③男装第一歩 by片瀬 律
入学前の話。
「律、恵くんが制服の見本持ってきてくれたわよ。合わせちゃいましょ」
そう言って母がサイドテーブルに置いた大きな紙袋に、私はあまり嬉しさを感じなかった。…………だって中身は男子の制服なのだから。
先週、かなり久しぶりに遠縁の男の子、喜多川恵くんと再会を果たした。法事なんかでしか会うことがないからまともに話したこともなければ顔もうろ覚えだったけれど、確かいつも小さい子たちに囲まれていた印象がある。十一歳年の離れた弟の面倒も見てくれていたし、面倒見の良い優しいお兄ちゃんと認識していたが……、あの日の印象はその認識を覆すものだった。
――――不機嫌、その一言に尽きる。
それもそうだろう。
男子校に入学する女子を一年間、バレないよう面倒を見て欲しい。
こんなリスクのある頼みごと、誰だって引き受けたくはない。
しかし彼には拒否権が無かった。すでに決定事項な上に、その提案を持ちかけた張本人である伯父の息子だったからだ。全てが決まった状態での事後報告だった。故の不機嫌さ。
それでも彼は、顔では嫌だと言い表していながら逃げるようなことはなかった。十五歳という思春期真っ盛りな男の子にしては珍しい。
その日は挨拶以外、一言も喋らなかったのがせめてもの抵抗のように感じた。
私はごめんねーと心の中で謝っておいた。
今日、彼が来たのは二度目となる。
何日か前に高校で行われた制服の即売会に女である私が行けるはずもなく、そもそもが未だ入院中の身である。外出許可が下りたとしてももともと行くつもりはなかった。
そんな訳でわざわざ病院まで見本を持ってきてもらっての制服合わせである。喜多川親子はパシリだ。
「小さめのサイズが入ってるそうです。あと、ズックは聞いたサイズと前後のサイズが入ってま……ッおい!脱ぐならカーテン閉めろ!」
「え?」
「あら」
「お前恥ずかしくないのか!?」
「え?シャツ着てるよ?」
目の前で着替えだした私に驚いたらしい彼、恵くんが慌てて顔を背ける。……別に、見られて困るような格好はしてないんだけど。下着姿を見せるのは恥ずかしいけど、寒くならないように下にはTシャツを着ているし。これくらいで恥ずかしいとか、どんだけ恥ずかしがり屋?
「りっちゃん女子力低いから」
「こんなの女子力の内に入らないよ。……ミサ、それ何?」
今まで黙ってマンガを読んでいた妹の実咲が手にするものを見て私は首を傾げた。……シャツ?
「いるかなーと思って通販で買ったの。これ着るのにシャツもブラも脱ぐし、スカートじゃないんだからズボン脱ぐんでしょ?流石に恵くんの前でパンツは見せられないでしょ、カーテン閉めないと」
「あ、そっか。ズボンなんだっけ」
「…………」
「ごめんね、恵くん。女子力の低い娘たちで」
「……いえ、飲み物買って父と待ってます。十五分程したら父と来ます」
なぜか疲れた顔をした恵くんは、ちらりと私を見たかと思うと溜め息をついて部屋を出て行った。……失礼な!
「りっちゃん、これね、ナベシャツって言ってコスプレとか男装するときに着る胸を潰すシャツなの。胸元がそこそこ厚手だから万が一ボディータッチされても気付かれにくいはずだよ」
……妹よ、よくそんなこと知ってるね。私は初めて聞いたしそれも初めて見たよ。
「はいはい。着ればいいんでしょ着れば」
立たないといけないからズボンは最後として、まずはシャツから……その前にミサが持ってきたシャツを着ないといけないか。ブラも外すわけだから上半身裸じゃん、流石に恥ずかしいな。これくらいの恥じらいはあるんだから私の女子力はまだ低くない!
「ナニコレ、どうやって着るのコレ」
「それはね、」
流石というべきか、用意した本人だからか着用方法もお手の物だ。なすがままに私の発展途上である小さな胸は押し潰されていく。
「これくらいかな?りっちゃん息できる?」
「……うん。大丈夫……」
苦しくないと言えば嘘になるけど、押し潰しているんだしこれくらいが許容範囲だろう。
……これきっと夏は地獄だろうな。密着具合がハンパない。
「シャツはSでいいかしら?ベストはMくらいにしておく?」
「うん、着てみる」
それから宣言通り十五分後に恵くんたちが戻ってくるまで、着たり脱いだりを繰り返した私は若干の疲れを滲ませながらもフルコーデを完成させた。
最近はどこの高校でも標準となりつつあるブレザーだ。
途中、飽きたミサは隅の方でマンガを読みだしていたが、ナベシャツ以外は別段いなくても支障はなかったので放置した。
「律ちゃん、終わった?」
「終わったよお父さん。入っていいよ」
コンコンとノックをして様子を伺ってきたのは父だ。部屋にいてもつまらないだろう弟の流星とともに、来て早々に子供用のプレイルームに移動して遊んでいた。
弟よ、お姉ちゃんはちょっと寂しいぞ。
「りちゃ!あたらちーおよふく?」
「そうだよ。学校のお洋服だよ」
誕生日にあげたキリンのぬいぐるみを抱きしめながら無邪気に笑う流星。
あぁ可愛い!この姿を見ると寂しさも吹き飛んでしまう。産んでくれてありがとうお母さん!男子校へ通うという不安も流星の笑顔でどうにかできそうだ!
「律、ちゃんと立って見せて」
「はーい。……よっこいしょっと」
松葉杖を使って片足立ちに立つ。
うん、ウエストは緩いがベルトをすれば問題ないし、ズボンの裾は曲げなくても大丈夫そうである。ベストやセーターを着れば胸元も違和感ないだろう。
「大丈夫そうね。髪は退院したら切りに行くとして、胸も大丈夫そうね」
ペタペタと触りながら長さを見ていた母の手が胸の上を滑り落ちていく。ストーンと、引っかかりもなくスムーズに。
「……サラシか何か巻いた?」
流星を抱っこしながら見ていた父が、母の動作を見て疑問を口にした。その疑問に私は答えてあげる。
「……違う、専用のシャツを着たの。ミサが用意してくれた」
「…………そう、違和感、ないね。良かった……と言うべきなのかな?」
「…………」
「……ブッ!」
背後から聞こえた声にギロリと視線を向ければ、マンガを読んでいたはずのミサの肩が震えていた。
「……ミサ、ちょっと」
「なっ、なに、ふふっ、りっちゃ……ぶはっ!あははは!」
コイツ!こうなることが分かってたな!
負傷した足を庇いながらベッドに腰を下ろし反対側にいるミサに近寄る。そして椅子に座って笑い続けている妹の頭を思いっきり叩いてやった。
「痛ったぁぁあははは!」
「こらっ!やめなさい二人とも!」
「だって!」
気にしてるのに!胸がないことなんて私が一番理解してるよ!救いはミサも私と同じくらいの膨らみということだろうか。
「サイズは問題ないみたいだね」
「そうですね、これ注文用紙です。よろしくお願いします信彦さん」
後ろから聞こえた別の声に振り返れば、そこには先ほど出て行った恵くんと、背の高い柔和な顔をしたおじさんが立っていた。恵くんの父である。ちなみに父とは従兄弟だそうだ。
「律ちゃんも他に問題はないかな?」
「あっ、はい、今のところ問題ないです……」
「何かあれば言ってね」
……さっきの見られてただろうか。……後ろで恵くんが顔を背け口元を手で覆っている辺り、見られてただろうな……。
少し落ち着かなければ。
大人三人で話をするため弟の流星を父から任された私は、流星を抱きしめながらとりあえず今後の予定を考えることにする。
といっても、当分退院できそうにないから暇なのは確定してる。
ひとまず恵くんには後で拳骨をお見舞いするとして、リハビリを頑張りつつ小説や漫画を読んで借りてきたDVDの鑑賞会をして、あとはたまに復習しておかないとかな。
うん、我ながら充実したインドアライフだ。