ままよくある第2話
病室からおさらばするまでにあったことと言えば羞恥の記憶のほかにも母親との対面もあった。ほころぶどころか太陽の輝きにも劣らないと言わんばかりの眩い笑顔で私を抱きしめる様は、今抱きしめているものが本当に大切なものだという気持ちを伝えてきて。
まあこちらの中身の年齢を考えるとどことなく申し訳なさと気恥ずかしさも覚えるが、別に私が無理矢理何かをしたというわけでもなく、罪悪感というほどの物は抱かなかった。新しい家族に本当に愛されているという事実はそれだけで嬉しいものだ。
惜しむらくは顔のおおよその判別こそ出来るものの視界は安定せず、何を言っているのか聞き取ることもできないことであろうか。せめてものお礼にと笑いかけながら手を伸ばした時は安らかな顔で気絶していたことは何となくわかっていたが。
音が判別できるようになり、何となくではあるが言葉を覚え、歩く程度は十分にこなせるようになる頃にやっと病室のような場所から別の場所へと移された。別の幼児も数人いる育児室のような場所が私の新しい生活の場所だった。
けがをしないように尖ったものも堅いものも一切なく、強いて言えば角の取れた絵本の角に当たる部分が一番危ない程度の実に安全に配慮された空間は、しかし精神的に幼児ではない私にとっては退屈を感じさせる以上の効果は無かった。
とはいえ退屈しているのは私だけではないのか、周囲の幼児もあまり活発とはいいがたく、どことなく無気力な様子すら見受けられた。この年ごろの子供はとにかくうるさくて騒がしい元気の塊だと思っていた私は面食らったものだが。
あるいは年相応でない落ち着きのある子供を隔離している部屋なのかと考えが及んだのはそれから一年、部屋に他の子供が増えたり減ったりをいくらか繰り返した後であった。自分の身体能力の基礎を考えて計画的に運動を始めたあたりである。
それまでは最初の病室含めて今生活している育児室や風呂、その他行ける場所全てが一つの施設であるという事から流石にこの程度の少数の為に施設を一つ造るという事もないだろうと思っていたのだが、ある日母親にここにいる子供について尋ねた際
「そんな事が気になるなんて、やっぱりうちの子は天才 ~中略~ えっとね、ゆーくん達は子供の中でも特別だから、普通の子とは小学校までは別なんだ」
との回答を貰えたので一瞬前世の記憶的な関係が露見しているのかと警戒したものだが、ぽやぽやとうちの子は天才などと語る母や前世の記憶があるにしては別段奇行に走らない周囲を見るにその線は薄いであろう。
その時は深くは考えなかったのだ。いったい何故特別と言われたのか、何が特別だったのか。極論してしまえば、その部屋にいたのが全員男であったという事実を。