1.女顔の少年
私立一宮高校。
県内に二宮、三宮とある姉妹校の中で一番古くからある男子高校だ。
そんな一宮高校を前にすれば、無意識の内に深い、深ぁぁいため息が漏れた。
訳あってしばらく車での通学を余儀なくされている今、登校の邪魔にならないように母には校門の手前で降ろしてもらった。なるべく目立たないようにとの思惑もあるが。
まぁ、始業三十分以上前なので登校している生徒はかなり少ない。が、あっちを見てもこっちを見ても、登校する生徒は男のみ。
……あぁ、またため息が出てしまった。
「それじゃ、律、本当に一人で大丈夫?」
「うん、大丈夫。この前案内してもらったし、さっき連絡入れたら迎えに来てくれるって。お母さんも仕事遅れないようにね」
「そう、じゃあ安心ね。伯父さんと恵くんによろしくね」
「わかった。行ってらっしゃい」
「律も行ってらっしゃい」
お互い手を振り、車が小さくなるまで見送る。
両脇を松葉杖で支え、今日が登校初日となる一宮高校に『私』、片瀬律は歩みを進めた。
先週、ようやく退院できた私は残念(さほど残念とは思っていないけど)なことに同級生たちと共に入学式に参列することはできなかった。それ以前に受験戦争にすら参加することができなかった。ついでに言うならば卒業式にも。
第一志望校は家から近い公立の高校だった。滑り止めの高校も家から近い私立を選んでいた。
先ほどの一人称から察する通り、私は女である。
そして今日から登校するここは男だらけの男子高校。
不運といえば不運だったのだろう。
遡れば二ヶ月前、受験シーズン真っただ中に起きたあの出来事が私の運命を大きく変えた。
例年にない大雪で県内一帯は交通も情報も全てが麻痺し、何が正しいのかわからなくなった今年の冬。通勤通学と重なるように一夜にして降り積もった雪は、人はもちろん車の行く手すらも阻むほどの量だった。
ちょうど私立入試の二日前だった。
学校に連絡するも回線が混み合っているせいか一向に繋がる気配がなく、加え学校からの連絡も一切ないまま半信半疑で登校した朝。
父はギリギリ積雪が少ない朝方に出勤できたものの、母は完全に車が出せない状態にまで積もっていたために会社からは自宅待機を言い渡されていた。
普段であれば登校に三十分程かかる道のりを、その日はいつもの制服をカバンに詰め、代わりに体操着を着てその上からスキーウェアを着込むという完全重装備でいつもの四倍の時間を掛けて登校した。そして一心不乱に雪道を突き進んでいた最中入った母からの連絡は、これまでの苦労が無駄となった瞬間だった。同じように雪をかき分け歩いていた名前も学年も知らない同士達と気持ちが一つになった瞬間でもあった。
遠目に見える学校が初めて憎らしく思えた。
もっと早くに連絡寄越せよ!
心の中で悪態を吐き、一人、また一人と帰路につく中、私も同じように自分で歩いて作った道を引き返した。
吹き付ける雪で悪くなった視界に目を細めながら。
一面の銀世界、という言葉が頭に浮かんだ。でも、実際は一面真っ白な世界だった。どこが車道で、どこが歩道なのかすら見分けのつかない真っ白で平坦に見える道だった。
道路のあちこちでスタックしている車を横目に、除雪され歩道へと積み上げられた雪山を迂回するため、時折圧雪され氷のように滑りやすくなった車道を歩いていた。
足元に気を取られ、よく前方を確認していなかった私も悪かった。
強くなってきた雪に視界を奪われたまま歩道に積み上げられた雪山を迂回しようと出た車道で、運悪く乗用車と出くわしてしまった。
車が一台、なんとか通れるくらいの道幅だった。
運転していたお兄さんの、驚いて焦った顔は薄らぼんやりとだが今でも覚えている。
スピードは出ていなかったからぶつかっても吹き飛ばされることはなかったものの、ぶつかった拍子に滑って転んだ自分の右足の上に尻餅をつき、その痛みのあまりに仰け反った先にあった電柱に頭を打ち付けるというなんともお粗末な結末を私は迎えた。
自分の体重に押しつぶされた右足の末路は全治五ヶ月の複雑骨折という痛い代償として返ってきた。
そして電柱に頭をぶつけたことで意識を失ってしまった私は丸二日目覚めなかったらしい。目覚めた時には私立入試はすでに終了しているという悲しい現実が待っていた。
目覚めた第一声が「試験は!?」だったのは致し方ないと思う。腐っても受験生でしたから。ごめん、お母さんお父さん。寝ずに看病してくれたのにホントごめん。
気を取り直してならばと滑り止めなしの公立一本に絞って挑もうと意気込んだ試験は、インフルエンザの猛威により五日間立ち上がることすらできず受けることができなかった。
なにこれ、人生の岐路になんて仕打ち。誰か私に恨みでもあったのだろうか。私を路頭に迷わせたかったのか!?
そんな私に残された道はもう二次募集しかなかった。定員割れのいわゆる人気のなかった学校だ。もちろん私が志望していた学校は一次募集のみで終了していた。わかってましたよ、地方都市のそこそこ人口の多いこの街で定員割れの高校なんてあるわけないって。
詰んだなーと落ち込んだ。お見舞いに来てくれた友達も、容体の心配はしてくれたものの高校の話は一切口にしなかった。その優しさが更に私を落ち込ませた。
お父さんもお母さんも、そんな私のために仕事の合間を縫ってあちこち連絡をしてくれた。その甲斐あってかなり遠縁の教職に勤めている伯父さんの高校が二次募集をかけるということで受け付けてくれた。
決して近くはないけど、同じように二次募集で残っていた高校のどこよりも近い私立の高校に。
それが今日から通うことになる、女子校の二宮高校と私の地元にある共学の三宮高校との姉妹校の一つ、男子校の一宮高校な訳で。
つまり、私は女であることを隠して男として入学したのだ。この事は発案者である伯父さんを筆頭に、理事長と校長と教頭、そして極々一部の先生と同い年で同じ高校へ通うことになった発案者の伯父さんの息子の喜多川恵くんと恵くんの友人一名しか知らない。
大丈夫かよ、と思わなくもないが、来年から共学になるらしくそのための前準備と思ってもらえれば、とは理事長の言である。共学に伴い二年に上がる時には女として進級させてくれるとも。
一応、二次募集での試験を受けて性別以外何の問題もなかったので完全な裏口入学ではないし、曲がりなりにも女子なので色々と配慮もしてくれるらしい。何より、早々に浪人しなかっただけマシか、と思えるようになったのは両親にすごく心配をかけてしまった後ろめたさと、例え男子校であっても入学できると決まった時の二人の安堵した顔を側で見ていたからでもある。そして近いなら、まぁいっか、と。
なるようになれ。
幸い、髪を切れば女顔の少年に見えなくもないわよ!と母からガッツポーズをもらい、父には少しヘアスタイルをいじってもらい無言のGOサインを獲得したのでとりあえず男子に紛れ込めそうだ。――無言で髪をいじる父のなんとも言えない顔が印象的だった。
残念ながら現段階であまり成長が芳しくない胸は、男装用で使われる特殊なシャツを着用する事であら不思議、ぺたんこな胸板を手に入れることができた。全然!これっぽっちも!ミジンコ程も!嬉しくはないけど!!
大笑いした妹の頭をはたき、肩を震わせて声を押し殺していた恵くんの頭には拳骨をお見舞いしておいた。
とにかく、来年までの辛抱だ。
私はそう自分に言い聞かせたのだった。