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すれ違い姉弟  作者: 辻一成
第一章 それぞれの初日
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第1話

  春。それは出会いの季節であり、別れの季節。学校には新調した少し大きめの制服を慣れない様子で、それでも胸を張って校門をくぐってくる新入生が。しかしそんな彼らが我らが光望(こうぼう)学園に来る前には、死にものぐるいで大学受験勉強を終え、それが終わるとともに6年間連れ添った級友たちに涙ながらの別れを告げ去っていった高等部3年生の姿が見られた。彼らには無駄に広いこの校庭の周りに咲き誇る桜がどういう風に見えるのだろうか。僕達中等部2年生にとってはただ綺麗に揃えられた桜にしか見えないが出会いや別れの体験とともに見る桜はまた違ったものなのだろう。小学校の頃の記憶もあるはずだが、生憎(あいにく)僕は別れが悲しいと思えるほど親しい友人もできず、出会いを期待するほどの理由で持って中学校に入学した訳では無いのでそんな彼らの青春の始まりと終わりの気持ちは経験したことがないし、きっとこれからもそれを知ることはないのだろう。僕のような人間があの輝かしい少年少女の記憶に残らない方が良いのは自明だ。青春には混じりっけなど無い方が良い。

  そんなセンチメンタルな気分に浸、中学生らしく詩のような文章(俗にいう将来人に見せられないポエム)をつらつらと考えながら春休み明けの学校に登校してきた訳だが。もっというと、ただでさえ重たい鞄にいつもより多くの荷物を詰め、約40分ほどの通学路を歩いて来た訳だが。学校は新入生の期待やら緊張やらがよく感じられる活気で満ち溢れている。なぜ彼らはあんなにも楽しそうなのだろうか。いや、別に僕も学校とか青春とかを激しく嫌っている訳では無い。ただ無関係だと思っているだけだ。当然学校という場所に自然にいるために友人も作った。まぁ信頼にあたいするであろう人物を選び抜いたのでその時点で性格の悪さが滲み出ているのだけれど。それは一度置いておこう。そんな風に無理矢理作った、というよりなってもらった友人達には当然僕などに構っておらずとも他の仲の良い友人がいる訳で。最初の登校時に僕と絡もうとは思わないだろう。よって活気溢れる玄関口をできるだけ人の視界に入らないよう、すり抜ける。まぁ見慣れた光景だ。1年生の下駄箱、2年生の下駄箱、3年生の下駄箱と左から順に、なんの洒落もなく並んでいる。どれも古ぼけた木製のもので無駄に歴史を感じさせる。流石このあたりで最古の学校。私立とは思えない。なんでも理事長は世襲制で確か現在十何代目かだそうだ。だからといって1度も下駄箱を変えていない訳ではあるまいが。そこで今までの通り1年2組12番の下駄箱から上靴を取り出そうと思考を巡らせたところでやっと気づいた。そうだ、新入生がいるということは僕はもう2年生なのだ。そういえばさっきもそんなことを考えていた気がする。では2年生の下駄箱へ...と、ようやく僕の間抜けな脳味噌はクラス替えという言葉の存在を思い出す。そうか、去年の級友と別れをするのは何も3年生だけではないのだった。それでもそれに気づいたからと言って何を感じる訳でもないのが残念だ。そも、級友と言っても離れ離れになることもないうえ、とりわけ仲が良い人物がいる訳では無かった。そんな状態で別れを惜しむこともできないのは当然か。下駄箱の奥の緑色の掲示板、こちらも古びていて無数の画鋲のさしあとが残っている。そこにやけに人が集まっていた。どうやらあそこにクラス表があるらしい。なぜ下駄箱の奥でクラスを示しているのだ、どこに靴を置けばいいのか分からないし、そもそも上靴を取れないじゃないか...と思ったが上靴は鞄に入っているのだった。どうやら今日の僕はいつもより(ほう)けているようだ。と自分のコンディションを今更ながら確認し、一緒に自分が1年間過ごすクラスも確認する。今年の光望学園中等部2学年はどうやら去年と変わらず5組まであるらしい。1組40人近くもいるのに5組まであったら全員の名前と顔を一致させられるはずがない。去年の級友も最初は全員覚えようとしたが半分を超えたあたりで諦めた。興味が無いことを覚えるのは中学生には苦行すぎたようだ。そんな風に去年のことを思い出していたらやっと目の前の人の群れが散っていき、自分の名前を探せるようになった。1組2組...と順に探そうと思ったら案外すぐ見つかった。いや、自分の名前がいやに目立って見えるとかそういう訳ではなく...

『2年1組1番』

 まぁ、そんなところにあったら誰だってすぐに見つけられるだろう。どうやらそれが僕が1年背負っていく肩書きらしい。一応クラスメイトの名前も見ておこうかと思ったが周りに流されて身長の低い僕ではすぐに掲示板は見えなくなってしまう。まぁ仕方がないか。ともあれ、自分の番号は確認できた。これで問題は無い。もちろん、今以上の肩書きを背負うつもりは無い。そんなことをしたらいたいけな少年少女たちの記憶に僕という根暗人間が残ってしまうかもしれない。というか僕の番号ってほぼ全生徒の目に触れるんじゃないか。印象に残ってしまったらどうしよう。訴えられでもしたら大変だ。子供の将来を汚した罪とかないよね、多分。まぁでも一度名前が見られただけならばすぐにみんな忘れてくれるだろう。うん、きっとそうだ、そうに違いない。

  と、少し自分の将来を案じているとはたと気づいた。この学校の出席番号の決め方は特殊なのだろうか。普通であれば五十音で番号を決めるだろう。去年がどうだったか...なんとそれすら覚えていないとは。僕は本当に去年1年この学校に通ったのだろうか。興味が無いにも程があるだろう。まぁ忘れてしまったものは仕方ない、しかし流石に自分が籍を置いている場所への関心がなさすぎる。今年は少なくとも学校の基本システムくらいは覚えよう...と1年の学校での抱負のようなものを授業で書く前に一足先に考えていると、ふと誰かに呼ばれたような気がした。

  いや、気のせいだろう。まさか僕のような人間が誰かの印象に残っている訳が無い。もし本当に僕の名前であったとしても2年1組1番という目立つ番号だった名前を読み上げただけだ。それに学年が一つ上がったというとても重要なタイミングだ。みんな仲の良い去年からの友達とクラスが同じになったことを喜びあったり、違うクラスになってしまった元級友に「これからも友達だよ!」的なことを伝えているだろう。もしかしたら僕と同じ遠峰という性の子もいるのかもしれない。いや、きっとそうだ。少なくとも僕のことを呼んだのではないだろう、と結論づけようとすると、肩に手が触れた。いや、この表現は的確ではない。明確な意思を持って、肩を叩き、僕を呼び止めたのだ。

「遠峰さんってば!」

 あぁ、なるほど。僕が呼ばれていたのに気づけなかったのはさん付けだったからか。名前を呼ばれることは滅多にないし、さんがついていたら大抵は姉を呼んでいるときだ。それならば気づけなかったのも仕方がない、と意味の無い、誰に対するものでもない言い訳を考えていると彼女は言葉を続けた。

「私、今年遠峰さんと同じクラスになったすずなりんか!よろしくね!」

 話しかけられながら僕は、こんなに近くにいるのにエクスクラメンションマークが出るような大声で話さなくとも伝わるのに...あとすずなって漢字でどう書くんだっけ、と全く関係ないことを考えていた。そして自分が置かれている状況にやっと気づいた、相変わらず間抜けな僕。そうか、僕は今話しかけているのだった。何だっけ、何と言われたのだったか。あぁ、確かよろしくと言われたはず。ならば返答をせねば。このすずな何某(なにがし)さんに。青春が苦手、というか無縁な僕だが会話くらいできる。そもそも会話なんて青春でなくとも、社会でも当然のようにするものだ。出来て当たり前。とはいえ、最後にまともな会話をしたのはいつだったか...?

「あっ、え、えっ...と、よろしく...ね?」

 あれ...?おかしいな?「よろしくね」というたった5文字を伝えるだけのつもりがかなり失敗した気がする。あっ、と言ってしまったところまでは、まだいい。え、も許容範囲ギリギリだ。しかし、えっ...とってなんだ。どれだけつっかかえているのだ。そして(とど)めにクエスチョンマーク。それは相手の頭上に浮かぶべきだろうが。なんて自分を責めたてていると、

「うん!じゃぁ私、先に教室に行ってるね!」

 と、よく聞くが今まで本当にあるとは思っていなかった向日葵のような笑顔とともにまたエクスクラメンションマークが出るくらい快活に返答を済ませ、彼女...もとい諸悪(しょあく)根源(こんげん)はさっさと教室のある2階へ向かって言ってしまった。いやいや、諸悪の根源は自分なのだった。最初は正直驚きで硬直してしまい、相手の容姿...といっても制服だから主に顔だけれど。じっくりと見る余裕はなかったが、改めて思い返すととても可愛い子だった。中学生に見えるかと問われると微妙なくらいには発育していて、それでもツインテールという正直に言って子供っぽい髪型で中学生らしさが(にじ)み出ていた。瞳は爛々(らんらん)と輝いていて、笑顔を引きたてていた。(まさ)に青春とか、そういう言葉を体現した元気一杯少女だった。どこかで人のことを覚えるときはイメージカラーをつけると良いと聞いたことがある。彼女の話によると同じクラスのようだし、絶対に他の生徒からも好かれる人望があるタイプだろう。僕なんかの名前を覚えていてくれたくらいだから。それにあんな笑顔を向けられたら男子はイチコロなのではなかろうか。少し興味深い。噂、というか珍しい自分の記憶の断片に従い、イメージカラーでもつけて彼女を覚えよう。確か名前はすずな...なんだったか。まぁいい、今度機会があれば聞こう。というかクラス替えをしたのだから自己紹介もするか。そのとき、しっかり聞いておこう。一言目を聞いたときからそんな気はしていたが、彼女のイメージカラーはやはりオレンジかな。僕の中でオレンジは《元気》というイメージがある。

一区切り彼女について考え終わり、意識を現実に向けようとすると疑問が浮かび上がる。なぜ僕はさん付けをされたのだろうか。普通であれば君づけではないのか?いや、初対面だから敬称をつけたのかも知れないけれど、まだ勝手なイメージでしかないが彼女は同級生にそんな風に接するタイプだとは思えない。むぅ...謎だ。珍しく答えが出せなかった。自分の脳内の疑問にはいつもしっかり答えを出していたのだけれど。まぁ分からないものは仕方がない。そろそろチャイムも鳴ってしまいそうな時間だし、さっさと教室に向かわねば。


階段を上り、2年1組の教室を探す。今度は間違えて1年の教室を探したりしなかった。僕でも成長するということだ。と、程なくして教室は見つかった。いや、見つかってしまったというべきか。この初めて教室に入る瞬間というのはなんだか緊張してしまう。できるだけ自然に入って周囲の喧騒に紛れ込み、さっさと座席表で自分の席を確認して席につこう。よし、計画は完璧だ。さぁ、ドアを開けよう。学校のドアってなんだか「開ける」というよりスライドしきなので「開く」という方が正しい気がする...なんてまた関係のないことを考えながらドアに手をかける。いや、いつもいつも気が散りやすいのは僕の悪い癖だと分かってはいたが未だ直せていなかった。いや、というより直そうともしていなかった。だが、それをここで激しく後悔することになる。

ドアに手をかけた瞬間、中から勢いよくドアを開けた女の子が僕にぶつかってきた、もとい突撃してきたからだ。まだここまでは良かった。突撃されても僕が怪我を負うのなら我慢すれば良いだけだったから。いや、たらればの話はよそう。現実には彼女が僕に突撃してきた瞬間、そのまま彼女はぶつかった衝撃で後ろに倒れかける。そしてそのまま頭から...となる前に咄嗟(とっさ)に手が出て、引き寄せた。なんとか頭をぶつけることはなかったのだが、僕が彼女を抱き留める形になってしまった。そしてまだ不幸は続く。失敗した、というように少し顔を赤らめた彼女は去年の僕の級友、そして俗に言う学園アイドル、高瀬秋音(たかせあきね)だったからだ。彼女の学園アイドルっぷりは凄まじい。まず中等部の生徒は誰もが知っている。恐らく、今年入学してきた1年生でも全員知っているレベルだ。この辺りでは去年1年だけで私立光望学園中等部といえば高瀬秋音、というレッテルがでは貼られた程だ。それどころか高等部にもその名は轟いている。僕の姉、遠峰光の名も中等部にまで伝わってはいるが彼女、高瀬秋音は姉の知名度を上回っているかもしれない。まぁ、どちらも学園で知らない者はいないのだが。まだまだ逸話はあるが、まぁ、それくらい有名だということだ。そしてそれも当然のことではある。高瀬秋音は弱冠14歳にしてハリウッドデビュー果たした役者でもあるのだ、それも主役で。その映画は流行りに流行って、否、この表現では足りなすぎる。なにせ興行収入500万ドルを突破したという伝説の作品の一つなのだから。有り得ないだろう。そしてもっと驚きなのはその演技力から将来が期待されていた彼女だが、あっさりその道を外れ、こうして日本で普通に学校に通っているのだから。もちろん純粋な日本人、だと思う。少なくともハーフとかクォーターではない。

そして現状。そんな超有名元役者、現学園アイドル(こう考えると落差がすごいような...)を僕が抱き留めている訳で。当然、そんな状況は少年少女の汚れなき将来のため、記憶に残らないようにしている僕にとってはかなりまずいことで。僕は灰色の脳細胞をフル動員してこの場を切り抜ける策を...

「あの、すみません、突然ぶつかってしまって...と、ありがとうございます。支えてくれて。」

なんて考えているうちに彼女は自分を抱き留めている僕のような一生徒、もといクズを邪険にするでもなく、あろうことかお礼まで言ってきた。全く知らなかったが、礼儀までなっているとは。やはり名実、内外ともに素晴らしい少女らしい。あぁ、残念ながらまた会話をせねばならないようだ。次こそはしっかり、

「い、いえ、こちらこそ、すみ、ません、ちゃん、と確認せずに...」

うわぁ...今度は吃音みたいになってしまった。いよいよ救われない。

彼女は少し不思議そうに、しかし純粋な瞳で見つめてくる。そして僕も失礼ながら彼女をジロジロと見てしまう。スラリとしたスタイル。僕より身長は高いだろう。映画出演時には肩まで伸びていた髪を今では短くしている。なんというのだったか、確かボブ...?とかいう髪型だ。透き通るように白い肌。そして先述の通り純粋な瞳。その黒く、澄んだ瞳で見つめられると体が硬直してしまう。

「あの...」

あ、しまった。早く離れねば。

「す、すみません!ずっとくっついてて!」

どうやら咄嗟だとすんなりと言葉が出るようだ、じゃなかった、すぐに彼女を下ろし、逃げるように教室に入ってしまおうとすると、

「お怪我、ありませんでしたか?」

嗚呼、神よ、いや高瀬様よ、優しさは充分伝わりましたからこの場から離れさせてくださいませ。

「えぇ、大丈夫でございます。」

しまった、変な茶番を考えていたからそのまま口に出てしまった。また彼女は少し怪訝(けげん)そうな顔をしたが、すぐに

「それなら良かった。すみません、私、用があるので失礼しますね。本当にありがとうございました。遠峰さん。」

と、最後の最後まで礼儀正しく彼女は廊下の奥へ向かっていった。そして驚愕の事実。彼女は僕の名前を覚えていた。というより知っていたというべきか。それどころか顔と名前を一致させていた。去年1年極力人に名前を覚えられまいとしていたのに...。仕方がない。切り替えよう。なんという幸運か、そんな僕の窮地は喧騒に飲まれ、殆ど気づかれていないようだ。

そしてやっと僕は教室に入る。まぁ、普通の教室だ。黒板があり、その隣には掲示物...はまだないが玄関のものと同じ緑色の掲示板があり、そして黒板の前には教壇がある。また、その前には所狭しと約40もの机が並べられている。教室の後ろの壁にも黒板があり、こちらは次の日の持ち物などを書くものになっている。また掲示板もあるが緑1面の新品状態。まぁすぐに自己紹介カードのようなものが貼られることになるのだろうけれど。そう、教室は普通だ。だが、僕は気づいた、いや、気づいてしまった。今、僕が1歩踏み入れたこの教室に女子生徒しかいないことに。いやいや落ち着こう。まだ男子が来ていないだけに決まっているだろう。若しくは男子はどこか別の教室に集まって話に花を咲かせており、同様にこの2年1組には女子が集まっているだけに決まっているだろう。全く、どうしたんだ、僕は。あはは、本当に今日は駄目だなぁ。そして気を取り直し、座席表を見て再び絶句。出席番号順に席を並べているようで当然、僕は教室右角の席なのだが、自分以外のどの名前も女の子のものなのだ。里奈、とか優香、とかベタなものでこそないが、パッと見て男の名前だと思うものは一つもない。いやいやいや、名前だけで人 (性別)を判断するものではない。たまたま親が子供に男だと分かる名をつけなかっただけだろう。さぁ、そうなれば僕は男子が来るまで自席でじっと、話しかけられづらいように本を読んで待っていようじゃないか。そういえばさっきのすずな何某さんだが結局分からなかった。どうやら僕はすずなという漢字をまだ知らなかったらしい。そして、何の縁か高瀬秋音は僕の左隣の席だった



そして残酷に、無情に時は過ぎ、結果、辺りは見る限り僕以外、男子はいなかった。...は?待ってくれ、おかしいだろう。いくらどうやら今年は不幸そうだからと言ってこれは有り得ない。あれか、今年のおみくじが大凶だったのはこういうことか。普通の男子中学生からしたら喜ばしいのかもしれないが目立ちたくない僕にとっては本当に嫌、というかいけない状況だ。女子しかいないクラスになぜか1人だけいる男子。とかどんな漫画だ。いや、漫画でも有り得ないだろう。学園側は何を考えているんだ。ふざけるな。と、狼狽しながら学園に怒りをぶちまけている(脳内だけど)と

「なんか顔色悪いけど大丈夫?」

と、後ろから少しくだけた口調だが本気で心配しているような声が聞こえた。しまった。脳内だけだと思っていたら焦りで顔色まで悪くなっているらしい。気づけば冷や汗も滝のように流れている。

「あ、す、すみません、大丈夫です。」

と、とりあえずただ目の前に座っている一生徒の異常に気づき、それどころか心配までしてくれている心優しい女の子に返事をする。なんだか今日会う女の子はみな優しい良い子ばかりな気がする。それがせめてもの救いか。

「そう?何かあったらすぐ伝えてね。先生でも呼んでくるから。えーっと、確か遠峰さん?」

また名前を知られている...。なにゆえだ。僕、何かみんなに知られるようなことをしたか?まぁ今は会話をつなげよう。さて、

「あ、はい、遠峰影です。『かげ』と書いて『よう』と読みます」

意識していなかったがやっと会話に慣れてきた。やればできるじゃないか、僕。まぁなんだが定型文みたいなのが少し気にかかるのだが。

「へぇ、なんだか下は変わった名前だね。あ、いや、別に変な意味じゃなくてね?あーっと、私は鈴谷早苗(すずやさなえ)。改めてよろしく。影さん。私、人のこと苗字で呼ぶのも呼ばれるのも苦手だから名前で呼んでくれるとありがたいな。」

またさんづけ...しかも下の名前に、どういうことだろう。なんだこれ、実は僕はみんなの敵になるようなことをしてしまっていてそれで集団いじめ...みたいな状況に陥っているのでは...?いや、さすがに発想が飛躍しすぎているか。

「分かりました。よろしくお願いします、早苗さん」

とりあえずまた社交辞令のように会話をこなす。いい加減慣れたようだ。そうだそうだ、別に気の利いたことを言おうとしたり、考えたセリフを吐いたりするから失敗するのだ。ならば考えず、直感に任せて喋れば良い。なんだか見ようによっては口からでまかせみたいな感じで嫌ではあるのだけれど。それにとんでもないことを言ってしまうような危うさも(はら)んでいるのだけれど。

会話にやけに積極的だと思われるかもしれないが、別にそういう訳では無い。クラス替え初日なんてみんな挨拶をしたり、とりあえず話してみたりするものだ。だから、僕はそれを避けずにつまらなくこなす。ただただこなす。誰だって話していてつまらない人間とは話したくないだろう。僕の目標はあくまで将来誰の記憶にも残らないことであって、友達を作らなかったり、会話を全くしなかったりする訳ではないのだ。そんなことをしたら余計に目立ってしまうではないか。けれど、今日話しかけられた3人には名前を覚えられてしまっていた。なぜ覚えられていたのか今日中に確認を取らなければ。

そんなことを考えているとどうやらこの2年1組の担任らしい女性教諭が入ってきた。う...また女性...と思わなくもなかったが一旦スルー。まぁ問題がある訳でもないし良いだろう。その後の流れはお決まりの通りだった。まず担任の自己紹介から始まり、今日1日の予定を説明された。そういえば始業式なんてものもあったな。忘れていた。とりあえずすぐに体育館で始業式をして、その後教室で自己紹介やらクラス目標を決めるやらするらしい。そうだな、僕に関係があるのは自己紹介くらいか。ならさっさとやってしまいたいものだ。チラリと左隣の学園アイドル、高瀬さんの方を見ると気づかれたようでニコリと微笑みかけられた。うぅ、そんな微笑でも眩しいのか、この子は。

程なくして説明された通り体育館に移動、どうやら僕らのクラスは最後だったらしく、体育館は人で埋められ、その人がひしめき合っていた。なんか怖いな。僕、遠峰影き対人恐怖症とか、高所恐怖症とか、そういう〇〇恐怖症はないのだが。大勢の人は少し苦手かもしれない。今は学校だからいいが、街中では怖い。誰が危ないものを持っているか分からない。そんなストレスフルな状況を好むMでもないので人混みはできるだけ避けたいところだ、今はいくら足掻(あが)いても無駄だけれど。そんな人に紛れ込み、誰に話しかけるでも話しかけられるでもなく待っていると声が聞こえた。やっと始まりかと思ったが、

「遠峰さん」

といかにも優男といった感じの良い声が聞こえた。ここに来てようやっと男子に話しかけられたか。と歓喜している...場合でもないな。

「えっ...と、何でしょう?」

こちらも対抗してできるだけ物腰柔らかな感じで応じる。

「あぁ、やっぱり遠峰さんだった、遠峰さん、僕、去年同じクラスだった高尾遊馬(たかおゆうま)と言います。それで...」

なんか名前まで優しい感じだな。イケメンだし、世の中不平等だ。...

「僕と、お付合いしてください!」

絶句。本日2度目の絶句。...は?


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