揺れる…5
森を掻き分け、歩いて行く。リディアの大樹への道は比較的平坦である。ただ、迷いを持って進んでしまうと、銀鈴が囀り、道を惑わす。
深部では磁場すら狂う森は迷宮と化し、二度と出られない。
しかし、クロノプスの者は、迷わない。
魔女の加護がある、そんなふうにも言われているが、実際、加護があるから辿り着ける場所は、魔女の棲む家のみである。
リディアの大樹は、ただ佇んでいるだけなのだ。
リディアが排除したければ、魔獣を嗾けるのだろうし、無害だと思えば、辿り着く。
クロノプスの者は、それだけ無害だと思われている。それだけなのだ。
ただ、不思議なことは、リディアの血脈とされるリディア家は、辿り着けないということだ。森は、何故かリディア家、いや、リディアスを避けようとする。
そういう意味で、ルディは特別であった。
その特別を『幸』と感じるか、『不幸』と感じるかは人に依るのだろう。
ただ、魔女の加護すら消え去った現在、リディアがクロノプスを受け入れる理由の一つに、リリアとワカバの関係があげられるのは確かだ。
ワカバはリリアと友好な関係であった。そのワカバが好きなルオディックの血筋が残る家系。
だから、リリアがリディア家を避ける理由としては、ただ単に、知らない人間達だからに尽きるのかもしれない。しかも、何も求めないクロノプス家の者の気配と、野心に満ちているリディア家の者は、全く違う。
ときわの森は、奪われるのが嫌いだから。
それから、ルディはルカを思いながら、大樹についてを考えた。
ルカが、迷わず大樹に辿り着いたのであれば、その化身であるリリアに認められているということだ。ルカがどう思おうとも、ルカはクロノプスの子であり、ルディとルタの子どもであることに間違いない。
ルカがこの家に完全に養子として入ったのは二歳の頃。アノールやセシル、そして、ルディが心配したことを、ルタが一蹴した事柄も、間違っていない。
『血筋などそんなに気にしなければならないものなのでしょうか?』
魔女であったことを誰よりも気にするくせに、あの頃のルタは、人間の考えることすべてに疑問を持って、尋ね返していた。
血筋というよりは、血縁に近い。そして、気にしなければならないものではない。実際、初代領主夫人である『ルカ』と初代領主の間には子どもがなかったのだから、クロノプスとしての血筋は、一度途絶えているのだ。もちろん、イルイダ様の母親が初代領主夫人ルカとルタの姉、アナの血脈の者だったので、そちらは復活しているのだろうけど。
そんなことを言い出せば、ルタなどその初代領主夫人『ルカ』の双子の姉なのだから、クロノプスとしての正当性は、ルディよりも強い。
だけど、気になってしまうものなのだ。
例えば、本当の親がいるのであれば、どうして自分が捨てられなければならなかったのだろうか。さらには、自分がいらない子なのではないだろうか、と詮索しなくてもよいようなことを詮索して、傷ついてしまうものなのだ。
ちょうどルカと同じ頃の、血縁に悩みなど無縁なはずのルディですら、どうしてリディア家の血なんて入っているのだろうと、悩んだのだから。友達がよそよそしいと感じたルディは、それをリディア家出身の父のせいにしたのだから。
『気にしなくても良いと思うよ。でもね、いつかこの子が気にするようになったら、ちゃんと教えてあげなくちゃ』
ルディの言葉に、ルタは肯いた。おそらく、将来ルカが気にする可能性は低いとも、気に病むこともないだろうとも思っていたのだろう。
いや、ただ単に、自分も人間としてそれを気にしなければならないのだろうか、と疑問を抱いただけだったのかもしれない。
それに、ルディも隠さなければならないとは思っていない。
そして、ルタは嘘が嫌いである。求められるものは、与えられるべきだと思っている。だから、きっと、ルディが求める『好き』を与えられないだろう自分に、悩んだのだ。そんなルタが、ルカに真実を知らせないという答えを導くはずがない。
森が拓ける。
大樹が見える。
夕陽の赤をその葉に映し、黄金の光を大地に撒き散らし、葉擦れの音をさやかに鳴らし。
大樹の麓にはルタとルカが、そして、ルタの肩に止まる赤いインコが顔を羽に埋めて、眠っていた。
そのルタの胸に抱かれて、幸せそうに眠りこけるまだ小さな我が子は、無邪気ではいられなくなったのだろう。
だから、ここに来た。ここに答えがあるような気がして。
ルオディックにその姪であるミラルダ、そして、セシルにルディ。続くは、ルカだ。五代続けてリディアの大樹を求めたのだから、ルタもリリアもそろそろ呆れているのかもしれない。
「遅いから心配した」
「そろそろお迎えにいらっしゃる頃かと思っておりました」
ルカから視線をあげたルタは穏やかだった。
「リリアが、ルカを護ってくれていたのです」
「そっか」
森の女神さまがその者を受け入れてくれているのであれば、ここはどこよりも安全だ。だから、ルタはどうしようもないやるせなさをその胸に、ルカと共に過ごしていたのかもしれない。
だから、ルディは言葉少なに答える。
「ルカは、わたくしたちの子ですわ。リリアにも、いつかシアも連れて、あなたとルカと一緒にここに来るように言われました」
「うん」
寂しそうに視線を落とすルタに、ルディは今日を思い起こす。
ベルタの両親には、ベルタには、ただ大切であるということを伝えて欲しいと、伝えた。決して、叱らないようにとも付け加えた。
ベルタにも穏やかに尋ねた。「ベルタは、どうしてルカの髪の色を気にするの? ルカね、あぁ見えて、意外と気にしてるところがあってね。理由があるなら、教えて欲しいな」
ベルタは、ルディへ訴えるように伝えた。
『ルカは友達だから……髪の色は、別に、何色でも……でも、ルカは、……ずるい。本当の子じゃないのなら、僕も領主様の子どもになりたかった。父ちゃんも、母ちゃんもいつも怒ってばっかだ。僕のこと嫌いなんだから。僕が出来ない子だから喧嘩するんだ、いっつも。いらない子だったんだ』と。
多分、それは違うよ。君のご両親は、誰よりも君のことを愛しているから。とても大切に思ってらっしゃるから。
ルディの言葉にベルタは、口を閉ざしたまま黙っていた。
収穫祭は、命に感謝する日だ。『大好き』や『大切』を伝えるに相応しい。ベルタの両親は仲が悪いわけではないが、じゃれ合うように喧嘩する。その中で発せられた言葉がベルタを傷つけたのかもしれない。
ルディはその二人を見て、喧嘩しながら仲を深めていくタイプだと思っているだけだったが、ベルタは違ったのだろう。そして、それを上手く伝えられなかった。生まれた疑問に、ルカを重ねた。こちらも褒められたことではないが、ルカを羨ましがった。
ルディがルタの横に徐ろに座ると、ルタが自然とルディに寄りかかった。ルタはルカを横抱きに大事に抱きしめて、片手でその赤毛を掬いながら、頭を撫でる。ルディに寄りかかったのは、無意識なのかもしれない。
あぁ、ルタは不安なんだな。そう思ったルディは、そのままふたりを抱き寄せ、ゆっくりと視線を上げる。
「大丈夫だから……」
頭上にあるのは、その大きく広げた大樹の枝葉。おとぎ話のリディアは、その広げ過ぎた枝葉のせいで、トーラを手にすることが出来なかった。
誰も何も話さなかった。葉擦れの音と、小鳥の声が遠くに聞こえる。それは遠い時間を感じさせるものだった。
だけど、まだ、手の届く場所にある。
トーラとは、願いを叶えるために与えられる力だ。しかし、それは本来、人間が既に持っている力なのだ。
ルカの不安を誘う憶測が、これ以上ルカの中で広がらないうちに……。ルカの望む未来をルカが掴めなくなる前に。
太陽は容赦なく沈んでいく。
「潮時だね」
「……そうですわね」
太陽が沈む前に。
「ルカは、僕らの子だ」
「えぇ……ルカは、クロノプスの子。わたくしとルディの子ですわ」
そんな会話の後、ルディは、大冒険の緊張と涙で疲れ果て、そのまま眠るルカをそっと背負い、ルタと共に帰路についた。
揺れる【了】














