『ときわの森に棲む魔女』
「私、ルディ・w・クロノプスは……ルタ様を、妻として迎え入れたいのです」
鬱蒼とした木々が光を遮るときわの森の奥深く。人気の無いその森の中で、普段は聞こえてこない人間の声がする。一方は戸惑った女性の声。もう一方は真剣な声。
「……何を血迷っておられるの? 次期領主の妻は人間であるべきですわ」
ルタと呼ばれたその魔女は、そんな危険な考えをする彼から、思わず一歩退いていた。それなのに、彼はその一歩を詰め寄る。
「『ルタ様』は人間なのでしょう?」
今は人間だとしても、魔女だった者だ。
そんな者を妻にするだなんて。
ルタは、ただ小さな頃から知っているその若者の命を守りたくて、その考えを覆そうと、一心に言葉を尽くしていた。
魔女に関わって良いことなど、何もないのだから。
ワインスレー地方と呼ばれる地域には、たくさんの国々が存在していた。それらの国々は、河を挟んだ隣にある大国リディアスの畏怖に対抗すべく、ワインスレー諸国として同盟を組み、自国を護っていた。
そして、その大国リディアスが信仰する女神リディアの怨敵が創造主であるトーラだ。
トーラは時と記憶を司る者。この世界を創造した者だとされている。
しかし、リディアスが信仰しているリディア神の教えでは、トーラは世界を滅ぼす魔女として存在している。だから、リディアスは過去に何度も魔女狩りを行っている。
そして、ワインスレー諸国のひとつであるディアトーラは、昔からそのトーラを畏れ敬うという性質を持っていた。それは、かつてこの世界を創造したとされるトーラに仕えるという意味で、立場は国家元首でありながら『領主』と名乗ることでもよく分かる。
彼らはトーラの棲むときわの森を護る役目に加え、その魔女が人を欲しがる際に自身を身代わりの贄として身を捧げる役目すら持っていたのだ。
トーラには、常にトーラを護る魔女がその御使いとして傍に控えている。
おとぎ話ではなく、ディアトーラには確かに魔女が存在していたのだ。
御使いの魔女の名は、ラルー。
今は『ルタ』と呼ばれる者だった。
そして、今。
かつて恐れられる存在だったそのルタは、ディアトーラ領主館にある庭の一角で、薔薇の木を眺めていた。
虫の付いた薔薇の木だ。赤い薔薇が咲いていたはず。
ルタは、ただ思っていた。
この薔薇は咲きたいのだろうか……と。
咲かすべきなのだろうか……と。