猫ソリ
クリスマスイブの日、私は一匹の白猫を轢いてしまった。細々としたその体を抱き上げ、家まで持って帰り、庭に埋めた。罪悪感にさいなまれ、グスグスとベッドで泣いていた。
そもそも今日一日ツイていなかったのだ。朝から寝坊をすれば、忘れ物をして、それを怒られながらさらにミスをして怒られる。まるで絵にかいたようなアンラッキーデイだ。猫を轢いてしまった罪悪感に、今日一日の出来事がカットインしてくると、さらに涙が溢れてくる。
数時間後には泣き疲れて寝ていたようだ。ハッ起きるとまだ夜中で、時刻は午前一時半であった。
人間とは上手く愚かにできている。あんなに悲しくて悲しくて、どうしようもなかったのに、あまりに悲しすぎると頭がフリーズしてショートする。再起動したらさっきよりはいくらかマシになっていて、ボーっとしていると時間が来るから仕方なく行動を起こす。でも、また失敗するから落ち込んで、繰り返し疲弊してショートする。ループして、人はどこへ向かうのだろう。
はーぁぁあ……と深いため息をつくと、
「夜分遅くにすみませんが、お食事を少々分けていただけませんか?」
戸締りが万全で、独り身である我が家に、太い男の声が聞こえた。いやいや待て待て! どこから入ったんだ?
「ええ、二階の小窓から失礼しました。鍵の締まりが甘かったもので」
至急鍵屋に駆け込まなくては……ってちがう。
「あ、あの……どなたですか?」
この怪しすぎる状況で冷静に部屋の電気をつける私もどうかと思うのだが、
「申し遅れました」と自然に自己紹介をしだすこいつもタダ者ではない。明りの灯ったこちらの部屋へと入ってきたのは……
「ね、、、、猫?」
一匹の白猫だった。首には黒い首輪がしてあり、そこから小さな鈴が垂れたいた。見た目は可愛い。
「はい。私、猫の鉄次郎ともうします。あ、こう見えて雄です」
「どっからどう見ても雄だろうが!」
白い毛並みが確かにメスっぽいと言われればそうだが、その……ぶっとい声は……
「お嬢さん突っ込みがキレてますね、というわけでお食事を恵んでいただけますか?」
私の足元まで歩み寄ってくる。離れたところから見ると真っ白に見えたが、結構土汚れが酷い……って! まさかと思い猫の歩んできた道を見てみると、
「ひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
案の定、足跡が廊下、階段にこびりついていた。
「申し訳ありません、さっきまで埋まってましたので」
「埋まってた!?」
再びまさかと思って庭へ駆け出した。するとさっき埋葬したところが掘り返されていた。
「ま、まさか、あれあんた?」
「ええそうです。先ほどまであそこに埋まっていました」
「ば、化け猫ぉぉぉぉぉぉ!」
腰が抜けてしまった。今日はとことんツイてない。というか死ぬのか? 私。
「なにをおっしゃられるのですか、私は聖なる猫ですよ? 化け猫なんかと一緒にされては困ります。化け猫は埋められたら死にますが、私は死にません」
「化け猫なんかより化け物じゃんか」
「いえいえ、もう一度申し上げますが、私は聖なる猫でございます」
その後もとりあえず食料をねだられるので、有り合わせのものを差し出した。そもそも、私が蒔いた種なのだから、拒否権など皆無なのだ。もみゅもみゅと食べ終わるとお皿を少し前に差し出し、「ごちそうさまでした」とお辞儀をした。自然な流れで、「おそまつさまでしたー」と言って皿を洗っていたら……どこか引っかかるところが出てきて、思わずガシャンと皿を割った。
「おや大丈夫ですか?」
「つーか猫がしゃべったー!!」
今更ですか? と涼しい顔で、後ろ足で首を掻いていた。
「完全許容範囲なのかと思っておりました」
「許容範囲なわけないでしょ! いや、もう何から突っ込んでいいのかわからないのよ!」
「お嬢さん、そういうのはフィーリングですよ、俗にいう直感ってやつです」
「猫に俗にと言われる日が来るとは夢にも思わなかったわ」
毛づくろいを始めた彼に、謝罪の言葉をかけ、傷の調子を聞いた。すると彼は、なんともないですと気にも留めない様子だった。
「超余裕な感じだけどさ、あんた車に轢かれてんのよ?」
「ええ、何の問題もありません。私は聖なる猫、逆に車を破壊しなくてホッとしております」
「車に轢かれても死なないなんて、あんたは何でできてるのよ」
「見ての通り有機物でできていますが?」
「死なねぇ時点で有機物じゃねえ!」
彼はしばらくの間毛づくろいをしていた。終わるころにお水を出してあげたら喜んで飲んだ。
「お嬢さんは飲まないのですか、一緒にお茶しましょうよ」
「たぶん、世界中探しても猫にお茶しようと言われたのは私だけでしょうね」
することもないので雄猫の誘いに乗り、カップにインスタントコーヒーを溶いた。
「コーヒーおいしそうですね」
「猫ってコーヒー大丈夫なの?」
「聖なる猫なので大丈夫です」
「聖なる猫ってなんなのよ」
深さのあるお皿に替え、彼にもコーヒーを淹れた。曲がりなりにも猫なのだから、ミルクたっぷりのほうが良いだろうと思ったのだが、「ミルクも砂糖もいりません」とブラックのまま啜りだした。お前、ほんとに猫かよ。
猫が猫舌という現代の設定を完全無視して、ズルズルと飲み干してゆく。飲み終えるとふぅーと一息ついて、伸びをしてから、
「聖なる猫の存在、気になりますか?」
「ずいぶん溜めたわね」
「もうしわけありません、単純にコーヒーの誘惑に勝てなかっただけで、意図的ではありません」
「もう突っ込まないわよ」
「はい。それでは、聖なる猫についての説明をさせていただきます」
話を聞いていると、聖なる猫なる者は神様のお使いの猫ということらしい。そう呼ばれている者たちは皆、神様のご加護をいただいているらしく、死なないだけではなく、普通の猫よりも何千兆倍もの力を与えていただいているらしい。
「本気になれば、銀河系なんてものは秒で割れますね」
「そんな凶器が横に居んのかい!」
私の発言を軽快に無視して、彼は軽やかにつづけた。
「聖なる猫のお仕事は、猫ソリを引いてあるものをかき集めて天界へと運ぶのです」
「それで、今はそのお仕事の途中ってこと?」
「その通りです。お仕事途中にあなたと出合ったということになります」
「神様命令のお仕事なんでしょ? こんなところで油売ってていいの?」
首を横に振って、ため息をついた。
「今すぐにでもお仕事を開始しなければならないのですが、実は仕事を行うためにはソリを操る操縦士が必要でして……前までの人がちょうどこの間退職されて、私は今ソリを動かせない状態なんです」
「あら、それは大変じゃない」
「だからお願いします!」
おでこを地面に擦り付けて、「私のソリに乗ってください! 今夜だけでいいんで!」と全力で頼まれた。
「いやまあ、今日あんたには悪いことしているから、全然いいんだけど……なにすればいいのさ。それに、あるもの集めるってなに集めんのよ?」
「お嬢様がすることは特にすることはありません。ただ私のソリに乗っていただいて手綱を持っていただき、死んだ人の魂を袋詰めしていただくだけです」
「あるものって死者の魂のことなの? それに、死んだ人の魂を集めればいいってあんた簡単に言うけどね、一般人からすれば大事なことよ!」
「はい、えっと倫理的には大事なことかもしれませんが、お仕事内容自体は至って簡単なのです! それに、引き受けていただいたら豪華プレゼントを差し上げます。ちょうど今日はクリスマスですし!」
猫から贈られるプレゼントなんてものは、ろくでもないような気がするが一応聞いてみた。
「何をいただけるのかしら?」
「はい! 有休をプレゼントいたします!」
「お前はうちの社長じゃねーだろ!!」
それから、私はなんだかんだいって、彼についていくことになった。出かける前に、彼がつけた足跡を綺麗にして、もう一度よ―――く戸締りを確認した。
戸締り終了後、彼とともに玄関先に出た。
「お嬢さん見ててくださいね、フイヤァ――――――」
厳つい怒声を上げると、彼は今までの5倍以上の大きさになり、巻いていた首輪がはちきれたと思ったら、それが見る見るうちに形を変えてソリになった。
「お嬢さんお待たせしました! さあどうぞ!」
大きくなるとさらに声が太く低くなっていた。
ソリのクッションは最高で、風よけは一切ない筈なのに全く寒くないし、風も入ってこない。理由を聞いたら、これも神様のご加護であるらしかった。
「それではお嬢さん、出発します。目の前に在ります手綱を持って、上下に振っていただけますか?」
「こう?」
パシン! と引き締まる音がして、「ありがとうございます! それでは行きますよー!」と走り出した。
夜中の道は誰も通行しておらず、とてつもなく静かだった。ソリはグングンとスピードを上げて、首がもげそうなくらいに加速したところで徐々に空へと浮かんでいった。
「すごい、飛べるんだね!」
「ええ、聖なる猫ですから」
飛んでしまうと、首へ負担は一気になくなった。
それからソリはさまざまな場所を回った。病院であったり、住宅であったり、山であったり、河であったり、海であったり、さらには国境をも海へも超えていった。それだけさまざまな場所をめぐっているのに、夜は一向に明けない。
「朝こないの?」と尋ねると、「私が早すぎて時間が追い付いてきていないのです」と返ってきた。
「じゃあ、時間を走ってるみたいね」
猫は、少し笑顔をみせて「そうですね」と言った。
仕事内容は、猫の言う通り簡単だった。ソリを走らせていると、ほわぁんとした光が入ってくるので、それを私が捕まえて白くて大きな袋に詰めるだけだった。なんら難しくない簡単なお仕事だった。それでも猫は助かった助かったと何度もお礼を言った。
空がうっすらと明りを含んできたころ、「今日はここまでですね」と言って私の家へと戻り始めた。ついたのは朝焼けが空を染めてからであった。
「今日はありがとうございました。また機会があったらお願いできますか?」
大丈夫よ、と同意をあらわすと猫は大喜びした。
猫はこの後、神様のところへこの魂を届けなくてはいけないといい、空へと昇って行った。一方の私はというと、睡魔が襲ってきてベッドへと飛び込んだ。今日が休みで助かった。目を閉じた瞬間に私は夢へと落ちていた。
次の日をまるまる寝つぶした私は、また遅刻ギリギリに起きて慌てて出勤した。何とかバスに乗り込めて、最寄りの駅で電車を待っていた。三列に整列された最後尾に着くと、携帯でネットニュースを開く。そこにNEWと書かれた欄を開くと、交通事故で亡くなった記事が表示された。何気なくよ読み進めてみると、私の家の近所の出来事で、
「え……私の……な、まえ?」
私の背のホームから風が滑り込んできて、少し土の香りがした。胸の奥の方から冷たい何かが溢れて、全身を巡った。
「また、会いましたねお嬢さん」
その声は太くて低い、聞き覚えのある声だった。
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