところか……。同じ穴の狢とも言えなくもない。
しかし、本当に勿体ない。
「キャプテン・ラギと呼んでくれ」と握手を求め、外海の終わりに別れを告げた彼を、ルディはやっぱり残念に思った。
ルディが目指す国でも、言葉の壁にぶつかり、文字を読み間違えて、迷子になりかけて、親切を装う泥棒に変な道を教えられ、襲われかけた。こっちの賊は、姑息な負け犬で、敵わないと思えばすぐに散ってしまった。取り残された一人を、その国の役場へ突き出した。
それがきっかけで、フローロアの重要人物に出会えたことは確かなので、とりあえず、運は良かったのだろう。
色々あった。しかし、考えてみても、船酔いが一番どうしようもなかったのだ。気持ち悪いし、目の前はどよんとなるし、頭は痛いし。ご飯もまともに食べられないし。
努力でどうにもならない部分。だから、ルディは揺れない大地にキスをしたい気分にすらなった。
「クロノプス様、お荷物全部下ろせました」
そして、そんな大地への郷愁に耽っていたルディに、ずっと付き添ってくれていた商人のズッカが挨拶をしに来た。
「本当にありがとう。ズッカがいてくれたから、心強かったよ。本当に感謝している」
そのままズッカを抱きしめる勢いのルディに、ズッカが「いえいえいえ」と大きく手を振った。
「こちらこそ、幾度も命を助けられました。私ができたことと言えば、クロノプス様のお話に付き合うくらいで」
「それが一番助けられたよ」
お話、とズッカは言うが、実際はディアトーラに早く帰りたいという愚痴と、後は惚気だった。
「お役に立てて良かったです。早くその素敵な奥様にもお会いできると良いですね」
「ありがとう、ズッカ」
そう言うと、ズッカは胸に手を当てお辞儀をし、「お元気で。失礼します」と別れを告げた。
「元気でね」
今生の別れではないが、一年もの間ずっと一緒にいた相手がいなくなると、やはり寂しいものがある。ルディはズッカの背が人混みに消えてしまうまで見送っていた。
そして、気持ちを切り替えようと、「やっぱり、揺れないって、すごいなぁ」と呟いた時、リディアスの衛兵に囲まれた。
★
時はあの冬の日まで遡る。グレーシアを寝かしつけた後、アノールとセシルに呼びつけられたルタが両手で口元を覆いながら、僅かに震えていた。
「本当によろしいのですか?」
今にも泣きそうなルタが、アノールとセシルに再確認する。
「良いも何も、リディアス両陛下がそう仰っているのだから、そのように準備しなさい」
アノールの言葉は硬いが、その表情はとても柔らかかった。セシルも微笑みながら「ルタ様がご指名なのですから」と続ける。
「ですが、お二人とも早くお会いになりたいはずですわ。わたくしは、無事が確認できればそれで……」
「いいのよ。一年待ったのです。ほんの少し伸びるだけですから」
「だけど、……」
セシルは、涙をこぼし始めたルタの背中を抱いて、優しく擦る。そして、アノールがさらに必要性を唱える。
「ルタである方が良いのだよ。国賓として招かれるのだからね」
アースが認めさせたかったことが実現するのだ。
リディアスが魔女を正式に受け入れたという事実。
『時代錯誤』や『一般的には』なんて周知させたとしても、魔女を政敵として見なすリディアスから、魔女の存在を消すことはできない。しかし、そのリディアスが魔女であったとしても、ルタを国賓として受け入れると言うのだ。
魔女であったとしても。
手紙にあったその言葉が重みを持つ。
『ルディ・w・クロノプスからの知らせである
万事滞りなく。春来たれば、戻る
よって、功績を称える
大いなる困難を乗り越えた者として、春分祭の後、此度の功績を挙げた者を呼び集め、祝賀会を開く。彼の者の功績を労いたい者はすべてにおいて、参じることを許可す
たとえそれが魔女であったとしても、リディアスはこれを問わない。共に心身砕く者に「異」を唱えることは、今後一切なきこととする。それを踏まえ、準備されたし』
『ルタ』だけが認められたのではない、これから先、何があってもルタが魔女として扱われることがないということは、この世界の魔女すべてに繋がるのだ。
世界から『魔女』が消えた、と言っても過言ではない。
おとぎ話の中に『魔女』が入ったのだ。
「ドレスを選ばなくちゃ。ルタ様は何を着てもお似合いになるわ。楽しみですね。そうね、今回はシアとお揃いにしましょうね?」
「はい。シアは……もう、心配ないのですね。セシルのリボンのおかげです……ありがとう……セシル」
涙声のルタがセシルの肩で気持ちを零す。
グレーシアが、魔女になる可能性がなくなった。
その事実を胸に、ルタはセシルの肩で咽び泣いた。
★
衛兵に囲まれたルディはそのまま馬車に詰められ、列車に詰められた。
リディアス兵と身元が分かっている以上、抵抗するわけにもいかない。ルディは様子を窺いながら、静かに列車に揺られる。
あぁ、せっかく揺れない大地を踏みしめてたのに……。
リディアス兵に敵意は全くない。どちらかと言えば、本当に護衛してくれていそうだ。そう思うと、ルディはもう少しアイアイアを楽しみたかったという、思いに駆られ始めた。
揺れないアイアイアの地に立って、海を見つめれば、海の印象も変わったかもしれないのに。
こんなことされずとも、どこにも寄らずにリディアスへ行くよ、まったく。いくら貴重な情報を漏らしたくないからってさ……。
あ、ズッカ、大丈夫かなぁ……。彼は政治的なことは、何にも知らないけど……。……。
大丈夫だな。
ルディは思い返しながら、そう思った。ズッカが知っていることなど、アイアイアの商人なら誰でも知っているようなことばかりだ。そのくらい、リディアスだって分かっているだろうし、そこまでルディが信用されていないとも思えない。
多分、先にディアトーラに行きそうだとか、そんなくらいを心配されたのだ。
だから、ルディは膨れて窓の外を見ている。
でも、だから、リディアスは嫌い。ルディがリディアスを嫌いな理由は、これに尽きる。
リディアスはリディアスとしての筋を通してくるのだ。とても強引に。
だけど、それ以外で嫌いなところはないのだ。あの国はあの国が成り立つために、道理を通しているだけで。そう思えるのは、やはりお祖父さまの国だからなのだろう。
ルディは、人に誤解され続ける不器用なあの笑顔が好きだったのだ。
しかし、見慣れた景色を眺めていると、ほっとするのもある。言葉の齟齬も、もうないだろうと思うと、本当に安堵する。とりあえず、お迎えに上がってくれたようだし、断りだけ入れておこうかな……と指揮を執っていそうな衛兵の一人にルディが声を掛けた。
「あの、少し眠っていても良いでしょうか? 安心すると疲れがどっと出て参りまして」
衛兵がルディの言葉に目を丸くして、すぐに驚きの表情を隠そうとした。失礼だと思ったのだろう。そして、冷静な声で「どうぞ、お休みください」と告げた。
「ありがとう」
ルディは柔らかに微笑み、そのまま目を閉じた。














