後編
これから今話そうとしている話は、去年俺がまだ中学三年生の時の赤面物の恥ずかしい話なんだけれど、よかったら、聞いてもらいたい。
当時の俺は、無駄に純粋で調子に乗っていた俺は、この世に存在するありとあやゆるすべてのものには、メタファーが存在していると信じてやまなかったんだ。
そうメタファー。
背伸びをしたがる中学生――まあ、未熟なりにつっぱっていこうとしているのは今でも変わらないけど――を魅了してしまいそうなキーワードだ。
夏休みに、偶然受講することになった塾の講座でその言葉と意味を聞いてから、俺はメタファーの虜となっていた。
世界あるものすべてには、そこから引き起こす意味があるもんだと思い描いていたんだ。
きっとそれは、その頃の俺が、難関高校を目指して受験勉強に励む忙しさと空しさの中で、今必死に頑張って机に向かっていることの意味を、何とか探し出そうとしたためだったかもしれない。
それとも、そんなことはただのいい訳であり、俺が後から自分勝手に都合よく解釈しただけかもしれない。自分でもよく分からないんだ。
しかし、とにかく俺はメタファーを信じていた。
そのため、あまり信じなくなった今でも、身の回りに起きる物事について神経質に考え込んでしまうことがある。
そして、俺は今回起きた手ぬぐい失踪事件についても何か意味はないのかと考えてしまうのだ。
普段けっして目立つことのない存在である手ぬぐい。
それが一躍、脚光を浴びてお話の中心に躍り出る。
普通に考えれば、そんなことはありえないことだ。
サポート役に徹するべきものがメインとして浮上するなんてことは。
だから、もはや信じてはいないが、ここから導き出されるものとして、ちょっとは何かないのだろうかと考えてみる。
そんなはずはないのに、一応考えてみる。
八月十四日。午前十二時。対、真名子真子先輩3。
「ふーん、そうねそうね、とりあえず、桐原くんは主将に惚れられちゃったのね」
場所は近所のパスタ屋。この店自慢の自家製生パスタをほうばりながら、真子先輩はやけに気持ち悪いことをおっしゃる。
今日の稽古後、佐藤さんに俺の手ぬぐいを盗んだのかどうかについて、俺は話を聞こうと思っていた。しかし、源間先輩のこと――彼が俺の手ぬぐいを使用していたこと――に俺はひどく混乱し、そして、最終的に二人に手ぬぐいことを尋ねることができずじまいとなっていた。
そのため、これからどうすべきか分からず思案した俺は、とりあえず真子先輩に相談をしてみようと、彼女を練習後の飯に誘い、いままでのいきさつを話したのだ。
「惚れられた――って、そーゆー妄想、やめてくださいよ。まだそうだと全然決まってない、つか、決まって欲しくないですし」
俺は頼んだフェレットチーネ――きしめんみたいなパスタ――を食べながら、嫌そうな顔をして、真子先輩の妄想を拒絶する。
すると、真子先輩はとりあえず納得したようなしないような適当な顔をして、言葉を発す。
「はいはい分かったわよ。とりあえず、桐原くんは主将に掘られちゃったのね」
「わかってない!?」
何だこの人、やっぱいろんな意味で怖ぇよ。
「それにしても、佐藤さんの時と違い、今回の桐原くんは主将が服を脱ぐ妄想はしなかったのね。残念だわ」
「しねぇっスよ!」
確かに、源間先輩はいい人だし尊敬もしているが、そいつは、さすがに嫌だ。男での妄想なんてできそうもないし、したとしてもとても許されたもんじゃねぇよ。
……まあ、本来、佐藤さんでの妄想も許されたものではないんだけどな。
「はぁー、ほんとに、ほんと、残念だわ。私、てっきり後編の話の冒頭は、主将が肉体美をさらけだし、桐原くんに迫っていく妄想で始まるものだと信じていたのよ」
「…………」
真子先輩は本当にがっかりしたように深いため息をつく。軽く時空を超えたボケをかましてしまうあたり、マジで期待していたらしい。
これだから、女性は時々恐ろしい。
例えばこの前、佐藤さんと新撰組について語る機会があったのだが、俺は、以前見た大河ドラマの知識を用いながら、刹那的にもかかわらず誠に生きた浪士達の世界について言葉を選びながら話す一方、佐藤さんは、土方は山崎に対して×××だとか、そもそも山崎は×××だから、みんなに対して×××で、×××ってしまうとか、でも沖田は最近×××だから×××ばっかなんだよとか、とんでもなくひどい方向に話が飛ばして語り続け、好きなものは好きだからしょうがないとは思うが、俺自身としてはかなり辟易した記憶がある。つーかそうゆう点において、女性はいささかおかしい生き物だと思えなくもない。
「なんつーか、真子先輩にはいろいろと感謝はしているんで、ひどい暴言を吐くつもりはないですが…………超狂ってますよね」
「ふふっ、ムダよ。私の国では超狂ってるは、超クールと同義なのよ」
そう言い、真子先輩はパスタをフォークで綺麗に取り、口に入れる。
「だいたい、名言でよくいうでしょ――ホモが嫌いな女子なんかいなくなればいい、って」
「怖っ! その名言こわっ!!」
マイノリティーは徹底排除って奴か。いや、腐女子が女性の多数派かどうかは知らないけど。
「それに、軍隊や戦国武将にはホモが多いでしょ。あれはホモが男の活力を上げるのに必要だということを示しているのよ」
「俺には、閉鎖的な男だらけの空間で、発散されることなく精力が上がっていたためだと思いますが」
女の子がいないだけだからな、あーゆー世界は。
「それに、人間はホモサピエンスって呼ぶのよ。これを生来、人はホモだとしないで、何だと言うの!」
「いや、あのホモは、別にホモセクシュアルの略ではないですから」
寡聞にて、詳しくはないが遺伝とかそんな意味だったと思う。
「それに、二ヶ国語話せる人はバイリンガルっていうのよ。これを、二ヶ国語話せる人はバイだとしないで、何だと言うのかっ!!」
「あやまれっ!! がんばって、外国語勉強した人に、謝れっ!!」
俺は叫んでツッコむ。
すると、真子先輩はしゅんとした表情を作り、頭を下げる。
「……ごめんなさい。……日本に来てる彫りの濃い外国人を、みんなホモだと思ってて、ごめんなさい」
真子先輩は素直に謝った。それなりに引き際がわかってる人だ。
けど、何だろ、この腑に落ちない感じは……。
「……ごめんなさい。……ホルモン焼きのことを、ホモのやきもち焼きって呼んでて、ごめんなさい」
真子先輩はまた素直に謝った。つか、ホルモン焼きのことそう呼ぶんだ。
焼肉屋行かなくてよかった。今日はパスタでよかった。
「ふぅ、久々に謝ったわ。こんなに謝ったのは前世ぶりよ」
「すげー長いですね」
前世ってことは、つまり、生まれて初めて謝ったってことでもあるのか。わかんねぇ。
「ちなみに私の前世は黒い豹ね。サバンナの森を駆け抜け、芳しい香りで獲物を引き寄せるのよ」
そう言い、真子先輩は自身の長く美しい黒髪をかきあげる。
確かに、その爽やかな夏の夜空を連想させるような黒のロングヘアは、サバンナを飄々と駆けるパンサーの真っ黒な体毛のようでもあった。
「お、何かかっこいいですね」
「ありがとう。ちなみに桐原くんの前世は、同じく人間よ」
「そうなんですか?」
「ええ、ちなみに職業はスーパーメディアクリエイターよ」
「……あの胡散臭そうな職業の同属ですか」
少し鮮度はよくないし、時事ネタは危険度が高いのだが。
「ええ、日々日々クリエイティブな仕事がしたいと愚痴りながら、昼は近所のスーパーで働き、夜は駅のホームでうずくまっていたわ。そして、スーパーからの僅かな給与と、たまにあるメディアからの取材――現在のホームレスの実情を追え!等――によるギャランティで食い扶持をつないでいるのよ」
「ただの救いようのない底辺労働者じゃないですか」
でも、なんかいそう。都会の公園とかにたくさんいそう。
「ええ、だけど大丈夫。最終的に動物園から脱走した私に食べられて、あなたは死に、そのときにやっとあなたはこの世のあらゆる苦から救われるのよ」
真子先輩はそう言い、コップに入った氷をボリボリと噛んでみせる。
「や、今生きてるってことは、涅槃行かずに、バリバリ輪廻の渦に巻き込まれてますが?」
つーか、先輩はサバンナの森にいるんじゃなかったっけ。
結構いいかげんな人だった。
「そういえば、話を最初に戻すけれど、結局、あなた手ぬぐいはどーするつもりなの? あと、私のところで洗濯中の一枚しか残ってないんでしょう。」
先輩が唐突に、話を本筋に戻してきた。
どう切り出そうかと思案していた俺にとってこれは好都合だった。
「ええ、とりあえずまた盗まれなければ、明日はその残り一枚の奴で。盗まれた場合は、部室に置いてある予備のがないかどうか探してみます。OBの先輩とかが置いていったのが残っていると思いますから。……ただ、それよりも問題なのは――」
「主将やゆかちゃん(佐藤さん)にはどう対応するか、だわよね」
そう、そうなのだ。ホントどうしようか、どんな風に相対すべきか悩みどころなのだ。
「……正直、そちらをどう応対すべきか悩んでいるんですよね。目的は………………まぁ、あれだとして」
「ああ、オ○ニーね」
「言うなっ!! そいつは、言うなっ!」
せっかく、人が後編までずぅーっと、ぼかして表現してきたってのに。
予定調和をあっさり崩壊させやがった。
「私としては、とにかく、いつもどおり妄想を生かしておもしろく対処してくれることを期待しているわ。それよりもなんで、オ○ニーを恥ずかしがるのよ? あなたが認めるまで何度でも言うわ、オ○ニーよ、オ○ニー。オ○ニー、オ○ニー、オ○ニー、オ○ニー、オ○ニー」
「あわわわわわわわわわ」
俺は、真子先輩の傍若無人っぷりに恐れ震え上がる。
なんて人だ。規制とか怖くないのだろうか。
「――ねぇ、ほら、これだけ連発すれば、オ○ニーって言葉もなんだか外国の食べ物みたいにならないかしら? オ○ニー――ヨーロッパの料理とかをつくる際につかいそうじゃない?」
「さっきのホモの件といい、先輩の外国に対する偏見の目は、鎖国中の日本人ばりですっ! 今すぐなくすべきですよ!」
俺は、持っていたフォークをビシッと真子先輩に向ける。
対する真子先輩はやれやれだぜと、余裕のポーズ。
「いやだわ、他人を色眼鏡で見ることも時には自己防衛に役立つっていうのに。それに、江戸時代が閉ざされていたってのは古い考えよ、四つの口って言葉知らない? まあ、二学期は日本史頑張りなさい」
「それは詭弁ですよっ! それに一年の日本史はまだ平安時代で、江戸時代は二学期の後半からですっ!」
「…………」
「何か言ってくださいよっ!!」
勝った? 勝ったのか? でも全然うれしくねぇ。
「そうね、全然関係ないのだけれど、ハリーポッターって結局どうなったの? 最後まで読んでないのだけれど、最終的にスネイプはいい人だったの? 悪い人だったの?」
「ホント、全然関係ないっすね!」
「…………ハーマイオ○ニー」
「あんた、それ言いたいためだけに話フッたでしょっ!」
突っ込んだり、叫んだり、突っ込んだり、叫んだり、まあ楽しかった。
おかげで、混乱していた俺の気持ちも大分回復してきていた。
「…………ふふっ、まあこんなところね。楽しませてもらえたわ」
気がついたら真子先輩はパスタを食べ終えていた。
真子先輩が見つめる中、あせる俺は必死にフェレットチーネ完食し終えると、二人で会計を支払い店を出る。
店を出ると、夏の太陽が俺たちに差し込んできた。アスファルトを溶かすかのような強い日差し。
その眩しさに俺が少し目を細めていると、真子先輩は俺の前を何歩か先に歩き、こちらを向き、珍しく太陽に負けないような明るい笑顔で言う。
「ホント、楽しかったわよ、桐原くん。やっぱりあなたは最高ね」
その表情に俺はいっそう目を細めていると、真子先輩はいつもどおりのニヤリとした笑顔に戻り。
「……けれど、もう少し楽しませてもらうわよ」
その意味は今はまだ少ししか図り知れなかったが、とにかく俺は彼女の宣言に深々と肯いた。
八月十五日。午前六時半。対、源間将平先輩3。
翌日。俺はいつもより早く道場に訪れていた。
時間を時計でチェックすると、六時半を指している。いつもより三十分ばかり早い。
ちなみに今日の俺の道場入りが早いのは、別に、犯人を待ち伏せしようなんていうベタな目的のためではなく、単純にいつもより早く目が覚めたためであった。
最近は、いろいろ事件が起きており、稽古に集中できてなかったので、どうせ早く起きたのなら稽古前に自主練でもしようと思ったのだ。
俺は、鍵が既に開いているのを確認し中に入ると一礼。朝の道場は夏にもかかわらず、少しひんやりとして汗のにおいがした。
そして、少し奥の隅の方で一心に素振りをしている人が見えた――主将、源間先輩だ。
源間先輩は、やけに素早くこちらに気づくと、軽く会釈をし、近づいてくる。
「おう桐原、おはよう。偉いな、早く来て練習か」
源間先輩はそう言い、ニカッと笑う。真面目に自主練習をしにきた部員に対しての喜びの笑顔のはずだが、どこか俺には一介の部員に対してかける笑顔とは別種のものとして感じられる。あと心なし俺との距離が近いようにも感じられる。
いや、そんなことはないだろう。変な意識をしてるからそんな気がするだけなのだ。俺は奇妙な考えを拭い去り、返答する。
「お、おはようございます、源間先輩。い、今は、先輩お一人ですか?」
なっ、何聞いてんだ俺。
なぜか俺は、不思議に焦っており、やけに手が汗ばんでいるのを感じる。心臓の音がやけに聞こえる。なんでだろう。
「ん、マネージャーならもう着てるぞ。さっきまでここにいた」
「そ、そうですか」
真子先輩が。俺は、とりあえず安堵の息をつく。妙なほど心が安心しているようだ。心臓のバクバクも収まりはじめた。
「だが、どこかに行ってしまってな」
「え」
俺は背中に嫌な汗を流す。バクバクが戻る。
「詳しくは聞かなかったが、練習が始まるまで戻ってこれないといってな」
「え」
俺は背中に嫌な汗をさらに流す。バクバクがドクンドクンに変わる。
「今は、俺とお前だけだ」
そう言い、源間先輩はもう一度さきほどと同じように笑う。い、いや、同じ人なのだから同じ風に笑うのは当然だろう、なんだ、なんだかしかたないな俺、まったく、落ち着けよとりあえず。俺は息を大きく吸い込み、はく。呼吸を整え、冷静になろうとする。
「今は、俺とお前だけだ」
あれ? なんで二度も同じこと言ったの? 俺は頭に疑問符を浮かべる。
あ、ああ、なるほどなるほど、聞こえなかったかもしれないって思ったからかな、そ、そうだよな、だよな、別に、二人だけってのを強調したいって訳じゃ――ま、まさかな、まさかね、うん。
俺は状況を逡巡しながらも、何とか意識を元に戻そうと努める。頑張って努める。
「そ、それじゃあ、俺部室に行ってます。着替えなきゃいけないんで」
「そうか、着替え終わったら、一緒に打ち込みやるか?」
「え」
あれ? なんで打ち込みを二人でやるの?
い、いや、別にこれは二人組みでくんで打ち込みをやるってんではなくて、二人でお互いに切磋琢磨しながら、打ち込みがんばろうねっていう意味であろう。そーなんだろ。深く考えないほうが吉であり、深く考えると大凶を踏むことも世の中には往々にしてあるはずだから、そうしておく。
「は、はい。よろしくお願いします」
あれ? なんで返事しちゃうんだろ、俺?
「よし、わかった。それじゃあ、俺は素振りに戻るからな」
あれ? わかられちゃったぞ? ん?
あれ? よしってなんのよしなんだろう?
とりあえず、俺は部室に行く。
引き出しを開け、既に恒例になりつつある、手ぬぐいの数を調べる。すると、今回は前と同じように残り一枚がちゃんと存在しており、どうやら盗まれていないようだった。
「流石に、全部は盗んでいかなかったか……」
俺はひとまず安心。そして、道着に着替え始める。
くつ下を脱ぎ、Tシャツを脱ぎ、ジーパンを脱ぐ。道着を着る場合、下着は脱いでしまう畑の人と下着は脱がない畑の人がいるが、俺は脱がない畑の住人だったのでトランクス一枚のまま、上の道着を着る。
そして、下の袴を着ようとすると、突然、がらりと部室のドアが開いた。
「なっ!?」
「おう、桐原。悪いが、紙やすりないか探してくれ。振ってた竹刀にささくれができてた」
ドアを開けたのは源間先輩であった。いつもどおりの精悍な顔つきに、しっかりと筋肉のついたいい体つきをしている。
対する、俺。俺は、下は下着一枚上は道着という状態。俺が女性だとしたらさぞかし扇情的な格好であったであろう姿をさらしている。
おもむろに二人は見つめあう。
じっくりと、たっぷりと、念入りに。
時間の流れが緩やかに、そしてなだらかになっていくのを感じる。
一秒が一分に、三十分に、一時間に、十二時間に、一日に、刻々と時が止まっていくかのように、時間の経過が停止してくる。
『ふーん、そうねそうね、とりあえず、桐原くんは主将に惚れられちゃったのね』
真子先輩の言葉を思い出す。
その言葉を反芻させながら、俺はふたたび源間先輩を見る。
観察する。
鋭くそれでいてすべてを見据えているかのような目。しっかりと手入れがされずとも自然とたくましさを感じさせてくれる眉。
いつ何時でも的確な指示を発せられるしっかりとした口元。無駄なく引き締まれている輪郭。すらりと綺麗に顔にフィットしている鼻。
すべてが、源間先輩を、主将を成り立たせていく上で完璧な代物であり、そしてさらに彼自身の持つ特有の威厳がそれを完全なものへと仕上げていた。
そして、考察する。
『はいはい分かったわよ。とりあえず、桐原くんは主将に掘られちゃったのね』
真子先輩の言葉が浮かび上がりながらも俺は頭の中を必死にかき回し、考え続ける。
そして、やっとのことで源間先輩の気持ちを理解――
(……いや)
俺は冷静になる。
(……違うな)
こいつは違うのだと思い知る。
「どうした? 紙やすりないか?」
源間先輩は気にせず言う。その様子に俺は完全に我に返る。
別に、冷静に考えれば、いつものことだから恥ずかしくないんだ。何やってたんだろう、自分。
そして、俺は今まで通りの落ち着きを取り戻し、さきほどまでの妙な認識を改める。
源間先輩は俺の手ぬぐいをわざわざ盗むような人間ではないはずだ。
何か、裏がぜったいあるはずだ。
八月十五日。午前九時半。対、上條竜太先輩2。
稽古が始まり、面を付けてから大体一時間半くらいで小休憩となる。
すべての部員は全力で練習に励むように、全力で休憩をとる。ひたすらストレッチをし続ける人、精神統一をする人、ガボガボ水を飲む人、いろいろそれぞれのやり方で休もうとする。
しかし、俺はもうすぐ訪れる休みを彼らのように過ごせるだろうとは思えなかった。
「……ふぅ」
毎回、この状況で俺は黒くなった手ぬぐい――俺の手ぬぐいが他人よって装着されてきたのを見てきた。
それは、佐藤さんであったり。
それは、源間先輩であったり。
今回はいったいどうなるのであろうか、手ぬぐいは盗まれていないから大丈夫だろうか……いや、期待と不安で胸がいっぱいの、期待を完全デリートしたような、ぐるぐると渦巻く不安が俺の胸を重くさせていた。
「ラストォォォォォォ!!」
「ハイッ!!」
主将が高らかに、天空に怒鳴りつけるように蛮声を上げる。
部員はそれに負けじと声を上げる。
小休憩前、最後の掛かり稽古だ。
そして、最後の掛かり稽古を終え、小休憩となる。
俺は、いち早く面を外すと、みんながつけている手ぬぐいをはっきり見ようと思い、じぃーっと目を凝らす。先輩より早く面を外すのはどうなのだろうかと考える人がいるかもしれないが、この際しかたがない。
まず、俺は女子部員の一角を見る。佐藤さんだ。
やはり、佐藤さんの手ぬぐいは黒くなっている。俺のだ。
続けて、主将の方を見る。源間先輩だ。
思ったように、源間先輩の手ぬぐいは黒くなっている。俺のだ。
ん? 僅かな違和感が俺の中に芽生えるが、他に誰か黒くなっている手ぬぐいを探すのに必死になり、その違和感を押し殺す。華麗にスルーする。
そして、もういちど、目を凝らす。他に誰かいないだろうかと探し見る。
しかし、その必要はなかった。
俺はすぐに思い知る。
目を凝らす必要などなかった、ということを。
目を凝らす意味などなかった、ということを。
そんなもの不必要だ。そんなもの無意味だ。馬鹿なことだ、と。
俺は驚愕する。エクスクレメーションマークを頭の上に発生させるかのように驚く。
凝らし続けてきた目が大きく見開き、パチクリパチクリとでっかい瞬きを数回。ちょっと顔をどうにか動かし、まわりを見ると、俺以外の部員もいくつか驚いた顔をしている。見ると、佐藤さんも驚いている。何だ、これは、と。
そして、俺は先ほど抱いた違和感を押し殺したことを後悔する。しまった。やっちまった、と。あのとき感じた感覚は綺麗さっぱり消え去り、わずかな切れ端も失われかけている。
さて。
何が起きたか。
何が発生したか。
俺は、いったいぜんたい何に驚いているのかというと、それは。
すべての。
すべてのだ。
すべての手ぬぐいがだ。
……ここまで、言えば想像できるだろう。
あとは、あと一歩、言葉を付け加えるだけだ。
そう、そうなのだ。
まったくすべての、すべての手ぬぐいが、それはもうそろいもそろって…………真っ黒に。
すべての手ぬぐいが黒くなっていたのだ。
佐藤さんも、源間先輩も、同級生も、二年の方々も、三年の方々も、副部長も、女子部長も、みんな、みんな、みんな――この俺もだ、そして、真っ黒になる消臭剤の発明者にして長身の先輩――上條竜太先輩でさえも――黒いものが手ぬぐいから浮かび上がる。
全員が真っ黒になっていた。
みごとに黒々となっていた。
なんなんだろう、これは、わけがわからない。
俺は、ここにきて、完全に混乱する。そして、無性に腹が立ち、嫌な気持ちになる。
ここまできて、こんなところまできて、こんなわけのわからない展開があってたまるのだろうか。こんな、こんな、不条理としかいえないようなことが、いったいぜんたい、あってたまるものか。もう、後編の後半の後半なんだぞこんちくしょう。ふざけるな。馬鹿か。
何かみんなで罰ゲームを受けたオチみたいになっている。
オチ? 何を言っているんだ、俺は。馬鹿な。
まさか、ここで終わらせるのか?
嫌な、予感。激しく嫌な予感がする。
全身から頭がクラクラするくらいの汗が出てくる。
いきなり、ちゃんちゃんと。
あっさりきっかり幕がたれそうだ。
そんな空気が流れてる。
はい、お疲れ様でしたーと叫ばれそうになってきている。
俺は、源間先輩が叫んだ言葉を思い出し、その言葉を睨みつける。全身全霊で睨みつける。
ラストだ。
ラストだだと。
嫌だ。
ふざけるな。こんなものは、茶番だ。
納得いかねぇ。
そうだよ、納得するわけがねぇ。
まだまだ、終われない。
嫌だ。
「そうだよ、まだまだ、終われねえよ」
八月十五日。午前十一時半。対、犯人。
俺の趣味は読書だ。
もちろん、こう答える人は俺を含めてこの世の中にたくさんいるだろう。
が、しかし、そう答えた割には、実際に本を読むことを日々の楽しみの一部にしていなかったり、ヘタをしたらほとんど読んでいなかったりする人はたくさんいる。
まあ、よくあること。質問の趣味の項目が思いつかず、とりあえず書く感じ。そのような人はおそらく特技の項目でも頭を悩ませることだろう。
しかし、俺もそんな彼らを馬鹿にはできない。
結局のところ、俺もそのような人たちと同じようなものであるのだ。漫画を読書としてカウントするような人間だ。
だけど、全く読まない人に比べれば読んでいると自負してはいる。
月に五、六十冊読むような友人たちには遥かに劣るが、月に少なくとも二、三冊は読破している。一応、大したものだろう。
さて、いったい何故このような話を突然するのかというと、実は、これから言う予定のセリフ、使う予定のセリフ、それは俺が読んだことのある小説のセリフにかかれたものなのだ。
ぶっちゃけ、パクリなのだ。
まあ、今までもセリフの引用はさりげなくされていたりしたが、それはあくまでパロディでありリスペクトでありオマージュであった。
例えば、俺の名前、桐原も突き詰めて考えれば、リスペクトであるのだ。それなら別に構わないのだ。
しかし、今から使う言葉はマイナーではあるが、パロディやリスペクトやオマージュには入らない。いや、正確に言えばパロディ寄りではあるが、現状はパクリだ。
だからこそ、少し前置きをしていただいた。これぞ、批判の渦から逃れようって戦法だ。
さて、言い訳終了。予防線オーケー。
さあ、言おう。ああ、言おう。ぜってー、滑るが言っちまおう。
俺は、さきほど真っ黒になった部員が、誰も帰らず部室で食事をとっているのを確認する。
容疑者としている佐藤さん、源間先輩、竜太先輩が前にいるのを、道場にいるのを確認する。
そして、俺は宣言する。
さあ、西尾維新作――200%趣味で書かれた小説『偽物語(上)』二百四十七ページより引用。
「犯人は、この外にいる!」
俺は、ビシッと道場の入り口を指す。
三人はぽかんとし、俺が指した道場の入り口の方に顔を向ける。
すると、ゴゴゴとドアが開かれる。
そして、もちろん、そこから、現れたのは――。
「ふふっ、そりゃあ、私よね。やっぱり」
真名子真子先輩であった。
真子先輩はいつも俺をいじめてくる時に見せる顔を作るとニヤリと笑り、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
そして、俺のところにまでやってくると、少し優しい目をして、手を俺の頭に軽く乗せ、なでる。俺はなでられる。
「十分楽しませてもらったわよ、桐原くん。これはごほうびよ」
真子先輩になでられ、俺は恥ずかしながら赤面する。
そして、考えていた言葉がうまくでなくなる。
「あ、あの……できれば説明の方を」
「ええ、そうね。めんどくさいから、じゃんじゃん言うわよ」
そして、先輩の説明――もとい、ネタばらしが始まる。
「まず、私の目的は大きく分けて二つ。一つは、単純に桐原くんの手ぬぐいが欲しかったこと。そして、もう一つは、桐原くんをいじめたかったこと。
そのために、私は、洗濯物の中から意図的に桐原くんのを手ぬぐいを抜いたわ――ちなみに、落としたり、入れ忘れたりしたわけではないのよ」
すると、手が上がる。佐藤さんだ。
「はい、真子先輩に質問です。どうして、どれが桐原くんの手ぬぐいだって分かったんですか?」
「愛よ」
「あ、愛ですか……」
「どう? 不条理でしょ」
真子先輩はそう言い笑う。
しかし、このことは残念ながら、実際は違うのだろう。彼女はマネージャーなのだ。どれが誰の持ち物だなんて、必ず分かるに決まってる。それが仕事なんだから。
「さあ、続けるわよ。まあ、そんなこんなで手ぬぐいを無くした桐原くんは、私のところへやってきたわね。多分、これは、主将からの指示があったのでしょう? というか、多分、主将は最初から私の仕業だと勘づいていたのでしょう?」
主将は軽く頷き、答える。
「うむ、大体、こんなことをやるのはマネージャーくらいしかいないからな。確証はなかったが、とりあえず、桐原を行かせてみることにした。後、竜太の消臭剤を使ったいたずらも無視してやった。……言ったところで無駄だろうしな」
「そうそう、よくわかってるじゃない。それで、私は桐原くんにこれは誰かが盗んだ事件だって教えてあげたわ。そして、次に竜太の消臭剤を利用して、いたずらを考えた」
「あの、先輩。竜太先輩の消臭剤をどうやって手に入れたんですか?」
俺は、恐る恐る手を上げて質問する。
「ああ、元々、昔もらったのよ。あれは、普通に洗浄剤とかとして、役立つのだもの」
「はぁ、なるほど」
「それで、ゆかちゃんの手ぬぐいにいたずらをかけて桐原くんをびっくりさせたのだけれど、少し問題が発生してしまったのよね。まあ、いうなればアクシデントね。桐原くん。あなたが、倒れてしまうんだもの。あれは焦ったわ。だから、その後、私は必死に看病してサービスの限りを尽くしてあげたのよ」
一息。そして、言葉を続ける。
「そのあとは簡単よ。主将の手ぬぐいにいたずらをかけて、桐原をまたびっくりさせて、まあ、みんなのにかけて、さらにびっくりさせて、今に至る。はい終了」
あきれ果ててなんとも言えないほどあっさりと、真子先輩はすべてを自供し終わった。
源間先輩、竜太先輩、佐藤さんは納得して頷いていた。
「なるほどな」「なるほどね」「なるほど、わかりました」
俺以外の三人は、それぞれひっかかていた謎がとけたようで、満足して去っていった。
そして、俺と真子先輩だけが残された状態になる。
「……あの、まだ質問があるんですけど」
「なに? スリーサイズか年齢だったらなんでも答えるわよ」
「いえ、それ以外で」
「…………わかったわ。何?」
「あの、俺を看病してくれたとき。佐藤さんがどうとか、言ってましたよね、あれがどうしても、よくわかんないですけど、なんであんなこと言ったのですか?」
すると、真子先輩はこちらに対して、微笑んできた。
「……ある意味、あれに近いような遠いようなことが、真の目的だったり、全然そうじゃなかったりするのよ。ただ、佐藤さんについての質問のは、私がびびちゃったってのが原因であるし、それにあなたの気持ちはホントに想定外のことだって――いえ、心のどこかで意識はしてたことではあるのだけれどね、まあ、そんな感じよ」
真子先輩にしては、珍しく、というか意外な、歯切れの悪い弱々しい返答であった。正直なところ、よく何が言いたいのかは、分からなかった。
しかし、これも真子先輩なんだと思う。
彼女には分からないところはたくさんある。
しかし、分からないことは分からないなりに折り合いを付けていこう。そうしていくべきだと思う。そして、いつの日か理解できるようになるだろう。
さて、この話はここでおしまいだ。
ここにきて、俺は、この愉快で楽しく弱気なところも実はあるサディストの先輩のことを思うようになっている。
彼女について考えると、ひどくよい気分になってくる自分がいることに気づきはじめているのであった。




