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歴史もの

屈原の歌

作者: しのぶ

 屈原(くつげん)は戦国時代の楚の高官であった。屈原は見聞広く、記憶力に優れ、治乱の道理に明るく、文章をよくした。彼は楚の壊王に仕えて法令を作っていたが、同僚の靳尚(きんしょう)は屈原をねたみ、王に讒言(ざんげん)して、


「屈原は、法令を一つ作るたびに自慢して、『私でなくては法令を作れまい』と言っています」


と言った。王はこれを聞いて怒り、屈原を遠ざけるようになった。屈原は左遷され、一方、靳尚は出世して上官大夫となった。


 屈原は、


「なぜ咎なくして降格させられねばならないのか」


と恨み嘆いたが、屈原は朝廷に味方も少なく、どうすることもできなかった。


 さて楚は斉と同盟していたが、秦の王は楚と斉の仲を割くことを謀って論客の張儀(ちょうぎ)を楚に遣わし、張儀は壊王を欺いて斉と断交させた。その後、楚は秦と戦ったが敗れ、八万の兵を失い、さらに魏に攻め込まれたが、斉は楚と断交していたので、これを救わなかった。


 後に壊王は秦と和睦して、秦は楚に漢中の土地を割譲しようとしたが、壊王は、


「土地よりも、私を欺いた張儀をもらい受けて、恨みを晴らしてやりたい」


と言った。


 張儀はこれを聞いて、


「私一人で漢中の土地の価値があるなら、楚に参りましょう」


と言った。


 張儀は楚に来ると、楚を取り仕切っていた靳尚に沢山の贈り物をして、壊王の寵姫である鄭袖(ていしゅう)に近づいた。張儀は彼女を欺き、鄭袖は王に説いて王の心を変えさせたので、結局王は張儀を釈放した。


 さて屈原は、左遷されて斉に使いに行っていたが、戻ってくると、


「なぜ張儀を釈放したのですか。彼を生かしておいては後のためになりません」


と王に説いた。王は後悔して張儀を追わせたが、結局逃げ切られてしまった。


 後に諸国は共に楚を攻めて、楚は多くの死者を出した。

 そして秦は楚と婚姻関係を結ぼうと持ちかけた。壊王は秦に会見に出かけようとしたが、屈原はいさめて言った。


「秦を信用することはできません。行ってはなりません」


 しかし王の末子である子蘭(しらん)は、


「秦とのよしみを断ってはなりません」


と王に説いたので、王は秦に赴いたが、そこで秦に幽閉されて土地を割譲するように求められた。屈原は壊王を救おうとしたが叶わず、壊王は秦で死に、人々はその亡骸を持ち帰って楚に葬った。

 その後は壊王の長子が即位して頃襄王(けいじょうおう)となり、子蘭は宰相になった。


 さて子蘭が壊王を秦に行かせたために、壊王は秦で死ぬことになったので、楚の人々は子蘭を非難していた。屈原もまた子蘭に恨みを持っていたが、子蘭はこれを知って、先手を打って靳尚と通じ、靳尚は屈原のことを頃襄王に讒言したので、王は怒って屈原を追放した。


 屈原は今や朝廷を追われて無位無冠の身となり、髪を振り乱して長江のほとりを憂えさ迷った。


 そこで屈原は釣りをしている老人に出会った。老人は言った。


「君はずいぶんやつれているな。こんな所で何をしているのかね」


 屈原は言った。


「私は職を辞して朝廷を去ってきたのです。我が国が次第に乱れ衰えていくのを憂え、君主の心を変えさせて国を救おうとしたものの、それが受け入れられなかったことが私には心残りです。このままでは、これから楚はどうなってしまうのであろうか」


 老人は言った。


「人が世に受け入れられるも受け入れられないも時流による。世が乱れているなら、君もそれと共に乱れ、時流に乗って命を全うするが良い。時流に逆らい、国を救おうと努めたところで、我が身を危うくするだけだ。国の行く末など気にせず、私のように釣りをしてその日を送り、身を全うするがよい」


 屈原は言った。


「確かに、そう思えば気は楽にもなるだろうが、今は(ぎょう)の時代ではないのだ。世が乱れていても、自分には累が及ばないなどと、どうして思っていられようか」



 屈原は老人と別れて、川岸をさ迷い歩いたが、そこで思いつめ、歌を歌っていわく…


〝悪しき世に巡り合わせて

人は皆酔いしれる中

我一人覚めるがごとく

人は皆眠れる中に

我一人覚めるがごとく

かの如く我は一人で

災いの迫れる中に

曲がれるを正さんとして

国人(くにびと)に道を説きつけ

我が君を助けまつりて

我が国を救わんとせり

しかれども我を憎める

人々は我をとがめて

不忠なり不貞なりとし

ただ我を蔑むばかり

我が君も我を遠ざけ

佞臣(ねいしん)の讒言を聴き

怒りさえ我に向けては

我が身さえ危うくなりぬ

我もまた心に思い

“みそぎして清まりて後

汚れたる(きぬ)着るべきや

鳥どもの烏合のうちに

(おおとり)のとどまるべきや”

かく思い心に決めて

官を去り朝廷(みかど)を去りて

この岸にたどり着いては

川岸を憂えさ迷い

我が国の行く末思い

来るべき災い恐る

今ははや何を求めん

今はただ俗塵(ぞくじん)を去り

()き世から逃れ去らんと

竜の引く車に乗りて

天駆(あまが)けり行かんとすれど

空を行き高みを行きて

雲を越え天駆けりつつ

雲間から地上を眺め

過ぎ行ける景色の中に

ふるさとを通り過ぎれば

その姿目にする時に

たちまちに心乱れて

空からも(かし)ぎ落ちかけ

車引く馬は故郷を

かえりみてもう進もうと

してくれぬ我いかにせん

いかにせん進むも退くも

窮まるものを〞


 こう歌って、屈原は石を抱いて川に身を投げて死んだ。

 そうして、屈原の死後五十年ほどで、楚は滅んだのであった。






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― 新着の感想 ―
[良い点] 屈原好きなので、楽しませていただきました。 前段、現代語ながらもわずかに残る漢文調の地の文がとても好きです。
[良い点] 中国の歴史物が好きなので、楽しく読ませていただきました。 ほかの作品も読ませていただきたいと思います。
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