7.ボランティア
「あ、りっちゃんだおはよー」
朝。
登校ラッシュ前の静かな校門前で、母の車を見送り、歩き出そうとした背後から声を掛けられた。
「……」
一瞬の逡巡ののち、考えても仕方がないと潔く負けを認めた。
「おはようございます、理人先輩」
「うん、だよねー。昨日の今日では分からなかったよねー」
そうです。と言っても、日数があったところで分かったかどうかも怪しいが。
昨日の帰り、恵にそれとなく聞いてみたけど知らないお前バカだなと呆れられ、朝にでも他の三人に聞いてみようと思っていたのだ。その前に会ってしまったのだから答えは当然用意できていない。昨晩のうちに連絡して聞いておけばよかった。
「まぁいいよ。もうしばらく宿題にしておくから」
うぐ。まだまだ宿題が続くのか。三人が登校してきたら真っ先に聞いてみないと。
コツコツと松葉杖を使うこちらの歩調に合わせてくれる理人先輩と並んで歩きながら、僕はガクリと肩を落とした。
「わかりました……。善処します」
「うん。してみて」
笑顔で頭を撫でられた。撫でると言うよりは少し乱暴だけど。
やめて、父のセットが崩れる。
乱された髪にムスッとして理人先輩を見れば、軽い謝罪の後に綺麗に整えてくれた。
「ところで、いつもこの時間に登校してるの?かなり早いよね?」
「……理人先輩だって早いじゃないですか。僕はちゃんと理由がありますからね?」
「送ってもらってる?」
「……分かってて聞いたんですか?」
「うん。それ以外に理由あるのかなーと思って」
「……ありませんよ他に理由なんて。あえて言うなら母の出勤時間に合わせたらこの時間ってだけです」
フルタイム勤務の母は早い。この時間に送ってもらってギリギリ母の始業時間に間に合うくらいだ。母に合わせて早起きしているが、自分で登校するようになればこの早起きの習慣は十分役に立つだろうと思っている。
ただ心配なのは電車通学になった際、無事に学校まで辿り着くことが出来るのかということ。一応、恵には一度一緒に登校してもらえるように頼んではある。覚えられるか不安しかないが。
「そっか。じゃぁ、この後って特に何もない?」
「……はい、教室で本読むか、保健室でナーコ先生と喋るくらいです」
今日は職員会議があるって言ってたからそのまま教室直行の予定だ。最近暖かくなってきたし、まだ誰も来ていない教室は窓が締め切られているだろうからから開けておかないと。
なんて思っていれば横から……と言うより真上から物珍しそうな声が漏れ聞こえた。
「へぇ、保健室で?あの先生用事ない人はすぐ追い出す人だよね?」
「え?そうなんですか?……結構な頻度で行ってますよ?」
ついでに言うなら週に二回ほどはお昼もそこで食べている。鳴海先生も混じって正しく女子会と成り果てているが。
「何かと理由つけて行こうとするから、病人や怪我人以外には風当たり強いんだよ。下心あるヤツは大抵一年の時に身を持って洗礼を受けるし」
……あぁ、そう言えばお昼を食べていると毎回誰かしら入ってきていたっけ。お腹が痛いとか、頭が痛いとか。小さな擦り傷程度で来る人もいた。そう言えば一年生が多かったような気がする。
「今がちょうどその時期だし。出入りしてて何も言われないのなら相当気に入られてるんだろうね。りっちゃんかわいいからね」
「……かわいくないですからね?」
「だけどやっかみなんかもないとは限らないから、出入りには十分注意するんだよ?」
あれ、スルー?もしかして聞こえてなかったかな?
「僕、かわいくない、ですからね?」
先ほどより少し声を上げて区切りながら言ってみた。視線は合っているから聞こえているはずだ。
「文句を言われても知らない人にはついてっちゃダメだよ?知ってる人でも一人では絶対ダメだから。大人しそうに見える人ほど何して来るか分からないからね?りっちゃんかわいいんだから」
「……」
完全スルーされた上に、またかわいいと言われた。そしてついでとばかりに頭を撫でてくる。
……止めて欲しい。さっきと比べれば全然優しい撫で方だけど、何だか違う気がする。高校生が年下の高校生相手にする事じゃないと思う。
頭撫でるの好きなのかな理人先輩って。そういうのは彼女にやってあげると喜ぶと思います。
朝、鏡で見た自分の姿は絶対にかわいいものではなかった。隣で歯を磨く妹に「Theモブ!」と親指を立てられたし。理人先輩のかわいいの基準がわからない。人よりズレてるのかな?
「理人先輩、聞いてください」
「うん、聞いてるよ」
「じゃ、そのかわいいって言うの、止めてください。僕には当てはまりませんから」
「えー、それは無理かも、りっちゃんかわいいから。それより今から一緒に図書室行かない?昨日新しい本が入ってきたから棚入れするんだけ「新しい本!?行きます!手伝います!ついでに借りていいですか!」……凄い食いついてきたね」
本と聞いて思わず理人先輩の袖を力強く掴んでしまい、興奮しすぎて段差で足を取られてしまった。
そんな、思わず袖を掴んできた僕の反応に驚きを見せていた理人先輩は、躓き転びそうになった僕に再度目を丸くする。すかさず腕を掴んで転倒を防止してくれた理人先輩には感謝しかない。驚かせてすみません!
「落ち着いて、本は逃げないから。それじゃ、靴履き替えて待ってて。鍵貰ってくる」
「はい!ありがとうございます!」
テンションが上がってしまった。かわいいを撤回していたはずなのに。
まぁいいや。今はそのことよりも本が大事だ。
どんなラインナップかはわからないけど、今更辞書や辞典を購入するとかはないだろう。文学小説だったら尚良しである。楽しみだ。
負傷の右足に負担をかけないようゆっくりと靴を履き替えれば、さっさと靴を履き替えた理人先輩が鍵を手に戻ってくる。
「じゃ、行こうか」
「はい!」
やばい、今日一日テンションが下がりそうにないかも。
そう思っていたテンションは、積まれた本のタイトルを見て更に上がってしまった。
期待以上だ、最高だ!
新刊も新刊、買おうかどうか財布と商談中の案件が何冊も目の前に積まれている。
「理人先輩!これ選んだの誰ですか!?神ですね!」
思わず叫んでしまった。朝の静かな校内なので心持ち声を抑えてだが、溢れんばかりの愉悦感は抑えることができなかった。
「あははは、神って!俺神様になっちゃった!」
「神先輩!これ!これが読みたいです!これ欲しかったんです!」
何冊かあるうちの最有力候補だった本を掲げる。新品の装丁が堪らない。なにこれヤバイ!買わなくても読めるとか凄くない!?内容次第ではお買い上げ決定だけども!
「すんごい喜び様だねぇ。これ位喜んでくれると選んだ甲斐あるわ。あげれないけど貸し出しは出来るからね?借りたいならほら、働く働く!」
今回購入した本の横に、ドン、と段ボールが置かれる。
「働きます!何すればいいですか?」
段ボールの中から取り出された物を見れば、大体何をするのかが分かった。見慣れた図書室の本に仕上げる道具が入っている。
神先輩改め理人先輩に手順を教わりながら、雑談混じりに二人で作業を進めていく。
「え?これって委員会の仕事じゃないんですか?」
委員会のみんなでやれば早く終わりませんか、と質問をすれば、意外にも委員会の仕事じゃないよーとまさかの返答が返ってきて。思わず手が止まってしまった。
「うん、そんなに量も多くないし、委員会では基本誰でも出来るカウンター作業しかやらないかな。りっちゃんみたいに本が好きで委員会に入る人もいるだろうけど、そうでない人もいるし。その人たちにとっては読みもしない本選びとか、一番暇でしょ?バカな奴はマンガ入れろとか言うしねー」
あー、誰か一人は言いそうなことだよね。同じ本だろ、とか理由つけて。小学校でも中学校でも、そんなことを言っていた男子がいた。マンガなら借りるのに、とか。
「じゃぁ理人先輩はボランティアですか?」
「ぶはっ!ボランティア!そうだね、確かにボランティアだね!りっちゃん、いいこと言うね!」
言葉選びが不味かっただろうか。理人先輩がツボってしまった。え、だって他に言葉が思いつかなかったんだもん。
「笑わないでくださいよ……」
「ゴメンゴメン、まーそんなボランティアでも自分が読みたい本選べるし、悪くないでしょ?」
「はい。それはもう魅力的です」
もちろん漫画やライトノベルも好きだけど、いくらなんでも学校の図書にそれらが不要だということくらい分かっている。そういったものは学校でこっそり友達と貸し借りするのだ。
「だったら入る?」
「?……何にですか?」
「あれ?部活紹介で部長から説明聞いてない?一応図書部なんだけど」
そんなに存在薄かった?と心配する辺り、部活紹介をしたのは理人先輩ではないのかもしれない。理人先輩がやればその身長も相まってインパクト大だっただろうに。
「あー……、僕、入院してて登校したの先週からなんです。聞けてないです、それ」
決して存在が薄いわけではないと思う。……たぶん。
そんな僕の言葉に合点がいったらしい理人先輩は、作業を終えた本をパタン、と閉じて満面の笑みを浮かべた。
「だからボランティアか!」
「忘れてください!」
恥ずかしくて両手で顔を覆い俯く。揶揄ってる!絶対これ揶揄われてる!
「まぁ無理にとは言わないけど、入ってくれたら嬉しいよ。かわいいりっちゃんなら大歓迎」
「かわいくないです考えてみます」
恵くんと、先生たちにも相談してみよう。僕の一存では入る一択しかないが。
「うん、返事はいつでもいいからねー」
そしてまたかわいい撤回の主張はスルーされた。
「そろそろ終わろうか。予鈴が……あ、」
言ったそばから予鈴が鳴り響く。
え、うそ。ここから教室まで時間かかるのに!
「理人せんぱ……!あ!片付け!」
慌てて立ち上がるも机に散乱した道具がそのままだ。片付けていたら本鈴が鳴ってしまう。
「あぁ、良いよそのままで。先生に言っておくし、昼休みに片付けるから。それよりも急ごうか。……荷物、持った?」
「あ、は「ちょっとゴメンね」いっ!?」
ガクン!と上昇した視界に思わず手直なものにしがみつけば、それは理人先輩の肩で。
「ちょッ……先輩!?」
「俺から誘っておいて遅刻させるわけにはいかないからね。走るからしっかり掴まって。邪魔になるから杖は置いて行くけど、後で教室まで届けるよ」
言うが早い、荷物のように僕を抱えた理人先輩は、図書室に鍵を掛けると宣言したよりは遅めの早歩きで教室へと向かった。
「恥ずッ!恥ずかしい!理ひっ、先ぱ……降ろしてぇー!」
「あははは!」
その道中、大いに目立ってしまったことは言うまでもなく。
あんなに上がっていたテンションは底辺まで急降下していった。
結局、教室までノンストップで運ばれた僕は失意のうちに恵とナギに受け渡された。
「律!」
「りっちゃん!」
「この子よろしくねー。杖は後で持って行くって伝えてあるけど……もう一度伝えておいてくれる? それじゃーりっちゃん、また後でねー」
頭を撫でられ、軽く放心していた僕は一言も返せないまま理人先輩を見送ってしまった。
「りっちゃん!どうしたの!?何があったの!?」
その後もしばらく放心していたけど、感情が押し殺せていない司馬くんの顔を見た途端、正気を取り戻すことが出来た。
「ナギ、恵も、ごめん、説明は後でするから」
とりあえず今は、正気を取り戻させてくれた司馬くんにお礼をしないと。




