教室の片隅で
温かい机と温かい日射しは、ルカにぬくもりを与え、まどろみをもたらす。休み時間に、ルカはそうやってぼんやり過ごすことが多い。別にいじめられているわけでもなく、孤立を好んでいるわけでもない。しかし、来年からリディアスの学校へ行くと思えば、どうしても一人でいたくなる。
それを感じ取ってくれるエドもヒロも、そんな時は一人にしておいてくれる。彼らといると嫌でも笑わなくちゃと思ってしまうから。きっと、それも彼らは感じ取っている。
どんな感情かと言われれば、『面倒くさい』という感情に似ている。
感情を揺らされたくない。そんな感じ。
そして、そんなルカに何故か声を掛けてくるのは、変わらずベルタだった。
きっと致命的に空気が読めない子なんだろうと、十五歳になったルカは冷めた目で、そんなベルタを眺める。
「ねぇ、ルカってリディアスの学校へ行くんでしょう?」
「うん」
「リディアスってすごいとこなんだよね?」
目を輝かせているベルタを見ると、なんだかどうでも良くなってくる。
「分からないけど……行ったことないし」
そして、思う。同じような会話をずっと昔にしたことを。
それが、ある意味でルカに致命傷を与え、事実と向き合うという逃げ場のない状態にしたということも、きっと彼は覚えていないし、感じてもいない。
ただ、あの日、ルカは領主夫妻の本当の子どもではないことを告げられ、それでも彼らの子どもに変わりないということを伝えられたのだ。
父が言った。
「クロノプスという家は制約が多い。だから、将来はルカが考えれば良い」と。
だったら、リディアスの学校へは行きたくない。
だって、……。
だって、何なのかが分からない。
父のことは今もとても好きで、母のこともとても好きで。
妹のこともとても大切に思っているし、……。
母は何も言わなかった。それが気になるのだろうか。いや、本当の両親についてを訊けなかったことが痞えとなってあるのだろうか。それとも、……言い訳ばかりを並べたくなる。
だって、お金掛かるでしょう?
だって、お荷物でしょう?
だって……。
あぁ、だから、遠くへやられてしまうの?
だけど、十歳の頃のルカならきっとそこで考えを止めていた。しかし、今は違う。
両親がそんなことを思っていないことは明白で、それが単なるルカの思い込みから、不安からやってくるものだということも知っている。だから、余計に両親との会話を避けてしまう。
そんな負の感情を知ってか知らずか、ベルタは相変わらず、ルカが一人の時に無邪気に声を掛けてくる。
「ルカってやっぱり領主様になるの?」
「……分からない」
「なんで? リディアスの学校へ行くってそういうことじゃないの?」
ルカはやはり面倒くさそうにベルタを眺めた。ベルタの顔は鳩が豆鉄砲を喰らったような、そんな表情だった。だけど、それは今に始まったことではない。昔からベルタはルカと話す時、なんとなく緊張していて、目を丸くして話す。
だったら、話しかけなければ良いとも思う。しかし、彼は自身が緊張していることにすら、気付いていないのかもしれない。ベルタが話せる数少ない友達がルカなのだ。
「だって、父さまは一人っ子だったから、父さましか跡を継げなかったけど、僕にはグレーシアがいるでしょう?」
それに、最近では外に興味のある町の人が、リディアスの学校へ行くことができるような機会を父さまは設けている。だから、テオもクミィもミモナもモアナも短期留学という形で、三年間リディアスにいたのだ。もっとも、モアナはその後、奨学生として四年通うという快挙を成し遂げている。
だから、リディアスの学校へ行くだけが、領主になるとは限らない。
しかし、ディアトーラという小さな国の中でさえ、大勢で話すことを苦手とするベルタには、やはり全く関係ないように思えた。
「あ、そっか。じゃあ、帰ってきてもルカって呼んでてもいいんだね」
ベルタは兄弟が三人もいるから、跡を継がないかもというルカの言い分もストンと落ちるようだ。しかし、ベルタの場合、兄弟全部が大工になっても別に構わないのではないだろうか。
そして、ルカもそんなベルタを恨んでいるわけでもない。
なんと言っても、あの収穫祭の次の日、彼は急に謝ってきたのだ。
「この前はごめん、ルカ。あのね、やっぱり僕、父ちゃんと母ちゃんの子が良いや」
きっと、考えている世界線が違ったのだ。
ルカはときわの森の傍、国境近くにいた。
小さな籠の中で、大切に包まれて眠っていた。
『手紙』にはこう書かれていた。
幸せになるために名前を付けました。
この子の名前は『ルカ』
幸せにしてあげてください。
その手紙は残っていない。だから、両親ともルカの本当の両親のことを知らない。だから、尋ねられなかった。しかし、父も母も、嘘をついているように思えた。いや、嘘ではなく秘密に近いもの。理由は単なる感覚的なものから。
きっと、何かをルカから隠している。
ルカと言えば、初代領主夫人がその名だった。夫人と言っても、その領主よりもずっと地位は高い。なぜなら、過去、もう誰も覚えていない頃のずっと昔。その夫人はこの世界を統べた王の娘だったのだから。その王が治める国の、一領主に彼女は嫁いだ。だから、そのルカ夫人を立てるようにして、ディアトーラだけが国家元首のくせに今も『領主』を名乗るらしい。
ルカもその方が良いと思っている。
王様や王子様なんて雰囲気の中で暮らしているわけではないのだし。
そして、そのルカ夫人には子どもがおらず、養子をもらった。
クロノプス家に伝わる家系図の本にそう書かれてある。
どうしてそれが幸せに繋がるのか、ルカには全く分からなかった。
だから、ルカは一つだけベルタに返した。
「ねぇ、ベルタ、幸せって何?」
ベルタはきょとんとしながらも、驚くことにその答えを知っていた。
「そんなものこの世に存在しないよ。だって、見えないんだし。見えないものは、存在しないんだ。きっと、幸せって思えば幸せなんじゃないの? ルカって変わった奴だねぇ」
「ベルタに言われたくない……」
そんな会話をしていると、始業のベルが鳴った。
このベルを聞くのも、後数回だ。
卒業を待たずにルカは、リディアスへ渡り、親戚関係のあるリディア家に挨拶へ行く。そして、アリサ大伯母様とアルバート大伯父様のお城で間借りをし、礼儀作法やしきたりの勉強をする。
それは、ルディとルタが彼を心配した結果から、様々が集う『寮』ではなく、親戚の家への間借りなのだが、ルカにはまだそれが伝わっていない。
せめて、リディアスという笠の下に置いておいてあげたい。熱い日射しと雨からは、護ってあげたい。ただ、風に吹き飛ばされないようにだけ、踏ん張っておいて欲しい。
ルディの手がまったく届かなくなる、その間だけでも、ルカの根幹を揺るがすような自体だけは避けたかった。
そして、リディアスで過ごすことにより、様々な生き方があることにも目を向けて欲しい。その上で選んで欲しい。
そんなことを知らないルカは、リディアスへ行く前に、『海を見に行く』と言い出した父の提案を素直に『見てみたい』と思うだけで、『海へ行ってみたい』と思うだけで、ただ時を過ごしていた。
「魔女の子」【了】
次回は5月22日(月)に投稿予定です。














