便り
秋が来て、冬が来る。
ディアトーラの冬は相変わらず寒い。
毛糸の帽子に、マフラー、毛織りのポンチョと手袋をしたルタが、雪の中手紙を携えてきてくれた配達員から、その手紙の束を受け取った。
春になる前に手紙が届くなんて、珍しい。そして、その一つに理由があった。
「リディアスからですか」
「えぇ、断れないでしょう? 雪の止み間があって本当に良かった」
外套で膨れた配達員は苦笑いをした。その手には冬毛の生えた馬の手綱がしっかり握られている。
「まったく、途中から徒歩ですからね。こんな時にリディアスからだなんて、大事極まりないかと思うとね」
愚痴を言いたくなる気持ちはよく分かる。しかし、ワインスレー各国がリディアスの外交に翻弄されている今、火急の用事があるとも限らない。リディアスも、であるが、それぞれが元首並の者を人質に取られているくらいに、緊張しているのだ。
「あ、でもエリツェリのものもありましたし、気になさらないでくださいね。仕事ですから。それに、ここは意外と気楽です。変に気を使わなくて良い方ばかりですし。皆さん、慣れれば気さくな方々ですし、ここでいただくホットミルクが美味しくて」
配達員は、それが一国の元首夫人に対して、失礼に値する言葉だとも気付かない。しかし、それもそのはずだ。ルタはそんな配達員を優しく眺めるだけなのだから。
「そんな風に仰ってくださると、気持ちが少し軽くなりますわ。どうぞ、火に当ってきてくださいませ。寒い中本当にご苦労様です。馬はわたくしが連れて行きますので」
ディアトーラの領主館は、外から来た者を泊める役割もある。これは、ずっと以前から。以前に比べれば、町の者の人見知りもずいぶんましになってはきているが、そもそも宿泊施設がない。そして、今から出立となれば、エリツェリに着く前に、日が沈んでしまう。寒さで魔獣の動きも活発ではないとは言え、冬の夜は凍り付くほど冷え込むのだ。
そして、冬の太陽はとても儚い。
「奥方様にそんなことさせるわけには。場所は存じております。それに、こんな雪の中歩いてくれた相棒を、己寒さで世話を放棄できませんよ。ちゃんと、服も着せてやらないとなりませんし、ちゃんと労ってやらないとね」
ルタはそんな配達員にかまわれる馬を見て、優しい眼差しのまま微笑んだ。
「分かりました。では、中の者に伝えておきましょう」
「お世話になります。あ、明日、私が出発するまでなら、手紙も預かりますから。皆さんにお伝え願えますかね?」
エリツェリより向こうに行けば、グラクオスからは列車も走っている。
「助かりますわ」
配達員と別れたルタはセシルに後を頼み、リディアスからの手紙だけ、預けて、残りの手紙を町へと配ることにした。そして、今そのルタの右手には、グレーシアがにこにこと歩いていた。
白い息を吐きながら、頬を赤くして。
ルタと同じように、毛糸の帽子、ミトンの手袋、そして、マフラーにセーター、冬用のブーツ。雪を踏みしめながら、足跡をつけて楽しんでいるようにも見える。雪を踏みしめる音を楽しみ、足跡がくっきり残る度に満足そうに笑う。
「シアがもってあげますわ」
そう言って、手紙を一通寄越せと、草木染めの手袋の手を差し出す。
「ありがとう」
お手伝いをすると息巻いているグレーシアが、受け取った手紙の名前を声に出して、ルタに確認する。
「グレーシアはお利口ね。良く読めるようになってきましたわ」
だけど、グレーシアが満足そうに肯くと、ルタの瞳には、不安の色が現れる。リディアスからの通達を知るのが怖い。そんな風に感じてしまう。どうしようもできないことは分かっている。ルディは強くなっている。だから、大丈夫。必ず帰ると約束したのだから、大丈夫。
だけど、海に放り出されてしまったら……。
足場のない場所で、海の魔獣に襲われてしまっていたら……。
遭難だって、あり得る。
ルディは人間だ。ワカバやラルーのように海の底に落ちて、平気な顔をして浮かんでこないのだ。食べものや水のないところで、生き延びられる生き物でもない。
それは、ルタだって同じでしょう? ルタもか弱い人間なんだから。
ルディの声がしたような気がしたが、声を出したのはグレーシアだった。
「かあさま、こっちですわ。ぼんやりしていると、こけてしまいますのよ」
もう一つ冬が巡れば、学校へ行くのだ、と張り切っているグレーシアは、そんなルタにお姉さんぶる。「シアは、もう六さいなのです。タンジーさまとおそろいなのです。もうすこしで、がっこうなのです」が最近の口癖だ。ルタはグレーシアの中で、時間が止まってしまったタンジーとの『おそろい』の間違いを正さずに、微笑むに留める。
ルカがリディアスへ行ってから、グレーシアはとにかく学校に憧れている。
「かあさま、つぎのおてがみ、くださいませ」
「どうぞ。あら、次はエドのお家ね。これが最後ですわ」
裏書きを見るとルカだった。リディアスからの手紙は、思わぬ手紙も連れてきていた。
「る、か、く、ろ、の、ぷ、す。にいさまね」
「元気にしているようですね」
家の方へ手紙を寄越すことはほとんどないルカだが、時々エドやテオと手紙のやりとりをしているようだ。それを、エドもテオも彼らの両親も教えてくれている。
向こうでロアンという友達ができたらしい。星について語ったんだって。ルカらしいよね。
ロアンと言えば、アリサの娘であるシルビアの長男だ。
エドとテオは嬉しそうに報告してくれる。ルタが尋ねなくても、彼らは教えてくれる。
だけど、ルディなら、次の手紙の内容を教えてほしい、と彼らに無邪気に言えるのだろう。
ルタもルカの今を知ることができれば、嬉しいとは思うけれど、そんな風に言えない。
知りたいけれど、自分宛でもない手紙の内容を知ってはいけない気もする。
だって、あの時。ルディがルカに伝えた時。
「変わらないんだよね」と確かめて。
「父さまは、ルカの父さま。母さまも、ルカの母さまで変わらないよ」
ルタの手の届かない場所で、ルカが笑ったように思えた。何が変わったのか、ルタには分からない。
ルタはルカの母でありたい。変わらないと思いたい。それだけは分かっている。
「変わらない」とまっすぐ言えたルディなら、きっとこう言う。
大丈夫だよ、ルカだって怒らないって。だって、僕たちは親だよ。知る権利くらいあるって。何にも寄越さないルカが悪い。
ルディの表情を思い浮かべる。きっと、笑っている。
シアはまだ手紙を見つめていた。
「かあさま、シアはおこっています」
グレーシアは時々、ルタの考えを読むように言葉を発する。そして、腰に手を当て「ぷん」と口に出す。きっと、ルタは手紙を寄越さないルカに、グレーシアの『ぷん』くらいの小さな怒りを持っているのだろう。ただ、それ以上にどこか悲しく空しい気持ちがあるだけで。
ルタも『元気にしていますか?』くらいしか書けない自分自身に腹を立てる。だけど、手紙のほとんどを、グレーシアがお絵かきで埋め尽くしてくれていることに、救われている。
「そして、こうやって、にいさまにおてがみをかきます」
「ぷんって?」
「はい。おりぼんのにいさまをかいて、おりぼんのかあさまをかいて、おりぼんのとうさまもかきます。おばあさまとおじいさまもかきます。かあさま、シアに『ぷん』をかいてください」
グレーシアはさも当たり前のように、ルタに伝える。
「おりぼんはかぞくおそろいなのに、かあさまと、シアしかあたまにつけませんの。シアはみんないっしょがいいのですのに、にいさまなんて、『むりだよ』っていうのですよ」
ルカが無理だというのなら、無理なのだろう。もちろん、ルカは男の子だから、嫌がるのだろうけど……。
立ち止まっていたルタの手を、歩き出したグレーシアが引っ張っていた。
「かあさま、いきますよ。かあさまは、おもいですから、じぶんであるいてくださいませ」
寒さで頬を真っ赤にしたグレーシアが怒っていた。
「ごめんなさい。シアはずっと怒っていますね」
頬を膨らませたグレーシアが蒼い瞳で、優しく微笑むルタを見上げる。
「はい。いきますのよ。それで、とうさまは、いつになったらおりぼんをつけてくださるのでしょう? いつも『かんがえておくね』なのです。とうさまは、ゆーじゅーふだんですの。ねぇ、かあさま」
ルタはリボンにこだわり続けるグレーシアに微笑んだ。そして、そんな風に素直に言葉をどんどん発するグレーシアと想いを胸に秘めたままのルタは、冬のディアトーラを歩き、最後の手紙を運ぶのだった。
そう、リディアスが運んできた春を、まだ知らずに。
「春を待つ者」【了】














