6.『ことわり』の『ひと』
チャイムの鳴り響く廊下を、普段の五割り増しの速さで松葉杖を懸命に動かし急いで歩く。
委員会に向かうためだ。
本人不在で勝手に決められていた委員会。別段異論はない。だって図書委員だったのだ。本好きには堪らない委員会だ。しかも聞かれてもいないのに恵が気を利かせて図書委員に推してくれたそうだ。神かと思ったね!
聞けば入院中に大量に積まれていた本を見てなんとなく、らしい。神だ!拝んでおいた。
しかし、その事実を委員会の集まりがある前日に聞かされた時は思わず恵に詰め寄ってしまった。鳴海先生も、てっきり喜多川くんに聞いてるのかと思ってた、とか言うし。恵には初日に図書室の場所を教えて貰って、毎日部活帰りに迎えに来て貰ってたのに忘れるとか酷い。役員だと知らずに毎日利用してたってことじゃん。
とりあえず恵から謝罪と言う名のアイスを奢って貰い、腐った思惑に耽っていた司馬くんの頭に手刀をお見舞いしておいた。
「すみません、遅れました……」
チャイムが鳴り終わってしばらく、静かな図書室から声が漏れ聞こえる扉を恐る恐る開ければ、一斉に向けられた視線に思わず怯んでしまった。
「あぁ、一年の怪我してる子だね?聞いてるよ。……あれ?もう一人は?」
立ち上がって喋っていた委員長らしき上級生の先輩に手招きされ、おずおずと空いている端の席へと向かう。
「もう一人は今日休みです。連絡できずすみません……」
もう一人役員がいるなんて今日まで知らなかったのだ。昨日役員だと言うことを聞き、今日になってもう一人役員がいるという事実を知った僕の心情をここにいる人たちは知らないので文句は言えない。恵のバカ!鳴海先生の職務怠慢!鳴海先生は性転換してナーコ先生と司馬くんの妄想の糧になってしまえ!
「そうなんだ?わかったよ、じゃぁ全員揃ったみたいだし始めようか」
委員長の号令で委員会が再開される。
この日は昼休みと放課後の図書当番の日程決めが主な内容だった。基本全員参加で、部活がある人や早く帰らないといけない人なんかは昼休みのみの当番、それ以外は放課後のみの当番と、きっちり全員当番活動ができるよう仕分けるらしい。ちなみに僕は部活に入る予定はないので放課後組だ。
一年を通しての活動なので最初のうちに大まかな日程を組んで都合が悪ければ交代するなどして都度変更していくようで、大体月に一度のペースで当番が回ってくる計算になる。組み合わせは基本一年二年三年で各一人ずつ、三人一組の班だ。もっとも、三年は受験や就職の準備で夏休み前までの補佐要員らしく、夏休みからは実質二人ペアで活動していくとのこと。
お昼組、放課後組に分かれてクジ引きで班を決めれば、メンバーは染めているのだろう明るいグレージュのチャラそうなのに機嫌の悪い三年生と、背の高い二年生と当たった。
「片瀬です。よろしく、お願いします……」
年功序列で真っ先に二人に挨拶を掛ければ、三年生の先輩には面倒そうな視線を向けられただけだった。
うわー、なんだか感じの悪い先輩だ。
「片瀬ね。俺は二年の伊瀬。よろしく。こっちは三年の仲田先輩。俺メンバー報告してくるから座って待ってて」
二年生の先輩が二人分の自己紹介を済ませてくれた。そのまま委員長にメンバー報告をして報告順に初回の日程を組まれる。
座って待てばいいと言ってくれた先輩の言葉に甘えて、立っていた側の椅子を引き寄せて座ろうとして……三年の先輩が引いた椅子に松葉杖が巻き込まれ、――――盛大に転んでしまった。
「うわっ!?――ぃッ!」
「チッ……」
痛い!しかも今なんか舌打ちされたし!今の完全に先輩の確認不足だよね!?恐くて顔が上げられないけど!
「おい、大丈夫か!?」
「片瀬!?」
「だ、大丈夫です!何ともないです!ちょっと転んだだけです!」
ひぃー、集まって来ないで目立ちたくない!
慌てて松葉杖を手繰り寄せて立ち上がろうとしたら、いつの間に来たのか委員長に松葉杖を回収されてしまった。
「へ?あの……ひゃ!」
呆けて委員長を見ていたら突然背後から両脇に腕を入れられた。そのまま運搬よろしく椅子に腰を降ろされる。
びっくりして見上げれば、委員長同様いつの間に来たのか同じ班の二年の先輩だった。……名前なんだっけ?びっくりしすぎて名前をど忘れしてしまった。どうしよう。
「大丈夫?」
眉をひそめたドアップな先輩の顔が近すぎて大丈夫じゃないです。何気にカッコイイですね。……じゃなくて。
「あの、ハイ、大丈夫です……」
「なら良かった。……狭いし、気を付けようね」
「…………はい」
……うん、まぁ、仕方ない。見方によっては一人で転んだ様にも見えただろうし。――――次からは周りの動きにも気を付けよう。
気を取り直して、不機嫌な三年生にすみませんでしたと顔は見ずに声だけ掛けておく。舌打ちするような人に返事は期待していない。
気まずかったけど、間に二年の先輩が座ってくれたので落ち着くことができた。顔が見えないだけでも気持ちが全然違う。
「先輩も、ありがとうございました」
ど忘れして名前が出て来ないが、こちらの先輩には顔を向けてお礼を言えば、どういたしましてと返ってきた。
うん、背が高くて怖そうに見えるが、優しそうだし対応もイケメンでカッコイイ。これから一年間お世話になる先輩だし、仲良くしておきたい。
その先輩に教えて貰った僕たちの班の当番は、五月の連休明けが初回だった。
その後、学校支給の委員長用スマホに連絡先を登録し、メッセージアプリのグループに参加させられ。簡単な連絡事項や急な招集なんかはこれでやり取りをするらしい。
最後に欠席者以外の全員の参加を確認して今日の委員会活動は解散となった。
「片瀬、ちょっと良い?」
解散の号令と同時にほぼ全員が立ち上がる中、人が少なくなった頃合いを見て立ち上がろうとしたら委員長と話していたらしい同じ班の二年の先輩に呼び止められた。
「はい?」
近寄ってくる先輩が隣に立てば、立っている時よりさらに視線が高く若干仰ぎ見る形となり。
メガネを押し上げ、フレームアウトしてしまった先輩をレンズに捉えたら、おもむろに先輩はその場にしゃがみ込んだ。
「……先輩?」
「背が高い自覚はあるからね。首疲れるでしょ?」
あぁ、合わせてくれたのか。だったらしゃがむんじゃなくて座ればいいのに。
「じゃぁ、座ってください。足疲れますよ」
「あー、うん、ありがと。でもその前に……、さっきはゴメンね、片瀬が悪かったわけじゃないのにあんな言い方して」
「……え?」
「転んだの。わざとではないんだろうけど、仲田先輩の椅子で転んだって知ってたんだ。丸く収めるためにああ言ったけど、ちゃんと分かってたから。だから、ごめんね」
「……」
そっか、知って、分かってくれてたのか。
「あの人ちょっと面倒な人で……ってのは言い訳になっちゃうか、ごめん」
「……いえ、気付いてくれてたなら……それで良いです。確かにあの先輩、面倒そうでしたし。だから先輩が謝ることないです。むしろありがとうございました、壁になってくれて。第一印象からして苦手だったので」
苦笑いを浮かべれば同じような笑みを返され、頭をポンポンと撫でられた。
「また何かあったら言って?壁くらいにはなれるから。まぁでも、多分あの人なんだかんだ理由つけて当番も参加しないと思うよ。今日の集まりに来てたのも珍しいくらいだし」
「……そんなにダメダメな人なんですか?」
「うん。三年に上がれたのが不思議なくらい」
ダメンズじゃねぇか。
でもそうか、会っても気まずいだけだしそれなら会わないで実質引退の夏を迎えた方がまだマシか。物は考え様かも。
「なら先輩、当番は二人になっちゃいますがこれから一年間よろしくお願いします。足が治るまでは迷惑掛けると思いますが、治ったらじゃんじゃん働きますので!」
「うん、期待してる。……ところで、俺の名前ちゃんと覚えてる?」
あ、痛いとこ突かれた。
屈んで膝を抱えながら、こてんと首を傾け見上げてくる先輩。やだカワイイ。写真撮りたい。でも残念、今はその顔を素直に直視できない。ごめんなさい先輩!
「……」
逃れるようにスーッと視線を先輩の後ろの方へずらし、フル回転で記憶を漁る。名前名前。班決めの時自己紹介したしされたじゃないか!三年の先輩の名前はさっきも先輩の口から聞いたから辛うじて思い出せるのに、肝心の先輩の名前が出てこない。なんだかこう、語呂が良かった気がするんだけど……。
ぐるぐると考えを巡らせている間、先輩は別段嫌な顔をすることもなくスマホを取り出しポチポチと操作していた。
「忘れちゃった?」
見上げてくる視線に気不味くなるも今度は素直に頷く。いくら記憶を漁っても自己紹介した部分が記憶喪失になっている。これはきっとアレだ、転んだ拍子に抜け落ちてしまったんだ。許すまじ、ダメンズ野郎!
「仕方ないなぁ。でも簡単に教えるのも面白くないし……。ってことで、次会うときまでの宿題。それまでは理人先輩って呼んでね。ちなみに片瀬の下の名前は?」
えー、再度の自己紹介はしてくれないんですか。宿題にされても思い出せる気がしないんだけど。そして思い出せなかったらどうなるんだろう……。誰かに聞いてみようか、背の高い先輩として誰かの記憶にあるかな。
「……律です。法律の律。リヒト先輩は『ことわり』の『ひと』ですか?」
「へぇ。うん、俺のはそう、その理人。律ね。じゃぁりっちゃんだね。俺もりっちゃんだからお揃いだね」
あぁ、理人先輩も『り』ですもんね。お揃いといえばお揃いだけど、この歳になって聞くと結構恥ずかしい。理人先輩カッコイイから全然違和感ないけど、僕が言えばただキモいだけだろうな。
「今まで理由の『り』って言ってたけど、『ことわり』って言い方もあったんだな。次からはそれにしよう、ありがとね、りっちゃん」
……え?
「りっちゃん……ですか……」
なんだかデジャヴ。もしかして名前をちゃん付けするの流行ってるの?
「うん。かわいいじゃん。俺みたいなでかいヤローがりっちゃん呼びされてもキショイだけでしょ?その点りっちゃんはかわいいし」
「いえ、かわいくありませんが」
「えー、かわいいよ?最近、毎日放課後にここ来てるでしょ?かわいいなぁと思って見てたんだ」
うわぁ見られていた。そして覚えられてしまった。まぁ松葉杖使ってるし、気付かれててもおかしくないか。いやでもかわいいって。女としては内心嬉しいんだけど、今ここで照れたらダメな気がする。黒縁メガネのモブだし。
「え?先輩も図書室利用してたんですか?いましたっけ?」
「名前」
「?」
名前がどうかしたのだろうか。
意味がわからず首を傾げれば、同じように首を傾けられた。
「名前で呼んで?」
「あ……、はい。……理人、先輩」
「うん、ありがと。俺大体いつもカウンターの奥にいるから。傷んだ本直したりとかしてる。それより番号教えてよ。かわいい後輩ゲットしたい」
そんな理人先輩に半ば押され気味に番号を教え、引き換えにでかくてカッコイイのになんだかかわいい理人先輩の番号をゲットしたのだった。




