いつか笑って
ホテルを出ると、まるでタイミングをわかっていたかのように、スーっと迎えの車が入ってきて目の前で止まる。
運転手さんが降りてきて、ドアを開けて待機。
うーん…凄いよなぁ…
西川さんはこれが普通の光景なのかな。
やっぱり一般人ではないと思う。
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「それでね、沙羅が教室で高梨くんのシャツを拭き始めたから、誰のシャツだって騒ぎになってね」
車内でみんなが盛り上がる内に、話題はいつの間にかお互いの学校の話になっていた。
現在夏海先輩が話しているのは、俺が沙羅さんを庇って水を被ったあの雨の日の話だ。
着替えたシャツを沙羅さんが持っていった後に、そんな展開があったとは…
「クラスの男子が、高梨くんのことを悪く言い始めた瞬間に沙羅がキレちゃってさ〜。言われたからじゃなくて、言い始めた瞬間だからね。」
「名前も知らない相手に、一成さんとのことを言われる筋合いなどありませんので」
「いや、クラスメイトだから…」
わかってはいたことだけど、沙羅さんは学校のアイドル的な存在だった訳で、他の男からすれば俺は妬みの対象でしかないだろう。
沙羅さんに他の男が近付くのは俺としても面白くないので、いつかその辺りは対策も兼ねて手を打ちたいと考えてはいる。
まぁ…間違いなく大半の男子生徒を敵に回すだろうな。慣れてるから大丈夫だけどさ。
「高梨くん、何かコメントある?」
「あれは、俺の女に手を出すやつは許さないって顔」
「え!?」
花子さんがとんでもないことを言い出した。
いくらなんでもそこまでのことを考えてはいないのだが…手を出されないようにしたいとは考えていたけど
「私は、俺の女という表現はあまり好きではないですね。沙羅も男性を毛嫌いしていたのですから、そういう言い方をされると勘に触るのでは?」
西川さんらしいと言えばらしい気がするコメントだった。沙羅さんは…どうなんだろうか?
「…その、私は平気ですよ? 一成さんが私のことを自分の女だと言って下さるなら、寧ろ嬉しいです…」
西川さんの話を受けた沙羅さんが、頬に手を当てて、少し俯き加減に横目でチラチラと俺を見てきた。
そして目が合うと、凄い期待しているような視線を向けてくる。
これは、もしかしなくても俺に言えとリクエストしているのだろうか…
「あ…と、沙羅さんは俺の女だから、他の男を近付けたくないです。」
一応控え目に言ってみたつもりなんだが、沙羅さんはとても嬉しそうに笑顔を浮かべて、俺の腕に自身の腕を絡ませて、顔ごとぴったりとくっついてくる。
「はい…あなたの沙羅ですから、私を独占して下さいね。」
そのままゆっくりと身体を預けてくる沙羅さんの幸せそうな顔を見ると、俺まで幸せな気分になる。
「バカップルにエサを与えないで」
「…申し訳ございません」
一番年下に見える花子さんに、一番年上に見える西川さんが怒られているという面白い構図だった。
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「私は正直、今の学校生活は嫌いという訳じゃないけど面白くもない。特に仲のいい友達がいる訳じゃないし。」
花子さんと立川さんは同じ学校ではあるが、クラスメイトという訳でもないので、意図しなければ会うこともないし特に遊んだりとかそういう間ではなかったらしい。
どちらかといえば、同じ相手を憎む同士で、必要に応じてという間柄のようだ。
「でも、今回のことで花子さんと洋子は仲良くなれただろうし、気持ち的にも学校がもう少し楽しくなるんじゃないかな?」
という藤堂さんのコメントに、立川さんは反応したものの、花子さんは反応しなかった。
「うん、私ももう山崎のことは忘れて、学校生活を楽しむことにするよ。学校でも宜しくね、花子さん。」
「うん…」
立川さんは心機一転で学校生活に戻るつもり
のようだが、花子さんの浮かない顔がどうしても気になった。
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駅に着いて、一旦全員降りる。
いきなりリムジンが入ってきて、それなりの人数がわらわらと降りてくる姿はかなり目立っているようで、周囲の視線が少し恥ずかしいかも。
ここで、雄二、花子さん、立川さんの三人とお別れだ。
「雄二、本当に助かった。色々ありがとな。」
「もう山崎と柚葉に邪魔されることはないだろうからな。今度こそ中学のときの分まで学校生活を楽しめよ。横川! そっちの学校では一成のことを宜しくな」
雄二が速人に声をかけると、速人が手をあげてそれに返す
「あぁ。最も、一成には薩川先輩が居るから、学校で困ることはなさそうだけど。」
俺はそこまで誰かに頼らないとダメな人間なんだろうか…面倒を見る人が必要なことを前提で話が進んでいるのがどうにも…
「薩川先輩! 本当に凄かったです! 好きな人の為に強くなれる女性…私憧れます!」
「えっ、あ、ありがとうございます。別にそれ程では…」
立川さんの称賛を受けて、沙羅さんが引いているというか、ちょっと圧され気味だ。
これも珍しい光景だな
くいくい…
腕を引かれるこの動きは花子さんだ。
さすがに俺も覚えたからな。
俺が顔を向けると、相変わらず何を考えているのかよくわからない表情で俺を見上げている。
チョイチョイと手招きしてくるのは、前と同じで耳を貸せという意味だろう。
「…気が変わったから名前を教えてあげる。私は花崎莉子…花子でも莉子でもどっちでもいい。」
!?
遂に花子さんが名前を…
でも、これで俺はどう呼べばいいんだろうか? というか、莉子でもいいってことは、名前で呼んでいいってことだよな。
花子さんがチラリと沙羅さんの方を見た。
ちなみに沙羅さんは、まだ立川さんに圧されてる最中のようだ
「……山崎を倒したご褒美」
そのまま耳元でこそこそ喋っていた花子さんが少し位置をずらしたと思うと
ちゅ…
!?
「は、花子さん!?」
呼び慣れていたせいもあり、咄嗟に口を突いて出た名前はやっぱり花子さんだった。
いや、それより、一瞬だったけど今!?
「安心して、深い意味はない。ご褒美と親愛」
そこまで言うと、花子さんが心からの笑顔を見せてくれた。
周りを見ると…多分見られてないか見ても見なかったことにしてくれたかな…
「またね、高梨くん。」
「高梨くん、それじゃまた」
「またな一成」
そして三人が帰るのを見送ってから、俺達も車に乗り込み移動を開始した。
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「それでは皆さん、またお会いしましょう。」
西川さんの車が見えなくなるまで見送ってから俺達も解散になる。
「さて、それじゃ俺はこれで。また明日」
「私もこのまま帰りますね。また明日〜」
速人と藤堂さんはそれぞれの方向へ帰っていく。残ったのは俺と沙羅さんと夏海先輩だ。
「それじゃ沙羅、帰ろうか?」
「少し待って下さい」
沙羅さんが俺の近くまでくると、何かを確認するように俺の顔を見つめてくる。
「……そうですよね、全く平気なはずはないですよね。」
少し切なそうにボソっと何かを呟いた沙羅さんが、俺に少し抱き付くように身体を寄せてから、小さな声で「後でお伺い致しますね」と呟いた。
そして俺から離れると「ではまた…」と挨拶めいた一言を残し、夏海先輩の横に並ぶ。
「全く…こんな一瞬でもイチャつくかねぇ。じゃ、高梨くん、また明日ね」
「はい、また明日」
夏海先輩が沙羅先輩を伴って帰っていく。
こうして、長かった一日が本当に終わるのだった。
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コンコン…ガチャ
どうやら別れ際の話の通り沙羅さんがやってきたようだ。
ドアが開いたときに、外で車が走り出す音が聞こえてきたので、恐らくは真由美さんが送ってくれたのだろう。
「お待たせ致しました。」
あれからそれ程経っていないので、多分帰ってから直ぐに戻ってきたのではないだろうか。
よく見ると、この前見た旅行用カバンも…え? 何故にカバンを…
沙羅さんはそのまま荷物を邪魔にならないところに置いたので、早速話を…と思っていたのだが、近付いてくると話よりも先に俺の頭に手を回し、そのまま自身の胸に抱き寄せた。
「沙羅さん…?」
「…笹川さんの件で、少なからず思うところがあるということは見てわかりました。なので…無理はなさらないで下さいね。」
やはり沙羅さんには隠し事ができない
結局、柚葉には単に辛い思いをさせただけで、何一つそれに見合う結果が出せなかった。
俺が甘かったこと、想像以上に柚葉が歪んでしまっていたことが主な要因だが、結果、柚葉を泣かせて遠くへ追いやっただけだった。
そのことにショックを受けていた訳ではないが、心残りのようなものはある訳で…
「今日はお疲れでしょうから、お風呂に入って早めにお休みしましょうね」
俺の頭を胸に抱きしめたまま、優しく頭を撫でてそう告げてくる沙羅さんは、ひょっとしなくても俺の為に泊まるつもりなのだろう。
だから野暮なことを聞くのは止めた。
特にこれといったことは話さず、先にシャワーを浴びてくると既に沙羅さんの布団が敷かれていた。
…当然のように枕が二つ並んでいることには突っ込まなかった。
沙羅さんが風呂に入っている間に、まさか先に布団に入って沙羅さんを待つような度胸はない。
何となく自分のベッドで手持ち無沙汰にネットを見たりしていると少し眠くなってきてしまった。
このまま寝てしまったら、沙羅さんに悪いだろうか…
などと、ちゃんと起きていて考えてたつもりだったのに、気がついたら沙羅さんが俺を覗き込んでいた。
まさか寝てた?
「ふふ…お話は明日でもできますから、もうお休みしましょうか?」
ベッドから起き上がり部屋の電気を消すと、沙羅さんに誘導されるかのように手を引かれて、そのまま布団へ横になる。
そしてそのままゆっくりと頭を抱きしめられてしまう。
「一成さん…笹川さんは、いつか必ずわかるときがくると思います。決して良い終わり方ではありませんでしたが、今日のことはそのきっかけになるでしょう…だから無駄ではなかったはずです。」
「…はい」
少し気落ちしていたことは気付かれていたのだろう。
沙羅さんはフォローしてくれている。
だから俺は素直に甘えることにした。
「いつか、笑って会える日がくることを信じましょう。だから今日のところは…お疲れさまでした、一成さん…お休みなさい」
俺が眠るまで、こうしていてくれるつもりなのだろう。
俺が少し甘えるように顔を押し付けると、そのままぎゅっと優しく抱きしめてくれる。
そんな沙羅さんの優しさに包まれながら黙って甘えていた俺は、いつの間にか眠りに落ちていた…